チュートリアル
意識が仮想現実の中へと入る。意識はある。けれど体は動かない。
『……いて……い……私……声……』
声が聞こえてくる。聞き取りにくかった小さい声がだんだんと大きくなり、断片的に聞こえてくる。
『私の声……届いて……お願い……届いたのなら……返事を……』
今はまだ体がない。けれど意識はある。聞こえてくるのは美しい女性の声。いつまでも聞いていたいと思える声に反応する。すると更にはっきりと声が聞こえてきた。
『私の声が届いているのですね! あぁ良かった! 私の名はレティシア。あなたの名前を教えてもらえませんか?』
レティシアの声と共にウィンドウが表示される。名前の入力欄だ。意識を向けていつも通りの名前を意識する。
VRMMOに慣れたプレイヤーならすぐにわかる形式だった。大抵は最初に仮の体がある。それを使って手動入力や音声入力をする。表示されたツールを目で使う視線入力なんかも当たり前になりだしている。最先端は自身の想像するものをそのまま入力できたりもする。
Freedom Utopiaはその全てに対応しているようだ。
体はない。けれど意識はある。
この状態でレティシアと意思疎通ができるか否かで最低限のスペックがあるかどうかの確認と、現在のVRMMOに対応できるかどうかの確認をしているのだ。
たぶんこのまま何も反応がない場合、スペックが足りなければそう表示されて、そうでない場合はVR初心者向けのチュートリアルに移行するようになってるはず。
俺は慣れてるから、最初から決めている名前を思い浮かべながら入力する。
『ツバサ』
通ればそれで良し。通らなければまた別の名前を――
『ツバサという名前なのですね! 私の声に応えてくれてありがとうございます!』
通った。珍しいな。大抵は取られる名前なんだけど、しかもサービス開始から2週間経ってるのに。同じ名前でも大丈夫なのかな。
まぁいっか!
『ツバサさん。私にはまだあなたの姿が見えません。私の前に姿を現してくれませんか?』
レティシアの声と共にキャラクター生成画面が表示される。特別な設定はない。Freedom Utopiaは剣と魔法の世界。様々な種族が存在している。しかし、キャラクター生成に種族の選択はなかった。
(確かプレイヤーは天上人だったっけ。レティシアって人が聖女として自分の世界に呼んだとかなんとか)
天上人ってなんか適当だなと思いつつ自分の体を作り始める。
(さすがに新作なだけあって細かく設定できるな)
外見はもちろん。身長、年齢、性別、体格。声も作れる。高音から低音。年齢による声の変化まで。多種多様なクリエイトが可能となっていた。
(やっぱ俺は黒髪がいいな。周りの子はみんな染めちゃうからむしろ最近は黒髪の方がレアだし……うーんおっぱいは大きすぎるとなんかやだな、なきゃないで寂しい……いや、別に貧乳が嫌いなわけじゃないですよ?……俺は誰に弁明してるんだ。とにかく美乳にしようそうしよう……やはり女ってのはバランスが大事だよな。曲線美重視……この絶妙な丸み加減最高だぜ!……お尻も大事だけど、太ももも……この股下の隙間が……ふくらはぎの滑らかさ大事……しまった! 背中のラインも設定できるのか! くぅ!! やっぱ設定すると前後のバランスが……!!……やばいうなじの設定大事だぞ! 髪を結う時の仕草とか重要な要素じゃねぇか!……目の色は深みがある赤の方が色っぽく感じるから……今……何時だ?)
はい。ゲーム開始二日目となりました。いやーキャラクリに5時間オーバー我ながらビックリです。どうせやるなら理想をとね、外見から声まできっちりやってやった。
完成させたキャラクターを登録した後の記憶が朧気だった。夏休み中だからいっかと夕食後回しの風呂後回しので気付けば日を跨いでいたのは覚えてる。夕食は食べたよな、シャワー浴びたよな。その後の記憶がない。
にゃん吉がベッドに飛び乗ったことで俺は目を覚ましたから、その後すぐにベッドインしたんだろうな。ささっと朝食兼昼食を食べて身支度を整えて、今俺はデカイ神殿の中にいる。
「あぁ! ツバサさん。私の声を聞いてくださりありがとうございます!」
目の前にいるザ清楚と呼べる女性が心の底から喜びを表すように顔を綻ばせている。薄い黄色のローブを着て、装飾品は必要最低限、神秘的な神殿の背景とマッチした聖女が迎え入れてくれた。思わず写真を撮りたくなるような――というか即座にスクショした――絵になるイベントだ。
「レティ……シア?」
「はい、その通りです。私がレティシア。ツバサさん、あなたをこの世界に呼んだ者です」
レティシアはどこまでも嬉しそうだが、俺はレティシアが名乗ってから5時間以上キャラクリに夢中になっていた。そのせいで俺は何年も会っていないような知人との再会を果たしたような態度を取ってしまった。
とにかく、話を適当に流しつつ俺は神殿を出ることになった。
要約すると、世界が再び魔王の手によって有象無象の危機に陥るかもしれない。聖女レティシアはそれをいち早く察知した。しかし、フリージア大陸は過去に一度あった魔王との戦いの爪痕が未だ癒えていない。そこで遥か彼方の天上の世界で生活する人を聖女の力を使って呼び寄せ手を貸してもらう。というのが物語の始まりって訳らしい。
魔王が現れる前に備えるという目標を掲げ、天上人であるプレイヤーは大陸各地を巡る。
もっと簡単に言えば、好きにしろ。ということだ。ゲーム内で出来ることをやって楽しんだもん勝ち。そう解釈すればいいのだ。
神殿の外に出ればチュートリアルはお終い。外には多くのプレイヤーやNPCがいる。そこで俺はふと神殿から流れ出す水を見た。
水の音から水の流れ方、光の反射から水に映る男の顔までばっちりだ。新作なだけあって現実と同じレベルの解像度、うん素晴らしい――うん?
もう一度水を見る。
うん、男の顔だ。我ながら中々にいい男キャラを生み出したものだ……
「なんで男になってんだよ!?」
あまりのことに俺は大きな声を出してしまっていた。