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藤巴の野心家  作者: 北星
7章 嵐を駆る者
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64話 落日

 大坂

 松永弾正


 あれほど辺りを騒がせていた嵐が去った。


 同時に太陽も去った。

 だからなのか、やけに空が蒼い。吸い込まれそうなほど深く、零れそうなほど穏やかに。ただ静かに群青色の風が時折吹きぬける。


 忘れがたき事ばかりだった。最初はただ期待に応えるべく、そして徐々に殿の為にと手を染めた。至上至高を気取った者を相手に手を汚し続けてきた。もちろんそれだけでは無い。喝采した事も緊迫した事も今でも鮮明に思い出せる。

 だが、今となっては、駆けた記憶も生きてきた証も全てこの群青の風の中だ。そして、太陽も記憶も証も全てが去ったのに影だけが形を保ったままこの場にまだ佇んでいる。共に行きたくとも、この地に縫いつけられたように残った。

 それでも影は懲りずに空へと手を伸ばして、そして残った意味を噛み締めながら諦める。


 私はまだ殉ずる事は許されない。そして――その事がどれだけ狂おしくても狂えない。


 だが、その感情の中に、太陽を奪った男への恨みはあまり含まれていなかった。


 私と日向様……否、長逸殿は事前に知っていたのだ。


 たとえ、奪われずとも近く去っていただろう、と。

 本願寺を奪った後辺りだったろうか、他ならぬ、殿の口から自らが病だと訊かされていたのだ。

 だからこそ、殿は坐して死ぬ事を望まなかった。だからこそ、自らを縛り付けてきた全ての者を道連れに死に行くのだと定めていた。 


 全ては混沌の果て――蠱毒そのものを叩き壊すという目的の為。だからこそ、あの狂熱は保ち続けていた。

 とっくに、自分が狂っているという事をわかっていながら、尚。


 我らの太陽は傾く事無く、自らを犠牲にしてでも空を拓いて消え去った。だからこそ、遺された私たちが狂う訳にはいかない。そう言い聞かせていないと狂う。


 殿が居なくなった以上、大名としての三好家はいずれ消滅するだろう。当家はこの一戦で、畿内における覇権を失った。

 だが、海を渡れば三好の本領はまだ手つかずで残っている。淡路には殿の弟君の安宅様も残っている。先に亡くなられた孫次郎様の代理として孫六郎重好様がいる。滅びゆくのは今では無い。


 そしてなにより、未だ幼少であるが孫次郎様の嫡子、殿の孫に当たる仙熊様がいる。大名としてはいずれ消えゆくかもしれないが、託されたこの御子だけは護り通さねばならぬ。その為ならば、黒田左少将が殿の仇であろうと、その軍門に降る事も惜しいとも思わない。


 殿も、言葉にこそしなかったが、黒田左少将こそ自らを継ぐ者だと認めていた。

 だが、我らが降るのは今では無い。私と長逸殿が降るのは最後。それが側近としての私たちの最後の奉公だ。


 三好長慶を打ち破り、その次代を担う太陽に告ぐ――

 

 主を失い、すぐ仇に降る者など不用であろう?

 ならば刮目して見よ。我ら簡単に退かぬ、屈さぬ、決しておもねらぬ。我らの灼熱の如き忠烈をとくと見よ。遺され、それでも尚尽くす我らの姿の向こうに見える姿が貴様が打ち破りし者の偉大さだ。


 そして我らにその姿を見せよ。


 我らが太陽を継ぐに相応しきその覚悟で我らを服従させてみよ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 越水城

 黒田隆鳳


 遠回りになるが、丹波を経由し、一路摂津へと戻ってきた。ここで官兵衛、武兵衛らと落ち合って一息だ。


 「よぉ、野郎ども」

 「お、来たな」

 「よく駆けてきた」


 珍しく労うように出迎えてくれた官兵衛、武兵衛とひとまず軽く拳をあててお互いの健闘を湛え合う。激戦という程熾烈では無かったが、中国大返しの事といい、かなり神経を使った戦役だった。今回は言うなれば、殴り合いではなく、居合の達人同士の立ち合いみたいなものだ。


 「寝込んだと聞いたが具合はどうだ?」

 「あぁ、お陰様でな。官兵衛」


 寝込んだ理由の大半が、お前の立てた作戦の所為だけどな。いくら三好長慶の首に的を絞ったからといって、俺を長躯させる事はねぇだろうよ。

 まあ、俺が最初から対三好戦に張り付いていたならば、まず奴は姿を現さず、毛利を動かして背後を脅かそうと暗躍させていただろうけど。そうなった場合は、結局こちらから毛利戦線へ向けて長躯する羽目になっただろうから、必然と言えば必然だろう。だが、二度とやりたくねぇな。できれば。


 「んで、こっちはどうなったよ?官兵衛はともかく、武兵衛まで戻ってきたという事は……やはり、そういう事か?」

 「ああ。現在、三好とは停戦交渉が進んでいる」

 「ふっかけたか?」

 「当然……と言いたいが、難航しているな。芥川山城は取れても、大坂は無理そうだ」


 成程。淀川で分けるような形に落ち着くか。お互いにとって一時的な停戦だ。三好としても主君を喪ったとしてもそこまで下手に出る必要も無い。海上と海岸で警戒線を張っているとはいえ、敵討ちと称してほぼ無傷の四国勢らが暴発してもおかしくは無いのだ。まず無いだろうが、可能性で言えば、姫路へのダイレクトアタックだってありうるのだ。

 とはいえ、一時の決着がついた以上、このまま戦を続けるとお互い泥沼になるのは目に見えている。ここが落とし所だろう。


 「決着までに俺が大坂を落としていれば……」

 「確かに痛恨事だが、こればかりは時の運だ。天気ばかりはどうしようもない」

 

 天気が良かったとしても、大坂が簡単に落ちていたとも思えないが、それでも官兵衛は悔やんでいるようだ。

 確かに、大坂を落とすならば三好長慶が生きている内に落とすべきだった。あの怪物は突飛な事をやってこちらの裏を掻いてくる嫌な敵だったが、上手く読む事が出来ればあの比叡山麓の戦いのようにピタリとハマる。

 三好長慶亡き後、おそらく三好家は手堅い動きをすると思う。なにせ、三好長逸と松永弾正が残っている。三好笑厳もいれば、安宅淡路も三好清海入道のモデルこと三好下野守もいる。そしてコイツらは史実とは違って割れていない。三好長慶の下に集っていた、まさに全盛期の姿で残っている。切り崩すのは容易でないだろう。


 「だが、こうなった以上、下手したら今後10年はかかると思うな……」

 「貴様も10年と見るか、武兵衛」


 これが――この認識が、俺たちが停戦に舵を取りたい一番の理由だ。軍を分けたとはいえ、このテの輩を潰すにはリソースを全部一気につぎ込むしかない。それが現在できないから体勢を整えたいのだ。それは、先の戦の目的を三好長慶1人に絞った時から話されていた事だ。

 越水城を拠点とする武兵衛は実はこれからが正念場なのだ。


 三好家って強かったんだな……ホント。


 「その10年をなんとしてでも縮めたいな」

 「……任せろ」

 「おう、頼むぜ、武兵衛」


 顕如は大坂に戻り、再び石山本願寺を――という気は無いと言うが、傘下に入っている奴らのかつての本拠地が奪われっぱなしじゃ、沽券に係わる。これからの戦いは、誰をどうするじゃなくて全面戦争だ。その為にも、今は一時退いて体勢を整えなければならない。


 「ほらよ」


 今までのねぎらいと、これからを託す意味も込めて、腰に佩いていた長船秀光を武兵衛へと投げ渡す。誰彼から貰った物じゃなく、俺が自らのこの目で目利きし、掘り出した愛刀だ。武兵衛に相応しい刀と言える。


 「なんだ?お前がくれるなんて珍しいな」

 「姫路で見つけた掘り出し物の長船秀光だ。コイツは斬れるぜ」

 「おう……お前が斬れるっつー事は相当だな。ありがとよ」

 「使わないなら、お前が頼りにしている奴に託してやってくれ。使える刀は使う奴の所にいた方がいい。刀は斬る為にあるものだからな」

 「ああ。わかった」


 本当は手元にいい槍があればくれてやるんだがな……今のところ、日本号は手に入りそうにないや。羨ましそうにその様子を見ていた隠れ愛刀家の官兵衛には、以前強請られた事がある薬研藤四郎を投げ渡した。


 「随分と気前がいいじゃないか」

 「いらねぇ、つってんのに、また公方がくれるっつーからよ」

 「だからか」

 

 尚、三好長慶佩刀の長船長光……まあ、高名な大般若長光だろうな。俺のわき腹をぶっ刺してくれたあの刀は三好家に返却の予定だ。

 その礼に、三好家からもいくつか名刀が贈られてくるとの事だ。


 「さて、じゃあ、俺はそろそろ行くかね。後は頼むぞ」

 「なんだ忙しい奴だな」

 「忙しいんだよ、実際」

 「俺たちが時間を稼いでいる間に貴様は毛利を降してこい」

 「ほらな?武兵衛」

 「わかっちゃいたが、コイツは人遣いが荒ぇなぁ……流石に同情するぜ、大将」

 

 ま、そういう事だ。


隆鳳「次にお前は「松永弾正格好いい」と言う」


松永弾正格好いい ――ハッ


いやホント、三好長慶といい、三好長逸といい、この主従はどうしてこうなったんだか……。

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