72話 グローリーデイズ
十兵衛の長い一日……の続き。
姫路
明智十兵衛
なんとか追求をやり過ごして、別れを告げると顕如上人と左京殿の姿はあっという間に雑踏の中へと消えていった。共に一人での行動だったはずだが、その背後をさりげなく追う気配がする。悪い気配では無い。完全に気配を消し去っている訳ではなく、自然に溶け込ませている。数は思いのほか多い。
「……流石の左少将様も彼らを一人で歩かせないか。要人警護、御苦労さまだな」
一人労いの声を呟くと、人ごみに紛れて、すれ違いざまにクスリと笑い声がした。
少し自身が無かったが、幾度となく忍びの類を見破る訓練を受けた元馬廻りの面目躍如と言ったところだろうか。おそらく左京殿は射手の直感で気がついてはいるだろうが、それでも完全に見破る事は難しいだろう。
通常忍びの類は山に『結界』を張ると聞いた事がある。雑踏に紛れた黒田諜報部隊の『結界』は同業の者達から見ても異質に映るだろう。
しかし困った。諜報部隊の者たちは見つかっても、肝心の店が見つからない。こんな所を見られたら、諜報部隊の彼らから迷子になっていたと報告されかねない。
困りながらも人の流れに任せて進んでいくと、鮮やかな緋色の羽織が眼に映った。見廻り組の隊服だ。諜報部隊が姫路の闇の番人ならば、彼らはあえて陽の光の下に姿を現す事で抑止力となる。おそらくこちらの正確な身分はわかっていないだろうが、私の身なりを見るなり彼らは一様に整った敬礼を投げてよこした。私も軽く答礼を返す。
ああ、彼らがこの街の事を一番知っているから、丁度いい。
「お疲れ様です」
「お疲れ様。忙しそうですね」
「今、最も市に品が出てくる時期に加えて、戦役を終えて休暇を得た者も多いですから」
「何……?軍に属する者たちは羽目を外すと言っても、やり過ぎたら地獄の懲罰が待っている事を知っているからまだ大人しいはずだ。そんなに酷いのか?」
悪鬼羅刹の名を恣にしている黒田武士だが、軍属による一般人への窃盗、殺人、強姦の類は誇張でも比喩でもなく本当に首を落とされる。そして最近ならば、顕如上人の下で……。
それに、不思議な事に、階級の高い人間であればあるほど厳しいのだ。半農の者ならばともかく、専属兵や馬廻りに向けられる視線の厳しさなど並大抵のことではない。
左少将様曰く――“士道に背きまじきこと”だそうだ。
「確かに今のところ、そこまで深刻な事件は起きておりません。ただ、酒に酔っての喧嘩……これが多くて」
「それはまあ……うん」
幾ら鉄の掟で縛りつけようとも、黒田武士などという存在は左少将様を筆頭に、闘争こそ本能な人たちであるからして……。
私闘は相手にもよりけりだが、一般人相手に起こしてしまった場合、減給に加えて鞍掛山城での再訓練か、あるいは築城などの重労働だったか。戦の後こそ、母里教官が忙しい時期なのかもしれない。
「して、明智様は共も連れずにどちらに?」
「おっと、滅多に姫路にいなかったから、面が割れているとは思わなかった」
「某、因幡は鳥取の出です。公募に応じて訓練に入る前、何度かお姿拝見する機会が御座いました」
「おお、そうなのか。いや……同期の者たちと少々久闊を叙しようと思ってね。この店なんだが」
大雑把な位置と店名が書かれた紙を取り出して見せると彼らは納得したように頷いた。
幸か不幸か、私はほぼ新任のまま左少将様に取り立てられてしまった上に、南條又四郎も父君の本貫帰還と共に馬廻りから離れてしまったので、中々馬廻りの同期が揃う機会も無いのだ。
「この通りで合っているはずなんだが、どうだろうか?」
「えぇと……明智様。もしかして、気付いていらっしゃらないのですか?」
困惑したかのような反応に、道を間違っていたかと覚悟する。だが、彼らは恐る恐ると言った感じに私の背後を指さした。
「すぐ後ろです」
あ、あった。
「…………これは恥ずかしいな、流石に」
「お、お役にたてたようで……?」
「あ、ああ。かたじけない……」
見廻り組の者たちに礼を言い、恥ずかしさから逃げるようにそそくさと店の中に入っていくと、既にほぼ全員が揃っていたようだ。馬廻り特錬3期生。申し込んだ人数は400名近く居たというが、生き延びたのは私を含めて14名。私と又四郎以外に、4名が名誉の負傷により馬廻りを退役。その内の一人が開いた店が今回のこの店だったりする。殉職者は幸いにして無し。現役の馬廻りは8名。流石に現役の者たちは集まりが早い。もう既に杯を空けている者もいる。
「お、出世頭の到着だ」
「長老!」
「長老久しぶりだ」
「『長老』って……懐かしいな、その呼び名も」
基本的に馬廻り特錬は体力勝負だからか、若い者が多い。そんな中、私は唯一の三十路越えの人間だった。長老なのは間違いないんだが……間違いないんだけど、長老って……。
「苦労してるみたいだな。ちょっと見ない間に……こう、生え際が後退したか?」
「いきなりそういう事言う……だが、勘違いしてもらっては困るな。この頭は、生え際が後退した訳ではなく、私が前に進んでいる証だ」
「そりゃ結構な事で」
悪戯程度の悪意はあっても、害意は含まない馬鹿笑いが癪に障る。なんだってこう、いつも私は彼らにイジられるのだろうか。
まだふさふさしてます!休夢様のお墨付きです!
「君たち。私が出家の危機に瀕する程の年上と認識しているならば、もう少し私を敬いたまえよ」
「「「「いやぁ……?」」」」
これだよ、と苦笑いを浮かべながら卓には加わらずに料理場が見える適当に席に座ると、私の目の前にコトリと杯が置かれた。隣りには容貌魁偉と呼ぶに相応しい、見るからに屈強な男が聳え立っていた。
「私はあまり強くないんだが……」
「知ってる。まあ、折角だし舐めていろ」
「相変わらず愛想が無いなぁ。大丈夫か、この店」
「メシを作るのに愛想はいらん。愛想は嫁の役割だ」
「奥さん身重じゃなかったか?」
「うむ。だから愛想は売り切れだ」
「……上手い事言いやがった、と納得してしまった自分が恨めしい」
「ならば、何かつまめる物を用意しよう」
のそり、とその大きな身体が左足を少し引きずるようにして席の正面にある調理場へと入っていく。奥側ではコトコトと大鍋が煮えている。匂いから察するに、魚を煮付けているのだろうか。確か彼は元は漁村の生まれだ。
「しかし、大分その姿も板についてきたか。負傷したのはいつだったか」
「第一次三好侵攻戦だ。一直線に淡河城へと至ったあの戦。追撃中に三好長慶本隊を迎え撃って左足を撃ち抜かれた」
「……勝ち戦だと悔しいな」
「俺が間抜けだっただけだ。それに、命があっただけマシだ。何度も死ぬ思いはしてきたが、あの時は血を流し過ぎて本当に死ぬかと思った」
そう嘯きながら彼は取り出した魚の柵を薄く切っていく。彼の料理の腕は左少将様直伝だ。元々馬廻りはどこでも食事が出来る様、また、いついかなる所でも食材を確保出来る様に叩き込まれているためか、その手際はよどみない。
「他の者と共に鞍掛山城で教官役などになろうとは思わなかったのか?人手不足だと母里教官から聞いているんだが……」
「その話もあったが、謹んでお断りした。見ていると未練ばかりが募る……あそこは当時の俺たちににとっての地獄だったが、貧しい漁村の次男坊だった俺にとって、何にも替え難い栄光の日々の始まりだった」
ふと気が付くと、めいめいに歓談していた他の席の皆もシンと静まり返っていた。皆出自は違えど、共に苦楽を潜り抜けてきた仲だ。ただ見る事しかできないその無念は痛い程伝わってくる。
「俺たちは“十五文銭の御旗の下に選ばれし誇り高き兵だ”――今でも駆け廻った全ての戦場を夢に見る。俺達は最強だった」
「……未練か」
「未練……そして矜持だ。まあ、実際問題、教える側になろうと思った時にはこの矜持が邪魔でな。人になんてまともに教えられっこない。今からひよっこを育てるぐらいなら、俺が現職に戻って戦った方が早いだろう」
「ダメだコイツ……業が深すぎる」
重くなった気配を察知したのか、冗談めかしに言われた言葉に誰かが的確に混ぜっ返し、乾いた笑い声が漏れた。
……うん。笑ってはみたものの、ここにいる私を含めた全員同じ気がする。かくいう私だって軍を預かる立場になった物の、時折指揮を誰かに任して自ら最前線に出た方が早いんじゃないかと本気で悩む時がある。官兵衛殿は『隆鳳症候群』と笑っていたが……。
「しかし、今の仕事も悪くないと思っている。馬廻りになって錦を飾ったはいいが、未だに貧乏なままの故郷の魚を売る手助けになっているから――ほらよ、十兵衛」
「ああ。すまんな。この敷き詰めた魚の上にかかっているのは?」
「煎り酒と軽く茹でた肝だ」
「小洒落た物を……むむむ、やるな」
「なにがむむむだ。とっとと食え。っと――おい」
「……ああ」
ガラリと音を立てて戸が開かれる前に、本能的な何かを察知した私たちはそれぞれゆっくりと杯を置いて立ち上がった。そして、戸が開くと同時にそのままビシッと空気が爆ぜる程の勢いで敬礼をする。
姿を現した方からにじみ出る、息子の武兵衛殿にも引き継がれた一本筋の通った佇まい。粋に着崩された着物。後ろに控える数名の強面……又四郎を含むかつての同僚たちが霞むぐらいの威圧感。
一軍を任された今でも悪夢に見る――黒田家家老というより、黒田家幹部という言葉がしっくりくる異色の武将。
なんでいるんですか……母里小兵衛教官。
「……おう」
「「「「お疲れ様です!!教官!!」」」」
「やかましい。街ではもそっと静かにしろや」
ああ、この理不尽な物言い……お変わりありませんね。つい先日挨拶に伺ったので、それほど間が空いている訳じゃありませんけど。
教官はゆっくりと歩を進め、何故か私の隣に腰を下ろした。それと同時に私たちも着席する。先ほど業が深いだのなんだの言い合っていたが、やはり私たちもあまり変わらないようだ。
とはいえ、私たちも教官の手元から離れた身。あまりの不意打ちに必要以上に緊張しただけで、あとはゆっくりと空気が解れていくのを感じた。
やらかさない限り、そう怒られはしないのだ。やらかさない限り……期待の眼で私を見るな、諸君。
「珍しいですね。鞍掛山はお忙しい時期じゃなかったんですか?」
「教える方も人が揃ったからな。幸か不幸か。まあ、やらかした馬鹿どもの尻をぶっ叩くのにはちょうどいいさ」
目の前に置かれた杯に酒を注ぎながら訊くと、母里教官はため息交じりに答えた。人に教えるだけの技量を持つ者たちが増えるのはいい事だが、基本、そういった者たちは何かしらの理由で軍を離れた者たちだ。そして、そういった者たちは万分の漏れなく母里教官の下たちから巣立っている。確かに心境としては複雑なのかもしれない。
「それと、手狭になった鞍掛山に代わる新候補地についての議題も含まれる編成会議があった。今日はその帰りだ」
「ああ……そんな話もありましたね。決まったんですか?」
「いや、決まらん。決まったのは海の編成だ。村上と浦上、それと明石が随分と強張った顔をしておったわ」
「瀬戸内……それと、日本海の舞鶴ですか」
海賊から海軍へ。その方針は当然聞き及んでいるが、海の戦力を早急に拡張している辺り、次の相手が透けて見える気がする。大友を攻めたいというのが殿の意向ならば、先ず四国を降して横からの圧力も高めていくはずだ。そうなれば、当然、宿痾の如く目の前に浮かぶ淡路、阿波、讃岐もまた――。
そして舞鶴の拠点化は言わずもがな、上杉と合流するために北上する為の布石。どちらにしても、十分な時間が与えられるとは言い難い。
「一番笑ったのは、商人の船でもなんでもいいから南蛮の船を盗んで来いという命令だったな」
「「「「ぶっ!?」」」」
衝撃の内容に、思わず私だけでなく他の人間も酒を噴出した。私は口に含む程度だったから比較的大丈夫だったが、何人も揃って噎せ返ってやけにやかましい。しかし危なかった、咄嗟に顔を背けたから大丈夫だったが、料理に掛かる所だった。
多分というか、絶対というか、殿の命令だろうな……それ。相変わらず滅茶苦茶な発想へ行きつく。
「汚ぇなぁ」
「す、すみません教官……しかし何故?」
「いいか、良く考えろ。奴らは遥々海を渡ってここにやってきてんだ。その船に乗って、な」
「大抵は大陸で乗り換えるそうですが……」
「知ってる。だが、全部がそうじゃねぇだろ?それをちょいと拝借して、バラして構造を研究すれば、最低でも奴らの国に至るほどの船が出来る。そうだろう?」
「それは――」
誰かがごくりと唾を飲んだ。そこまでやるかという思いと共に、たったそれだけの事象から流れ込んでくる将来の展開に寒気すら覚える。どこまで見越しての海の戦力増強なのだろうか……。
特に、そうなった場合、真っ先にその船に載せられ、いざ荒事となった際に投入されるであろう現役馬廻り達の表情は一様に凍り付いている。
「南蛮か……流石にやべぇな」
「いつか、俺達は『空を飛べ』とか『月に行って来い』とか言われんじゃ……」
「流石に俺達世代じゃないだろうが、その内言われそう」
「その時は、空からの眺めと月からの眺めについて宜しく」
「「「「長老!!!」」」
ええ、私は空を飛びませんし、月にも行きませんよ。他にやることがありますからね。
「まあ、流石にそこまでいくと何代か先の話だろうな。そんな話はともかくだ、美味そうだな。お前さんのかい?十兵衛」
「え、ええ。お一つどうです?」
「いただこう……ああ、うめぇな。おい、何の魚だ?」
「ウマヅラです」
「……ほう、ウマヅラ」
教官の声に我に帰り、気を取り直して知ったかぶりをしてみたが、初めて聞いた魚だ。元々魚に名前がある事もよくわかっていないのが主な理由だが……流浪の最中に口にした事はあっても、元が生の魚などお目にかかれない美濃の出なので。
「知らなかったと顔に書いてあるぞ、十兵衛」
「おっと、これは失敬。教官」
つるりと顔を一撫ぜして私も口にする。うむ、美味い。思えば生の魚も珍しいが、あっさりとした魚の味に肝のコク、梅の酸味が利いた煎り酒が良く合う。
「見栄えが悪いから外道扱いだがこれはめっぽう美味い」
「ほほう」
「軽く干したヤツは最高の酒のアテなんだが、生もいいな。おい、これだけじゃないだろう?おまかせでいくつか見繕え」
「合点承知」
「それと――」
「「「「鍋!!」」」」
教官の声に先んじてその場にいたほぼ全員が計ったように声を挙げた。我々は共に同じ物を食べ、同じく駆けてきた。だからこそ今がある。そんな時を過ごしてきた盟友たちが揃って何を食う。それはもう鍋だろう。注文を受けた同僚も、魚を捌きながらニヤリと笑って、振り向く事無く親指を立てて応えた。
道は違えど、変わらない物がある。大丈夫だ、と声がする。じゃれるように茶化し合って、その心底では負けてたまるかと意地を張り、だけど視線はずっと同じ方向を見ている。
我らは未だなんら変わっていない。
「では、折角なので教官。改めて乾杯といきましょう」
「ん?ああ。じゃあ、杯を取れ――いいか?お前らが戦い、抗い、掴み取った栄光の日々に――乾杯!!」
「「「「乾杯!!!」」」
その頃、越水城
頼廉<「ハッ!?」
武兵衛<「どうしたライレーン」
頼廉<「頼廉です。おいしい物の気配がしました」
頼竜<「すみません、コイツ回収していきますねー」
当時、煎り酒が醤油の代用的な立ち位置だったらしいです。どんな味か気になる所ですが、再現するにあたって一つ難点が。
私、煎り酒の材料である、梅干しが大の苦手なんですよ……。
だれか代理で食レポを。