もう何も思いつかない
俺はベストセラー作家。
いや、ベストセラー作家だった。
今は何も書いていない。いや、書けない。
かつて俺には残酷なほど厳しい編集者がついていた。
締め切りは絶対守らされた。
逃げてもすぐに見つけ出され、最終的には出版社の仮眠室に軟禁された。
堪らなく苦痛だったが、そうする事で作品が世に送り出され俺は日増しに有名になった。
最初はそれで良かった。
しかし人間というものは、チヤホヤされると付け上がるのだ。
俺は我儘を言い始め、半ば脅迫紛いに出版社と交渉し、締め切りをこちらの都合で延ばした。
しばらくは俺の我儘は通り、俺はじっくりと作品を創作した。
ところが俺の自信に反し、その小説は全く売れなかった。
途端に俺と出版社の立場は逆転した。
俺は絶対服従を強いられた。
自由は完全に奪われた。
しかし、作品を売れるものにするには仕方がない事だと自分に言い聞かせ、我慢した。
そうしてあらゆるものを犠牲にして書いた小説は爆発的に売れた。
俺はふと考えた。
他所の出版社なら、俺を高待遇で迎えてくれるのではないかと。
また、そんな話をすれば、今の編集者も俺の扱いを変えてくれるのではないかと。
しかし現実はそれほど甘くなかった。
他社は俺が契約している出版社の力を恐れ、契約の話には乗って来ない。
俺の「謀反」の動きに気づいた編集者は、激怒して俺を罵った。
「誰のおかげでここまで来られたと思っているんだ!?」
俺はその言葉に切れた。気がつくと俺は編集者をガラスの灰皿で殴り殺していた。
これで解放される。
その時は心の底からそう思った。
編集者の遺体を切り刻んでスポーツバッグに小分けにして詰めた。
深夜、そのスポーツバッグを山奥に捨てに行った。
これで俺の犯行だという証拠はないはずだ。
ところが編集者を殺してしまってから、俺は全くモノが書けなくなってしまった。
彼の叱咤激励に負う所が如何に大きかったかを思い知った。
ああ、俺は何て事をしてしまったのだ。
いくら悔やんでも遅かった。
死んだ人は生き返ってはくれない。
「どうですか? なかなかな出来だと思いませんか?」
私は編集者に愛想笑いをしながら尋ねた。しかし編集者は仏頂面をこちらに向け、
「全然ダメ。ありきたり過ぎるよ。書き直して。テーマはそのままでいいから」
私はこの小説を「実行」したくなる気持ちを必死に抑えた。