26. 『土喰らう巨獣』
カバリの顔色が恐怖に染まった。
土の魔術に熟練している彼女だからこそ分かる事なのだろうか。
「来るわ! 『土喰らう巨獣』が、ここに向かって来てる!」
「い、急いで逃げるぞ!」
「退避! 退避〜!」
緊迫した瞬間だと言うのに、シムリは不思議なデジャヴを感じていた。前にここに来た時も同じように、全員で逃げる状況になって、自分とギィだけが残って……。
そう思いながら最後尾を、ギィとカバリと共に走っているシムリ。一際、地震が大きくなるのを感じる。
カバリが悲鳴を上げた。
「ま、マズい……シムリ、止まって!」
「止まったら追いつかれるでしょう!」
「違うの! 天井が!」
カバリが指差した先がひび割れる。あわててたたらを踏んだシムリの目の前で、天井が音を立てて落下してきた。ランタンが巻き込まれて、坑道が闇に包まれる。幸い今居る空間は崩落を免れたが、完全に閉じ込められてしまった。
「クソ! おい、カバリ! 今のはもしかして『巨獣』の仕業か!?」
ふと、空間に光がともる。ギィの手のひらの上で、眩い青い炎が煌めいていた。まるで闘技場のように広い坑道のエリアだ。もしや、誘い込まれたのではないか。
「……あの化け物も、土の魔術を操るの。拙いけれど、乱暴に隆起や崩落を落とす事も、不可能ではないわ」
「カバリさん、この崩落、魔術でどかせられますか?」
「数十分は集中してやらないと……」
そんな事をしている場合ではないだろう。今、シムリ達三人の目の前で、踏み固められた坑道が恭しく盛り上がって行く。やがてそこから黒く短い角が生えた。それを皮切りに、地響きをさせながら、巨大な獣が雄叫びを上げながら地上に顔を出した。
「これが……『土喰らう巨獣』……」
鼻先で反り返った角。鈍く黒く輝くそれは、固い地盤を強引に砕くためのもの。
爪は毒々しい金属の輝き。虹色に輝くその爪は鋭く、数多の獲物の血を吸っている事は想像に難くない。
耳も目も退化してなくなっている。流線型の頭の下に空いた巨大な口からは、夥しい量の涎が垂れていた。
身体は半身をあらわにしただけであるのに、三メートルはあるほどの巨体。長く太い剛毛が、全身を覆い隠している。
モグラと言うにはあまりにもおぞましい。この世のものとは思えない見た目の怪物だった。
「ボケッとしてんじゃねぇぞ!」
ギィが指先から火柱を放つ。鼻先に火炎が直撃すると、巨獣は嫌がるように身を捩った。反撃とばかりに、巨獣は牙をむいて、ギィに向けて首を伸ばす。ギィはしかし、焦った様子もなくひらりとそれを躱して、飛び跳ね様にもう一発、今度は火球を放つ。無防備な横っ面に喰らって体毛を焦がした巨獣は、たまらないとばかりにそのまま坑道の壁に穴を穿ち、そこを潜って逃げ出す。
「アタシの魔術じゃ、大したダメージがねぇな……」
「……でも、今ので逃げたんじゃ……?」
「甘い事言ってんじゃネェよ。カバリ、どうだ?」
「……振動が、遠ざからない。また来る! 上から!」
カバリの悲鳴に会わせて前の飛び退く一同。シムリは自分の足を、巨獣の鼻先がかすったのを感じた。
それだけで足先が痺れるような衝撃が走る。今の巨獣の突進をまともに喰らえばひとたまりもない。巨獣はそのまま床側に抜け出して、再び姿をくらませる。次の突進は、どこから来る。カバリが肩を震わせる。
「こ、こんなの……どうやって逃げればいいの……?」
「……カバリさん、カッツェさん達三人は、あの巨獣に喰われたんですよね……?」
「……そう、よ」
「辛い話をさせてごめんなさい。でも、彼ら三人の遺体は、奴の腹の中ですよね?」
シムリの問いの意味が分からず、カバリは苛立ちに激昂する。
「そうよ! 目の前で喰われた! なんなのよ、こんな時に!」
「シムリ! ……お前、アレをやんのか?」
「僕にはそれしかないでしょう!」
ギィはシムリの意を得たようだった。その両手に強い明かりを灯して、高々と掲げた。俄に坑道の視界が青く広がる。少しは成功率が上がるだろうか。
「カバリさん、土の魔術で、何とか奴の動きを止める事は出来ませんか?」
「止める……なんて……」
「どんな手段でも良いんです! 三秒で良い!」
シムリの鬼気迫る声は、なにか確信を持って言っているのが、カバリにも分かる。
カバリは必死に手段を考える。
土の魔術で、巨獣の進路の岩盤を固める? だめだ、一秒も保たずに突破される。
逆に魔術で土をどけてるのはどうか。通りやすい道を作ってやれば、巨獣はそこを通るのでは? 恐らくそれは意味が無い。あの巨獣の膂力では、通りやすい、通りにくいは関係ない。
奴はマグタイト鉱石を好んで食す。マグタイト鉱石を魔術で集めるのは……無理だ、時間がかかり過ぎる。
それに今、この巨獣は血に飢えている。だから、私達を襲っているのだ。
「ならもう、これしか……!」
カバリはシムリを一度見た。口元に浮かぶ笑顔が何を意味するのか、シムリはすぐさま察した。
カバリはシムリから離れる。手にしたナイフを思い切り振りかざし、自分の肩に躊躇無く深々と突き刺し、思い切り引いた。凄まじい勢いで血が噴き出す。カバリは、巨獣の殺気がこちらに一気に向かった事に気がついた。
傷ついた、弱い獲物から襲う。野生動物の鉄則だ。
坑道の側壁を突き破りながら、凄まじい勢いで巨獣がカバリに突進した。牙は彼女を確実に捕えている。
巨大な爪がカバリの腕を引き裂いた。悲鳴を上げる事さえ出来ない痛み。しかし、これはカバリの目論見通り。
この巨獣は、食事の瞬間、必ず、動きを止める……!
「畜生! この化け物……カバリさんから離れろ!」
シムリは叫んだ。
そして、彼の祈りは届く。
意識が朦朧とするカバリが最後に見た光は、青白く、どこか暖かく懐かしさを感じる光だった。




