アカツキ・サヤ
超巨大都市レジェイル。その片隅のごく普通の家庭に生まれたアカツキ・サヤという少女が居る。
容姿端麗、頭脳明晰、ファッションセンスそこそこ。長い茶髪を束ね普段はポニーテールにしている。
明るい性格も幸いして、知らない人ともすぐに打ち解ける事が出来る。両親共に人柄がよく、誰が見ても分かりやすい程に幸せな家庭に暮らしている。
そして、サヤは実に多趣味な少女である。異常とも呼べる程に。
読書、音楽鑑賞、散歩、ゲーム、料理、盆栽、お絵描き。
球技、球技じゃないスポーツ、食べ歩き、手芸、人間観察、プラモ作り。
ネットサーフィンに麻雀に楽器演奏にボードゲームにボランティア。
昆虫採集にダーツにカラオケに同人誌作成にビリヤード。あとお菓子つくり。
これらは氷山の一角であり、数えだせばキリがない。そんな数多くの趣味を器用にこなしながら、サヤは日々人生を謳歌しているのである。
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冷たい風と共にシトシトと小雨が降っているとある夜。
朝早くから夜遅くまで続いた、ボードゲーム同好会での楽しい一時を終えたサヤは、『迷い込んだら野良犬に喰われてバラバラにされてしまうぞ』と親が良く子供に言い聞かせる事で有名な第7地区の裏路地の倉庫で、ちょっとした用事を終えた所だった。
ちなみにここで言う『野良犬』とは四本足で歩く獣の事ではなく、人の内臓を引きずり出して金に換える事を厭わない、二本足で歩く獣あるいはチンピラの事である。
「フンフンフフンフ~ン♪」
サヤは落としてしまっていたヘッドホンを拾い、スポッと頭に嵌める。
「フンフンフフ~ン……タラッタタッタタンタ~……ヘイヘイヘ~イ」
あまり音程の合っていない鼻歌を歌いながら、しばしその場に立ち止まり、辺りを見回した。そして明日はからもどんな事をして楽しもうかと考えを巡らせる。
「チャンチャチャチャチャッチャツンドコツンドコ……」
その『芸術的』あるいは『完成度の高い』あるいは『やりきった感が出ている』空間を満足げに眺めながら、しばらく鼻歌を続けていた。
「チャチャチャ~トゥルットゥ~♪ ドドドドゴゴゴゴヘイヘイヘーー……ん?」
と、その時。サヤは微かな異音を耳に捉えた。ヘッドホンのせいで分かりづらかったが、確かに何か聞こえた。サヤはヘッドホンを外し、耳を澄ませた。
「助けて……誰か、誰かぁああああ!!」
「……!!」
今度は確かに聞こえた。女の人の悲鳴だ。サヤはヘッドホンを乱暴に放り捨てると倉庫を飛び出し、声が聞こえた方向目掛けて全力で駆け出した。
「ゼェ、ハァ……誰か、誰か……!!」
「……ッ、大丈夫ですか!!」
サヤは躊躇う事無く裏路地に飛び込むと、声の主と対面した。
そこには2人の人間が居た。1人は女。右肩から血を流しながら、サヤが居る方向に必死に走っている。
もう1人は男。スーツを着ており、泥酔しているのか顔はタコの様に赤い。そしてその手には、大きく鋭いナイフを手に持っていた。その刃は、べっとりと血で濡れていた。
「ヘ、ヘ、ヘヘ……!! 死ね、死ね死ね死ねよぉ……!! なんで置いてくんだよぉ……俺と一緒に死んでくれよぉ……!! ヘ、ヘ、ヘヘヘヘ……ゲホ、ゲホ……へ、へへへ……」
「キモい」
サヤは思わず感想を零した。人と出会い、そして互いに関係性を育んでいく中で、第一印象というのはとても大事だと誰かが言ってたなあ、とサヤは心の中で呟いた。
そういう意味では目の前の男は0点だった。
「た、助け、助けて……!! 死にたくない……」
「了解です!! 安心してください人助けも趣味の1つなので! あ、これ止血に使って下がっててください!」
「あ、ありがとう…………趣味……?」
サヤはこちらに駆け寄ってくる女性の身体を軽く受け止めるとハンカチを手渡し、困惑する女性をかばう様に自ら進んで男の前に出た。
「なんだよお前ぇ……邪魔すんなよぉ……!! オレたち愛し合ってんだよ邪魔すんなよぉ……!! へ、ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘ」
マイナスの第一印象に更なるマイナスを上塗りしてくる男の下卑た表情と言動に、サヤは大きくため息を吐く。
「あのですねー、愛の形は人それぞれあると多くの人は言いますけど、ナイフ使って愛を形にして良いとは誰も言ってないんですよ? 多分。あーでも、お互いの同意があるなら良いのかな……いやダメかな? うーん……あ! でもこの場合同意が無いからやっぱり多分ダメだと思います!! ……ダメだよね? ダメなのかな? 多分ダメ!!」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇよ邪魔すんなよぉ……邪魔すんならお前も死ねよぉぉぉぉぉ!!」
男は甲高い奇声を上げると、酔っぱらいにしては鋭い動きでサヤ目掛けてナイフを突き出した。
「よっ」
しかしサヤは慣れた様子で軽く身を翻し、ナイフの切っ先を避ける。
「オラ、シネ、シネ、シネシネシネ!!」
「はい死ななーい、死なない死ななーい、死なない死なない死ななーい。べろべろベろべろば~~」
闇雲に突き出されるナイフをヒョイヒョイと避け続けるサヤ。そして不意に身体をひねったかと思うと、男の腕に鋭い回し蹴りが叩き込まれ、ナイフが宙を舞う。
「クソ、クソ!! なんだよお前ぇ!!」
「ほら、私って多趣味なので。色々やってるんですよね。今の蹴りは私が最初に通った道場で、上腕二頭筋がスイカ位の大きさがあるおじさんに教えて貰った……」
「クソがぁ!!」
痺れる腕を抑えながら、男は数歩後ずさる。そして懐から赤黒い腕輪を取り出した。サヤはピンと直感が働き目を凝らすと、その腕輪には小さく蛇の刻印が刻まれていた。
「あらら……面白いもの持ってるね、おじさん。印象ポイントプラス5点。残りのマイナス点は800あるから頑張って!」
「馬鹿にしてのんかお前はぁ……!! だがもう許さねえ、ヘ、ヘヘ……コイツは後のお楽しみに取っておこうと思ってたが、構いやしねえ……死ねやぁあああああああ!!」
男は吐き捨て、持っていた腕輪を右腕に装着した。
次の瞬間、腕輪は赤く眩い光を発し、辺り一面を照らしあげた。
「もう、なんなの一体……え~……?」
咄嗟に閉じた瞼を開けると、目の前の光景に思わずサヤはマヌケな声を上げた。
先程まで何の変哲もなかった男の右腕が、赤黒い棘に覆われた、禍々しい巨腕に変化していたのである。
「ヘヘ、ヘ、ヘヘ……キタキタキタ……!! マジで本物の超科学兵器だこれぇ!! ヒヒャヒャヒャヒャ!!」
男は狂った笑い声をあげると、その巨大な腕をブンと振るう。たったそれだけで、腕が当たった廃屋の壁が抉れる。
「あー、なるほどなるほど。理解理解。『悪魔の腕』ね。前に本で読んだ。生で見るとグロテスクでちょいキモだね」
気味の悪い男の気味が悪い巨腕を眺め、サヤはそう呟いた。
超科学兵器。それはかつて世界を圧巻した超科学大国レジェイルが遺した遺産。理解不能な原理で動く理解不能な数々の道具、あるいは武器。
それら超科学兵器は大抵危険度が高いが、『管理者』の勅令や『都市警察』の回収活動もむなしく、この『都市』においてはかなりの数が出回っており、目の前の男が所持しているのも確かにそれに違い無かった。
『悪魔の腕』。それは世界、そして都市にバラまかれた超科学兵器の中でも特に数が多く、多くの『適合者』が存在している危険な代物。
腕輪型のこの超科学兵器を嵌める事により、片腕を異形化。更に全体的な身体能力を大きく底上げさせてしまう。例えそれが運動不足で睡眠不足な酔っぱらいであったとしても。
「ヘ、ビ、ビビったかぁ……? 今なら泣いて土下座すれば許してやらないでもないぜぇ……? ヒ、ヒヒヒヒ、いややっぱ許さねぇコロス!!」
男は赤黒い巨腕を振り上げ、再びサヤに迫る。その動きはついさっきナイフを振り回していた時とは比べ物にならないほど素早い。
「イッタ……!!」
それでもサヤはその一撃をかわしたが、頬を鋭い棘が掠めた。スッと一筋の赤い血が頬を伝う。
「ヒ、ヒヒャ……!! 潰してやる、てめぇのその頭をぐちゃぐちゃに潰してやる! ヒヒャヒャヒャヒャァ!!」
「ハァ、もう最悪……」
よだれをまき散らし喚き散らす男に、サヤは小さく首を振る。男を視界に捉えるサヤの眼に、妖しく暗い陰が落ちた。
「乙女の顔に傷付けてくれちゃって……これはなんというか、あれだよね。もう、ポイント云々関係なく」
サヤは不意に屈みこむと、サヤが履いていた『蛇の刻印』が刻まれている黒いブーツ、その側面に取り付けられた小さなスイッチを押した。
「万死に値するよね」
「今度こそ死ねェええええええッ!!」
するとブーツは淡く白い光を発した。荒れ狂う男は構わずサヤの脳天目掛け巨腕を振り下ろしたが、サヤは高く跳びあがり避け、行き場を失った巨腕は地面を砕いた。
「なんだぁ……??」
男が間の抜けた声を漏らしながら顔を上げる。視線の先には、ふわりと宙に浮かび制止しているサヤの姿があった。憮然とした表情で男を見下ろしている。
「てめぇ、降りてきやがれぇえ!!」
「いいよ」
刹那、急降下したサヤの足が勢いよく男の胸に突き刺さる。思わず吐き出た男の唾を本気で嫌そうなしかめっ面で避け、更に腹に一発。右脚に一発、背中に一発。
「グ、ゲ、グエェ、め、やめ、やめろぉォ!!」
ブンと男が巨腕を振り回す。しかしサヤは再び宙に浮かび上がると、クルクルと身体を回転させながら急降下。男の脳天にかかと落としを叩き込む。
「ウグ、ウベェ……!! なん、だよ、なんでこんな女が、超科学兵器、を……」
「ちょっと趣味で」
腹、股間、右足、左足、股間、胸、左肩、アゴ、アゴ、アゴ。浮遊と降下を繰り返しながら放たれたサヤの連続蹴りが、男の全身をボコボコに打ちのめす。
「アガ、ガ、ガ……」
顎の骨を砕かれた男はもはやうめき声を上げる事しか出来ず、仰向けに地面に倒れこむ。こうなってしまっては異形の大腕もただの重りでしかない。
「…………」
サヤは再び浮かび上がる。これまでで一番高く。男を見下ろすその眼はどこまでも冷ややかだった。
「それじゃあ殺」
「こっちです!! こっちで女の人に助けられて……!!」
「ゲッ」
遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。ついさっき助けた女性の声だ。どうやら都市警察隊を連れてきたらしい。
「動くな!! 都市警察だ!! ……あれ?」
すると程なくして、先程サヤが助けた女性が、都市警察ガルディアの隊員を連れて姿を現した。
都市警察ガルディアとはその名の通り、この巨大都市レジェイルにて活動する警察組織である。『管理者』の傘下に置かれている組織の一つであり、かなりの規模と権力、人員を有している。
が、それでも尚碌でもない死体が頻繁に発生するのがこの都市なのである。
「誰も居ない……? 倒れているのはいるけど……」
ガルディア隊員が呟く。そこには既にサヤの姿は無かった。宙を舞い、煙の様に消え去っていた。
「そういえば忘れてたけど、あの女の人いつの間にかどっか行って通報してたんだ……危ない危ない……」
大きく場所を離れた建物の屋上まで逃げ延びたサヤは独りごちる。あと一歩逃げるのが遅れていれば、顔を見られてしまっていたかもしれない。
「ま、顔はちょっと痛いけどボチボチってとこかな。トドメもさせなかったけど……まあいいよね!! それより早く家に帰ってネトゲしないと……」
そしてサヤはヘッドホンを付けようとして、思い出した。そういえばあの場所に投げ捨てたままだった、と。
サヤはふわりと宙に浮かび、闇夜に紛れあの場所、あの薄汚れた廃倉庫に戻った。近くにガルディア隊員が居るだろうから、慎重に。ちょっとしたステルスアクションを楽しみながら。
「ああ、あったあった。良かったー、それにまだ誰にも見つかってないみたい」
そしてサヤは軽い足取りで倉庫に入り、折れ曲がった死体の上に落ちていたヘッドホンを拾い上げ、頭に装着する。
「フンフンフフンフフフンフ~ン……チャラッチャッチャチャ……ヘイヘイヘ~イ……」
再び音程の合ってない鼻歌を歌い、辺りを見回す。そこにはいろいろなモノがあった、
砕けた椅子、机。割れた酒瓶、灰皿。汚れた楽器、ペイントスプレー用の缶。首を踏み砕かれた死体、顔面が変形した死体、胸がぺしゃんこになった死体、背中から骨が突き出している死体、手足が不思議な方向に曲がっている死体。
要するに死体だらけだった。この都市ではしばしば都市が発生する、という事は既に知っての通りだろうが、とはいえこの光景は、それでも尚そこそこにショッキングだった。
ここで何があったかを簡単に説明すると――ボードゲームに疲れたサヤは、ふらりとわざわざ治安の悪い第7地区の、それも裏路地に足を踏み入れた。
すると案の丈『イケてるギャング』を名乗る野良犬達に絡まれた。その目的は内臓がそれ以外であったかは定かでは無いが、人気が無い所にある彼らの拠点にわざわざ連れて行ってくれたので、丁寧に挨拶と自己紹介を済ませた後に全員蹴り殺した。
ちょっとした趣味で。説明は以上である。
「チャンチャチャチャチャッチャツンドコツンドコパラリラパラリララ~~」
明日はどんな事をして楽しもうかな。今日は結構殺したからしばらくはいいかな。最近ちょっとマンネリぎみだし。それにしても人助けって結構割に合わない趣味だよね。まぁ気が向けばやるけど。顔の傷早く治るといいんだけど……。
帰ったらネトゲしなきゃだし、明日は料理教室、明後日はお気に入りの推理小説の続きがでるし、明々後日は友達と買い物に行く約束してたっけ。その次の日はこの間作った爆弾を試したいし……ていうかどこに設置しようかな、折角だから大きな建物がいいよね! それにそれに更に次の日は雀荘のおじさん達と麻雀やる約束してたよね。
まぁ、次殺すのは来月とかかな。気分が乗れば。
そんな事を考えながら、サヤはようやく本当に帰路についた。両親は仕事が忙しくまだ帰ってきていなかったが、お母さんが作ってくれていたカレーを温め食べ、そしてネトゲをして寝た。
アカツキ・サヤは多趣味な少女である。
あえて問題点を挙げるとすれば、殺人やハッキングや毒物並びに爆博物生成や超科学兵器収集や――こちらも数えだせばキリが無いが、ちょっぴり危険な趣味を数多く持ち、それらを他の趣味と同様に心から楽しめる事位だろう。
「ジャジャ……ジャジャ……ジャラッジャ~~~~」
アカツキ・サヤは人生を謳歌している。きっとこれからも。