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6 7 契






 静まり返った中庭に立っていた。あいつの去った殺風景な中庭に、俺とアイしかいなかった。


「やってくれたな、お前」


 アイを睨む。許せなかった。こいつの感情が理解できるだけに苛立ちが募った。


「自分だけ辛いみてぇな顔しやがって。俺達が考え無しに用意したとか本気で思ってんのか」


 ふつふつと煮え滾る(はらわた)。こんな穏やかな日に、あいつの誕生日に相応しいはずの日に似つかわしくない、どす黒い感情。抑え切れない怒りで喉が焼ける。


「明日が何だよ。今日しかねぇって、誕生日会だけはやりたいって言ったのは、」


「分かってる」


 アイが俺の言葉を遮る。


「分かってるんだよそんなの。分かってるからやりたかった。誕生日会、してあげたかった。ずっとは無理でも、どんな顔して良いか分からなくても、あの子が少しでも楽しいって思えるようにしたかった。だから、せめて今まで通りに、いつも通りにって頑張ったのに」


 アイが見つめ返す。涙の涸れた、虚ろな眼で。


「何であんなことが出来るの? 何であんなことしようって思えるの? これ以上傷付けることに何の意味があるのよ。大好きだからここで止めるの、大好きだからこれで終わりにするの。なのにそれ以上渡したら重すぎるじゃない。あの子が背負っているのは、あたし達の物なのに。あたし達が背負わせた物なのに」


「だったら何だ。何もするなってか。これ以上あいつに何もしてやるなって言いたいのか」


「あたし達が未練がましく縋ってあの子が幸せだとでも」


「幸せかどうか俺達が決めて、それこそ何の意味がある。お前のそれは逃げだ。あの婦長とやってること変わんねぇんだよ」


「そうだね、あんたから見たらそうなんだろうね。あたしも嫌い。あの子を傷つけるのも、逃げるのも。怖くて、怖くて、大っ嫌い。でもさ」


 そして、アイは言い切った。


「何が悪いの。弱いから逃げて、どうしようもないから逃げて、何も出来ないから逃げて。それのどこが悪いのよ」


 その瞬間、理解した。ああ、こいつは俺に言って欲しいんだな、と。


 だから俺も乗った。加減するつもりなんて更々なく。


「それ、あいつの前でも言えるか」


 怯んだようにアイが黙る。


「自分が辛いのが嫌で、なのにあいつに同じことをした自分が気持ち悪いものに想えて仕方なくて、だからあいつに何もしてやらねぇ。あいつを置き去りにして逃げて、それで満足かよ」


 アイの眼が死んでいく。瞳の奥で燃えていた何かが朽ちていき、熾火とすらも言えないほどに小さくなっていく。


 自虐的な言葉に混ぜて、俺を煽って。余計な感情を俺に殺してほしくて。そんな、裏に透けたこいつの感情が煩わしい。当て馬のような、踏み台のような扱いに、


 何かが静かに切れた。


 そっと息を吐いて、テーブルに視線を落とす。真っ白い生クリームのケーキが嘲笑うように並んでいる。ああ、やっぱりここで折ってしまいたい。


「明日、本当にやんのか」


 アイの肩がびくっと震えた。弱々しい語尾で返って来る。


「……当たり前でしょ。あの子が言ったんだから」


「違ぇよ、お前だ。本当に出来んのかよ」


「やる、やるよ、ちゃんと。だってあたしが、あたしが言い出したことだもの。今までのことも全部あたしが、だから」


「『やるか』じゃねぇ、『出来るか』の話だ。そんで、お前には無理だ」


 アイがさっと青褪める。


「だめ。出来る、あたしがちゃんと終わらせる」


「無理だ。あいつが倒れたあの晩だって、中庭に倒れてたのに見つけられなかっただろ。今日だってこのザマだ。あいつの前なのに、自分の感情すら碌にコントロール出来てねぇ。明日あいつとどんな顔で別れるつもりか言ってみろよ。手が震え過ぎて、注射器一本まともに打てませんじゃ、話になんねぇんだぞ」


「だったらなに。明日ぐらい、最期くらい、あたしは、」


「これ以上傷付けたくねぇって抜かしたくせに、どの面下げて明日あいつを殺すのかって聞いてんだよっ」


 思わず怒鳴った。感情を制御できてないのは俺も同じだ。それでも許せなかった。


 あのガキは俺達に対しても気を遣う奴だ。真っ直ぐで、聡いくせして、俺達の顔色をコドモながらに窺う奴だ。そんな繊細な奴がいま一番辛いのは当たり前で。それなのに、最期の最期まで俺達の心配をさせるなんて、そんな馬鹿げた話があるか。


 アイの顔が歪む。言い返せないまま顔を覆うこいつに、一瞬でも優越感を覚えた自分に吐き気がする。それでも、それだけは譲れなかった。あいつをこれ以上傷付けたくないとか宣いながら、あいつを傷つける元凶でしかないこいつが最期の御役目に選ばれたなんて。俺でも、ユウでもなく、こいつだなんて。今でも認めたくなかった。





 あの日。あいつが倒れた夜の翌朝、エルを通して聞かされた。婦長が全部暴露したこと。最期の場所に関して婦長が、好きにしろと許可を出したこと。


 最期に関して、あいつが「この中庭で」頼みたい、と言ったらしいこと。


 俺はエルが嫌いだ。腹の中で何を考えているか分からない奴は嫌いだ。だから鵜呑みにするなんて真っ平御免だった。だが完全に狂った俺達に、あいつに直接聞くなんて選択肢は無かった。大嫌いな奴の言う、嘘か本当か分からないあいつの意志を、馬鹿正直に信じるしかなかった。


 ただし、もしそれが真実なら。よりによってこの中庭で、とか。


 呆れるほど純粋で、皮肉を言いたくなるほど素直で。


 そんな所が本当にあいつらしいと思った。


 方法については事前に決められていた。所内でごく稀に発生する「緊急処理事案」に使われる方法。この「閉じた楽園」で暮らすことに耐えられなくなった奴らの為に規定された安全装置。上役達からすれば、頭のおかしくなった連中が情報漏洩や刑事事件を起こす前に、「自分の意志で」選べるよう予め用意しておく、態の良い自死幇助。


 その薬を、注射器一本分。あいつにだけ効く分量で。


 「いつ」、誕生日の翌日。


 「どこで」、この想い出の詰まった中庭で。


 「どうやって」、注射器一本の薬で。


 ここまで来たら後は決まっている。誰が、だ。そして。


『はい』


 役員会に召集されたあの日。勝手に取り決められた処分日時とその方法について、淡々と、何の感慨も無く告げる血も涙もない役員達の視線の中、手を挙げたのは紛れもなく。


『私が、やります』


 隣で呆然と震えていたはずのアイだった。


 コドモ一人分とはいえ、あいつに自分で打たせるなんて論外。この建物の影から様子見してるだけの他の所員にさせるなんて以ての外。なら、俺達三人の内の誰かしかいない。決定に異を唱えて数人殴り飛ばし、もれなく除籍され、資格すら失った俺が言えた義理ではないが、「三人の中で誰が」という考えに至るのは必然だった。


 だがアイは。十年前、モデルケース実験の企画会議で真っ先に名乗りを上げたあの時と同じ様に、しかしあの時とは正反対の表情で、自ら手を挙げたのだ。


『私に、やらせてください』





 あれから日に日に壊れていくアイを見るたびに、いっそ折ってやりたいと思っていた。こいつの心を、二度と戻らないほど、粉々に。


 嫌いだ。吐き気がするほど嫌いだった。十年間、少なくとも三年間、あいつの面倒を一緒に見て来たのも事実だが、それでも嫌いだった。あのガキの処分を引き受けた時点から、特に。


 あいつの前で取り繕うことすら不完全。見るからに食欲が減って顔色も悪い。眼下の血色の悪さから、夜も碌に眠れていないのは明らかなのに。それを隠すかのように仕事を溜め込んで、余計な疲れを背負って、結局あいつに心配をかける。


 だから折りたかった。覚悟が無いなら、あいつにすら迷惑を振り撒くくらいなら、俺がいっそ元の形が分からなくなる程、折ってやろうと。


 勿論。こいつの心が折れたら、もしかしたら俺があいつの最期を看取れるのではないか、とか。あの役員会で真っ先に手を挙げられなかった悔しさを消せるのではないか、とか。そんな最低な感情も少なからずあった。


 だが、アイは折れなかった。


 最期の役割を誰にも渡さない。精神も身体もぼろぼろで、憑りつかれたように振る舞って、見るからに痛々しいのに、誰かが代わろうとすると頑なに拒む。見苦しく足掻くのに、崩れてもおかしくない理性を手放さない。そしてまた抱え込んで独りで苦しむ。


 現にいまも、アイは力無く首を振っていた。


 嫌だ、嫌だ、嫌だ。それだけは、あたしが、全部あたしが。


 そんな虚しい言葉を吐きながら、壊れたように首を振っていた。


 理由が分からない。訳が分からない。何故そこだけを譲れないのか俺には分からない。


 いや、もしかしたらきっと分かっている。大嫌いなこの女が、俺と同じ感情をあいつに向けているのが、ただ気に喰わないだけ。多分それだけだ。


 結局こいつを折り切れなかった俺は、明日、このぼろ雑巾のようなアイがあいつを殺す様を、影から見ているしかないのだろう。


 喉の奥から込み上げてきそうな感情を、必死に飲み下した。こいつの前でだけは絶対に零したくない。もう俺にはそんなちっぽけなプライドしかない。


 息を吸って、心を落ち着けた。それからテーブルに乗ったショートケーキを一つ手で掴み、無理やり自分の口に押し込んだ。


 手がべとべとになるのも構わず、好きでもない甘味を喰い散らかし、頬が汚れるのも忘れて。


 安い生クリーム特有の甘ったるい糖分が噎せ返るようだった。こんな陳腐な誕生日ケーキを毎年、あいつと、俺達と、この中庭で食べて来たんだ。


 今まで不味いとしか思えなかったはずなのに、実際いまでも不味いとしか思えないのに。部屋に戻ったあいつを追い掛けて、早く喰わせてやりたいと、そう思った。


 俺が品性のカケラも無くケーキを食す様を、アイは黙って眺めていた。


 全て口に押し込んで、クリームで汚れた手で近くのカップに茶を注いで、一緒くたに胃に流し込んだ。


 ────ああ、やっぱり不味いな。


 それからアイに向けて言い放つ。


「もういい。やっぱりお前は嫌いだ。勝手にしろ。ただ、お前も何か用意しとけよ、明日までに」


「……は?」


「誕生日プレゼント。決まってんだろ」


「あんた、まだそんなこと、」


 覇気の無いまま、アイは言葉を切ってうなだれた。


「傷だらけになって、血塗れになって、いたくていたくて堪らないって叫ぶしか能の無い奴に、これ以上何をしろって言うの」


 手早く残りのケーキ二つ分を箱に入れ直しつつ、アイの言葉を一蹴する。


「グチグチうるせぇ。用意しとけっつってんだろ。いいか、明日あいつに渡さなかったらぶっ殺してやる」


 自分でも物騒だと思ったが、別に良かった。だって俺はこいつが嫌いだ。


 組み立て直したケーキの箱を抱え、あいつの部屋に向かって駆け出した。


 その背中の向こうでアイが「やれるもんならやってみなさいよ」と言った気がするが、ざあっと風に靡いた葉擦れの音で上手く聞き取れないことにして。俺は中庭を後にした。





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