BLゲームの当て馬女子とか誰得だよ?!
『主人公の部屋の壁になって、推しカプのイチャイチャをそっと見守りたい』
そんな下らないことを言ってのけたのは、前世の妹だった。
前世なんて回想しているが、私は厨二病ではない。
二十一歳という、成人式も済んだ立派な大学生だ。
右目が疼くことも左手が勝手に動くことも、霊が見えたりすることもない。
ただ単に前世のことを覚えている、それだけである。
しかしその前世、いや寧ろ現世が問題だった。
特に腐女子でもなかった私が、何故か、そう何故かBLゲームの世界に転生してしまったのである。
それに気付いた時の私の気持ちが分かるだろうか?
乙女ゲームならまだしも、BLゲームである。
イケメンが溢れているのに全員が全員同性愛者とは、これ如何に?
というか、女子はどうしたらいいんだ?
『ねぇ、壁になって見ているだけとか、それの何が楽しいの?』
『分かってないな~、愛の囁きとか、微かな息遣いとかを感じたいの!はぁ~、想像するだけでたまらん!』
前世の妹はそう言って目を潤ませたが、私には一体何が楽しいのか全く理解できなかった。
折角転生出来たというのに、壁になんかなりたくない。
寧ろ、格好良い男性と恋愛がしたい。
というのに、何故か今私は前世の妹の夢を体感している。
壁になりたいというがな、妹よ……。
目の前でイチャイチャされてみろ?
壁に、いや、空気になるしかないからな?
「絶対に海がいいって」
「でも、水着着るんだろ?」
「別にいいじゃん」
「誰にも見せたくないんだよ」
「分かるけど、それはつまり貴にぃも見れないってことだよ?」
「そうなんだけど……」
目の前で、夏休みの計画を立てているイケメンが二人。
一人は一つ下の弟で、もう一人は同じ年の幼馴染みだ。
海に遊びに行きたい弟と、それを阻止したい幼馴染み。
幼馴染みの貴明は、どうやら弟の水着姿を誰にも見せたくないようで、頑なに海へのデートを拒否している。
まぁ、気持ちは分からなくもない。
だが、頼むからイチャイチャは自分達の部屋でやって欲しい。
何故にお前らは私の部屋でイチャイチャする?
「姉ちゃん聞いてる?」
「…あぁ、うん………、多分聞いてた……」
多分って何だよ?と少しむくれながら、それでも可愛い顔で弟の葵が笑う。
うん、今日もうちの弟は可愛い。
しかしお姉ちゃんはそろそろ自分の部屋に戻って欲しいと切実に思っている。
「姉ちゃんだって海がいいと思うよね?」
「うん…、いいんじゃないかな?」
「ほらっ、貴にぃ、姉ちゃんも海がいいって」
「そうか?でも水着がな…」
「心配し過ぎだよ」
なるほど。
どうやら弟は私の後押しが欲しかったらしい。
だが、もうそろそろいいか?
お姉ちゃん、ちょっと二人のイチャイチャ具合が眩しくて辛いんだが?
という訳で、出来る姉である私は弟へと助け舟を出した。
「そんなに心配なら貴明が一緒に水着を買いに行ったら?」
「あっ、それがいいよ貴にぃ!」
「そうだな、それなら…」
「じゃあ、今から買いに行こ!」
「……行ってらっしゃ~~い。熱いから熱中症に気をつけてね」
やっと部屋を出て行くらしい二人にそう声を掛けると、何故か二人がキョトンとした顔をする。
「姉ちゃんが行かないでどうすんの?」
「え、いや、どうもこうも、二人で行ってきなよ」
「ありえない。さぁ、出掛ける準備して姉ちゃん」
「えぇ…、めんどい…」
「いいから来るの!」
弟よ、デートに姉同伴とか、ちょっとどうかと思うよ?
というか、いつまで二人のイチャイチャを見なきゃ行けないの?
だが、弟の葵は容赦なく私を引っ張って貴明の車へと押し込んだ。
ちなみに何故か私が助手席だ。
葵は後部座席に陣取って、前乗り気味で私と貴明に話し掛けてくる。
非常に楽しそうだが、君が助手席に乗れば良かったんじゃないか、弟よ?
というか、何故にお邪魔虫でしかない私を買い物に誘う?
二人でお買い物デートしてくればいいじゃないのか?
そして、ふと思い出した。
このBLゲームでの自分の役割を。
そういや私、お邪魔虫キャラだったわ…。
つまりこれは転生お約束の強制力というやつなんだろう。
幼馴染み貴明ルートのお邪魔虫は確か姉である私だったはずだ。
そう、いわゆる只の当て馬。
二人の恋愛を盛り上げるスパイス的な役割だったはずである。
となれば、仕方ない。
姉として二人の恋のお手伝いをせねばなるまい。
だが問題は、どっちの恋心を煽るべきかという点だ。
弟とイチャイチャして貴明の嫉妬を煽る。
貴明にベタベタして弟を嫉妬させる。
こんな事ならもっと妹がゲームをしているのを見ていれば良かった。
しかし正直に言うならば、面倒なのでどちらもやりたくない。
という訳で放置しよう。
私の存在をどう捉えるかは二人にお任せで問題あるまい。
しかしあれだな……。
なんでここ、乙女ゲームじゃないんだ?
幼馴染みの貴明も弟の葵もかなり美形なのに、男同士でくっつくとか美形の無駄使いし過ぎじゃないかな?
しかもあれだよ?出てくる美形が悉く同性好きとか、世の中の女性を無視するのも大概にして欲しい。
ちょっとくらいは女子にも良い思いさせてくれたっていいんじゃない?
ぶっちゃけると、数人で良いのでイケメンを女子に回してくれ。
そんな事を思いながら黄昏た私が前世を思い出したのは、隣の家に貴明が引っ越してきた時だった。
日本人なのに有り得ない金髪碧眼の王子様。
それが幼馴染みの一ノ宮貴明だ。
そして不意に自分の隣に居た弟を見る。
弟である葵の髪は、名前の通り綺麗な薄い紫色をしていた。
ちなみに私の髪は桃色で、名前もそのまま桃香だ。
「いや、日本人としてどうなの?」
何故そう思ったのか分からなかったが、それが呼び水となり続々と前世の記憶を思い出していく。
都心の大学に入り、双子の妹と大学近くのマンションで二人暮らしをしていたこと。
親元を離れた途端妹が腐女子に目覚め、朝から晩までBL漬けに陥ったこと。
特にBLゲームに嵌り、リビングの大画面テレビで休み中ゲームをしていたこと。
そして、私がコンビニ帰り、トラックに跳ねられたこと。
「いや~、まさかのトラック転生か…」
第二の人生を貰えたことは、日頃の行いが良かったからかな?
なんて自画自賛したのも束の間、ここが妹のハマっていたBLゲームだと気付いてからはうな垂れるしかなかった。
好きになる美形が悉く同性愛者とか、それどんな罰ゲーム?
しかもみんな弟が好きだというのだ。
どうやら私は前世で余り徳を積んでいなかったようだ。
とはいえ、実際にゲームをプレイしていたのは妹なので、私自身はほとんど内容を覚えていない。
覚えているのは、弟の葵が主人公であること。
そして目の前の幼馴染みが攻略対象であるということ。
更に言えば、髪色が緑やら青やら銀髪やらの美形が攻略対象であること。
そんなところだ。
「まるで戦隊ヒーローだよね……」
自分の髪を弄りながら、車窓から見える人々を見つめる。
日本人どこ行った?!というくらいチカチカする光景だ。
たまに黒髪の人を見るとホッとするので、私が好きになる人は大体が黒髪だった。
「あっ、黒髪…」
信号待ちの車窓から、横断歩道を渡るイケメンが見えた。
黒い髪に黒い瞳。
この世界では非常に地味な色合いだが、もの凄く好みである。
だがあの顔面偏差値から言ってお相手は絶対に女じゃないだろう。
この世界、イケメンはイケメンのものだと決まっているのだ。
「チクショー、どこかに黒髪でノンケなイケメンは落ちていないものか……」
「……姉ちゃんは何でそんなに黒髪にこだわんの?」
「こだわるというか、ただの好み…」
「ふ~ん……」
何が気に入らないのか、葵がぶすっとした顔をしていた。
運転席を見ると、何故か貴明まで機嫌が悪そうだ。
「何よ、別にあんたらの顔が悪いなんて言ってないんだからいいでしょ」
「そうだけど……」
「黒い髪を見ると落ち着くのよ……」
そうフォローしたのに、何故か車内の空気が悪くなっている。
何でだ?
私の好みなんてお前らカップルには関係ないだろうが?
あれか?お姉ちゃんを取られて寂しい…という感じのシスコンか?
可愛いな、チクショー…
そんな事を考えている間にも、車は何の障害もなくショッピングセンターに着いた。
休日の所為か、結構な賑わいを見せている。
水着は四階の特設コーナーで販売されているらしく、三人で四階へと向かった。
途中、それなりのイケメンである二人に女性客から秋波が送られてくるが、案の定、お互いしか見えていない二人は完全にスルー状態だ。
「姉ちゃん、これなんかどう?」
「可愛いけど、何で私の選んでんのよ?今日はあんたの水着選びでしょ?」
「え?」
「え?」
驚く葵に、驚く私。
女性水着を持ったまま首を傾げる葵は、困惑した顔で私を見る。
「姉ちゃん、俺らの話ちゃんと聞いてなかっただろ?」
「聞いてたわよ。貴明と海に行くんでしょ?」
「そうだよ」
「その海に行くための水着選びでしょ?」
「そうなんだけど、………もしかして姉ちゃん、自分は数に入ってない?」
「え?」
「………マジか…」
葵の表情でさすがに察した。
どうやら私は海デートのメンバーに入っていたらしい。
いや、だからちょっと待て!
頼むからデートに姉を連れていくのは止めろ!
水着でいつもよりイチャイチャするイケメン二人を見つめながら、パラソルの下でポツンと座る自分の未来が見える。
「葵と貴明の二人で行けばいいじゃん」
「はぁ?ヤロウ二人で海に行って何が楽しいんだよ」
「何が楽しいって、二人で思う存分イチャイチャすればいいでしょ」
「だから!貴にぃとイチャイチャして何が楽しいんだよ?!」
折角二人きりでデートさせてあげようという私の優しさは葵によって秒で却下された。
マジか……
これはアレか?
もしかして貴明ルートじゃないのか?
「え、マジで葵どこに向かってんの?」
「いやいや、姉ちゃんこそ俺をどこに向かわせようとしてんの?」
水着コーナーでお互いを残念な表情で見つめ合う我らが姉弟。
そんな私達に呆れた声を出したのは当然貴明だ。
「取り敢えず水着は今度にして、ちょっとお茶しない?」
「そ、そうね……」
本命だと思っていた貴明がちょっと可哀想で、思わず同情めいた視線を送ってしまう。
あんなに仲が良いのに、まだ恋人じゃないとか…
「ねぇ、桃香……、何でそんな目で俺を見るのかな?」
「気にしないで。というか、頑張ってね」
「何を?」
「だから、葵との関係よ」
何故か釈然としない表情をしている貴明と葵を引き摺り、私は近くのコーヒーチェーン、スタードックスに入る。
私はここの夏限定フラペチーノが大好物なのだ。
「あれっ、楠木さん、ここでバイトしてたんだ?」
「谷崎さん、いらっしゃい」
入ったスタドのカウンターには、大学で同ゼミの楠木さんがいた。
お洒落なカフェ店員の制服が似合っている彼女は、私の後ろにいる二人を見て目を輝かせる。
「イケメン二人とデートなんて素敵ね」
「ただの弟の付き添いだよ~」
顔面偏差値の高い二人に興味深々な様子の楠木さん。
だが残念なことに、そこの二人は女子に興味がないBL界の住人だ。
申し訳ない。
「そこからはちょっと見え難いと思うけど、あそこの観葉植物の裏の席が空いてるわよ」
「良かった~、ありがとう」
呪文のように長い名前の商品を受け取り、私達は楠木さんが教えてくれた席へと向かった。
入り口からは見えない場所のせいか、中々に穴場な席である。
「はぁ~、美味しいね」
「そうだね……」
爽やかな夏みかんのフレーバーを堪能する私とは反対に、妙に気落ちした表情を浮かべた二人は黙々とコーヒーを飲んでいる。
大人しい二人の雰囲気に、何となく機嫌の悪さがうかがえる。
うん、やっぱり私が邪魔なんだな…
すまんな、貴明。
私はさっさと退散するので、頑張って葵を口説いてくれたまえ。
「私これ飲んだら帰るから、話し合いは二人でちゃんとしてね」
「いやいや姉ちゃん……、何で肝心の姉ちゃんが帰るの?話進まないよね?」
「いやいや弟よ、無関係な私がいる方が話が進まないでしょうが」
「いやいや、むしろ関係ないの俺だよね?」
「ホント何を言ってんのかなぁ葵は……。ねぇ、貴明もそう思うでしょ?」
「俺は、桃香が何を言ってるのか分からない…」
「マジか……」
なんでしょうね、このBLゲーム。
当て馬女がいないと話が進まないとか、面倒にも程がありませんかね?
「仕方ないな、じゃあ私が進行役してあげるから二人でちゃんと話し合ってね」
「さっきから何で姉ちゃんは一人無関係な振りすんの?むしろ進行役すんのは俺の役目なんだけど?」
「え、それはちょっと貴明がヘタれ過ぎない?」
「それには激しく同意するけど、何か姉ちゃんは色々誤解しているような気がする」
「そうかな…」
「そうだよ」
まぁ、確かに二人が恋人同士なのは誤解だったみたいだけどさ。
どうせあれでしょ?直ぐにくっついちゃうんでしょ?
海だってイベントの一つなんでしょ?
「あっ、もしかして葵って他に好きな子がいるの?」
貴明ルートではなく、別の攻略対象が好きな可能性を忘れていた。
いやだってさ、いつも二人で一緒にいるからさ。
「あのさ、今は俺の好きなやつの話とかどうでも良くない?」
「何言ってんのよ、貴明が今知りたいのはそれに決まってるでしょ」
「いや、むしろそれはどうでもいい」
「え、マジで?」
速攻貴明本人に否定され、私は混乱する。
だが、混乱しているのは私だけではなく、何故か男二人も非常に困惑した表情を浮かべていた。
「姉ちゃん……、何か多分色々と変な誤解してる気がする……」
「俺もそう思う」
「鈍い鈍いと常々思ってたけど、ちょっとおかしい……」
「……あのさ、本人を目の前にしておかしいとか言うの止めてくれない?」
失敬だよ、君たち…
だが、お互いの会話が噛み合っていないのは私にも分かる。
「う~ん、じゃあ最初から答え合わせする?」
「そうだな」
「まず、葵は貴明と海に行きたい。ここまでは合ってるよね?」
「ううん、まずそこからが間違ってる」
「なんと…っ?!」
どういう事?!
「えっ、じゃ、じゃあ、葵は誰と海に行きたいの?」
要するにその相手が今の葵のルートという事になる。
だが葵からすれば、もうその質問自体がおかしいらしい。
「あのな姉ちゃん、完全に前提がおかしいから」
「と、言いますと?」
「俺は全く関係ないってことだよ」
「つまり、貴明が葵と海に行きたいってこと?でも、それって意味は一緒じゃん」
「だから!そこだよそこ!」
少しだけ声を荒げながら、葵が苛々するように髪をかく。
「うがぁ~~~~~!姉ちゃんマジでおかしい!」
「そんな怒んなくてもいいじゃん。ほらっ、もうちょっと分かりやすくプリーズ」
「いい?耳かっぽじってよく聞いてよ姉ちゃん!」
「うんうん…」
「俺じゃなく、貴にぃが出かけたいのは姉ちゃんなの!」
「なるほど……。それで?」
「だから姉ちゃんに海がいいか山がいいか聞いたんだろうが!」
「あ~、そういう事か……」
「だから今日水着を選びに来たんだよ!分かった!」
「OK、OK!やっと葵が私の水着持ってきた意味が分かったよ」
幾らBLゲームの世界といえど、男二人のお出かけは厳しいという事だな?
となると必要なのが、安全なカモフラージュ役の私という訳だ。
さすがはこのBLゲーム界一スパダリと評判の貴明。
根回しは完璧ということか。
独り身には中々に辛いミッションだが、可愛い弟と幼馴染みの為に一肌脱ぐしかない。
偽装モブになってあげようではないか。
「仕方ないな~、そういう事情なら一緒に海に行ってあげるよ」
「………取り敢えず姉ちゃんが何も分かっていないことが分かった」
妙にすっきりした気分でフラペチーノを吸い込む私とは反対に、男二人、特に葵は脱力したように机に塞ぎこんだ。
「貴にぃゴメン……、俺にはもう姉ちゃんをどうする事も出来ない……」
「気にするな葵。俺はもう慣れている」
「本当にゴメンな……」
再び男二人でイチャイチャし始めたが、ここはお外だぞ、二人とも?
あっ、だからこそ私というカモフラージュがいるのか、納得だ。
「貴明も本当は二人で行きたいんだろうけど、そこは三人で我慢してね。もちろん私は遠慮してもいいけど、それはマズイんでしょ?」
「マズイどころか、姉ちゃんがいなかったら意味がないからね」
「分かってるって」
「絶対に分かってないよ、この人…」
また三人でかよ……と嘆く葵と、そんな葵を慰める貴明。
うん、いい具合に当て馬の仕事も出来ているみたいだ。
やっぱり葵は貴明のルートを爆進中で間違いないだろう。
よきかな、よきかな……
後は、私に彼氏が出来ればいいんだけどな…
「あっ、黒髪のイケメン発見!あちゃ~、彼氏持ちか……、いや、友達という線もワンチャン…?」
通りすがりのイケメン二人の関係性をジッと観察している私は気付かない。
私を見つめる熱い貴明の視線も、呆れたようにため息を出す葵の視線も、……私は全く気付かなかった。
「貴にぃ、お願いだからもうさっさと告白して…」
「した。けど、流された……」
「マジか……、姉ちゃん、ひでぇ……」
そして、そんな私達三人を見つめる楽しそうな瞳にも、私は気付かなかった。
「谷崎さん、頑張ってね♪」
実はこの世界、乙女ゲームの世界だという事を知っているのは、スタードックスの店員、楠木梨乃だけである。
そしてこのゲーム、乙女版とBL版があったのを知っているのは、前世の妹だけであった。