小比賀由美①
最高にいい気分だった。
私は今、夢と希望で満ち溢れている。やっとのことで受験勉強を乗り越え、第一志望の坂之上高校へ入学を果たしたんだ。入学式は二週間ほど前に終わり、いよいよ今日、部活動への仮入部が解禁される。
私がこの高校を選んだ理由は、県内でも吹奏楽部の活動がピカイチだったから。……ただそれだけ。
そんな訳で私の目的は「吹奏楽部」以外に無いんだけど、悲しいかな、この高校は「ちょうど良いレベルの進学校」で、毎年倍率が3倍以上あった。同級生に「私も坂之上にしたんだー」とか言われる度に、「はぁ!? あんたは別に坂之上じゃなくてもいいでしょ!!」などと心の中では思いつつ、表面上は笑顔で「そっか、一緒に頑張ろーね!」なんて調子いいこと言ってたっけ。……うん、よく頑張った私。
結局、私の中学からこの高校へ進学したのは、私を含めて女子8人、男子9人だけだった。男子とはほとんど面識がなくて、女子も顔見知りは一人しかいない。だけど私は、この高校で大好きな吹奏楽に思う存分熱中できる。そう思うだけで、毎日がバラ色だった。
「は・る・かぁー! 吹奏楽部の見学行こー?」
まだよそよそしい雰囲気が多分に残る放課後の教室で、私は同じ中学唯一の顔見知り、ハルカに声をかけた。ハルカも私も、中学の時は吹奏楽部で、この高校へ進学した目的ももちろん同じ……
「ごめん、あたしパス」
……だと思っていたのに、あっという間に裏切られた。なにこの「私が一方的に友達だと思っていただけ」みたいな雰囲気。
「え? またまたぁー!! どういうことか分かるように説明しなさい」
「……なんか途中から声色変わってない?」
「そりゃ変わるよ!! だって吹奏楽部やるためにここに来たんじゃん、私たち!! それなのにパス……って!? 正気!?」
「あー、うん。そうだよね。あたしもユミと吹奏楽やりたかったんだけどさ、ちょっと……それどころじゃなくなっちゃって……」
ハルカは、少し悲しそうな表情をした。そんな彼女を見て、私もちょっとクールダウンする。何か、大変な事情があるのかも……。
「それどころじゃない……って?」
「うん、あたし……理工学部に進学したくてさ。だけど、今のままだと手も足も出ないから、高校は勉強に集中したいんだ」
……私は、目を点にして固まってしまった。
「……り……利口……がくぶ……??」
「うん」
「何その天才専用みたいな学部……」
「え? 天才専用? 私はただ、遺伝子工学の研究がしたくて……」
「……いでんし……こうがく……ですって!?」
「うん」
「……それって美味しいの?」
「……あんまり美味しくない」
……急に、どうした。中二病になるなら中二の時になれっつーの!! 高一になってから発症しないでくれるかなぁ!?
「……あのさ、私のことが嫌いになって断るにしても、もう少しまともな言い訳考えようよ」
「違うよ、今言ったことは全部本当だから。別に、ユミのこと嫌いになったりしてないって」
「本当だとしたって納得できないしっ!! ついこの間受験勉強から解放されたばっかなのに、また勉強に浸かるとか嘘でしょ!?」
「……あたしだってそう思うよ。でも、本当にぜんぜんダメで……。あと、最終的に大学院まで進学したいから、バイトして学費も貯めておこうと思ってるんだ」
「バイト……? どこで?」
「とりあえず、近所の鯛焼き屋を考えてる」
……ハルカの話を聞いているうちに、再びヒートアップする私。
「もぉいいよっ!! 一人で見学行くから!! せいぜい勉強頑張って!!」
分かってる、私が幼稚だってことくらい。利口学部だかいでんしこうがくだかなんだか知らないけど、ハルカがそれを頑張りたいっていうのなら、応援するのが友としてあるべき姿なんだと思う。
……だけど、今のところ私にはハルカしかツテが無いのも事実。彼女に断られたら、一緒に青春を謳歌する相手がいなくなってしまう。……こんなハズじゃなかったのに。早くも私は落ち込んだ。
がっくりと肩を落としながら、音楽室へと向かう私。既に何人かの一年生が来ていて、色々な楽器を吹いていた。もちろん、全員知らない子だ。先輩達は忙しそうにパタパタ動いているし、誰にどう話しかけたら良いのかも分からない。私は、部屋の隅っこでボーッとするしかなかった。……心細すぎる。
「……もしかして、見学に来た一年生?」
もう帰ろうかな……そんな考えが頭を過ぎり始めた頃、私の背後からそんな声が聞こえてきた。音程的に、きっと男性だ。私はむちゃくちゃ緊張しながら、ゆっくりと振り返った。
……そこには。絵に描いたような超絶イケメン王子が、爽やかな笑顔で立っていた。
「は……はわぁっ……!!」
突然のイケメン登場に、男子への免疫が皆無だった純粋無垢な私は全く対応が追いつかず、裏返った声で謎のレスポンスをしてしまう。何だよ「はわぁっ」って!! さ……最悪過ぎる……!!
「ごめんごめん、驚かせちゃったかな? 僕……2年の平井光彦っていいます。何だか困ってると思って、声かけてみたんだけど……」
「え……あ、はいっ!! こここ……困っておりましたっ!!」
「あはは、そうだよね。声かけて良かった。入部希望者?」
「はいっ!! にゅ……にゅーぶ希望者……で、ありますっ!!」
やばいやばい、緊張しすぎてキャラが崩壊してるっ……!! 某日本の総理大臣みたいなしゃべり方になってるしっ!! これがイケメンの力かぁっ!! イケメンやべぇ誰か助けて!!
「そんなに固くならなくても大丈夫だよ。リラックスして、リラックス。えっと、希望する楽器はある?」
「はいっ!! その、わたくし……えっと、ち……ちゅー学の時から……その、やっていましてっ!! が……楽器は、その……えっと、トランペット……なのですっ!!」
「あ、経験者? それは助かるよ!! しかもトランペットかぁー!! 実は、僕もトランペットなんだ。だけど、高校から始めてまだ一年しか経ってないから、君のほうが絶対に上手だね。あ、そうそう、名前聞いてなかった。良かったら教えてくれる?」
「も……もちろんですっ!! 私の名前は、小比賀……由美ですっ!!」
「ん、分かった。ユミちゃんだね。じゃあ早速、お手並み拝見といきますか!! トランペットの練習場所はこっちでーす!!」
初っぱなから下の名前で呼ばれて、私の顔が爆発しそうになる。しかも、楽器まで一緒だなんて!! もうこれ……運命に違いない……!! そっか、ハルカはこのための人柱になってくれたんだね、きっと!!
……そう舞い上がる私へ、早くも最初の試練は訪れた。
「塚原先輩、入部希望者です! しかも、経験者ですよ!!」
トランペットパートの練習場所へ案内してくれた平井先輩は、すでにそこで練習していた女性へ、そう声をかける。ショートボブ……っていうのかな? つやっつやの黒い髪の毛で、前髪は揃ってて、目はぱっちりした二重をしてて、綺麗と言うより可愛いタイプ。ちなみに、私の方が二百億倍可愛い。
「ふぅーん。足手まといにならなきゃいいけど」
その女性は、私をちらっと一瞥しただけですぐに視線を譜面へ戻し、無愛想にそう呟いた。……なんだこの人。すぐに、私は確信した。この人とは、絶対に仲良くなれない……って。
「せ……先輩!? お手柔らかにお願いしますよ!!」
「あーはいはい。で、名前は?」
……だいたい、私のこと何も知らないくせに、足手まといって何⁉︎ そういうのは、演奏聴いてから言えっつーの‼︎ それに……
「ねぇ聞いてる? 名前。あなたの名前を聞いてるんだけど!」
はっ……と思ったときにはもう、罵声が飛んできていた。何も怒鳴ることなくない!? 分かった、そのヒステリックな性格のせいでモテなくて、めちゃくちゃ可愛くて性格の良い私に嫉妬してるんだこの人。うわーカワイソ。こんな私が後輩になるなんて、ついてなーい。
「私ですかぁ? えっとぉー、小比賀由美っていいまぁーす。先輩の名前も教えてくださぁーい」
私は、わざとらしく間延びした声でそう言ってやった。フフン、とどや顔をしながら彼女を見ると、眉がピクピク動いている。彼女と私の間にバチバチと散り始める、見えない火花。
「……はぁ。もういいよ、小比賀さんね。私は塚原美海。学年は3。一応、パートリーダーってことになってる」
しばらく緊迫した雰囲気が続いた後、彼女……塚原先輩が根負けしたようにため息を吐いてから、そう続けた。それが意外と柔らかい口調だったので、何だか急に敵意が無くなって……
「あ、それと。トランペットパートはパート内恋愛禁止だから。平井くんにベタベタしたら、追い出す」
……ってのは気のせいで、その一言が私に全てを悟らせた。……なるほど、そういうことでしたか。
塚原先輩も、平井先輩のことが好きなんだね、きっと!