第1部
その日、私は静かな場所でお弁当を食べようとあの教室にいた。
入学してニヶ月、別に友達がいないわけではない。いつもは仲良しの何人かと机をくっつけてお昼を食べている。
中高一貫の女子校に高校から編入してくることはなかなか緊張した。ちなみにこの女子校は偏差値が高い。私は記念受験のつもりで受けたのだが、奇跡的に合格してしまった。
地元の公立に行くつもりだったが、親と先生の勢いに負けて泣く泣くここに入学してきた。
外部生はクラスに5人程度で、中学からできあがっている雰囲気になじむのは大変・・かと思ったが、そうでもなかった。
客寄せパンダのように黙ってても人が寄ってくる。転校生の扱いで、みんな優しくいろいろなことを教えてくれた。
私は人より成長の遅い外見のせいで頼りなく見えるらしく、どこに行っても周りがお世話を焼きたがる。
ここでもその外見効果は発揮された。
心細かった最初の頃はありがたかったけれど、今ですらトイレに行こうとすると、「一人で行ける(笑)?ついていこうか?中まで。」とセクハラまがいの発言をする。ありえない。
一人寂しく机にじーっと座るという入学前の最悪な未来予想図は見事に覆され、むしろ黙っていられるときのほうが少ない。
女子校=お嬢様と思っていたが、21世紀の今お嬢様がそうたくさん存在しているわけがなかった。
話す話題は好きな芸能人、昨日のドラマ、教師の悪口、などなど。むしろ男の目を気にしない分、よりあけっぴろげだ。
予想していたよりずっと楽しい高校生活だけれど、たまに一人で静かな場所に行きたくなることもある。
あの日からそうだ。どんなに友達といて楽しいときもふと一人になりなくなる。理由なんてわかりきっている。
でも私は心の中を全て吐き出せるほど子供でもないし、人に気づかれぬように演技できるほど大人でもない。
詮索されるのが嫌でそんなときは黙って昼休みが始まるとすぐにあの教室へ行く。
西校舎の二階にある今は使われない図書資料室。偶然先生のお使い中に迷い込んで見つけた。
本と資料で埋め尽くされた本棚が立ち並び、長机と折りたたみ椅子が数脚。あとは古びたソファがなぜかある。そこで私はひたすらぼーっとすることが十日に一度ほどの習慣になっていた。
今まで私以外の誰も使っていないと思っていた。あの日まで。
その日もまた一人図書資料室でご飯を食べていた。食後、奥の本棚でぱらぱらと本を見ているうちに、寝てしまっていたらしい。
ぼそぼそと人の話声で目が覚めた。
「ん?」
本を枕に本棚の間で寝そべっていた。変な姿勢だったので足がしびれている。
人の声?私はごそごそと棚の隙間から出て行こうとしたが足がしびれて立てない。なんとか膝立ちではいはいしながら人の声がする方まで行ったが、
「好きです。」
は?
もしかして告白の真っ最中?
膝立ちの格好のままフリーズしてしまった。そっとのぞくとどう見ても二人とも女の子。同姓どうしの結婚も認められる現代であるから、おかしいことではないけれど、告白の現場に居合わせる気まずさは異性も同性も変わらない。
横顔が見えた。
2人の生徒が向き合って立っている。1人は背が高く、すらっとした髪の短い子。整った顔だちをしていて女子高ではもてそうなタイプで確か隣のクラスだった。
もう1人は、肩ぐらいの髪の長さで少し茶色がかったストレート。
あっ!思わず声を出してしまいそうになった。その生徒は私が一方的によく知っている人だった。
なぜならこの学校の有名人、2年生の堤千春さんだ。外国の赤ちゃんみたいに白い肌にピンク色の頬。二重のぱっちり目。
この世のものと思えないくらいの綺麗な顔立ち、守ってあげたくなる雰囲気で人気がある。
私が初めて見たのは入学式の手伝いをしている小春さんだ。こんな可愛い人いるんだなぁと思った。
ただし千春さんは生徒会のメンバーというわけではなく、ただ人数が今足りないので三年生からの人気のある小春さんがお手伝いをしているという話だ。
これはクラスメイトの情報通が言っていた。
「ずっと好きだったんです。」
その声に現実に引き戻された。
「ごめんなさい。」
千春さんは言った。
「どうしてですか?」
つかみかからんばかりに女の子が詰め寄る。
「私今誰とも付き合う気ないから。」
千春さんはうつむき加減に応える。
「どうしてですか?好きな人いるんですか?」
無言で困ったように見つめる。
「何で何も言ってくれないんですか」思い空気と沈黙が部屋に充満する。
「ごめんなさい。」もう一度千春さんがそう言った。
そのまま2人は凍ったように向かいあって立っていた。
私は足のしびれはとっくに治っていたけれど、そんなことすら忘れて、目が離せなかった。
遠くから学校特有の喧騒が聞こえる。この教室だけ世界から取り残されたようだった。
「一つだけ教えてください。」
「何?」
「もし、私がお金を払ったら、私と寝てくれますか?」
私は思わず声を上げそうになり、あわてて手で押さえた。
私も噂を聞いたことがある。
千春さんがお金でこの学校の生徒と寝ているという噂だ。例の情報通が言っていたけれど誰も笑い話にして信じず、きっと人気にねたんだ誰かが作ったのだろうと思っていた。
「噂聞いたの?」
困ったように笑いながら、でも真面目な目をして言った。
「もし仮の話だけど、その噂が真実だとして、私がそういうことをしていたとするね。」
じっと千春さんより背の高い彼女を見つめる。
「そうだとしたらあなたはお金を払ってまで、私と寝たい?」
彼女は少しひるんだ様子だ。少しの黙ったあと覚悟を決めたようにきっと千春さんを睨み、答えた。
「はい。」
千春さんは答えを聞いてしばらく下を向いたあと、窓の外を見つめだした。今日はまだ昼間だというのに暗い、どんよりした雲が空を覆っている。
「ごめんなさい。あなたとは寝れない。」
「どうして?!」
「お金を払ってまで寝る価値私にはないよ。」
「そんなのあなたが決めることじゃない!私が決めることです。きっかけが何であってもいい、とにかくあなたと結ばれたいんです。」
「身体だけお金で結ばれてあなたは満足する?きっと心も結ばれたいと思うでしょ?でも私は身体はあげれても心はあげれない。私の意志に関わらずね。」
冷静な千春さんとは対照的に、彼女はもう何も考えられなくなっていたのだろう。
何かをふりきるかのように千春さんを抱きしめた。
「どうして、こんなに好きなのに。」
顔をゆがめながらそう言って長机に押し倒す。
千春さんはもがこうとしてるけど体格の差で全く抵抗になっていない。
首筋に唇を寄せる、ネクタイをほどく。ブレザーのボタンを引きちぎらんばかりにはずす。
床の埃が舞いあがり、古い長机がキィキィ音をたてる。
彼女の手がスカートをまくりあげようとした頃やっと私は正気に戻った。
黙って見ている場合じゃない。
「やめてください!」
立ち上がり本棚の陰から出て行く。情けないくらい声が震えていた。それは怒りのせいなのか怖れのせいなのかわからないけれど、彼女の行動を止められるくらいの力はあったみたいだ。
びくっと身体を震わせて私を睨みつける。
「そういうのはよくないと思います。千春さんにとってはもちろん、あなたにとっても。」
最後のほうは尻つぼみになってしまった。彼女は自分の行動で自分を傷つけてることに気づいていて、それでも行動を止められなかった。その苦しみと痛みが今にも泣き出しそうな姿から伝わってきたからだ。
私から視線をはずし、まだ机で押し倒されたままの状態の千春さんに顔を向ける。何か一言小さくつぶやいて彼女は教室から走って出て行った。
「あの大丈夫ですか?盗み見するつもりはなかったんですけど。」
千春さんに近づいて行き、手を差し伸べる。
「ありがとう。ごめんね、なんか変なとこ見せたみたいで。」
机から降りて、乱れた着衣を整える。近くでまじまじとみるとやっぱり可愛くて、どきどきしてしまう。
「あなた1年生だよね?」
「はい、そうです。」
「このことあまり他人に話さないでほしいんだけどいいかな?」
「は、はい、もちろんです。」
「別に私の噂がどうなろうといいんだけど、まだあの子1年生だからさ、学校に来づらくなっちゃうとかわいそうだし。」
「千春さんは優しいですね。あんなことされたのに。」
「あれ?私のこと知ってるんだ。」
「もちろんですよ。この学校で知らない人いないと思います。」
「そっか。でも私もあなたのこと知ってるよ。若葉茜ちゃん」
「へ?な、なんで知ってるんですか??」
「知らないの?あなたけっこう有名だよ、上級生の私ですら噂が聞こえてくるくらいなんだから」
「どんな噂ですか?」
私は高校に入ってからやらかしてしまったことを思い出そうとしたけれど、特に思い浮かばない。何か目をつけられるようなことをした覚えもない。
「そんな顔しないの。」着衣を整え終えた千春さんが私の頭をぽんぽんとなでる。こうやって並ぶと千春さんのほうが背が高い。
「別に悪い噂じゃないよ。」
「具体的には??」聞くのが少し怖い。
「えっとねー、外部から入ってきた子でちっちゃくて子犬みたいで、いじめたくなる子がいる、って。」
「いじめたくなるってそんな。」私が情けない顔をすると。
「いや、いい意味でね。うん、妹みたいってことだよ。知ってる?この学校で年に一回行われているんだけど、姉にしたい人、妹にしたい人、恋人にしたい人をアンケートで集計するんだよ。」
「へ?」
「聞いたことないかな。」
「あぁ誰かが言ってた気がします。でも詳しくはよく知らないんですけど。」
「立候補するもよし、他薦もよし、まぁほとんど他薦だけどね。それが一ヶ月後にあるんだけど、茜ちゃんの名前もうあがってたよ。」
「・・・・えぇ!!!」誰がいつの間に。
「候補者は何もすることないから普通にしてれば大丈夫。ただギャラリーが増えるかもね。あとファンも。」
「はぁ。」
ファンなんて増えるわけない。というかもともといないし。いるのはお節介な保護者もどきのクラスメイトだけです。
「そういうわけであなたのこと知ってるんだよね。」
「はぁ。それはどうも。」
話しているうちに千春さんのイメージが変わってきた。可愛くて近寄りがたいと思っていたけど、気さくで話しやすいし会話のテンポも速い。
千春さんのことを好きになってしまう理由がわかる気がした。
キーンコーンカーンコーン
鐘が遠くで鳴っている。五時間目が始まったようだ。
「あぁ!」確か五時間目は移動教室だ。もう間に合わない。
「あーぁ。もういいや、私はここでさぼっちゃおう。茜ちゃんはどうする?」
「諦めます。」今から行ったって怒られるだけだ。
「そう。」千春さんは椅子に座って机にひじをつき窓の外を眺め始めた。
私も少し離れて椅子に座った。沈黙の時間。緊張する。
「ねぇ、何でここにいたの。」窓のほうを向いたまま質問をしてきた。
「ごめんなさい!」そうだった、私は悪気はなかったとはいえ、覗き見をしていたんだ。
「いや、責めてるわけじゃなくて、むしろ助かったわけだし。」
「はぁ。」
「いつもここに来るの?」
「たまにです。一人になりたいときとか。それで今日もいたらいつの間にか寝てたみたいで。」
「一人になりたいとき、か。」ふーんという顔でうなずく。
「変ですか?」
「ううん。変じゃない。ただ茜ちゃんは幸せなんだと思って。」
「なぜです?」
「いつもは一人じゃないってことでしょ?」
私の座っている場所からは千春さんの横顔しか見えなかったけれど、その言葉にどれだけの実感がこめられているか伝わってきた。
「一人じゃないけど一人です。」
はっと千春さんが私を見る。
思わず口に出してしまった言葉に自分でも動揺する。
「茜ちゃん。」
「はい。」
「私はあなたのことをただの世間知らずのお子様だと思ってた。」
「ですよね。」確かに出会ってからほんの少ししか一緒にいなかったけど、そんな感じの扱いだった。
「私の周りの評判でもそんな感じだったし。」
でもさ。千春さんが言葉を続ける。
「違うんだね。」
「違いませんよ。」私は笑顔で答える。
千春さんが目を合わせてくる。
全てが見透かされる。
そんな気がした。
耐え切れなくなって目をそらした。
下を向いて、まだ新しい上履きを見つめた。さっきはいはいをしたせいで随分床の埃で汚れてしまった。
「ねぇ。」
「はい。」私は下を向いたまま返事をした。何を言われるのか少し怖い。
「何かお礼をしたいんだけど何がいいかな?」
「・・・へ?」
「さっき助けてくれたお礼。」
「いや、そんないいです。」
「ううん、こっちの気がすまないし。」
そういえば本人の様子からすっかり忘れかけていたけれど、千春さんはついさっき襲われそうになったんだ。なのに、どうしてこんなに平然としているんだろ?
「いや、ほんとにいいんで。」
「そう?何でもいいよ。質問に答えて欲しいことがあったら答えるし。例えば今茜ちゃんが疑問に思ってることとか。」
にやっと笑って言った。ばればれだったらしい。
ここまで言われたら聞くしかない。
「じゃあ聞いてもいいですか?」
「どーぞ。」
「どうしてそんなに平気な顔してるんですか?だってさっき襲われそうになったのに。」
「なんだそのこと?」
予想外な質問だったらしい。何を予想していたんだろう。
「簡単だよ。彼女怖くなかったからね。きっと最後まで出来なかった。手が震えてたし、目がおどおどしていた。私が可哀想だと思うくらいにね。」
私が呆然と見ていたときに当事者である千春さんが冷静に観察していたことに驚いた。何でそんなに余裕があるんだろう。
「それに、襲われるの初めてじゃないし。」
「は?」
今さらっとすごいことを言った気がする。
「はい?何て言いました?」
「だから初めてじゃないって。前にもあったんだよ、もちろん別の人だったけどね。その時のほうが怖かった、先輩だったしね。」
私は何も言えなかった。
「抵抗しても全然身体動かないし、声も出せないし、諦めて途中からやりたいようさせたんだ。でも結局途中で先輩が泣いて謝ってきたよ。優しく抱きしめて、ごめんねって。」
「その後どうしたんですか?」
「どうもしない。先輩はもう卒業しちゃったし、会うことはもうないよ。」
「先生に言ったりとか」
「茜ちゃんなら言う?誰々に襲われましたって。そんなことしたって誰の得にもならないよ。」
「でも泣き寝入りなんて辛いですよ!だって千春さんは何にも悪くないのに。」平然と言う千春さんに思わずカッとして椅子から立ち上がりかけた。
「それは違うよ。多分ね、どうしようもなかったんだ。茜ちゃんも今日思ったでしょ?きっと傷ついたのは私より彼女たちのほうだよ。」
優しく諭すようにそう言った。
頭に上った血がさがり私は椅子に座る。
「千春さんは優しいです。優しすぎます。」
「よく言われる。」
そう言って照れたように笑った。
そして窓のほうを向き「だから傷つけちゃうんだよ。」とつぶやいた。
その言葉は私には届かなかったけれど。
「ところで千春さんは私が何を質問すると思ったんですか?」
「あぁ、どっちかだと思ったんだよね。」
「どっちか?」
「うん。1つは彼女が最後にここから走って出て行く前に、私に何て言ったのか。もう1つは。」
「もう1つは?」
「噂は本当ですか?」
「聞いたら教えてくれるんですか?」
「最初のはね。でも二つ目はどうかな?」にこっと笑ってそう言った。
「じゃあ彼女は何て言ったんです?」
「何て言ったと思う?」
「質問に質問で返さないでくださいよ。」
「いいじゃない。予想してみて。」
「うんー、ごめんなさいとか。」
「ぶー。」
「じゃあ好きでしたとか」
「ぶー。茜ちゃんロマンチストだねぇ。」
「あーもう、わかりません!教えてください!」
「正解はね、「「先輩は残酷です」」 だよ。」
どういう意味なのかさっぱりわからない。でも千春さんはわかっているようで、でも何も聞けなかった。
笑顔で答えてるけど、決して笑ってない。どうしてこんな質問を私にさせたのだろう、少ししか一緒にいないけど私にわかったことがある。千春さんはわざと自分で自分を傷つけたがる。痛くても痛くないよって笑いながら。
「二つ目も聞く?」千春さんが尋ねる。私は無言で横に首を振った。
「何で?知りたくないの?」
「どうしてわざと自分が聞かれたくないことを質問させようとするんですか?」
「え?」目を見開いて私を見る。初めて驚いた顔を見た。
「私にはわかりません。」何でだろう。涙が出そうだ。涙を見られたくなくて下を向く。
ふわっとした感触で顔をあげると千春さんが私を抱きしめていた。正面からでお互いの顔は見えない。
「ごめん。」
「何で謝るんですか?」
「傷つけたから。」
「傷ついてません。」
「だから教えるね。」
「いいです。聞きたくないです。」
「お願いだから聞いて。」
「いいです!」
「お願い。」千春さんの声が震えていた。
「・・・はい。」
千春さんが私を抱きしめたままそっとささやく。
「噂はね、×××・・。」
いつまでも鳴り止まないサイレンが頭の中で響き続けた。
六時間目が始まる頃、教室へ戻った。
「何ぃ?茜さぼり??」
「学校で迷ってたんじゃない?お子様だし。」
「気分でも悪かったの?」
教室に入ると友達が次々と質問をしてきた。
身体が自分のものじゃないみたいにふわふわして、心はまだあの教室に置いてきたみたいだ、言葉が全然耳に入らない。
いつもなら過剰なくらい反応を見せる私がぼーっとしているのでみんなが本格的に心配をし始めた。
「どうした?」
「具合悪いの?保健室行く?」
「誰かにいじめられた?」
肩を揺さぶられて目の焦点があってきた。
「あっ。へ?何?」
「何って大丈夫?何かあったの??」
「あっ、ううん。何でもないよ。」
「何でもないって。さっきの時間どうしたの?」
「図書館で気づいたら寝てた。」
「「ははは!」」「どうせそんなことだろうと思ったよ。」
くしゃくしゃと頭をなでられる。「もーやめてよ。」
うん、いつも通りの自分、いつも通りの友達。
さっきのはイレギュラーだ。
「席につけー。」先生が来て、6時間目が始まった。
放課後、部活に所属していない私は、友達と遊びに行ったり、教室で宿題を済ませて帰ったり、その日によって違う過ごし方をする。
今日は、あの子に聞きたいことがある。
「ねぇ。友ちゃん。今時間ある?」
帰る準備をしていた今岡友美が顔をあげる。
「うん、大丈夫だけど何?」
今岡友美、私は友ちゃんと呼んでいる。例の情報通が彼女だ。どこからともなく情報を誰よりもはやく仕入れてくる。
情報の真偽はあやしいものだけど、話題には事欠かない。
「二年生の堤千春さんのことなんだけど。」
「え?なになに?千春さんにほれちゃった?」
「違うって!」何を言い出すのかと思った。
「ううーん。いくら茜でも厳しいかなぁ、ファンが多いからね強敵もいっぱいいるよ。」
人の話を聞いてやしない。
「強敵?」
聞きなれない言葉につい話に乗ってしまった。
「そう、強敵。千春さんのことを好きな人っていっぱいいるんだ。生徒会にも多数いるって噂。」
特に生徒会に興味がない私は曖昧に相槌をうつ。
「生徒会なんて自分に関係ないって顔してるね。」
「うん。」
「でも関係なくもないよ。いや、そうなるかもってこと。」
「は?どういうこと?」
「茜はアンケートのこと知ってる?」
「年に一回行われるやつでしょ?姉とか妹とか恋人とかを決める。」
「そう、それ。じゃあ何のためにするか知ってる?」
「えっ。娯楽じゃないの?」
「違うんだなぁ。茜、生徒会の人数って何人か知ってる?」
「会長、副会長、会計、書記、文化部長、体育部長の6人。」
「そう、あとお手伝いでプラス3人ね。」
そうか、千春さんもお手伝いだ。
「6人は選挙だけど、お手伝いってどうやって決まるか知ってる?」
「確か人気がある人が頼まれて任意でするとか聞いた気がするけど。」
「ふふーん。実はね、アンケートで決まるんだよね。見事一位に選ばれた人が半強制的にお手伝いに就任ってわけ。」
「なるほどね。」
「そんな他人事でいいの?」
「何で?」
「茜エントリーされてるんでしょ?」
「あぁ!そうだ!何で知ってるの?」
「私の情報網を甘く見ないでね。」
「でもさ、私が選ばれるわけないしきっと関係ないと思うよ。外部生だからものめずらしさだけで。」
「確かに今までのアンケート結果からだと内部生のほうが圧倒的に有利だね。過去には例外を除いて全て内部生から選ばれてきたみたいだよ。」
「例外?」
「そう、過去に一度だけ外部生から選ばれたことがあった。」
緊張して手が汗でじっと濡れてきた。
「誰?」
「堤千春さん。」
千春さんは外部生だったのか。驚いたけれど納得もした気がした。そう感じさせる何かが彼女にはある。
「そして、今年もその例外が起きるかもっていう評判。」
「もしかして、それが私?」
「そう。」
「何で?!」私にはさっぱりわからない。魅力的な人は他にいっぱいいる。
「そうだねー、何だろう。本人はわからないかもしれないけど、例えば可愛い人ならそれこそこの学校にはいっぱいいる。でも可愛いだけじゃダメなんだと思う、それならお人形でいいわけだし。他の要素が必要で、それを持っている人に他人は知らず知らず惹かれる。」
「私にはそれがあるってこと?」
「うん。私人を見る目には自信があるんだ。」
「そっか。」
私は友ちゃんに千春さんの1年生の頃の話を聞くつもりだった。
でも聞きたかったことは聞けた気がする、お礼を言って友ちゃんに別れを告げた。
数日後、私に来客者があった。
「茜ちゃん、いる?」
HRの直後の放課後、教室に声が響いた。
「はい。」
返事をして声のしたほうへ向かうとそこで待っていたのは3年生の澄木優さん。今年度の生徒会書記だ。
170cm近い長身にさらさらの髪がラフに肩でそろえられている。高い鼻にすっとした目、無表情だと近づきがたいほど綺麗だけど、いたずらっ子みたいな表情が特徴でそのおかげで下級生から大人気。と友ちゃんから聞いたことがある。
あまりに意外な人物に挨拶すらできない。
「こんにちわー。」
「・・・。」
「おーい、こんにちわー。」
「・・はい、こんにちわ!」
「ごめんねー、驚かせて。今からちょっと時間あるかな?」
「へ?あっ、はい。特に用事はないですが。」
「よし、じゃあみなさん茜ちゃんお借りしますねー。」
周りで遠巻きに見ていたクラスメイトが一斉にうなずく。どうぞどうぞと手までつけて。何なのだろう一体。
手を引っ張られそのまま連れて行かれたのは生徒会室。
「連れてきましたよー。」
ドアを開けると席に座っていた人がこっちを向く。
そこにいたのは2人。生徒会長と副会長だ。
「こんにちわ。ごめんね急に呼び出して。」
「いえ、そんな。特に用事もなかってですし。」しどろもどろに答える。
「ごめんねー、りんが連れて来いって脅すもんだからさ。」
「脅してなんかないでしょ?優だって亜季だって会いたがってたじゃない?」
「はいはい。」
ちなみに生徒会長は荻窪りんさん。副会長は篠原亜季さん。二人とも街ですれ違うと必ず何人か振り向くくらいの美人だ。
「とにかくここ座って。そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。」優しく優さんが声をかけてくれた。
「あの、どうして私呼ばれたんでしょうか?」
「ただ私たちが会いたかったから。それだけの理由じゃ不満?」亜季さんがにやっと笑う。
「ちょっとーそんな言い方したら茜ちゃんがおびえるでしょ?」優さんが慌ててフォローをする。
「そうだね、ちゃんと理由も言わず呼び出すの失礼だよね。単刀直入に聞くと、茜ちゃんアンケートのこと知ってる?実施する理由も。」りんさんが話しだした。
「えぇ、聞いたことがあります。」
「それにあなたがエントリーされていることも知ってるよね。」
「えぇ、知らない間に。」
「はは、だろうね。で、私たちには前評判がいろいろ耳に入ってくるんだよ。だからだいたいの結果はもう予想できるわけ。で、その前評判のいい子で私たちが気になる子を呼び出してどんな子か見極めるってこと。手伝ってもらうわけだし、お互いに知り合うってことは大切でしょ?」
「はぁ。」
「私はあなたがお手伝いになろうとならまいと個人的に興味があるけどね。」亜季さんがまたにやっと笑う。
「ちょ、ちょっと、なんであんたそんなに脅してるの??ごめんね茜ちゃん。」またフォローする優さん。
「いえ、大丈夫です。」どうも亜季さんはつかみどころがない。
その後、学校生活に関する他愛のない話をしばらくしてそろそろ帰ろうかという雰囲気になった。
「ねぇ最後に質問していい?」亜季さんが聞く。
「はい。」
「あなた堤千春についてどう思う?」
「は?何聞いてるの亜季?どうして千春がでてくるの?」
「ごめんね茜ちゃん、この人ちょっと変だから気にしないで。」
「私は茜さんに聞いてるの。どう思う?外見でも中身でも何でもいい。とにかくどう思うか聞きたいの。」
亜季さんの目は本気だった。
どうしてそんなことを聞かれるのかわからない。この前の出来事を亜季さんが知っているのか、いや、千春さんがわざわざ話すとは思えない。
「私は、私は。」
ぐるぐると頭の中で言葉がまわる。可愛いですよね。そう言ってこの場をごまかすこともできたが、亜季さんを見るとそんなこと許されるとは思えなかった。
「私は千春さんがどんな人かわかりません。あの人を理解しようとすればするほどわからなくなる、そんな気がします。」
正直に答えた。
「・・ぷ、ははははは」亜季さんが思いっきり口を開けて笑っていた。
「何笑ってるの?」
「亜季大丈夫?!いつも変だけど今日は輪をかけて変だよ!」
「私この子気に入った。あなたたちもそうでしょ?」
私を見てそう言うと、また笑い始めた。
あっけにとられた私は呆然と亜季さんを見ていた。
三人の綺麗な先輩。
これから行われるアンケート。
あの日抱きしめた手をそっと離して何も言わずに出て行った千春さん。
計り知れない出来事が起こりそうな予感をひしひしと感じた。
一ヶ月があっという間に過ぎ去っていった。
その間のことを詳しく話すほど私には気力も体力もない。
とにかく散々だ。
候補者は何もしなくていい。確かにそうだった。その前に自主的にはという言葉が必要だけど。
休み時間のたびに窓に群がる見学者。
放送部だか新聞部だかがやたらインタビューに来る。あれ以来私のことを気に入ったらしい亜季さんが、放課後になると私を生徒会室まで拉致する。あれは拉致としか言いようがない。
「あかねー!よし。生徒会室行こう!」と私の意志は無視でとにかく連れて行く。そこで何をするわけでもない、りんさんと優さんを交えて話をすることもあるし、みんなが忙しそうだと私は一人で黙々と宿題をすることもある。
生徒会の仕事を手伝うことはない。正式にお手伝いになっているわけでもない部外者の私が手伝うわけにもいかず、最初は居心地が悪かった。
だから忙しそうなときは帰ろうとするのだが、亜季さんが許してくれない。
「とにかく私を近くでもっと観察したい」とのことだ。今は諦めておとなしく生徒会室で放課後を過ごしている。
とは言っても生徒会室で他の役員に会うことはなかった。
なぜなら生徒会室は2つあり、主に使う部屋はもう1つの一回り大きいほうで、小さいほうは主に三人の談話室に使われているだけだ。
だから、私はあの時以来、千春さんの姿を遠くから見ることはあっても、近くで会うことも会話をすることもなかった。
そんな風に一ヶ月が過ぎて行き、アンケートの集計結果が発表された。
「おめでとう!」
「快挙だね!さすが!」
「今のお気持ちは?」
大方の予想通り、私は妹にしたい一位の座をゲットした。これでめでたくお手伝いに任命されたわけだ。
ちなみに恋人部門は千春さんが2年連続で制覇し、姉にしたい部門は2年生の鹿島葵という人がこれまた2年連続で制覇したらしい。
昼休みに結果が発表されたあと、ひとしきり質問攻めにあって、ぐったりと午後の授業をほぼ机に突っ伏して時間を過ごした。
「あかねー!行くよー!」
聞きなれた声が教室に響く。
帰る準備すらせずにまだ机に突っ伏していた私の手を無理やり引っ張って立たせ、問答無用と生徒会室へ引っ張っていく。
「今日は帰りたいんですけど・」
「だめー。」
「やっぱり。」
「なんてったってお披露目だからね。」
「は?」
連れて行かれた先はいつもの談話用の生徒会室ではなく、普段使われている生徒会室。
ドアを開けるとそこには生徒会役員がずらり。そこには千春さんもいて、そっと浮かべた微笑からは何の感情も読み取れない。
「はーい、中入ってね。あかねちゃん空いてる席に座っちゃって。」と優さんが私を座らせる。
「今日は顔合わせってことで今から自己紹介してもらいます。まずは私から、生徒会長の荻窪りん三年です。」
椅子から立って軽く会釈をする。
「じゃあ次私ね、澄木優、書記です。同じく三年よろしくー。」
「三年、篠原亜季、副会長。最近のブームは茜ちゃん。」ニヤっとこっちに視線を送る。
やめてください。
「私もブームは茜ちゃん。でもいっつも迎えに行く役とられるんだよね。亜季のクラスHR終わるの早過ぎるよ。」
「HRなんてでてないもん。」
「は?そんなのあり?ずるいよ。」
え、優さんもそんなこと思ってたの。確かにいつも放課後生徒会の談話室にいるなと思ってたけど。
「はいはい二人とも止めて、自己紹介続けるよ。次は二年生。真理からね。」
「大木真理子です。会計です。」
小柄でかわいらしい感じの人だ。天然のパーマなのかくるくる巻き毛が肩のあたりで踊っている。
赤いふちの眼鏡が可愛らしく知的な雰囲気。
「ヘルプの鹿島葵です。よろしくお願いします。」
この人が姉にしたい一位か。モデル体型ですらっとしている。優さんより背が高いかも。端整な顔立ちで確かに頼りになりそう。
「同じく堤千春です。よろしくお願いします。」
私と目を合わせることもなくそれだけ言うと着席した。
「てかさーよろしくとか言っても代わり映えしないメンバーだよね。だって前年度から変わったのって茜ちゃんだけだよ。」優さんが元も子もないことを言う。
確かにという感じで苦笑する他の人たち。
「まぁまぁ、茜ちゃんは知らないわけだからさ。」と会長らしくまとめるりんさん。
じゃあ茜ちゃん自己紹介してとふられた。
「えと、一年若葉葵です。わからないことだらけで迷惑かけるかもしれませんが、よろしくお願いします。」
「あと体育部長と文化部長がいるんだけど今日は部会で留守なんだよね。おいおい会うこともあるでしょう。茜ちゃんの仕事はお手伝い、通称ヘルプって呼ぶんだけど生徒会の人手が足りないときに手を貸してもらいます。まぁやってるうちにわかるでしょ。説明は以上。何か質問ある?」
「いいえ。」わからなすぎて質問したいことさえわからない。
「今日はもうこれで解散ですか?」
葵さんが聞く。
「そうだねー、特に仕事もないし。じゃあ帰」
「「ちょっとまった!」」
某テレビ番組みたいな待ったをかけたのは亜季さんと優さん。
「お楽しみはこれからでしょう」とにやりと笑ってどこからともなく大量のお菓子とジュースを持ってきた。
「せっかくだからさみんなで楽しくパーティしようよ。」
「そうだよ、まだまだあかねと交流を深めたい。」亜季さんあなたとはこの一ヶ月じゅうぶん一緒に過ごしてきたと思いますけど。
それからパーティの間中、亜季さんと優さんにいじられつづけ、結局千春さんと会話するチャンスはなかった。
そろそろお開きという雰囲気の頃、ようやく私は二人から解放された。
心身ともに疲れた。
机の上のごみを片付けていると
「大丈夫?」気づくと隣には真理子と葵さんがいた。
「はぁ。なんとか。」
「あの二人は気に入った子ができるととにかく可愛がるんだよね。飽きるまで。」昔を思い出すように目を細める葵さん、きっと過去の被害者だろう。
「でも確かに二人の気持ちもわかるけどね。」首をかしげながらそう言う真理子さん。めがねの奥が怪しく光る。可愛いだけの人じゃないようだ。
「うん、確かにちっっちゃくて可愛いねー妹にしたいって気持ちわかる。」さわやかに笑う葵さん。いや、あなたこそお姉さんにしたくなります。
「葵はわかってないなー可愛いだけで優さんはともかく亜季さんが夢中になるわけないでしょ。」
「そう?」思案顔の葵さん。
千春さんの様子が気になって辺りを見回す。千春さんはりんさんと何かお喋りをしているようだ。
あの日の千春さんの姿が思い出される。抱きしめられた感触。つぶやかれた言葉。傷ついた顔。
「茜ちゃん。」
「はっ、はい。」葵さんに呼ばれ、思考が中断された。
「もうごみないよね?」
「はい。」
「じゃあ捨ててくる。」
「いえ、私行きます!はい!」
先輩に捨てに行かせるわけには行かない。
「そう。じゃあお願いしようかな。」
「はい、では言ってきます。」
ゴミ袋を持って部屋から出て行く。ずっと部屋にいたので気づかなかったが、外はすっかり夕闇に染まっていた。
「待って!」
呼び止められて振り向く。
そこには千春さんがいた。
「千春さん?」
「うん、これも捨てようと思って。」
ゴミ袋を持った手をかるくあげる。
「すみません、気づかなくって。」
「いいよ、ちょうど茜ちゃんと話したいって思ってたから。」
「私もです。」
「そう。」
二人で並んで歩き出す。
「最近あの教室行った?」
「いえ全然。そんな暇なかったんで。」
「だよね。忙しかったよねこの一ヶ月。」
うんうんとうなずく千春さん。
「ねぇ、あの時私が言った言葉覚えてる?」
「・・・はい。」
あのとき千春さんが最後に言った言葉。
<ほんとだよ・・・半分はね。>
「・・半分本当ってどういう意味ですか?」
ずっと聞きたかった。
「言葉通りだよ。」
「・・・」黙り込む私に千春さんが言う
「お金はもらってないってこと。」
「・・・」
「お金貰わずにいろんな人と寝てる。」
「・・・」
「寝るっていう意味わかるよね、違う言葉で」
「いいです!もういいです!!・・・わかりましたから。」
歩みを止める。
「何で私にほんとうのことを言ったんですか?」
千春さんと向き合う。
「茜ちゃんに聞いて欲しかったから。みんなが憧れる堤千春は幻で本当の私は最低な人間なんだって。」
「どうして私なんですか?」
「どうしてだろう?最初に一番見られたくないとこを見られたからかもしれない。」
「じゃああのとき見たのが私じゃなかったとしたら。」
少し考え込む。んーと言いながら話し始めた。
「もしもの話だから絶対なんて言えないけど、やっぱり茜ちゃんだから言ったんだと思う。見られたのが他の誰かだとしたら言わなかった。その理由ははっきりとわからないけれど、でも答えはあなたの中にあるんだと思う。」
私の中にある。
「「一人だけど一人じゃない。」」あの時思わず出た言葉。
どくんどくんと心臓が波打つ。フラッシュバックする記憶。身体の中を血が駆け巡る。
「別に茜ちゃんのことを詮索したいわけじゃないからそんな顔しないで。」
「あ、はい。」どうやらひどい顔をしていたらしい。
沈黙が続く。
「私は、正直言って戸惑ってます。どうしてそんなことするのかわからないです。」
「確かに、そうだよね。」
「わかって欲しいと思って話したわけじゃないんだ。ただ知って欲しかっただけ。」
6月の湿った生ぬるい風が二人の間を通り抜けた。この感じだともうすぐ雨が降るかもしれない。
さぁそろそろ行こうと千春さんが歩き出した。
「ちょっと待ってください!私はこれからどうすればいいんですか?知ってしまった私は何をすればいいんですか?」
きっと今後頻繁に生徒会室で顔を合わせることになる、このままだと気まずくてしょうがない。
「しなきゃいけないことなんて何もない、茜ちゃんが思うようにすればいいよ。」
そう言って歩き出した千春さん。
「それが一番難しいですよ」心の中でつぶやいて私は千春さんの後を追いかけた。
「遅かったね。」
生徒会室に戻るとみんな待っていた。
「何してたの?」りんさんが聞く。
「いえ、何も。」私は平静を装う。
「話し込んじゃっただけです。」千春さんが可愛らしく微笑む。
「そぉ。」
口先ではそう言いながら、怪しげな微笑を亜季さんが浮かべている。きっと信じていないだろう。
「すいません、お待たせしまして。」私は頭を下げる。
「いいよー、じゃあ帰りましょうか。」
りんさんの声で帰る準備を始める。
「あれー?茜ちゃん鞄は?」優さんが私に聞く。
「教室です。」
「何で持ってこなかったの?茜ったら抜けてるんだから」
問答無用であなたに連れて来られて帰る準備する暇なかったんです。
じとーっと見る私の目で自分のせいだとわかったのか、「じゃあ取りに行こう、一緒に。」と亜季さんが私の手を取り、また問答無用とばかりに引っ張っていく。
「じゃあみんなまたね。」
挨拶もままならないまま、連れて行かれる。
教室で鞄を取ったあと、亜季さんと二人で最寄の駅まで歩く。
ちなみに私と亜季さんが電車通学、優さんと千春さんは徒歩、りんさん真理子さん葵さんはバス通学らしい。
校門を抜けた後、駅までは15分。並木道が続く。
時刻は既に7時前になっていた。すっかり暗くなり、他の生徒はみあたらない。
「茜さ。」
「はい。」唐突に亜季さんが話し出した。
「千春から聞いたでしょ?」
「何をですか?」湿度を含む風が顔にまとわりつく。
「噂の真相。」
思わず立ち止まる足。「何をいってるんですか」そう笑いとばすには時間がかかりすぎた。
「黙るってことは認めたようなものだよ。」
この人には敵わない。
「はい。何でわかったんですか?」歩き始めながらそう尋ねる。
「私観察力には自信があるの。」
「さてどうする?」にやっと私に顔を覗き込み笑う。
そのしぐさを無視して私は答える。
「どうするも何もないです。」
「聞かなかったことにするの?」
「ていうか亜季さんはどうして知ってるんですか?」
「千春のこと?それは教えられないよ、まぁいずれわかるだろうけど。」
「じゃあ聞いたときどう思いました?」
「私は悪いことだとは思わない。私ね、エピクロスの信仰者だからさ。いいじゃない好きなようにすれば、誰かに迷惑をかけるわけじゃない。」
エピクロスの信仰者って快楽主義っていうことか。回りくどい言い方だ。
「私には理解できません。」
「だろうね。」
「それに千春さんはエピクロス信仰者だとは思えません。」もうそうだとしたら、あんなに辛そうなわけがない。
「うんうん、なかなかわかってるじゃない。私は茜に期待してるよ。」
「何をですか?」
「さぁ?」
外国人みたいにわざとらしく肩をすくめる。
ため息をつきながら私は言う。
「わかりました。亜季さんは傍観者ってことですね。」
「イエス。ただし、ちょっと脇役として参加してるけどね。」
そろそろ駅に着く。
「亜季さん、私はどうすればいいと思いますか?」
「好きにすればいいじゃない。」
予想通りの答えが返ってきた。
生徒会の仕事に慣れてきた頃、梅雨明けが発表された。
久しぶりに太陽が顔を出し、今日は朝から暑くなりそうな気配だ。
千春さんのことについて、どうすればいいのかという答えは出せないまま、表面上は普通の先輩後輩として接している。
宿題を終わらすために今日はいつもより早い時間に来たので、まだ人の姿はほとんどない。
上靴に履き替えるため、靴箱を開ける。黄緑色の手紙があった。
ん?何だろう。教室に着いてから読もうと鞄にしまい、靴を履き替えた。
教室にはまだ誰もいない。
先ほどの手紙を取り出し、まさか剃刀とか入ってないよね、と明かりに透かしてみるがそんな気配はなかった。
封を開けると白地にクローバーの絵が描かれた紙に一言、「昼休み屋上に来てください」それだけ書いてあった。
これは告白っていうものでしょうか?
いや、でもそうとは限らない。
私に恨みがある人とか、生徒会の誰かのファンとかが恨みつらみを言いたいだけかもしれない。いや、でもそれならわざわざこんな可愛らしい手紙に書くかな、いやいや油断させといて・・・。
そんなことを延々と考えていると結局宿題は終わらず、授業中に当てられないことを必死に願っているうちに昼休みとなった。
屋上へ向かう。
立ち入り禁止であるが扉に鍵がかかっていないので勝手に屋上には行けるが、生徒が利用することはほぼない。やはりそれなりに有名な進学校。屋上でぷかぷか煙草を吸うような素行不良の学生はいないのだ。
扉を開けるとムワっとした空気、眩しい太陽の光が一気に降り注ぐ。
光で目がくらみ一瞬何も見えなくなる、閉じた目を開ける。
そこには女の子がいた。
近づいてみる、知っている子ではないようだ。
私と同じぐらいの身長、黒目がちの大きな目が印象的な可愛い女の子だ。
雰囲気で1年生だと思われる。
「来てくれてありがとうございます。」
「いや、そんな。」
「・・・。」
それっきり黙りこんでしまった。
ぎゅっと手を握りしめ、落ち着きなく泳ぐ目線。顔色も真っ白で今にも倒れそうだ。
「あの、大丈夫ですか?」
「は、はい。」
それっきりまた黙ってしまった。
このままだと口を開くのを待っているうちに、彼女が倒れるか、日が暮れるのが先だと思われた。
「何か用で・・」
「好きです!」
突然せきを切ったように、話し出した。
頭のどこかで予想はしていたものの、実際言われると動揺する。
「ずっとずっと好きでした。高校に入学して初めて見かけたときは可愛いなぁって思って気になった程度なんですけど。5月頃、用事があって図書資料室に行ったことがあったんです。その時にソファで茜さんが寝ていて、何ていうか、あなたは私が学校で見かけるときはいつも笑っている印象だったのに、その時の寝顔は哀しそうで、でも怖いくらい綺麗で、目が離せなくなった。あの時からあなたのことが頭から離れないんです。こんなこと生まれて初めてで自分でも戸惑ってどうすればいいかわからなくって。」
いったん話し出すと止まらなくなったようだ。
「私は女の子だし、茜さんも女の子だし、きっとこんな感情は気の迷いだと思ってたんだけど、もうどうしようもないんです。誰にも言えなくて苦しくて、でも、もう伝えるしかない。そう思ったんです。」
そう言うと下を向き肩を震わせて泣き出した。
世の中には愛や恋があふれている。
流行の歌では恋の素晴らしさを歌い、ドラマでは紆余曲折を経てハッピーになった恋人たちに感激の涙を流す。
どこかで誰かが新たな恋のはじまりにときめき、どこかの教会では誓いのキスをした新しい夫婦の誕生に祝福の拍手が送られる。
恋はすばらしい!愛こそすべてだ!
それならどうして、この子は悩んで苦しんで涙を流しているだろう。好きになることにさえ罪悪感を背負って。
叶わなかった恋、裏切られた恋、許されない恋。
きっと傷ついた人は世の中にはたくさんいるけれど、自分のせいで傷つけることになるなんて思わなかった。
彼女を抱きしめて、ありがとう、そう言って気持ちを受け止めてあげれば彼女は笑ってくれるのかな。
突き放して、二度と会いたくないと思わせるほどの残酷な仕打ちをすれば、彼女はきっぱりと諦めてくれるのかな。
自問自答を繰り返しても、正解にたどりつくことはない。
あれこれ考えて綺麗な言葉で自分を取り繕うのではなく、正直に今の思いを伝えることが私にできる唯一の誠意だ。そう思った。
「
正直言うと今戸惑っています。」
彼女が顔をあげる。ぐしゃぐしゃになった顔から思わず目をそらしたくなる。
「好きになってもらえて嬉しいって思います。でも、ごめんなさい、あなたの気持ちには答えられないです。」
「それは、女だからですか?」
「違います、男も女も関係なくって今は誰も好きになれないだけです。」そう、彼女には問題ない、問題があるのは私だ。
「試しに付き合ってもらえるだけでもいいです。それで振ってもらってもかまいません。」必死にすがりつくように言う。
「ごめんなさい。」私は頭を下げる。
自分の影が地面にうつりだされていて、白いコンクリートにはっきりと浮かび上がる、つくりものみたいに見えた。
「可能性はゼロなんですか?」震える声。
頭を上げても、彼女の顔を見ることができず、うなずくだけで精一杯だった。
彼女は走って去って行った。