絶対絶命本能寺
時は戦国、世は乱世!
天正十年の六月二日曙(午前四時くらい)。本能寺で休息を取っていた織田信長の御一行様は、明智光秀による突然の謀反により絶望的な窮地に陥っていた。
――――メラメラメラメラメラメラ……
「いやぁ~我々以外、みんな景気良く燃えまくって…….まさに“是非もなし”っ感じですよね信長様?」
「ちょ、蘭丸! のっけからそんな怖いことをサラッと言わないでよ!」
ビビる信長は、小姓蘭丸の能天気な発言にすかさず突っ込む!
「そうは言いますが信長様。この状況……のっけどころか、完全に終わってますよ我々?」
「そ、そんな簡単に諦めたらダメじゃろ! ここは懸命に知恵を絞ってだな……その、一発逆転の策を……」
「無理です!」
「いやいや、そんな何も考えない内に無理だなんて……」
「無理です!」
「ちょ、ら、蘭丸?」
「“無理”って意味が分かりますぅ? 信長様?」
「…………わ、わかるけどさ~」
気落ちする信長に、蘭丸はさらに続ける。
「そもそもですよ? どうして自分が泊まる本能寺にもっと護衛の兵を置かなかったんですか?」
「お、置いてたじゃない。百人くらいは……」
「本気で天下を狙おうとする者がたった百人足らずの護衛しか付けいなんて、どこをどう考えてもおかしくありませんか?」
「お、おかしいかのう?」
「ええ、おかしいですね。アナタの頭が……」
「ちょ、ら、蘭丸?」
主君を躊躇なくバカにする蘭丸。一見冷静そうに見えてるが、おそらくこの状況を招いた主君の間抜けさ加減を本当に心底バカにしてるに違いないだろう。
「まぁ、いいですよ。ここまで来てアナタに文句を言っても状況が変わる訳ではありませんから……」
「す、すまんな……ワシが不甲斐ないばかりに……」
「まったくです! ですが、ここは取り敢えずどうにか生き残る術を考えましょう!」
「生き残る術!?あるのか!?この状況で!!」
「もちろんでございます信長様!」
「おお! さすが蘭丸はたのもしいのう! して、その“術”とは?」
訊ねる信長の顔はまさに意気揚々のものだ。
「光秀様に詫びの品を献上し、許しを請うのです!」
「許しを請うじゃと!? ならん! そんなことは断じてならんぞ!!」
先程とは違って、烈火の如く怒りを露にする信長。やはり天下人直前にまでいった男の意地があるのか、人に頭を下げる……ましてや自分に謀反を起こした相手にとなると言語道断なのだろう。
だが、そんな怒れる主君に蘭丸は?
「ですが、信長様。ここで死んでしまっては全てを失いますぞ? 今までの偉業も!天下統一の夢も! アナタはそれを全部失って潔く死ねますか!?」
「あ、ぐっ、それは……」
たかが小姓といえど、これ程に真っ直ぐに意見を主張されては、さすがの信長でも手前勝手な考えを通し辛いものがある。よって……
「わ、わかった……光秀に詫びの品を送ろう。そして許しを請い、再び天下統一の目を狙おうぞ!!」
「おお! わかってくれましたか信長様!」
己の考えを主君に受け入れてもらえたことに涙を流す蘭丸。口は悪いが、誰よりも熱い忠義を持つ男なのだ彼は……
「して、詫びの品は何を渡すつもりじゃ? 茶器かぁ?」
「いえ!」
「それでは刀かぁ?」
「いえ!」
「で、では…………何を渡すつもなんじゃ?」
「ハイ! それは光秀様が一番欲しがるものです!」
「何? 光秀の“一番欲しがるもの”じゃと?」
信長は首を傾げて考え込む。
「う~む、順当にいけば他には領地とかくらいかのう?」
「いえ、もっと簡単で手軽なものです!」
「簡単で手軽なもの? 良く思いつかんが、もしかして大して価値がないものなのか?」
「ハイ! ぜんぜん、まったく、毛程にも価値がないものです!」
「さ、散々な言われようじゃのう。その光秀の一番欲しがるものとやらは……」
「まぁ、ぶっちゃけ? 本当に何の価値もないものですからね……」
蘭丸はため息混じりに言う。
「フム、どうもワシには検討がつかんものみたいじゃな。悪いが蘭丸、お主の考えを聞かせてくれんか?」
「ハイ! それは信長様の首です!」
「なるほどのう……確かに今の光秀が一番欲しがるとしたら、このワシの首で間違いないか……も!?」
ここで信長の動きが完全に停止する。
「あれ、どうしました信長様? まるで信頼していた小姓に裏切られた様な顔をしてますが?」
「裏切られたわボケェェェェェーーーー!! 何がワシの首じゃ! しかも価値がないとはどういうことじゃあああーーーー!!」
「仰る通りです。信長様」
「お、仰る通りって……しょ、正気なの貴様!?」
あまりにも悪びれない蘭丸に、信長は逆に戸惑うしかなかった。
「あの、いいですか信長様?」
「な、何じゃい!?」
「この四方八方を圧倒的な戦力差と余多炎に取り囲まれた挙げ句、普通のやり方でこの場をどうにか出来ると本気で思ってます?」
正論だが、信長にとっては耳を塞ぎたくなるくらいに耳を塞ぎたい話だ。
「うう……まぁ、それは……わかっておるが……じゃが、だからといって大事な主君の首を差し出すとは貴様、なんたる愚行を……」
「あ、その辺は御心配なく!」
「何? もしや、他に何か策があるというのか?」
「いえ、『今のアナタ様を別にそこまで大事に思ってない』って意味です」
「……へっ?」
呆気に取られる信長は、またもや完全に停止する。
「正直言いたくありませんが、あっちこっちに何万と兵を派遣してるくせに、肝心な自分の護衛を百人程度しか置かないという間抜けな主君を誰が大事にしようと思いますか?」
「あ、う、だからそれは……」
「『それは……』何ですか? 大した考えを持っていなかったからこそ、こんなとんでもない大惨事を招いたんでしょうが!?」
「そ、そう強く言われると……で、でもじゃ! 光秀程に忠義が厚い者が謀反を起こすなんて、誰にもわかる訳がないじゃろ?」
「あっ、私は知ってましたよ」
「……へっ?」
またまた固まる信長。
「秀吉様や勝家様も知ってましたよ」
「へっ?」
またまたまた固まる信長。
「ついでに言うなら、利家様やウチの兄貴、長可も知ってました」
「嘘! 長可までもが!?」
またまたまたまた固まる信長。そして……
「もしかして、ワシだけが知らなかったの?」
「っていうか、何で信長様が知らなかったのかが不思議なんですが?」
どうやら蘭丸は、純粋な気持ちで言っているようだ。
「え? だって思い当たらんじゃろ? 光秀がワシに謀反を起こす理由なんて……」
「え? 信長様、本気で言ってます?」
「というと?」
どうやら信長は、純粋な気持ちで言っているようだ。
「ご自分で考えてみて下さいよ。アナタが光秀様になされたことを」
「ワシが光秀にやったこと? 朝倉で冷遇されて落ちぶれていたところを拾ってやって、地位も名誉も城すらも与えてやったのが気に食わんかったのか?」
「それが全部帳消しになるくらいに、恨まれることをしでかしたからでしょうが!!」
「う、恨まれる!? バカな! ワシに限ってそんな人に恨まれることなんてある訳が……!!」
『コイツ……本気で言っているのか?』蘭丸は真面目にそう思った。
「あのですね? 光秀様に関していえば、ざっと思いつくだけでも比叡山の件。
丹波攻略の際、人質に出していた母親があなた様が気まぐれで約束を破って殺された件。
それに毎回毎回毎回、キンカン頭と言ってバカにしていた件……」
蘭丸は次々に信長が恨まれる原因を挙げていく。
「え、でも比叡山の時のあやつは、笑いながら僧を撫で切りしておったぞ?
それに母親の件にしても、相手を油断させるために仕方なく戦略的に利用をしただけじゃろうが?
後、キンカン頭と言っていたのは、ワシなりのお茶目なスキンシップのつもりで……
言い訳する信長、蘭丸は頭を抱えながら……
「はぁ~、あのですね? 光秀様が僧を撫で切りして笑っていたのは、無茶な命令のせいで本人の精神が壊れた結果です!」
「うっ!」
「それから例え戦略のためとはいえ、自分の母親をむざむざ殺されて平気な人間がいるとお思いですか?」
「うっ!!」
「最後にキンカン頭の件。これが一番に光秀様は堪えてましたよ。だってあの人、信長様にいびられる度に柱の影で泣きながら『殺してやる!殺してやる!殺してやる!』って呪いの様にずっと呟いていましたから!」
「えっ、い、言ってくれよそんな大事なこと。ワシだって悪気があってやってた訳じゃないんだからさぁ……」
あたふたと狼狽える様子を見せる信長。だが、今さら狼狽えてもとっくに手遅れである。
「まっ、そういことですから、その首下さいな!」
「え? なんでそうなるの?」
「いや、それさえ差し出せば、光秀様は私だけは助けてくれると思いますので……」
「はぁ!? 何でお前だけが助からにゃならんのだ!
助かるならワシ! ワシだけ!」
こんな外道的な発想を持つ主君を、蘭丸は改めて呆れるが……
「まぁ、そんな能書きはいいですから、それよりもちょっとそこに座って下さいよ」
「座る? なんでまた?」
「いや、首を切り落とすにはちょうど良い高さかなと……」
そう言って颯爽と刀を抜く蘭丸。
「き、貴様ぁぁぁぁぁーーーーー!! ブッ殺す! マジでブッ殺す!!」
当然の如く、逆上して胸ぐらに掴みかかる信長。
「や、やめてくださいよ! 首さえもらえば私は大人しく消えますから……」
「やるかぁぁぁぁーーーー!! お前にやるくらいなら、その辺の炎に焼かれながら自刃して、灰も残さずに燃え尽きてやるわ!!」
「ちょ、ちょっと、私がもらう首をそんな粗末な扱いしないでくださいよ!」
「誰が貴様にやるかぁぁぁぁぁーーーー!! 何なら、今すぐにでも地獄への道連れにしたろうかぁぁぁぁーーーー!!」
「まぁまぁ、そんなに怒ると健康に悪いですよ?」
「こんな間近で、燃え盛る炎に囲まれてる状況で健康もクソもあるかボケェェェーーーー!!」
――――などと、バカな会話を交わしてる間にも彼等の“死”は確実に迫っているので……
「はぁ、はぁ、はぁ……っで、どうします? 本当に……」
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……そうじゃな、ここは思い切って家康を頼ろうかと思う」
「あの狸を?」
「お前……その口の悪さはマジで直せ!」
そんな指摘をしながらも、信長は今後の展開について己の考えを語り始める。
「家康とはガキの頃からの付き合いがある。だから、それを恩に着せる形で取り入ってもらうフリをしてヤツの懐へ飛び込むんじゃ!」
「フリですか? らしくありませんね」
「まあな。じゃが、考えが足りないヤツのこと……如何なる理由があろうと、ワシが直々に頭を下げてやれば悪い気はしないはずじゃ」
「考えが足りない? あのタヌ……家康様がですか?」
この意見に蘭丸は納得出来ずに首を傾げるが、信長はそれについて淡々と説明する。
「……三方ヶ原の件がいい例じゃな。あの時のヤツはカッとなって信玄に喧嘩を売った挙げ句、ボコボコにされて糞まで漏らして逃げ帰ったじゃろ?」
「まぁ……そういう話は聞いてますね」
「だからじゃ。ヤツのそういう短絡的な性格に付け込むんじゃ!『お主には優秀な参謀が必要ですよ?』ってな」
「……何だか詐欺みたいなやり方じゃありません?」
「そこは兵法といえ!」
だが、『ポッと出た策の割には、意外と利に叶ってるのでは?』っと蘭丸は考え直す。しかし、同時に心配になることも……
「でもいいんですか? 一旦、参謀なんかの裏方になっちゃうと表舞台には簡単に戻って来れませんよ?」
「そこは承知の上じゃ……というよりも、その方が都合が良い」
「……っといいますと?」
「フム、ワシには敵が多過ぎるじゃろ?」
「確かに何回も“信長包囲網”なんてものを敷かれて、後世に伝えられそうなくらいに痛い目に合ってますからね」
「……そういうことじゃ。よって、次はあまり目立たぬ形で天下を狙うつもりじゃ!」
「天下!? この期に及んでまだ諦めてなかったんですか!?」
このぶれない意志には、さすがの蘭丸でも驚くしかなかった!
「当たり前じゃろ? もっとも、今すぐに行動は起こす時期尚早な真似をするつもりはないがな」
「はぁ……」
「取り敢えずしばらくは世の流れを慎重に見極め、頃合いを見計らって家康に接触。その後は家康を中心にして徐々に徳川家全体を懐柔、浸食。
それからは、ゆっくりとワシ自身の発言力と権限を強めてから徳川家を意のままに操るのが常套な手段じゃろうな」
ギラギラとした目で己の策を語る信長。蘭丸にはその野心的な目が魅力的に映った。
「さて、周囲の火も本格的に迫って来ておることであるし、そろそろ脱出するかのう?」
「脱出? これだけの燃え盛る炎の中からの脱出が容易く出来るとは……」
もはや半分以上は観念していた蘭丸。しかし、信長が“脱出”という言葉を口にした途端、どこか期待するものを感じていた。
「え~と、確かこの辺に……」
突然、信長は何かを探る様に足元に敷いてある畳の上で足踏みを始める。トントン……トントン……トントン……カチッ!
音が鳴る! 何かの仕掛けだろうか?
「蘭丸、そっちを持て」
「ハ、ハイ」
言われた通りに二人で一枚の畳を剥がすと、そこには地下に続く抜け穴があった!
「こ、これは?」
「緊急時の脱出路じゃな。じつは本能寺の内部構造はワシ自らが設計に関わっておってな、もしもの備えとしてありとあらゆる場所から秘密裏に脱け出せる仕様になっておるんじゃ」
「の、信長様が自らが設計!?」
「このことは秘密じゃぞ♪」
蘭丸が唖然とするのも無理がない。何せ、ついさっきまで半分以上バカにしていた男がここまで用意周到に準備していたのだから。
「さぁ、行くぞ蘭丸! 天下統一のため、ワシにとことんついて参れ!」
「御意!」
こうして、燃え盛る本能寺から見事(?)な脱出を遂げた二人。彼等が目指す先には、一体何が待ち構えてるのか?
それは、これを読んでくれた読者の方々に想像していただければ幸いに思い……おや? あの二人がまだ何かやっているみたいですね?
では、もうちょっとだけ覗いてみましょう!
「あの信長様? 家康様の裏方に回るにしても“信長”のままで活動するのは不味くないですか?」
「ほう! なかなか良いところに目をつけたな蘭丸ちゃん♪」
この呼び方に、蘭丸はちょっとだけイラっとする。
「一応ではあるが、仮の名前はくらいは考えてあるぞ」
「おお! 案外色々と考えているんですね信長様!」
「……まあな」
「っで、その名前とは?」
「フム、そうさのう……やはりここは、ハッタリの意味も込めて、なるべく偉そうな名前の方が良いじゃろうな」
「偉そうな名前ですか?」
「う~ん、こういうのはどうじゃ? 天の海と書いて“天海”……どうじゃ? 偉そうな名前じゃろ?」
「……何だか字面だけで見ると、七夕とかで聞く“天の川”みたいな響きがあってロマンチックですね」
「ロ、ロマ……って蘭丸、お前けっこう難しい名前を知っておるのう?」
「フフフ……これでも密かに信長様に……いえ、天海様に負けぬように勉強してますので♪」
――――尚、この天海という名前……十数年後の天下分け目の合戦の際に、総大将として参加した徳川家康の傍らで常に付き添っていたとする謎の怪僧の名前と同一であったのは……
フフフ、ここから先を話すのは少々野暮かも知れませんね?
それでは皆さん。またの機会まで……ご機嫌よう♪