27. 次なる死闘は
二度目か、三度目か。シムリは自身の強烈な鎮魂術に半ば恐怖を抱いていた。
巨獣の腹の中で息絶えた、カバリの三人の仲間達。カッツェ、リタ、ノース。
彼らの強い無念を捉えるには、巨獣の動きは早過ぎた。血の匂いを漂わせたカバリを補食しようとして動きを止めた時ようやく、シムリは祈りを強めた。
シムリの鎮魂術は、遺体に宿る負の念を、正なる魔力で強引に引き剥がして無軌道に発散……端的に表現すれば、凄まじい衝撃とともに遺体を爆散させる魔術なのだ。
彼らの遺体を持ち帰る事はもう出来ない。シムリに取って生物の遺骸は、最早爆弾なのである。
人の死をそうやって都合良く扱う自分は、きっと恐ろしい外道なのだろう。
三人の無念を晴らすかのように、巨獣の体内は凄まじい衝撃とともに爆散した。同時に、爪に捕えられていたカバリが解放されるとともに、カバリの身体が倒れ臥す。
「……生きてるか?」
「ギリギリ、です。今、再生術を施していますが……」
カバリの肩からは、自傷による血が溢れ出している。爪に貫かれた胴からも、既に噛み砕かれた胸からも。呼吸が見る見るうちに弱まっていく。いくら再生術で魂を活性化させても、最早彼女の体力が限界に近い。
「あぁ……うそ、わたし、まだ……」
「ダメです、カバリさん。喋らないで」
「アイツは……倒したのね……凄いわ……」
「喋らないで……喋るな! 今助けるから、大人しく待ってろ!」
「あら……意外……もっと、ちゃんと……あなたのこと……」
体温が下がり始めていた。ダメだ、このままではもう保たない。
ギィを振り返るが、彼女も首を横に振った。もう、ダメなのだろうか。それでも再生術を止めないシムリの周辺に青白い光に包まれた三人の霊魂が舞い降りた。
『……シムリ君、君には本当に、お礼を言う事ばかりになってしまったな』
弓を担ぐ細目の男は、ノース。
『シムリン、こんなパワーもあったんだね。いやー、ホント、もっと早くパーティに誘っておけばなー』
身の丈程もある巨大な斧を担いで苦笑いをするのは、リタ。
『結局僕達も、未熟で傲慢だったってことだ。死ぬまで分からないなんて、情けない限りだよ』
腰の剣束を撫でながら、深刻な顔でこちらを見守るのは、カッツェだ。
三人の霊魂は、優しい声でシムリと、そして恐らくはカバリにも語りかけていた。
『カバリったら昔っから、結構無茶するんだよねー。頭良いくせに、馬鹿なんだよな』
『ボスカ達に毒を盛ったのも、やる前に知らせて欲しかったな。そうしたら、ちゃんと全力で止められたのに』
『それでも、だ。今ここでカバリを死なせたら、折角の僕達の犠牲も無駄になる。……すまないね、シムリ君。カバリの事、よろしく頼むよ』
言いながら三人の霊魂はシムリを見下ろして、会わせたように満面の笑みを浮かべた。
三人共、本当に同じような笑顔だ。まるで、本当の家族のように。
腕を前にかざす霊魂。指先から細かな粒子となって、それぞれが入り混じりながら、カバリの胸に溶け込んでいく。カバリの魂が、徐々に力を取り戻していくのを、シムリはまざまざと感じ取っていた。活力を取り戻した魂から力を吸い上げて、再生術が瞬く間に傷を塞いでいく。
『カバリ、君に僕達の声は、もう届かないかもしれない』
『でも、我々はいつでも、君の側に居よう』
『しばらくは無理かもだけど……でも、カバリ! アンタは絶対! 絶対、絶対に、大陸で一番の冒険者になる! だから、いつか……私達にも、その景色を見せてね!』
三人の浄化された魂は、天に還る事も無く、術師のシムリの命に従うでもなく、ただ仲間の危機を救う為に、カバリの魂と同化していった。三人の魂の気配が感じられなくなる事には、既にカバリの傷は完全に塞がっていた。
シムリは感嘆し、涙した。本当に、どこかで歯車が狂わなければ、きっと全員が幸せで居られただろう。
こんなにも、互いを思いやれる仲間達だったのだから。
「……悪かったな、シムリ」
ギィが歩み寄ってくる。片手の炎は未だに煌めいていた。
「毒ガス噴出の件、謝るタイミングがなくてよ……疑って、悪かった」
「あぁ……そうですね。それどころじゃなかったですから……」
「全く、アタシの勘も頼りにならんな……勘だけじゃねぇか、今回も大した事してねぇし」
ギィは自嘲気味に、寂しそうに呟いた。
そんな事無い、とシムリは思う。ギィの灯す炎の光は本当に明るくて、どこか心が穏やかになる。彼女の魔術が無かったら、そもそも真っ暗闇で戦う事も出来なかっただろう。
「さて……真打ち様の登場だな」
ギィは言いながら、顎で坑道の奥を指した。
青白い光に包まれた、巨大なモグラ……『土喰らう巨獣』がのそのそと足音を立てながらこちらに歩み寄って来た。近づかれるだけで威圧感があるが、やがて彼はシムリに平伏した。
『あぁ、清き者よ。なんと、心地よい気分なのでしょうか。生きている事には、このような感情は無かったのに』
意外にも爽やかな声で、巨獣はそう言った。
「貴方も生きるのに必死だったでしょうが……これも生存競争の結果。恨まないで下さい」
『えぇ、全くその通りかと。……あ、そうそう。私の自慢の角、どうか持ち帰ってくれませんか? とても大事にしていた、自慢の角なのです。あぁ、高値で売れたりしたら嬉しいなぁ』
「俗な事知ってるんですね……」
『しかし、因果なものですね。必死乞いて逃げた先で、こうして結局、貴方のような者に討たれてしまうなんて』
巨獣はさらりと、気になるような事を言った。
こんな巨獣が、逃げてきた?
それは一体、どこから……そして、何から?
『貴方達はまだ知りませんか……彼の者達が、再び世に現れましたよ』
「……彼の者、達?」
『遥かなる異空の空より舞い降りた、五つの神の怒り。傲り高ぶる知恵の者達を滅ぼす天災の具現。たとえ討たれようとも、その魂は、その存在は、自然の摂理にして永遠。いかなる輪廻を経る事もせず、再び世界に現れ出る者達』
「まさかお前……『エターナル』の事を言っているのか?」
『その呼び名は存じませんが……この大陸の南、山一つ超えた所にある私の住まいの近くに、赤く輝く竜の王が縄張りを張りました。まだ若いですが、その気になればこの辺りも焼き尽くすのは雑作も無いでしょう。その光景を見ずに死ねるのは、最早幸運かもしれませんね』
「『クリムゾン』か……!」
ギィが強く拳を握った。
シムリは唾を飲む。彼にとって『エターナル』は御伽話の存在だった。それが、誰かの口から、実態を伴って語られるなど、想像もしていなかった。
巨大な真っ赤な竜で、鉄をも溶かす炎を吐き散らす。
全ての文明と人間を憎むかのように、執拗に町に襲いかかり、何百人もの精鋭部隊と引き換えにようやく退治される伝説の竜だ。
『きっとお強い貴方達ならば乗り越えられる危機でしょう。私は、清き者の中で、その行く末を見守っていますよ……』
「え? ちょ」
シムリに断りも無く、巨獣の魂はシムリの胸に光の束となって流れ込んだ。
バジリスクの魂を取り込んだときと同じく、また一段と身体に力が湧いたような気がした。
『私の、身体の一部を硬化させる力を授けましょう。……身を守る盾にも、敵を破る刃にもなります。お好きなようにお使いください』
「……毎回このパターンなんでしょうか」
『毎回とは? ……おや、先住民がいらっしゃったのですか。どうか、仲良くして下さいね』
やがて巨獣の声も聞こえなくなる、シムリは二つの怪物の魂を抱えて、いつか自身が色々なものの混ざり物になってしまうのではないか、と危惧を抱く。
だが、ギィはそんなシムリには目もくれていなかった。
「ギルドに報告を入れる……これは、とんでもねぇ事になったぞ」
ギィは、まるで親の仇でも思い起こすかの用な、険しい顔をしている。
シムリは、横たわるカバリが僅かに身じろぎをして安堵しつつも、恐ろしい戦いの予感に、表情を暗くしていた。




