22. 不吉の予感
翌朝シムリが目を覚ましたのは、自身が普段泊まっている労働者の安宿ではなかった。かといって、カバリと甘い一夜があったか……と言うと、残念ながらそれもなかったようだ。
まどろみながら覚醒するシムリは、ぼんやりと目を開けた。
「いててて……」
目を覚ました瞬間に、強烈な頭の痛みを感じる。自分の呼気が、嫌になるほど酒臭い。
妙な体勢で寝たせいか、起きようとすると身体が軋む。それでも朝の冷たい空気に身が震えて思わず飛び起きた。背中から折れた藁の破片がぱらぱらと落下する。何事かと振り返ると、自分の隣で牛が寝ていた。
牛。
白黒斑点の彼女はきっと、毎朝の美味しいミルクを届けてくれる白い天使。
何故牛が。
シムリはふと立ち上がり、自分の頭に向けて解毒の魔術を使用するが、効き目が無い。アルコールはバジリスクにとっても自分にとっても毒と認識出来ないようだ。流石神の飲み物である。
痛む頭を抱えながら辺りを見回す。見覚えはあった。労働者用宿舎から下水清掃組合に向かうまでの間に通る道だ。
見覚えのないものもあった。例えば、自分の隣で同じく寝転がっていた、巨大な肉だるま。
「……『野蛮なボスカ』?」
その巨大な肉だるまは人間の形をしていて、こちらが苛立つような、やかましい音量のイビキをかいている。
男はこの町の有名で、悪名高い冒険者の『野蛮なボスカ』その人だった。
何故この人が。
五秒程たっぷり男を見下ろしていると、やがてボスカも目を覚ました。ゆっくりと身体を起こし、視点の怪しい瞳で、しばしシムリと見つめ合う。
「……『クソ野郎のシムリ』?」
ボスカの問いかけに、シムリは小さく頷く。
「……俺達、なんでこんなトコで寝てんだ?」
「……分かりません、ちょっと頑張って思い出してみませんか?」
「あぁ、まずはお前達ギルドの一団が動く金鉱から帰ってきたところから……」
*
「まず、ボスカさん、昨日はごちそうさまでした」
昨晩、本当に『動く金鉱』の毒ガスは完全に枯渇した事が確認された。
ギルドの案内人達は狂喜乱舞しつつ、解毒に従事した魔術師達は落胆を隠しきれずにいた。シムリは自身の成果だと誇る事も出来ず、カバリと会話しながらも罪悪感を拭えずにいた。
はて、カバリとはどんな話をしたか。下心の塊であったシムリはあまり覚えていなかったが、色っぽい話にはならなかったと思う。そうした温度差のある一団をファーストの町で出迎えたのは、『野蛮なボスカ』のメンバー達だった。
便りの早い事で、動く金鉱の毒ガスが完全に抜け切った事を聞いたボスカは、町を巻き込んで盛大な宴を繰り広げていたのだ。
「昨日のおごりで、今度こそ本当にすっからかんになっちまったなぁ……」
シムリ達解毒の魔術師たちを、ボスカは特に歓迎して回った。
相当酔っていた彼は、意外にも『ありがとう、ありがとう!』と感謝の言葉を振り撒きながらシムリ達をねぎらった。毒ガスには相当困っていたと何度もシムリやカバリの手を握ってブンブンと振り回した。
シムリは思わず、カバリと苦笑いをしたのを覚えている。
「その後、しばらく僕はカバリさんと飲んでましたね……」
その頃のカバリとの会話は、さながら魔術講義のようなものとなっていた筈だ。
シムリが使える魔術はごく僅かで、一方のカバリは多岐にわたる魔術の知識を披露した。教師として従事していた経験でもあったのかと思う程、彼女の講義にシムリは夢中で話を聞いた。
「そこで、俺が割り込んだんだな。『クソ野郎』と『ガリ勉』が二人でしっぽり飲んでやがる! とか言って……」
さらに酩酊したボスカがシムリとカバリの間に強引に割り込んでこようとした。驚くカバリが突き飛ばされそうになったのを、シムリが慌てて抱きとめた。
その時の手の感触だけはハッキリと明確に覚えていた。
ふにふにしてたのだ。何とは言わないが。
「すまんなー、どうにも酒を飲むと暴れちまっていけねぇ……」
「今更謝られても……と、言うか貴方、謝るとか、出来るんですね……。まぁ、僕もちょっと役得、とか思っちゃいましたから……」
「そうかよ。……で、その後は……」
「僕も結構、怒鳴った気がします……」
カバリに良い所を見せたかったのだ。酒の勢いも手伝って、シムリはやおら立ち上がり、ボスカの肩を突き飛ばした。
そしてそれに怒ったボスカがシムリの頬を思い切りビンタした。
しかし、以前と違い鉱毒を吸い込んで力を蓄えたシムリ。ボスカのビンタを喰らっても吹き飛ばずに睨み返した。
『何をするんだこのハゲジジィ!』『クソ野郎の癖に生意気な!』
そんな文句を言いながら、まるで我慢比べ、力比べのようにお互いの頬を交互に殴り合った。ビンタの応酬がお互い二十回を過ぎ、二人とも頬が真っ赤に晴れ上がった頃、シムリとボスカはどちらとも無く大笑いをして、次の瞬間には肩を組んで歌っていた。
「中々根性あるビンタだったよな、シムリ。見直したぜ」
「僕はちょっとズルしてたんですよ。一応は、自分の力ではありますけど……」
そこからは、ボスカに連れられて彼の仲間と一緒に酒を飲んだ。
フルプレートメイルに身を包んでいないと発狂する『臆病者のシロック』、巨人の血を引いている『天を突くマリオ』、ソー国の元神殿騎士である『女騎士崩れのメア』。
全員が大酒飲みの大食漢。そしてボスカに拾われた、はぐれもの達。身の上話をしているうちに、集落を追放された自分の姿が重なり、思わずシムリは涙した。そしてシムリ自身の身の上話に、今度は『野蛮なボスカ』の一同が大号泣。
シムリは全員と力強いハグを交わした。いつしか、騒がしい一団を置いて、周辺の酒飲み客の姿は既に疎らとなってしまっていた。
カバリの姿もなくなっており、シムリは落胆したのを覚えている。
「お前の事は他人行儀に思えなくてよ……」
「僕もですよ……」
そこから先は、しんみりした酒になってしまった。その頃には既に夜半を過ぎていたが、シムリはボスカに連れられて別の酒場に移動した。
「……ボスカさん、なんだったんですか、あの店」
「たまには気分を変えたかったんだよ」
「せめて夜の町デビューは普通の女の子と飲む店が良かったです……なんでオカマバー……」
その後二人はオカマバーに行き、深夜食堂に行き、歌いながら明け方まで飲み明かし、最後には力尽きて、この牛舎で眠ってしまったようだ。
「あー……宿に帰るか。金鉱、今日から探索再開しねぇと……メアもマリオもシロックも待ってるだろうし……」
「えぇ……こんな酒飲んで今日行くんですか……僕は帰って寝ます……」
「おー、気をつけてな。また酒場であったら殴り合おうや」
「勘弁して下さいよ……」
シムリは立ち上がった。下水道清掃の仕事は、ギルドの仕事に専念する為明日まで休みを取っている。
財布と宿舎の鍵は……大丈夫、ちゃんとポケットに入っていた。他に何か持ち物は……。
「あれ?」
「ん、どうした? 失せもんでもあったか?」
「え、えぇ……まぁ……」
昨日、『動く金鉱』から採取した鉱毒を固めた結晶を、採取作業用のガラス瓶に詰め込んでいた筈なのだが、それの中身が無い。
蓋がしっかり閉まっているので、どこかに落としたと言う事はない。
酔った勢いで、隠れて自分で飲み込んだのだろう、とシムリは判断した。
まさか、誰かに奪われる事もあるまいに。
普通の人間なら即死するような猛毒なのだ。碌に使い道もない。
「気にする程の事でもないですし……」
「そうか。まぁ、困った事があったら呼んでくれや。カバリとか言うネーチャンとの顔つなぎとかな」
「そ、それは、まぁ、助かりますけど……いやいや、別にいいですからね。では、また」
シムリは欠伸をしながら、自分の宿舎へと帰って行く。
そのシムリの背中を、ボスカはいつまでも嫌らしい笑みを浮かべながら見送った。
「全く、チョロい奴だぜ……」




