『ドールメーカー』とその痕跡に関して
「はぁ? 死体が消えたぁ??」
クロサキ・アカネは二日酔いで揺らぐ重い頭を片手で抑えながら、間の抜けた声を上げた。
ここは第8地区。その某所に存在する『番犬部隊』の詰所である。
そして今日は、アカツキ・サヤが第7地区でチンピラもとい『野良犬』達を惨殺し、クロサキ・アカネとクロが体育館に立てこもる『自称魔術師』達を制圧した、あの日の翌日である。
丁度今、記憶喪失の少年イバンとアカツキ・サヤが第1地区の路地裏で血みどろの戦いを繰り広げている頃だろうが――それはとりあえず置いておくとしよう。
「ええ、そうです。死体が」
クロが微かな溜め息を吐きながら頷く。アカネは眉間に皺を寄せながら、自身に割り当てられた乱雑なデスクに頬杖を付きながら冷たい水を啜る。
「つめて……んで死体っつーのは、あー……昨日アタシが斬った奴か? それとも、なんだ? 第7地区の倉庫だかなんだかて見つかったッつー『野良犬』らしき連中の死体か?」
「それが……両方なんです」
「はぁ~???」
昨晩。クロサキ・アカネがチェーンソー、超化学兵器『猛牛』を用いて切り裂いた立てこもり犯のリーダー格の死体。
そして第7地区――『都市で住みたいくない地区ランキング殿堂入り』の第7地区のとある倉庫の中で、アカツキ・サヤが蹴り殺した野良犬たちの死体。
そのどちらもが、明朝、陽が昇るのをまたずして、忽然と消失してしまったのだという。
「消失ってなんだよ」
「私もその現場を見た訳ではないのですが……朝まで体育館で後処理の手伝いをしていたギル副隊長や、倉庫の捜査を行っていたガルディア団員も丁度その瞬間を目撃したらしく――一瞬で、まるで煙の様に。瞬きするそのわずかな一瞬で消失してしまった、と――」
「…………」
あまりにも不可解な状況に思わずアカネが言葉を詰まらせていると、凄まじく制服を着崩した茶髪の女性が喧しい足音と喧しい声を携えてアカネのデスクに近づいてきた。
「消えたのはそんだけじゃないんすよアカネっち!!」
「朝っぱらからうるせえな……あとアカネっちって呼ぶな」
「もう昼っす」
「……でぇ? 他に何が消えたっつーんだよ、ジュリ」
ジュリ。番犬部隊の隊員の1人。主に詰所における雑務と『情報分析官』の助手、そして番犬部隊にとって重要なとある超化学兵器の運用を担当している。
部隊の中でも最も年齢が低く、最も制服を着崩すどころか派手なアレンジを加えて着こなし、番犬部隊で3番目に声がデカイ隊員である。
「ほら、第7地区の廃倉庫で野良犬ちゃん達が見つかったのもそーらしいっすけど、その近くで『悪魔の腕』を不法所持した会社員が同僚の女性を襲ったってぇ事件があったじゃないっすかぁ」
「ああ、そんなのも……聞いたような聞いて無い様な……」
「現場には第7地区のヒラのガルディア団員と、あーしが7D3のTPポイントに送ったクロパイセンが向かって、その女性にも事情聴取だなんだーって色々しようってとこだったんすけど、その後すぐに例の立てこもり事件の件でクロパイセンも呼び出されちゃって!!」
「はぁ」
「アカネっちのチェーンソーを取りに来るついでにクロパイセンからその女性をあーしが預かって、保護する事になったんす!! とりあえず取り調べ室にお菓子とジュース持ち込んで、でもあーしもひっさしぶりに外の人と喋ったから柄にもなく緊張しちゃって、たはー!!」
「要点を言えやコラジュリコラ……いやまて。まさか消えたのは……」
アカネの頭によぎった嫌な直感もなんのその、ジュリは勢いを止めず続ける。
「どこ住み? とか最近どう? とかドーナツ食べる? とか場を和ませようと頑張ったんすけど、ナツエちゃんなんかふわふわとした事しか喋んなくてー。あ、ナツエちゃんっていう名前だけ聞けたんすけど!! いやあ、ナツエちゃんも同僚のおっさんにいきなり殺されかけて凄いショック受けてたみたいで―、いやそうっすよねー、あーしだっていきなりクロパイセンがいつもの笑顔でナイフ突き出してきたら軽くびっくりっすもん!!」
「なんで私で例えたんですか? あともう少し重めにびっくりしてくれませんかその場合は」
「いいから要点を!! 言え!!」
ジュリは満面の笑みを湛えたままようやく話の締めに入った。
「あーしが一瞬目を離した隙にナツエちゃんが消えちゃったんっすよねー!! たはー!!」
「たはー!! じゃねえよゴラジュリゴラ!! 何してんだおめぇは!!」
「ウゲ……首元掴まないでアカネっち……昨日あーしの胃に入ったドーナツちゃんが異形の姿を為して召喚されちゃうから……」
流石にそんなモンスターは視たくなかったのでアカネは仕方なく手を離した。
「ゲホ、オエ……、そ、それに!! あーしが目を離した一瞬ってマジで一瞬っすよ!! 眠くてあくびしながら天井向いて、そんで視線を戻したら消えてたんすもん! あーし悪くないっすもん!!」
「あぁ……? んだよそれ……結局死体と同じパターンってか? 死体と生きてる奴を一緒にしていいか分かんねえが……」
「それにそれに!! あーしが目を離した後と前後で、椅子の傾きもコップの位置も扉に付着していた埃も何もかもが1ミリのずれもなくそのまんまだったんす!!」
「まあ……ジュリさんが言うならそうなんでしょうが……」
クロが困ったようにつぶやいた。
ジュリの記憶力は異能と呼べる域に達している。大分前にジュリがクロに向かって『あれ? クロパイセン昨日会った時と比べて2ミリだけお腹周りが太くなったっすか? たはー!』と言ってクロに脛を5回蹴られたというエピソードまで持っている。
「それにナツエちゃんは超化学兵器なんて当然持ってなかったっすし、仮に超レアな転移系の超化学兵器があったとしても、そもそもあーしのアレがあるから使えない筈っす!! んでそんな忽然と消えたナツエちゃんの座ってた椅子に落ちてたのが……コレっす!!」
ジュリは2つの透明な袋をアカネに突き出した。
「んだコレ……ハンカチと……紙人形? で合ってるか?」
1つは、昨晩アカツキ・サヤが趣味の人助けを遂行した際、被害者ナツエに差し出したハンカチ。
もう一つは、人形と呼ぶにはあまりにも簡素に切られた人型の紙きれだった。
そこには綺麗な文字で『ナツエ』と書かれており、一本の髪の毛が括りつけられていた。
「ハンカチはともかく……こいつは気持ち悪いな」
「実は、それと同様の紙切れが例の体育館と倉庫でも見つかっているんです。それも、あった筈の死体と同じ枚数が」
「へえ……」
「それから……消えたものはまだ他にもあって……」
「まぁだあんのかよクロ。それはなんだ?」
「昨夜捕まえた例の『自称魔術師』達。その大半がです」
「はぁ……もう驚くのも飽きたな。で、そいつらが消えた場所にも当然?」
クロはアカネに頷いた。
「そこにも紙人形が残されていました……ちなみに消えたのは大半、といいましたが。唯一1人だけ、昨晩の立てこもりで体育館の外でメガホン片手に騒いでた人、あの人だけは消えませんでした」
「へー……?」
「いやあ、世の中不思議な事があるもんっすよねー。あーしもびっくり!!」
「そんな軽く済ませていい話かこれ……? なあ、クロ。もしかしてだけどよ。この紙人形が見つかったのは……」
「その通りです。昨晩、この野蛮で血生臭くて人殺しだらけの都市においても尚異例と呼べる程の殺人事件が起きました」
「はは……ああ。それで?」
全く否定できないのが辛いところだな、とアカネは心の中で独りごちた。
「ですが見つかった死体の大半……全てでは無かったですがその多くが、紙人形を残して消失してしまったんです」
「………………」
大量に発生した殺人事件の被害者が、紙人形になった?
いや、被害者は最初から紙人形だった?
どいつもこいつも狸に化かされでもしていたってのか?
だが、どうにも……意味が分からない。
「…………おい情報分析官!!」
アカネが大声で呼びかけると、部屋の隅のデスクでこれまで一心不乱にモニタの前で作業をしていた一人の男が、そんなアカネの大声の攻撃力を大幅に上回る大声で答え、元気よく立ち上がった。
「ふっふっふ……ハーッハッハッハッハァ!! 話は全て聞かせて貰った!!」
「だろうな」
「ボクのデータによるとボクの名前はジョウホウイン・デエタ!!」
「知ってる」
「番犬部隊情報分析官においてこの世の全ての知識を司る者といっても過言ではないこのボクに!!」
「過言だろ」
「何か用かなぁクロサキ・アカネくん!!」
「紙人形を用いるような超化学兵器に関する情報は? あるいはこの状況を創り出す事の出来る超化学兵器に関する心当たりはあるか?」
ジョウホウイン・デエタ。番犬部隊の情報分析官であり、その名の通り様々な情報を収集、分析し、様々な作戦をサポートするのが役目である。
また、ジュリはそんなデエタの補佐役、助手を務めていたりもする。
そしてそんなデエタは顎に手をあて、きらりと眼鏡を光らせ虚空を見つめ、そして結論を導き出した。
「ふっふっふ……いいだろうアカネくん。答えようじゃないか……僕のデータによると、僕のデータにそんな情報は存在しないねぇ!!」
「帰れよお前マジで」
デエタはめげずにジュリに目を向ける。
「ジュリくん!!」
「うす」
「悔しいがキミに頼るしかない様だ……キミならデータベースに登録されている超化学兵器の一覧を見たことがあるはず! その中にアカネ君が言っている様な超化学兵器はあったかな! さあ答えてあげたまえ」
「ないっす!!」
「そうか!!」
デエタは静かに着席した。どうやら話は終わった様だ。
「……お前の方でそんな超化学兵器が無いか探っといてくれよ、情報分析官」
「任せてくれよアカネくん!! このボクに!!」
「うるせえよ」
吐き捨てるアカネに、クロも苦笑いを向ける。
「なんでウチの裏方連中は揃って声のボリュームが……」
「まあまあ、賑やかでいいじゃないですか」
「そういうレベルじゃ……」
「お前ら。揃ってるな」
と、ここで突然ギル副隊長が足音一つ立てずに詰所へと入って来た。ジュリとクロは思わず姿勢を正し、デエタとアカネはいつも通りだった。
「揃ってる……と言えば揃ってますね。リアさんとバッシュさん、それにウェインさんとウィラさんはそれぞれまだ任務中でしたよね。あと、隊長もタワーでしたよね」
「ああ」
ギルは頷き、ぼりぼりと頭を掻く。
「どっちも管理者共の無茶ぶりに付き合わされてる様だ、迷惑な話だが……対処が必要な案件には違いない。一旦ここに居る連中にだけ伝えておこう」
「昨晩の『死体やらなんやら紙人形にすり替わり事件』の話っすか?」
「ああそうだ。立てこもり事件の対処だけで一仕事終えた気でいたが、昨晩都市で巻き起こった混乱は予想以上だった」
発生した無数の殺人事件。しかしその被害者のほとんどが消失し、紙人形へと変じてしまった。
「超化学兵器によって人が紙人形へと変じたのか、あるいは紙人形が人に変じていたのか……どちらも可能性としては考えられるが、少なくとも管理者『オオツキ』の見立てでは後者の可能性が濃厚らしい」
「へえ……ま、あの研究馬鹿共のリーダーがそういうならそうなのかもな」
「さ、流石に口が過ぎますよアカネさん……私も同意ではありますけど」
ギルが咳払いして咎め、続ける。
「一つ面白い話がある。昨晩ジュリが応対したというナツエという女性。彼女の所在が明らかとなった。彼女は昨日の夕方から今朝まで、職場の同僚と自宅で飲み明かしていたらしい。当然職場の同僚に襲われた記憶も、ジュリと話した記憶も無い、と」
「ほほう……それは、中々面白い情報じゃないかギル副隊長!! ハッハッハッハ」
「そうだなデエタしばらく黙っててくれ……それで。いくつかナツエさんの画像も提供してもらった。ジュリ、後で確認して『昨日お前が見たナツエさん』と相違点が無いか確認しておいてくれ」
「了解でーす!!」
ぴしっと形だけは綺麗な敬礼をするジュリ。
「昨晩の一連の事件、それらひとつひとつは繋がりがある訳ではない……だが、未確認の超化学兵器を隠して所持している点で違法。どうであれこれ程の影響を都市にもたらした『犯人』を一刻も早く見つけ、超化学兵器を回収する必要がある」
「我々の部隊がこの件に本格的に関わるかは未定だが、今回の件の犯人をこう名付けた」
「『ドールメーカー』と。頭の片隅にでも入れておけよ、お前ら」