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僕の精神を守って

 銀鉤は月面でひとしきり泣いた後、疲れ切ったまま船外活動車に戻った。

 そこから先のことはよく覚えていないが、おそらく半自動運転から全自動運転に切り替わった船外活動車が勝手に走り出し、玄武のもとへ戻ったと思われる。

 目を覚ました銀鉤はよろよろと船外活動車から降りて、宇宙服を脱ぎ捨て、玄武に指示して適当な個室にワープして横になっていた。


「どうすりゃいいんだ……」


 はっきり言って、虚脱状態だった。

 ありえないほどの孤独と自由を認識した銀鉤は、茫然としながら昔読んでいた小説を思い出していた。

 そう、大抵の場合はなにかしなければならないことがある。

 目の前にモンスターがいるとか、とにかく食料を確保しなければならないとか、ギルドがあって仕事をあっせんしてくれるとか、魔王を倒さなければならないとか、誰かに復讐をするとか。

 そんなことは、今の銀鉤には一切関係ない。

 良くも悪くもなさなければならないことが、何一つないのだ。

 前しか見えないようにされた馬のように、一本の道や目標が存在しない。

 あるのは孤独だけだった。自分が地球ではなく、遠い世界の遠い星に来てしまったのだと、月面に一人でいるだけなのだと認識していた。

 ここは地球じゃない。その事実だけが、目の前にあって直視を余儀なくされている。


「ああ、くそ……」


 涙をぬぐって、とりあえずベッドに腰掛ける。

 このまま精神的に追い詰められて、発狂して、そのまま死ぬという可能性も現実味を帯びていたが、銀鉤は幸か不幸か踏みとどまっていた。

 そう、そもそも……理性的に考えればそこまで悪いことはない。

 この船が航行不能で、限られた時間の中で修理しないといけないとか、そんなことは一切ないのだ。

 この魔導艦、玄武に命じて母星へ行けばいい。それで少なくとも、この月面という異常な状態から解放される。

 孤独ではなくなる。そう思うと、一気に心が軽くなっていくのを感じていた。


「おい!」

『何でしょうか艦長』

「母星の情報を集めてくれ」


 そうと決まれば善は急げである。

 人工知能に声をかけて、着陸するべき場所を選べばいい。そこで楽しい異世界ライフを送ればいいのだ。


『承知しました。ではこれより無人探査機を静止衛星軌道上に配置します』

「今から調べるのかよ?!」

『ご命令をいただけませんでしたので』

「……どれぐらいかかる?」

『精密な調査を行う場合、一年ほど見ていただきたく存じます。目的を設定していただければ、短縮も可能です』


 考えてみれば、この魔導艦とやらも超古代兵器である。しかも、ずっと稼働していたのではなく自分がこの世界に現れると同時に、いきなり出現したのである。

 現代のことなどそれこそ一から調べるしかないわけで。


「よし……じゃあ俺が行動しても安全な場所を調べてくれ」

『艦長の戦闘能力、活動能力を基準に、脅威の調査を目標に設定しました。半年ほどお待ちください』

「それでも半年かよ……」


 できれば、今すぐにでも母星とやらに降り立ちたかった。

 地球だとか日本に帰れないのはまあ仕方がないとして、砂漠でも荒野でもいいから地面というものを満喫したかった。

 しかし、ここは異世界である。地表に降り立ったらいきなりモンスターに襲われて死ぬ、という可能性がないでもなかった。


「違うな……よく考えたら、ここが地球でもやばいところはやばいよな」


 日本人の平和ボケ、というものを知識として知っている銀鉤は、日本以外の国が基本的に物騒だということをよく知っている。

 危険なモンスターがいるわけではなく、取り立てて野蛮ではない文明人の国家に降り立つことができたとしても、そこでチンピラに絡まれたらそのまま人生が終了しかねなかった。


「なあおい……その、お前のことって何て呼べばいいんだ?」

『【私】は鬼神級魔導艦玄武の人工精霊です。玄武の頭脳と呼んで差し支えありません。どうぞ玄武と呼称ください』

「じゃあ玄武、今現在の母星じゃなくて、お前に記録されている一万年前の母星の情報でいいから教えてほしいんだが……今の俺って母星の人間と比べて強いのか、それとも弱いのか?」

『戦闘を職業とするものに比べて、極端に弱いです。戦闘を職業としない一般人と比べた場合でも、やや劣ります』

「……まあそうだよな」


 自分は一万年前の人間と比べて強いのか弱いのか、というあいまいな質問に対して、玄武はある程度分かりやすい回答を返してきた。

 しかし、体を鍛えている人間とは比べ物にならないほど弱くて、一般人と比べても結構弱いです、という回答は地球に帰っても通じそうな内容だった。

 魔導艦、というのだから魔法がこの世界には存在したらしいが、魔法がない地球の軍人や警察官が素手で襲い掛かってきても、銀鉤は負けるだろう。それに地球全体で見れば、一般的な成人男性よりも銀鉤は弱い。


「そうだよな……まず俺が弱いよな」


 実家が古武道の道場だとか、柔道で黒帯だとか、運動部に所属しているとか、そんなことは一切ない。サバイバルの知識が豊富というわけでもないし、ファンタジーに対してやたら理解があるわけでもない。

 この魔導艦の主であるという一点を除いて、一般的な日本の男子高校生でしかないのだ。

 仮に現在の母星、異世界とやらにいる原生生物が地球の動物と大差なかったとしても、虎やライオンやクマに会えば殺される。蛇にかまれても死ぬし、毒キノコを食べるだけで死ぬだろう。

 そう考えると、この月面という場所はとても安全に思えてきた。

 さっき自分はまともではない精神状態で船外活動を行ったが、あれが命のない月面ではなく地球だったなら……想像に難くないだろう。


「地球だとしても、まず安心できないか……」


 まあそんなもんだよな、と自分を納得させつつ冷静に思考を再開する。

 少なくとも、今大急ぎで母星に降り立つ、という博打をすることはあるまい。

 確かにこの魔導艦の中で過ごすのは精神衛生上よくないだろうが、危険かどうかもわからない母星に降り立つのはさらに無謀に思えた。


「なあ玄武」

『なんでしょうか』


 とりあえず、誰かと話がしたかった。

 なのでとりあえず、返事をしてくれる玄武へ声をかけていた。

 律義に応じてくれるわけだが、なんといっていいのかわからない。

 赤面しつつも、銀鉤は情けないことを聞いていた。


「俺って、これから何をすればいい?」


 なんで人工知能に、自分の行動方針をゆだねているのだろうか。

 人工知能に管理される生活で、本当にいいのだろうか。

 そう思わないでもないが、まあ仕方がない。このまま半年もこの魔導艦の中で過ごせば、ごく普通に考えて発狂するだろう。

 流石に、発狂するのは嫌だった。その程度には、今の銀鉤は落ち着いている。


『肉体のコンディションを維持するために、トレーニングスペースでの運動を推奨します』

「宇宙飛行士みたいだな……」


 言われてみれば、確かにそれが必要だろうなあ、という内容だった。

 確かに運動せずに宇宙船の中で引きこもっていたら、体の調子も悪くなるだろう。であればそのための場所があるのも当然だった。

 人工精霊とやらの指示は、極めて適切である。


『また、精神に不安定さが見受けられます。専門の医師やカウンセラーへの相談が必要です』

「……どこに医者とカウンセラーがいるんだよ」

『……艦内に在籍しておりません』

「だろうな」

『愛玩用ホムンクルスの使用を推奨します』

「ホムンクルス……ええ?! いんの?!」

『肯定します。ホムンクルスの保管庫へ移動を希望される場合、ワープゲートへどうぞ』



 考えてみればであるが、この鬼神級魔導艦とやらがどれだけ大きいのかよくわかっていない。

 なにせ魔法の船らしいので、外見と中の広さが一致しないかもしれないが……とにかく、この船を外から見ていなかった。

 とはいえ、第三(・・)格納庫という言葉があるあたり、かなり大きいことは確実だった。


「これ全部、ホムンクルスなのか……」

『肯定いたします。これが本艦の備品である人工生命、ホムンクルスです』


 体育館以上の幅や奥行きのあるスペースに、数列の巨大な円筒が並んでいる。それらのすべてに色気のない、全裸の女性が入っていた。

 保管庫の中は妙に雰囲気のある薄暗い照明しかなく、まさに悪の秘密基地といったところだろう。

 まるで水族館の標本のようだ。生命力という者が感じられず、ある意味ではマネキンやフィギュアに近い。


「これの中から選ぶのか?」

『はい、好きなだけどうぞ。他の搭乗員がいない現状では、すべて艦長に運用権があります』


 まさに、まさに、まさに……工場であり市場であり、見本市だった。おまけに無料である。

 自分が今手にしている自由度というものを、嫌というほど突き付けられていた。


「実在する人権のない肉人形って……」

『適切な表現です』


 人間の持つ欲望と倫理観は、必ずしも合致するのではないと、改めて銀鉤は認識していた。

 これが二次元なら、非実在の存在なら、銀鉤はたいして迷わずに全員を目覚めさせて、ハーレムを形成していただろう。

 そのうえで、飽きたら全員まとめて捨てていただろう。

 別にそれでいいのだ、なにせ相手は紙に書かれた絵でありデータ上の存在でしかない。しゃべっているとしても知性があるのではなく、声優が脚本家とかが書いた台本を読み上げているだけなのだから。

 はっきり言って、ペットショップの犬猫以下である。しかし、実在している彼女たちをみるとなると……。

 人間が生産した、という点を除けば知性がある存在だった。これを選別する、というのは精神的に重荷だった。

 誰かを選んで、他の誰かを選ばない。あるいは大量に起こして、一部の誰かをないがしろにする。それが許されるとしても、銀鉤は嫌な気分になっていた。


「なあ、彼女たちを目覚めさせないと、困ることってあるか?」

『当機の運用に、一切影響、支障はございません』


 自分の精神を安定させるため、寂しさを紛らわせるため、それ以外に一切の必要性がない。

 もちろん、銀鉤としては一番重要な点ではあるのだが、そのために何かを犠牲にしているようで、とても嫌だった。


「愛玩用、とか言ってたけど、他にもあるのか」

『戦闘用や整備用など、ホムンクルスは複数種類存在し、他の場所に保管されております』


 まさに、商品であり兵器であり武器であり、消耗品だった。

 ある意味では理想的な『人材』なのだとは理解できる。

 人の形をして人のように考えて、人に奉仕する大量生産品。

 人を物のように考えられない、まっとうな感性の持ち主としては使用を避けたいところである。


「ところでさ……これを『使用』しなかった場合、俺ってどれぐらい持つ?」

『精神的な安定を保てる時間は、およそ一週間ほどと思われます』

「一週間か……」

『一週間は、長期的に見積もった場合です。短期的に見た場合、三日で異常をきたす場合があります』


 確かに、どれだけ頑張ってもそんなものなのだろう。

 いや、正しく言えば頑張ることができる限界は、そんなものなのだろう。

 ろくに訓練も受けていない日本の男子高校生が、いきなり家族と再会できなくなって閉塞空間に閉じ込められてしまえば、まさに三日と持つまい。

 かといって、いきなり母星に降り立つのは自殺に思えた。それこそ、月面へ降り立つ以上の無謀である。


「ん~~」

『お悩みであれば、こちらで『おすすめ選択』機能を使用しますが、いかがでしょうか』

「そんな機能まであるのか?!」

『艦長のように、お悩みになられる方も多かったので、使用者に対して適切なホムンクルスを選択する機能も搭載されております』

「……」


 ここで、自己責任というものが薄れていた。確かに、自動的に誰かが決めてくれる、というのは精神的な負担が少ない。

 多くの選ばれないホムンクルスが哀れではあるが、自分が決めたわけではないので『まあ仕方がない』と見捨てることができていた。

 情けないこと極まりないが、この状況で特に悩まず行動する男もそれはそれでどうかと思うので、とりあえずお任せしてみることにした。


「じゃあ、それで」

『承知しました……では、床の指示に従いください』


 薄暗い広間の床に、矢印のマークが浮かんでいた。

 その進行方向で、何やら円筒形の容器が異音を発している。

 やや怖い気分になりつつも、正直ワクワクしながらそのホムンクルスの前に行ってみる。


「どういう基準で決めたんだ?」

『ホムンクルスにはある一定の規定があります。それは『人間ではない』と分かるように記号が付与されているという点です。それを多く含む者か、少なく含む者かでまず選別がされます』


 円筒形の容器の中で、何やら薬液が入れ替わっているようだった。

 今のホムンクルスたちは何やら緑色の薬液に浸されているのだが、銀鉤に適切と判断されたホムンクルスは、薬液が紫色に変色しつつあった。


『基本的に、ホムンクルスはとても従属的です。ですが、その従属さを負担に感じる人間も多くいます』

「そりゃそうだ」

『人間の形をしている、人間のような物。それからの献身に対して負担を感じては、愛玩用としての機能を果たしているとは申せません』


 今現在起動準備をしているらしいホムンクルスは、明らかに人間離れしていた。


『基本的に、選択に対して積極的な方は『人間の代替』としてホムンクルスを求めています。人間を支配したい、人間に対して倫理的に許されないことを行いたい、という方は人間によく似たホムンクルスを選ぶのです』

「……なんか、嫌な話だな」


 確かに人間同士でやれば犯罪になる、という欲求を被造物で満たすのは正しい。

 しかし、紙に書かれた二次元ではなく、実際に生物として生み出すのはいかがなものだろうか。


『もちろん、そうしたことに好意的ではない方もいらっしゃいます。そうした方は、ホムンクルスに対して『愛玩動物』の延長線上の性質を求めることが多いのです』

「ペットとして、ってことか?」

『その通りです』


 紫色の薬液に浸されたホムンクルスが、ゆっくりと生気を帯びていく。

 死んだように動かなかった体が、びくりびくりと痙攣していた。


『基本的に、人間は容姿に対して一定の基準さえ満たしていれば、そこまで不満はもちえません。それが人間ではない、とわかるものなら尚の事です』

「確かに、犬猫ならそんなには気にしないな」

『よって、このホムンクルスを選んだ理由は、『人間ではない部位が多い』ことに加えて、艦長が立っている場所から近かったことだけです』

「いい加減だな……」

『どの個体であっても艦長の、人間の欲求を満たせるようにホムンクルスは設計されています。であれば、その程度の基準で問題がないのです』


 確かに、態々人間に嫌われる要素を詰め込むことはあるまい。人間が人間にとって都合のいい生物をゼロから作った、というのなら納得のいく話だった。


『このホムンクルスの最大の特徴は四肢です。御覧のように、一般の哺乳類の如く体毛がとても濃く、手で触るだけで癒しの効果を得ることができます』


 どうやら、完全に起動が済んだらしい。

 紫色の薬液が抜けていき、彼女はしっかりと自分の足で立っていた。

 その円筒形の中で乾燥処理が行われたらしく、今の今まで液体の中に浸されていたとは思えないほど見るからにふかふかになっていた。


『加えて、胴体部分も『運動機能』を維持できる範囲で豊満であり、孤独にさいなまれている心を癒すには十分かと』

「解説されると、男のサガって悲しいなあ……」

『二足歩行と四足歩行の両方が可能であり、人間と同じようにふるまうことが可能な一方で愛玩動物のようにふるまうことも可能です』


 円筒形の容器が、床下へ格納されていく。

 それによって立ち上がっていたそのホムンクルスはゆっくりと前足を地面につけて、銀鉤へ歩み寄った。

 健康的な小麦色の肌に加えて、人間と同じ位置にある耳はネコ科の動物の如く毛におおわれており、その黒い髪の毛は艶やかに波打っていた。

 全裸でありながらいやらしい部位はまるでなく、そういう野生動物であるかのような印象を銀鉤に与えている。


「お、おお……」

『デフォルトネームはありますが、艦長がお付けになることをお勧めします。この個体、彼女には人間の言葉を理解する高い知性が存在し、高いコミュニケーションをとることが可能です』

「よ、よし……おいで」


 銀鉤はひざを折って、彼女を招く動作をした。

 まるでネコ科の大型肉食獣のようにしなやかな動きで、しかしイエネコのようにゆったりとした速度で、そのホムンクルスは歩み寄り体をこすりつけ始める。

 外見年齢は明らかに年上なので微妙に遠慮しそうになるが、玄武の人工精霊が説明していたように、大きな猫に甘えられているという感覚が心地よかった。


「……いや、猫でいいんじゃねえか?」




 猫でもいいような気がする、人型率の低いホムンクルス。

 とはいえ、既にトイレやお食事のしつけも済んでいるという、初めての飼い主でも簡単に飼育できるホムンクルスは、確かに銀鉤の心を癒していた。

 言語を発する機能は意図的についていないらしいが、とにかく孤独感は一気に薄れていた。


「はっはっはっはっ」


 精神的な欠乏が満たされた後で、銀鉤が次にしたのはトレーニングルームでの運動だった。

 いわゆるルームランナーの上で、玄武が操作する速度に合わせて走っていた。

 なお、ホムンクルスは隣接されている四足歩行用のルームランナーで並走していた。四足歩行であり、そもそも彼女の運動機能は高めに設定されているらしく、その速度は明らかに人間の限界を超えていた。

 それでも目覚めて初めての運動ということで、彼女はとても楽しそうである。


『こうして一緒に運動をすることで、精神的な負担を和らげる効果があります』

「犬の散歩だな……! 犬でいいじゃねえか……!」


 倫理的には犬でもいいような効果を解説されるので、一応こまめに反論する銀鉤。

 でもまあ、見ようによってはスタイル抜群の美女と一緒に走っている感があるので、倫理を考えなければとても楽しい。

 それを見抜いているらしいので、玄武は特に何も言ってこなかった。


「それでっ俺はっ、いつまでこれをやってればいいんだっ!」

『運動メニューをこなしたあとは、栄養補給として食堂に移動していただきます。そのホムンクルスは人間と同じ食事ができるようになっておりますので、ご一緒にどうぞ』

「本当にっ、管理されてるなっ!」

『【私】はそう設計されておりますので』


 人工精霊という名前のコンピューターによって、精神も肉体も管理されて健康的かつ文化的な生活を強いられている。そんな状況に危機感を感じないわけではないが、健康的で文化的な生活を自主的に維持できる自信もなかった。

 一般的な日本の男子高校生に、そんな気概はないのである。


「まっ、マニュアルってやつだなっ!」

『肯定します』


 今銀鉤がいるトレーニングルームは、いわゆるトレーニングジムと同じ設備がそろっていた。

 平安時代から傘の形が変わっていないように、SF的な未来の設備であっても人間の体を運動させる設備はそんなに変更が必要ないのかもしれない。

 とはいえ、それなりに広い部屋の中には、ダンベルなどを含めて多くの器具が設置されている。これでホムンクルスがいなければ、とても寂しかったに違いない。運動に適したBGMも流れていないし、雑踏が懐かしく思える。


「それにしても……異世界感がない!」


 その存在は知っていても、ルームランナーなど使ったことがない。

 なんで異世界に来て最初にやったことが月面への到達で、次にやったことがペット選びで、今やっていることがトレーニングジムでの効果的な運動なのだろう。

 全部人生で初めての経験だが、月面到達を含めて地球人類がやったことばかりである。


「……うん、ない!」


 自分の隣で、自分を見て笑う女性のごとき獣。

 それを見て異世界だなあとは思うが、それを認めるのは恥ずかしいので異世界じゃないと言っていた。実に思春期である。


「そういえばっ! 肝心のメシはっ! 美味いんだろうなっ!」

『最高の素材を準備しております。お楽しみにお待ちください』



「……どういうことだ」


 運動を終えて、食事のための部屋へワープした銀鉤とホムンクルス。

 重力が設定されているとはいえ、宇宙船の食堂である。広いのか狭いのかさえ想像もできなかったが、意外にも『食堂』ですらなかった。

 調理場、というか台所である。


「どういうことだ! ここは宇宙船じゃないのか!」

『最高の食材を準備しております』

「なんで肉と野菜とルー的なものと! 鍋と包丁とまな板があるんだ!」

『調理のためです』

「そういう問題じゃねえ! なんで手作りしないといけないんだよ!」


 銀鉤は二十一世紀を生きた日本人であり、それなりに宇宙食というものを知っている。

 フィクションで登場するトレイに張り付くようなペースト状の、スプーンですくって食べるもの。あるいは現実で存在する、真空パックに入っている口で直接食べるもの。

 もちろん無重力、あるいは低重力下での食事のためと知っている。月面にありながら人工重力のようなもので地球同様になっているこの魔導艦では、そんな特異な食事方法が不要だとは分かっている。

 だが、だとしても冷凍食品だとかレトルト食品だとか、そうしたものの延長線上の食事が出ると思っていた。

 というか、既に空腹なので、調理済みの料理をこれから食べるのかと思っていた。


「キャンプしに来たんじゃねえんだぞ! なんで今から料理するんだよ!」

『栄養摂取のためです』

「完成品はないのかって聞いてるんだよ!」

『あります』

「あるのかよ! じゃあそれ出せよ!」

『ですが、精神衛生上、調理という過程が必要です』


 理路整然と、人工精霊は調理の必要性を解説し始めた。


『艦長は安全を確認するために、半年間当機の内部で生活しなければなりません』

「そうだけど……」

『当機は半永久的に、艦長の生存を保証できます。ですが、精神の安定を図るには艦長自身の自助努力が必要です』

「運動だけじゃダメなのかよ」

『繰り返しますが、当機は完全に自動運転です。半年の間、艦長は一切行動する必要がありません。その無為に、人間の精神は耐えられないのです』


 それは何もかもが自動的に行われる魔導艦をして、人間という生物の維持が困難であるということを示していた。


『当機の内部で過ごす間、【私】は艦長に多くのプログラムを提案いたします。それは艦長としては『面倒』で『不必要』に思えることばかりです。ですが、その精神的な負担によって、艦長の閉鎖空間への抵抗を忘れていただきます』

「……無駄なことをして、時間をつぶして、気を紛らわせろってか」

『その通りです』


 例えば、人間は食事をしなくても、点滴や栄養剤などで補うことはできる。

 しかし、それに対して人間という生物はストレスを感じる。

 栄養補給できるのであれば、食べ物を咀嚼する必要はないように思えるが、人間は食べ物を咀嚼しないとストレスを感じる。

 もっと言えば、人間に限らず動物は、栄養を補給するために肉体を動かすのだが、肉体は動かさないとどんどん衰えていく。

 使用していない機能は、不要と判断されるのか機能を失っていくのだ。

 それが、精神に関しても言える。適度なストレスによって、精神を揺さぶる。それによって、結果的に精神の安定がもたらされるのだ。


「……犬の散歩と同じか」

『その通りです、調理法は指示しますので、どうぞ』

「どうぞじゃねえよ……」


 流石に家畜を食肉にしているわけでもないし、種などから植物を育成しているわけでもないらしい。おそらく、なにがしかの手段で直接的に合成された食材だった。それこそ、工場生産された物だと想像できる。

 ある意味では、自分の足元でお行儀よく『お座り』しているホムンクルスと同じものなのだろう。


「ああ、面倒だ面倒だ……本当に、異世界感がねえ」


 日本の一般的な男子高校生ゆえに、一応調理というものはしたことがある。

 男尊女卑が薄れている二十一世紀の日本では、男子でも台所に立つようになっている。

 学校の授業や、家でのお手伝い。それはごく普通に行われているものであり、当然銀鉤もやろうと思えば一応できる。


「異世界じゃねえ……」


 野菜も肉も、おそらく地球の物と大差ない。

 根菜らしきもの、というかぶっちゃけジャガイモや人参らしき野菜の皮を、慣れない手つきでむいていく。

 当然皮だけではなく多くの『実』もそぎ落としていくが、それはご愛敬だった。

 懐かしいはずの自分の家庭のことを思い出す余裕もない。はっきり言って、さっさとメシにしたかった。

 空腹感からいら立ちが止まらない。それが人工精霊の思惑通りなのが、非常に癪だった。


「異世界っていうか、ペットを飼って一人暮らししてるだけじゃねえか」


 野菜を一口大に、できるだけ均一に切ってから、鍋で煮る。

 そのあとは包丁を洗って、肉を切って軽く焼き、そのあと鍋の中に投入した。

 なんか順番が違ったような気がするが、まあ大丈夫だろう。

 確かに煮る順番とかがあって、煮崩れとかそういうのが問題になることもあるが、どうせ食べるのは自分である。

 いい加減かつ大雑把な知識に従うなら、肉も野菜も火が通っていれば問題ないし、ルーを最後に入れれば味は大丈夫なはずだ。


「それにまあ、異世界だし宇宙だし、肉のようなものと野菜のようなものと、シチューのルーみたいなものだしな」


 正直に言って空腹すぎてどうでもいい、腹に入れば全部同じな男子高校生らしさを発揮しつつ、誰かに向かってそう言い訳をした。

 そのうえで、しばらく煮込むことにした。もちろん、強火でガンガンである。


「……いや、お前がいたな」


 いきなり好感度がやたら高い、女性型ホムンクルス。

 その彼女は、銀鉤の脇で邪魔にならないようにお座りを続けている。

 知性が高いのか、料理中は危ないことをしないようにしているのだろう。


「いや、でも俺もお前もおなかすいてるし、とにかくなんか食べたいだろ」


 ひざを折って、視線を合わせる。

 ウェーブのある髪をなでると、とても気持ちよさそうに恍惚の表情を浮かべていた。

 ちょろすぎて大丈夫なのかと思ったが、よく考えれば野生の獣ではなく生まれながらのペットだった。

 加えて、精神的に追い詰められている銀鉤にふさわしい、と選ばれた個体である。面倒なところなどあるわけがない。


「この耳も本物だしなあ……」


 あんまり異世界に来たという感覚がないのは、自分が平凡な人間だからだと改めて認識する。

 この魔導艦がどれだけ凄いのかわからないが、乗っている人間がただの男子高校生一人なので、魔導艦の人工精霊も日本の男子高校生が閉鎖空間で過ごすための、極めて常識的かつ安全第一の対応しかできないのだ。

 この魔導艦にふさわしい英雄とかが乗り込んでいるのなら、今頃母星に降り立って偉大な一歩を踏み出していたかもしれない。

 まあ、嘆いても仕方ない。

 とりあえず、食事が出来上がるまでのんびりとペットをめでた。

 煮込み上がった料理は、お世辞にも上出来ではなかった。一緒に出されたパンらしきものの方が美味しかったぐらいで、とてもではないが異世界に初めて来た記念、という感慨はない。

 とはいえ、一緒に食事をしてくれたペットのそこそこうれしそうな顔を見ていると、これがこれからの日常だと思うことができたのだった。



「ルナティー、とってこ~~い!」


 宇宙船の中のレクリエーションルーム、という名の芝生がある部屋。

 天井を含めて野球のドームぐらいあるんじゃないかと思われるスペースの中で、野球―ボールぐらいの大きさのやわらかい球を放り投げて、それを四足歩行しているペットへ投げる。


「犬でいいじゃねえかあああああ」


 倫理を踏みにじってまで人間型の生物を運用しているのに、やっていることは犬でもいい。

 なんど繰り返しているのかわからない言葉を、でも楽しそうに言っている。

 いろいろとホムンクルスの名前を考えたところ、月なんだしルナとかでいいような気がしたのだが、それは気取り過ぎている気がしたので『ルナティー』と名付けた。

 ルナティック、狂気的という意味もある。まあ、そこは高校生なので仕方ない。

 ともあれ、かわいらしい響きのある名前は気に入ったらしく、ルナティーは大喜びで尻尾を振っていた。

 そのルナティーと一緒に、運動の時間である。

 運動というかレクリエーションなのだが、投げたボールをとってこさせるだけで、大分楽しかった。

 犬を飼ったことがなかった関係でやっぱり初体験なのだが、ルナティー本人がとても楽しそうなので、つられて楽しくなってくる。


「何やってんだ、俺~~!」


 望まぬ結果とはいえ異世界に降り立って、それでこれというのは、ちょっとないのではないだろうか。

 なんで地球人類よりもはるかに進んだ科学技術の結晶体であろう宇宙船に乗り込んで、やっていることがこんな遊びなのだろうか。

 もっとこう、この玄武の機能だとかスペックだとか、搭載している兵器とかに詳しくなるべきではないだろうか。

 そういうものに興味がある一方で、実際のカタログスペックをあんまり知りたくないという恐怖心もある。

 なにせ、宇宙戦艦である。鬼神級魔導艦である。

 誰がどう考えたって、宇宙で戦うための武装を満載しているに違いない。

 今のところ、ほとんど戦争と関係ない設備しか見ていないが、半端ではないほど福利厚生が充実している。はっきり言って、設備が大型すぎる。居住スペースも多かったし、無人化が進んでいる割には乗務員が多すぎるのだ。

 何を目的とした船なのか、正直分からなくなってきた。

 状況がそこまでひっ迫していない、という点もあって、銀鉤はひたすら人工精霊の指示に従って動いていた。

 

「人間としての尊厳を捨てている~~!」


 自虐しながら、ボールを投げる。

 実際のところ、人工精霊に管理される生活は、かなりましだった。

 少なくとも、この状況で個性を発揮する勇気は、今の銀鉤にはなかった。

 ルナティーを特にいやらし意味ではなく抱いて寝て、起きたら朝食を作って、適度な運動をして、昼食を作って、課せられたパズルやらなんやらを解いて、晩飯を作って食べて、日記を書いて寝る。

 地球にいたときよりもずっと健康的で、スケジュールを管理された生活は、半年かそこらで終わるという短期間さもあって問題にならなかった。

 そう、状況は動かそうと思えばいつでも動かせる。その安心感が『自由』の中でも安らぎになっていたのだった。

 半年を待たずに、状況が動き出すその時までは。


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