62話 雨中の決戦 雨上がりの幻
遅くなりました。
京
明智十兵衛
冑を伝い雨粒が滴る。
サァ―と雨音が響く。昨夜から本降りになってきた。雨は嫌いではないが、ここが戦場と言う事を思い出して思わず舌打ちをしたくなる。
視界が悪い。足音は聞き取れない。土の匂いが嗅ぎとれない。火が使えない。鉄砲が使えない。馬廻りの訓練で散々駆けまわったが、極力避けたいと言うのが本音だ。
それでも敵はやってくる。まったくもって厄介極まりない。
「南は……悪右衛門は大丈夫だろうか」
あのしぶとい男の事だから、如何ともし難い戦力差でもなんとか耐え抜いているであろうと信じたい。今、我々は北東――比叡山からくる敵に集中したい。
「比叡より三好勢!正面、来ます!」
駆けもどってきた物見の言葉に腰の刀を抜き払った。暴風雨を纏った白刃を掲げて配下の注目を集める。
「読み通りの地点だ。敵は通りに沿って分断される。寡兵同士の戦いは黒田武士の本分よ――各々方、本懐を遂げよ」
街を護る?そんな気は無い。我らはただ敵を殺す。幸いにして雨の為、広域の焼き討ちは考えられない。ならば存分にこの地の利を活かすのみ。
辻の奥で待ち構えていると敵兵の先頭が見えてきた。采配を振るう。自分の両脇にあった土壁がドサァッと音を立てて崩れた。雨の所為でも、敵の所為でも無い。
奥の手は一発限り。
「時は今!放てぇ!」
雨の幕を破って飛び込んできた敵兵に、崩れた土塀の向こうに潜ませていた鉄砲が炸裂音を立てて放たれた。雨に濡れぬように、屋敷の庇を拝借していたのだ。洛中戦は建物が存在する為、野戦と比べるとどうしても隘路になる。弾丸の交差点に差しかかっていた三好の先駆けは面白いようにバタバタと倒れていった。
「総員抜刀!深入りはするなよ」
「おうっ!」
先駆けが倒れた事でうろたえ始めた敵を前に、明らかに他の者たちとは纏う空気が違う者たちが、一糸乱れぬ動きで飛び込んでいった。彼らは元々丹波に居た者ではなく、左少将様より分けられた直轄の者たち。極少数であっても、肝が鋼で出来ているのか躊躇う事無く駆け抜ける。
バシャリ、雨を踏みにじる足音が響く。
「なん、だ、コイツら、」
バサリ、敵を踏みにじる刃の音と悲鳴が響く。野戦と比べると狭いが、少数精鋭が立ち回るだけの広さは十分ある。まるで喧嘩をしているかのように人の身体の一部、あるいは丸ごと全部が宙を舞い、地獄の獄卒が暴れるかのように血が滴る。
嗚呼、彼らを見ると血が騒ぐ。私も馬廻りの一員。白兵戦でも彼らに負けぬのに。
どうせ転ぶから止めてくれ、と笑い声混じりで止められたが、それ以上に今の私は軍を預かる身だ。最前線に斬り込みながら背後を見るような芸当は左少将様以外出来る訳が無い。
「正面退きます!」
「引き鉦を鳴らせ。他の通りはどうだ?」
「はっ!今の所、明智様の読み通りです」
ならばやはり、今のは小手調べか。あっさり退いた事といい、探りに来たな。先駆けは潰したが、三好方から見ても被害は微々たるものだろう。
精神に刻まれた恐怖以外は。
「ならば次に向かう。ここを任せるぞ」
敵は持久戦の構え。おそらく本隊の北上を待つはず。あるいは雨が上がるその時か。いずれにせよその間にこちらの手を丸裸にしようという魂胆だろう。
だが――時間が欲しいのはお互い様だ。
時間は欲しいが厄介な事になる前に――雨が降っている間に貴様を討つ。
誂えた様なこの雨だ。貴様の首を洗うには十分だろう、三好長慶。
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京近郊
荻野悪右衛門
じり貧だ。流石に、兵数の差は俺でも覆せねェ。
とはいっても、役目が足止めである以上、城に籠るという選択肢は論外だ。奪ったばかり城ばかりだが、黒田家の頭のおかしい奴らに掛かれば、そこら辺か適当に調達してきた資材でチョイチョイと難攻不落の城を生み出す。アイツらはいい加減おかしいと気が付けと思うが、その恩恵があずかれないのは痛い。
「斉射!オラ斉射ァー!」
しかし、何とか保てているのは何でだろうな。俺でも不思議なぐらいだ。大雑把な指示に応じて、雨を切り裂いて飛んでいった矢が敵の突出した部分に降り注いだ。
「第二射。撃てぇーっ!」
更に降り注いだ矢の雨に正面の敵の足が完全に止まる。だが敵は正面だけでは済まない。
「っし!各個速射開始!槍持ち構え!刈り取ってこい!」
「おうっ!」
側面を固めていた足軽たちが右斜め前から突出してきた敵部隊へと襲いかかる。一斉にでは無い。敵の槍の死角になる右側から襲いかかる様に、味方の左端から順に斜線を描くように駆けていく。そのまま敵の右翼から崩し、ごっそりとえぐり取る様に半円を描き、空いた部分に掩護射撃が降り注ぐ。
「第二陣!」
「っしゃぁー!」
続けざまに第二陣。同じように敵右翼から入り込み、同じようにえぐり取る。ここまでくれば単純な作業だ。それでも敵の兵力の底が見えない。俺達の体力が尽きるのが先か……それとも。
ふと頭をよぎった弱音を振り払うように大地を思いっきり踏み締める。いざとなったら、仇を道連れにしてやればいい。だが、それは最後だ。
「荻野様!」
「ああ。新手か――いや!」
故郷の丹波の方角からこの戦場に横入りするように駆けてくる軍があった。一瞬新手かと身構えたがアレは違う。一部は別れて京へ。大半はこちらに向かって駆けてくる。
見間違える訳がねぇ。あの旗は……。
「……邪魔だ。散れ。黒田第八軍副将、淡河弾正――推参」
「黒田第八軍大将、別所大蔵――推参。さあ、三好!鉄壁と謳われし我ら義兄弟、超えられる物ならば超えてみよ!」
「城が来たよ……」
軍と軍の間に割って入って述べられた口上に配下の誰かがボソリと呟いた。まあ、確かに俺達の前に現れたのは、黒田家中でも屈指の防衛能力を誇る第八軍なわけだが、「城が来た」はねぇだろうよ。
城が兵を守るんじゃねぇ。兵が城を守るのだからな。残念ながら城が来た所で籠城じゃ無い。感覚としては城門前の決戦だ。
はぁ、とため息をつきつつ兵を動かす。城を守る兵役の淡河弾正が右隣に残り、鉄壁の別所本隊が中盤の底へ。左翼に俺達。のような配置となった。敵方はただでさえ俺に手をこまねいていたからか、新手が加わった今、迂闊に手を出そうとはしてこない。
ましてや、長年単独で三好を阻んできた男達が現れたのだ。手が出ねぇだろう。存在だけで足止めとなるのだから流石だ。
ま、足止め程度で満足する様じゃそいつは終わりだ。命拾いした、と安心するとあっさりと死ぬ。部下たちもそれがわかっているのか、前にもましていい面構えだ。
しかしなんだ。先ほどの光景を目にすると思う所がある。
「この戦、勝ったな」
それはおそらく、かつて対峙した事があるからこそ言える確信だ。
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比叡山麓
三好長慶
「こんな物か」
戦を始めてもう間もなく二度目の夜を迎える。初日こそ、動きがあったのだが、流石にその夜から本格化してきた暴風雨の為、戦はほぼ中入り状態となってしまった。甚だ不本意な状態であると言える。
昼を過ぎたあたりで大分緩和されてきたものの、未だに風が酷く、雨脚も強い。それでも戦は早々に再開をしていた。
雨の中進むと、黒田勢は初日のように本来ならば侵入される前に阻むべき地点に兵を置かず、引き込んでから叩きにきた。流石は左少将の配下。豪雨の向こうに隠れた都全体が強大な罠のように見える。
「褒めるべきは敵将よな。明智十兵衛光秀と申したか。そつの無さといい、手並みの良さといい、弾正に似ておるな。左少将が信を置くのもよくわかる」
小手調べのようなものとはいえ、やはり闘争はいい。次から次へと名も無き男どもが駆けあがってくる。
とは申しても、明智と言えば土岐に連なる系譜か。明智は決して無名とは言えぬな。世が世ならば、かの梟雄、美濃の蝮の懐刀になりえた男だ。奇策への対応が情け容赦無いのはその所為か。
嗚呼、天に多きは人よ。だが何故今まで現れなかった。良き主に恵まれたのだろうとも言えるが、それ故に惜しくさえ思う。
天に少なきは人を使う者よ。
「だが、風が変わってきた」
埋もれていたであろう人よ!死んでいたであろう才よ!風を得て舞い上がれ。雨を得て芽吹かせよ。
我にも見せよ。もっとだ。余る程に。持て余す程に。拱く程に。
嵐の中で輝く才よ。殺し合おうぞ。命を賭けよ。闘争が四魂を揺さぶり更なる人を呼び起こす。更なる風を巻き起こす。これぞまさに蠱毒の業!
我の蠱毒は汝らの自由を縛らぬ。遠慮はいらぬ。
汝らに不自由などくれてやるものか。不自由は我の物ぞ。
縛り付けられ、振り回され、閉じ込められ、孤独も不安も不満も後悔もあった。故に、それは我の物だ。戦い、もがき、殺し、つまらぬ理由に呆れ――故に、我の下剋上という蠱毒の業は成った。故に我が壊す。理不尽に苦しめられ、その苦杯を舐めたからこそ、壊す。
汝らにはもったいない。
蠱毒の業そのものを壊すは、その業を纏い、その術を生き延びた者の特権。我を封じ込めていた寺社を覆滅するも、幕府を壊すのも、それは我の業ぞ!
しかしてどうだ。我は壊したぞ、天魔よ。
我は壊れたぞ、天魔よ。
「殿っ!」
「うろたえるでない」
目を開けるのも億劫な程の雨が弱まり、身を竦ませるほどの風が弱まり、落日の灯が西の空を微かに照らすと、目の前には藤巴の旗が翻っていた。あの豪雨に紛れて我らを追い、ここまで近寄って来たのだろう。それ自体の対処はまだ易い。想定の範囲内だ。
だが、ありえぬ光景が一つある。
翻る黒田藤巴、明智桔梗、足利二つ引――そして一際はためく十五文銭。目の前に現れた黒田勢の先頭に遥かに西に居たはずのあの男が威風堂々と居る。余程無理して駆け通して来たのだろう。遠目でもわかる程疲弊している。それでも――それだからこそ、鬼気とした存在が際立っていた。
「クッ……クククッ……ハハハッ、ハーッハッハッハ!そうか。そう来たかァッ!左少将‼」
この異様な程の移動速度。おそらく初めからこれが黒田の――左少将と黒田官兵衛の狙いだったか。我が動くと同時に、ごく少数だけで左少将が長駆反転し我の思考の裏を掻く。軍全体を移動させるとなると速度が遅くなろうが、少数で駆けるならば多少の速度は上がる。
黒田家は直轄の兵を分散した。黒田左少将が居る所が本隊となるならば、軍を率いて移動する必要などは無い。考えてみれば酷く簡単な事だ。
比叡山越えという我の奇策は最高の形で返された。嵐が完全に去った後に予定していた京都大火の目論見は嵐を連れてきた男に阻まれた。迂回して比叡山からきた以上、背後に退いても退路にならぬ。唯一の退路はあの男の背後に――そして京を抜けた先にある。
最悪の状況だ?最高ではないか!我は今、最高に楽しくて仕方が無い。こういう純なる殺し合いは、たとえそれが勝ちであれ負けであれ何度でも味わってみたい。
左少将が大太刀を天に掲げ、我らに向けて振り下ろす。ただそれだけでゆるりと目の前の軍は動き始めた。左翼に公方。右翼は明智だろうか。本陣が突出した、今ではほぼ誰も使わなくなった見事な偃月陣。この期に及んで包囲殲滅では無く正面突破を狙うか。
「……よかろう。受けて立つ!」
奇しくも左少将と同じ刀匠が造りし我が愛刀、長船長光を抜き払い、地面に突き刺して正面からその様子を見据えた。我の配下も元々は我が見出した精鋭。即座に正面に密集し、槍の要塞を構築した。
左少将が先頭を駆けてくる。敵軍が当たる。凄まじい衝撃に陣が揺らぐが、即座に持ち直した。
「弾き返せ!」
心のままに。思いのままに一廉の将として振舞える歓喜の前に、狂気はいつしか晴れていた。
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黒田隆鳳
どこまで行っても、どこまで行っても雨だった。多分、俺は台風と一緒に北上してきたんじゃねぇかと思う。
三好長慶が動いたという報せから即座に反転して日中夜問わず愛馬を走らせ、時折自分で走り、そしてこの雨と風にほとんどの体力を持ってかれた。俺史上最大の体調不良の真っただ中だ。伴に連れてきた馬廻りも15名中、7名がリタイア状態まで陥ってしまった。俺でさえ参っているのだから、流石に責め様がない。
馬鹿だからなのか、肺炎までいった奴がいないのが救いだけどな。
「殿!ご無理をなさらずに」
「つってもよぉ……」
当然そんな状況で戦に出た所でいつものようなキレが出るわけが無い。だが、それを言い訳に出来ないのが武将稼業だ。多少周囲に助けられながらも、群がる三好の兵を斬り伏せていく。
それでも――俺の不調を差し引いたとしても堅い。西洋のファランクスのように槍を突き出した三好の陣形は多少表面の者を斬り伏せたとしても抜け切れない。二列目、三列目と、末端の一人ひとりまでもがわが身を呈してでも俺たちの突撃を食い止めようと抗う。
流石、三好と唸るしかない。ここまでの武士を抱えていたか、と。下手すれば俺の直轄と同じか、それ以上の圧力を感じる。
そして、遥か遠くで一歩も退く気が無いのか、刀を足元に突き刺して統率する三好長慶の姿が何倍の大きさにも見えた。その表情は以前見た狂気に満ちた表情では無い。決して動じない、冷徹で決死の――戦国時代が生んだ怪物の戦振る舞いだ。断じて狂気に任せてフラフラとしているような輩では決してない。
奴に比べれば俺はまだひよっこだな。浴びた血の量は俺の方が多いかもしれないが、くぐった修羅場の数は間違いなく奴の方が上だ。
「鹿之助!公方と共に上がってこい!」
「合点承知ぃっ!」
「十兵衛ッ!」
「命は下された!時は今!勇猛なる者どもよ!進め!進め!進めぇえええええっ!」
背後に控えていた両名が俺の許可を得るや、中央の俺達を追い越して左右から獰猛に襲いかかった。意外な事に、山中鹿之助だけでなく、明智十兵衛までもが何かに中てられたのか、修羅の如く斬り込んでいく。
皆必死だ。十兵衛も、鹿之助も、公方も、そして三好長慶も。
お前たちの姿が火を点ける。
俺だけが醒めた目で見ていたり、体調が悪い事を言い訳にしたり、ひよっこの癖に自分の型に固執したり――そんなダセェ真似ができねぇんだよ!
鹿之助と十兵衛が左右から斬り込むと同時に正面の圧がふっと揺らいだ。状況を見守っていた三好長慶が豁然と地面に突き立てていた刀を引き抜き、馬に跨る。
「ククク、ハハハッ‼来い、黒田隆鳳ッ!決着をつけん!」
「はっ!流石の三好長慶もついに混沌は飽きたか――上等だ!」
全てをかなぐり捨てた武将としての三好長慶の姿に悪態を付くと、喉の奥から声にならない雄叫びが上がる。躊躇う事無く群がってくる兵を薙ぎ払い、暴風のような突撃に敵兵が宙を舞う。あと……少し。あと……。
もっと速く!もっと強く!もっと……。
俺に従い、後に続く奴らが居る。俺がここまで来るまでに必死に耐えた奴が居る。託した奴がいる。暴風の中だろうとなんだろうと、いつも俺が進めるよう、翼を授けるように策を託してくれる奴がいる。
この鳳の翼に全てを懸けて!
もう、三好長慶の姿がハッキリと見える。奴は笑っていた。不意にその口が閉じられ、瞬時に勝負の表情へと変わる。
大きく振りかぶりながら「飛び込め」と愛馬に願う。かつてない程の長距離を駆けてきても平気だったが、それでも疲弊しているのはわかっている。
交差の瞬間、三好長慶が捨て身で突きを放ち、俺が振りかぶった野太刀を振りおろす。刹那、右脇腹に電撃の様な痛みが走った。
どうしても反応が遅れた。岩融を振り抜いた形から思わず脇腹を手で押さえる。ぬるりと血の感触がするが、おそらく内臓はイって無い。鎧ごと串刺しにされたが、肉を斬られただけだ。
「ああ……楽しかったな」
大太刀を振り抜いた形から、咄嗟に血を流す脇腹を押さえながら振り向くと、俺の一撃で右肩からバッサリと斬り落とされた三好長慶が、空を仰ぎながら小さく呟いた。一拍置いて、刀を持ったまま天高く舞い上がっていたその腕がどさりと音を立てて落ちてくる。
「左少将」
ゆらりと三好長慶の身体が馬上から崩れ落ちた。
あとは任せた、という言葉を残して。
なんだろうな、見事に作戦を遂行した後だというのに実感があまりわかない。ただ、身体は熱を持ち、穿たれた脇の傷はジンジンと響く。そんな漠然とした余熱が中々引かない。
闘争の果てに狂熱を帯び、混沌に魅せられ――そういう風に見えるように振舞っていたあの男の姿がやけに鮮烈で、雨上がりの幻のように、未だにそこに佇んでいる気がした。
折角の見せ場なのに、例によってデスマ最中という事もあり、ブレブレな気がします。
冷静になって読み返して気に入らなかったら、書きなおしをするかもしれません……。
安●先生……‼もっと格好良く書けるようになりたいです……。