第一話 転生とか転移とか、馬鹿みたいな話だと思いません?
この作品には一部の文中において障害者に関する記述がありますが、差別を助長する意図があってのことではないことを、ここに明記させていただきます。
「転生とか転移とか、馬鹿みたいな話だと思いません?」
助手席に座る先輩の同意を得たくて、そんな他愛もない話題を切り出したのではない。鬱屈した心が、緩やかに毒素を吐いただけのこと。
例えるなら、コップに並々と注がれた水が、限界を迎えて溢れ出したようなものだ。具体的な答えが欲しい訳ではなく、そうせずにはいられなかっただけだ。
「まぁ確かに、人口減少の片棒を担いでいるわけだしなぁー」
こちらの予想通り、先輩は当たり障りのない返事を寄こしながら、作業着の胸ポケットからジッポを取り出して煙草に火を点けた。
社用車内は禁煙と、社長の意向で決められているのに、この人は全く意に介さない。あとで消臭剤を撒いておけば関係ないと、いつも笑ってごまかす。
私には、そんな後先考えない先輩の生き方が少し疎ましくもあり、どこか羨ましくもあった。小心者な私には決して真似できない、少し図太い生き方だ。
「君みたいな意見を持っている人、多いらしいね。昨日のニュースでやっていたよ。世代別で見ると五十代以降が特に多いんだとさ。異世界への転生とか転移なんてとんでもないって。逆に、十代と二十代はかなり少ないって話だ」
「私が老け顔だって、そう言いたいんですか?」
少しむっとした調子で返すと、先輩は笑った。笑った拍子に吐き出された香ばしい白煙がフロントガラスにかかって、薄雲がかかったように私の視界を塞いだ。
「まぁ、そうイラつくなって」
「嘆かわしい話ですよ」
大きく溜息をつきながら、ちらりとバックミラーを見やる。マンション建設に勤しむ土木建築の重機が、寂しそうに取り残されているのを見て、私は、いつになったらここの工事は終わるのだろうかと、そんなことを頭の片隅でぼんやり覚えながら、心の水を溢れさせ続けた。
「だいたい、現実の世界が辛いからって異世界へ飛べば何とかなるなんて、そんな美味い話があってたまりますか。気力が無いんだ。気力が」
「でも、もしかしたら向こうで成功を収めている人もいるかもしれないぜ?」
「分からないって話じゃないですか」
私は、何かの雑誌で知った付け焼刃の知識を、おぼろげながらも先輩に語った。
「異世界……並行世界の世界観や規則性は細かく種別毎に分けられる一方、特定の異世界に送り込まれた人の生き方は観測できない。なぜかというと理由は単純で、次元渡航保険の保険料を支払い終わった時点で、観測対象から外れるからです」
「それ考えたらすげぇよな」
煙を吐き出しながら、先輩は実に面白そうに口の端を上げてみせる。
「保険を払い終わった、イコール、この世界からいなくなる権利を有することが出来るって。ひと昔前じゃ想像もつかねぇ話だもんな」
「自分の命を少しずつ金に変えて、擦り減らしているだけです」
胸にムカムカとした感情が湧いて、どうしても唾棄するような口調になってしまう。
「命をそんな風に粗末に扱えること自体、信じられない話だとは思いませんか? 結局、性根が腐ってるから、次元渡航保険なんてモノに手を出しちゃんですよ。歯を食いしばって、何とか置かれた場所で花咲いてやろうっていう、真っ当な性根がないんだ。というか、先輩はどうなんです?」
「どうって?」
「異世界転移とか転生とか、アリだと思います?」
こちらの問いに、先輩はすぐには答えなかった。もったいつけるように紫煙をくゆらせる。彼の眼差しは、どこか遠くを眺めるように細められていた。解答は持ち合わせているけれど、それをどう伝えれば良いのか模索しているのだろう。
しまった、と私は小さく後悔した。
いらぬ気苦労をさせてしまっている要因には少なからず、私の家庭事情が関係している。私の弟の現状を、先輩は知っているのだ。だからなるべく、こちらの感情を刺激しないよう、最適な言葉がないか探っているのだろう。
「すいません」
馬鹿な質問をしたと解ると同時、私は慌てつつも頭を下げた。余計な負担を、この人には絶対にかけさせたくなかった。高校時代、弟が部活で世話になった、この人だけには。
「仕事中に変な事聞いてしまって。本当にすいません」
「いや……」
こちらの予想とは裏腹に、先輩は少し困ったように小さく笑った。それから、なにかを認めるように何度か小さく頷くと、慎重に言葉を選ぶ様に、彼はゆっくりと口を動かし始めた。
「俺はさ、正直、そういう選択もありっちゃありなのかなって、思っている節があるんだ……なんていうか……みんながみんな、器用に世の中を渡っていけるほど、この世界は優しくない。俺はまぁ、比較的器用な側の人間だと思っているけど、木澤、お前は不器用だろ?」
「ぐうの音も出ませんけど、それでも、自分は異世界になんか行きたくありません」
「不器用でもそうやって、現実と向き合えるだけ、お前は幸せなのさ」
「どういう意味です?」
「強いってこと。でもさ、みんなが強いわけじゃないんだ。心が弱い人の逃げ場だって、用意してやらなきゃ。それが、優しさって奴じゃないかな」
「それは……でも……」
――残された側の気持ちは、どうなるんですか?
そう口にしかけたところで、先輩が声を上げた。
「お、来たみたいだな」
私は腕時計を確認した。アナログ時計は十時十五分を差している。時間通りだ。次いで顔を上げて、フロントガラスの向こう側へ視線を送った。
平日の住宅街。人通りの少ない長い長い直進ルート。私が乗る車両から見て左側には、背の高い土塀を目隠しのように備えた人家が連なり、右側には見晴らしの良い公園がある。
その二つの景色に挟まれて生まれた、長い長い道の先に。詰襟の学生服を着た少年が一人、目印である赤い旗を、大きく振って立っていた。今回の依頼人だ。つまりは、異世界保険の被保険者というわけだ。
少年が選択したのは『第一種異世界コース』で、契約者は彼の父親。保険金の受取人は母親の名義になっている。
資料によれば、依頼人は先天性の重い言語障害を患っているらしい。彼がウチの取引先である保険会社と契約を結んだのは、今から七年も昔の十歳の時のことだ。
大方のところ、息子の将来に悲観した父親が、せめてこことは違う世界で順風満帆な生活を送って欲しいと願って加入させたのだろう。よくある話だ。そういった理由で異世界転移よりも徴収料金の高い『異世界転生』を選ぶのは。
私がハイエースを模した特別性の大型車両――次跳車のエンジンを入れたのを見計らって、先輩は足元に置いた仕事用のバッグから手早く双眼鏡を取り出した。
「あの学生さん、釣り道具なんか持っていやがるぜ。『第一種異世界コース』だろ? 剣と魔法のファンタジー世界に行くのに、なんだってあんな恰好をしてんだろうな?」
双眼鏡越しに、先輩が馬鹿にしたような声でそう言った。
「先輩、この前のセミナーでやったじゃないですか。今は中世ヨーロッパ風のファンタジー世界で、趣味に興じながら美女や幼女やケモミミ娘に囲まれてスローライフを満喫する傾向にあるって。向こうで釣りでも楽しみたいから、持ってきているだけじゃないんですか?」
「あれか。転生先に行くのにお気に入りの道具を持っていくっていう、おまじないか」
「そう、おまじないです。馬鹿馬鹿しいですよねぇホント」
「さしずめ、女神様が眠っている泉で釣りでも楽しむつもりかね?」
「美女を釣るって訳ですか。良いですね、それ」
軽く鼻を啜ってから、ハンドル付近に設置されているスイッチを次々に入れていく。
《ディメンション・ドライブシステム、オール・グリーン》
車内スピーカーから流れる無機質な電子音声を耳にしながら、バタフライ・メーターを確認。
車両駆動系に拵えられた粒子発生気筒が勢いよく稼働を開始。
リンカネーション・バンパーに、次元転移に必要なエネルギーが……大量の【ヘカトス粒子】が充填されていく。
人を轢くことに対して、いまさら罪の意識は沸いてこない。それでもやっぱり、緊張はするものだ。
何度か小さく深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けてから、私は思いっきりアクセルを踏み込んだ。
タイヤが急回転して、地煙を上げる感覚が体に伝わる。シートベルトで固定された肉体が、慣性の法則に従うのを感覚する。
次跳車は速度をぐんぐんと上げていき、学生との距離をどんどん縮めていく。
わき道から別の車が飛び込んでくることはない。気配がないのではなく、そもそもないのだ、そんなことは。
会社が保有する企業警備団の働きもあって、周辺の人払いはすでに終えてある。私が籍を置いている会社には、そういうことが出来る『特権』がある。業務を安全に遂行する上で、それは必要な『特権』だった。
《リンカネーション・バンパー、対象を捕捉します》
ドライバー・アシストが起動。私の手の中でハンドルが小刻みに揺れ、タイヤの角度を微調整。依頼人を正確に『轢き殺す』ために、今日もこの最新鋭車両は抜かりが無い。
距離が、ますます詰まっていく。
あと百メートル……と来たところで、私は依頼人を――おそらく十六歳程度であろう、まだあどけなさの残る少年の顔を見た。
少年は、笑っていた。
満面の笑みではなく、どこか控えめに口元を綻ばせている。少なくとも、これから車に轢かれることに対する恐怖心は欠片も無いようだった。
むしろ、己の個性を閉じ込め、自尊心をことごとく蹂躙してきた世界から脱却できることに、喜ばしい気分でいっぱいだとでもいう様に、希望満ち溢れる雰囲気を全身から発散させていた。
そんな少年の顔が、どこか憎たらしく、同時にとても恐ろしかった。それは、死を克服した者の顔では決してなかった。むしろ死に惹かれるような、そんな暗い情念を抱えているように見えた。
ハンドルを握る手に、自然と力が入った。
――どうして、そんな表情でいられるんだ?
アクセルを踏む力に、ますます力が入った。
時速――六十キロ。
――君には、友人はいなかったのか?
時速――六十五キロ。
――君の御両親は、本当に君がこうなることを望んでいるのか?
時速――七十キロ。
――なんで笑って……馬鹿か!
必死に押し殺した心が、荒れ地めいた寒さの中へ突入しかけた時だった。
どん、と鈍い衝撃が車体を揺らすと同時、風を切り裂くような奇音が鳴り響く。
目の前のフロントガラスが、色とりどりの閃光の嵐で満たされていく。まるで、莫大な量の花火の直撃を真正面から受けたかのように。
私はすぐさまブレーキを踏みしめた。
閃光は、幾何学的な紋様を刹那的速度で描いたのち、数秒と経たず消失した。世界が息を止めたかのような静けさだけが、その場に残った。
人を轢いたにも関わらず、ガラスにひびが入ることはなかったし、エア・バッグが飛び出すこともなかった。衝突時に車体へ働きかける対象者の運動量の九十九パーセント近くが、リンカネーション・バンパーから放たれる次元転移エネルギーへ吸収されたおかげだ。
「よし、確認だ」
人を轢いたばかりだと言うのに、心臓が強いのか。それとも、もうこういった作業に慣れてしまったせいだろうか。先輩は事務的な口調で私に命令すると双眼鏡をバッグへ戻し、助手席のドアを開けた。
私も、爆発しそうな感情を必死に抑えつけながら、シートベルトを外して車から降りる。
正面に回って周囲の状態を確認。もちろん、車体の下にもくまなく目を通す。
「成功ですね」
自分でも驚くほどの機械的な調子の声色が出た。
轢かれたはずの学生は、どこにもいなかった。当然の事ながら、車体にも傷一つなかった。代わりに、黒い靄のようなものが、バンパーの全面に纏わりついていた。
その靄の正体が、並行世界への入口をこじ開けた時に生じる『エネルギーのカス』だと分かってはいるが、私には、それがどう見ても人の姿形にしか見えず、なんとも後味の悪さを覚えてしまう。
「木澤、現場写真撮っておけよ」
先輩の言葉を受けて、私は思わず訊いた。
「あれ、報告書、今日中に作らないんですか?」
「俺、今日午後休だから」
「……なるほど、代わりに私が、ですね」
「悪ぃな」
「それはいいですけど、先輩、最近有給取りすぎじゃないですか?」
「あのなぁ、有給は消化するためにあるんだから、別にいいじゃねぇか。月末や年度末みたいな、かきいれどきじゃないんだから」
「はぁ」
「ほら、ぼーっとしてると、靄、消えちまうぞ」
急かされて、私は慌ててポケットから通信カメラを取り出し、現場の様子をデータ化していった。
この後は、実に単純な事務作業しか残っていない。本社に戻ってデータを確認し、報告書に添付して上司へ提出。幾つもの判子を押されて、様々な人の手を渡った末に、厚生労働省に提出される。
それが、私の仕事。
転生稼業に従事する者の役目だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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