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3 4 得る




 三人を見送ってしばらく後、書き掛けていた報告書の手を止める。


 壁掛け時計を見上げると、まもなく日を跨ごうかという深夜。扉の外に誰の気配もないのを確認してから立ち上がり、一つしかない仮眠用ベッドのカーテンを投げやりに引いた。


「もう起きたら? どうせ寝てないんでしょ?」


 その声で、眠っていたはずの少年がパチッと瞼を開いた。ニンゲンじゃないくせに、外の子どもと遜色ない小細工を使うなんて。これも成長って言えるのだろうか。


「エル、気付いてた?」


 きょとんとする彼に対して、わざとらしく溜め息なんか吐いてみせる。


「当たり前でしょ。症状あんまり重くなかったじゃない。馬鹿にしてる?」


 彼の顔が曇った。


「そんなつもりはなかった。謝る」


「別にいいよ、わざわざ謝んないで」


 開けた仕切りカーテンをそのままに、ベッド上の彼から見える位置までデスクの回転椅子を引き寄せ、彼と対峙する。


「それで。何で食べたの」


 彼の肩がびくっと震えた。


「何も食べてない」


「ここまで来て白なんて切らないで。私、あんたの為にこうしてわざわざ業務時間外まで働くはめになってるんですけど」


 目をぱちくりさせる彼。


「……エル、話し方がいつもと違う」


「腹が立ってるからよ、それくらい分かって。どのみちあんたも薄々気付いてたんでしょ。今更じゃない」


 ぶっきらぼうに言い放つと、それもそうか、と彼が呟く。やっぱりこの子は私の嫌いなタイプだ。天然で、吐き気がするほど純粋で、それでいて人の言葉の裏を感覚的に理解してしまう。本当に残酷だ。


「あーもういい。あたしが全部言ったげる」


 痺れを切らして髪をくしゃくしゃ掻き毟った。


「なんでロベリアなんか食べたのよ」


 彼の瞳の奥がすうっと冷める。きっと正解なんだろう。


 この子が入り浸っている中庭。そこに置かれた幾つかの花壇。植わっているはずの青紫色の花────瑠璃溝隠(ロベリア)


 外部では園芸品種としてよく栽培されているらしいけれど、そんなの勿論食べ物じゃない。そもそもコドモのこいつが食べていい物じゃない。


 業務終了後にもかかわらず彼を運び込んできたユウちゃん。あのパッと見、自動人形みたいな彼女が珍しく動揺した状態で、狼狽えながらも話してくれた。


 この子を発見した時、周りに少し土が散っていたこと。実際服も土で汚れていた。摂取量が少なかったのか軽度ではあったけれど、痙攣、呼吸麻痺、嘔吐下痢の症状もあった。


 後はどうということも無い。所内用の資料データベースに検索かけて、症状と花壇の花とを照らし合わせれば誰でも分かる。


「ユウちゃんからよく聞いてたよ。あんた植物図鑑が好きなんだってね。花のこともあんたから教えてもらったって。それで? 夕飯の野菜でも足りなかった?」


 私の言葉を気に留める素振りも無く、彼は私の眼をじっと見据えている。


「何よ。さっさと喋ってよ。この時間まで報告書残ってるとか普通に嫌なんだけど」


「……エルは、今日のこと全部、書くの?」


「ええ。全部」


「それは困る」


「そりゃそうでしょうね。こんな馬鹿げた、」


「違う。そうじゃない」


「だったら何」


「違うふうに分かられたら困る」


「何それ、誤解されたくないってこと? 何を? 何と?」


「知りたかっただけなんだ、ぼく。でも他の人に知られると困る。婦長にも、院長にも、みんなにも。知られちゃ困る」


 あーもー、と思わず顔を覆った。


「分かんない分かんない、全然分かんない、要領得ないのまじ嫌い。何で聡いくせにこういうとこまで気が回んないのかさっぱり分かんない。私は神様じゃないっつーの。心読むとか合コンだけで勘弁なの。だからあんたが嫌いなのよ」


「そっか。ぼくはエルのこと好きだ」


「んなの聞いてないし、ちょっと黙って」


 ……振り回されちゃダメだ。こっちが気を揉んだってこいつは何一つ分かっちゃいない。落ち着け、落ち着け。無駄に疲れたくない。


 天井に向けてふーっ、と息を吐く。ゆっくり三秒数える。仕方なく聴いてやろう、という感情を何とか心の中に絞り出す。よし。


「それで。何を知りたかったの」


「ぼくがニンゲンかどうか」


「……私にも分かり易いように言ってくれるかな、ぼくちゃん」


「え、えっと。ぼくが、ニンゲンと同じなのか、どうか。知りたかった」


 不意に心が凪いだ。何かが引っ掛かった。どう説明しようかおろおろしつつも、妙に真剣なこいつの表情が気になった。


 そっと壁掛け時計を確認する。日を跨いでからすっかり二十分は経っている。耳を澄ましても、研究所内で物音がしている感じも無い。


「聴いてる?」


 彼の怪訝な顔に視線を戻す。少しだけ彼を無視して、ゆっくり考えを纏めていく。背筋が心地よく震えた。


「────聴いてるから。早く全部教えなさい」


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