61話 それぞれの血戦
本当はもっと書くつもりが予想以上に長かったので、決戦は次話持越し。
京
明智十兵衛
夜半になんとか京までもどると、夜中だと言うのにそこはハチの巣をつついた騒ぎになっていた。足を使って情報を集めるまでも無い。比叡山の陥落は確定事項らしい。
誰が比叡山の陥落を予想したと言うのだろうか。この事実だけで背筋に冷たい物が流れ落ちてくる。
だが、ここまでだ。比叡山を獲られた?確かに困った事態だ。だが、流石の三好長慶も弾切れだろう。弾丸一発で仕留められなければ我ら黒田家の勝ちは揺るがない。
多少の犠牲を覚悟し、ただ戦にだけ全てを注げば。
「今の内に洛中を探れ。探すのは三つ。要衝となる箇所。激戦が予想される箇所。どうしても手薄になりそうな箇所だ。何が何でも水際で防ごうと思わなくていい。要衝に兵を撒く」
公方様の下へ向かいながらも、手を止めずに指示を飛ばす。戦の開始はおそらく早朝。真っ当に受けて立つには時間が足りない。夕刻から本降りになり始めた雨の所為で鉄砲も使えない。民間への多少の犠牲は目をつぶって、三好長慶を引き込んで殺す。戦を生業とした黒田武士の力を見せてやる。
「黒田第6軍大将、明智十兵衛光秀、これに」
「おお、よくぞ間にあった。十兵衛……ええい‼放せ、鹿之助!」
「…………なにをしてらっしゃるので?」
公方様がいらっしゃる武衛陣に入ると、抜き身の太刀を手にした公方様が鹿之助らに取り押さえられていた。いや、なにをしようとしていたのか、問いただすまでも無いか。良く引きとどめてくれた、鹿之助。
「公方様。物事には順序と言う物が御座います。比叡山に斬り込むのは一度退けてからです」
「そんな事は余もわかっておる。故に余はあの憎き三好修理を退けに行くのだ」
……聞きやしねぇ。殿……助けて下さい。
「鹿之助。状況は」
「夕刻頃には比叡の山に三好の旗が立ちました。完全に堕ちたようですが、流石にそのまま動く事は出来なかったのか、静かな物です……いい加減に!お聞きわけを!」
報告しながら取り押さえるのも面倒だったのか、ついに鹿之助が腕を首に巻きつけてキュッと公方様を締め落とした。いや、本当に……御苦労さまだった。
「……んぐっ!これしきで」
「何ぃ!?」
と、思ったら一瞬だけ落ちただけで、公方様は再び息を吹き返した。最近逞しくなりすぎです、公方様。
はぁ、とため息が一つ零れ出る。
「公方様」
「なんだ」
「斬り込んでも構いませぬ」
「本当か十兵衛!?」
「ただし、指揮権は我らが貰います。戦の素人のような真似は、勝利の為に存在する黒田武士を預かる身としては到底受け入れられませぬ。我らはただ確実に敵を仕留める方法を選びたく思います」
「……………………………」
誰も言わなかった言葉をあえて口にすると、公方様は暫し押し黙った後、ふぅ、と一つ息を吐いて太刀を腰へと納めた。同時にそろりと鹿之助たちが離れる。
「……そなたの言を採れば勝てるのだな?十兵衛」
「勝利の為――それが我らに課せられた唯一の命令であり、闘争の場に存在する唯一の理由であります」
「……よかろう。そなたに任せる。勝利の為に采配を振るえ」
私が一礼すると、サッと公方様の近臣が洛中の地図を取り出した。思ったよりも精度が高い。裏路地まで網羅しているとは……。
「余が見廻りの為にこの足で得た物だ。大分精度が高かろう?」
「十分です」
「後ほど写しもくれてやろう。使え」
「では、ありがたく――」
一つ一つ地図を指でなぞりながら配置を整えていく。三好長慶が打つであろう手の先の先へ。繰り返されるであろう闘争の先へ。そして――予想されるであろう決戦の地へ。
参謀の鬼謀が、神速の行軍が、かつて叩き込まれた死を超える訓練の答が今ここに示される。
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摂津
黒田官兵衛
天候が完全に裏目に出た。
降り始めた雨により、鉄砲を前面に押し出した大坂攻略の全てが延期となってしまった。しかも、細かい水路や湿地帯が続くあの辺り、雨の中を強行突破するのは自殺にも等しい。更にいうならば、もし、進んでいたとしたら雨で増水した淀川のせいで撤退すら出来ないという有様だ。どう考えても進軍するわけが無い。
隆鳳じゃないが、天気の神様という物が居たらぶん殴ってやりたい所だ。
「頼廉」
「頼廉です。何か?」
「大雨の後、あの辺りはどの様になる?」
「雨の規模によっては池の中に等しき有様に」
水は無いと困る物だが、多過ぎるというのも考え物だな。元々、網目のように張り巡らされた小さな川を縦横無尽に進むために小規模の船の数はそろえているが、雨が止んだとしても、むしろ海戦に等しい戦いになりそうだ。
特に今回は、「せめて」と思い、どこまで効果が出るか分からないが、淀川に簡単な堤を設営した。これが巧く機能し、淀川の水が向こう側へと氾濫すれば水攻めにも似た状況に陥る事だろう。後は根競べに持ち込むなり、川の流れが落ち着き始めたころに船を使って強襲に持ち込むなり出来る。
とはいえ、しばらく千日手なのは変わりがない。
「川が渡れるぐらいに水が引くまでどれぐらいかかる?」
「雨が止んでから3日。あるいは4日」
「その3日、4日の対応が勝負だな……」
三好方の、松永弾正の狙いが何なのかまだつかめないが、時間が経つほどに状況が拙くなるという確信だけは心の中に存在している。転進してきた三好本隊との戦になるか……あるいは、逆に足止めされるか。足止めされるとして、何が真の狙いかでも随分と変わってくる。
予想通りならば――。
「官兵衛様!情報方より急報です!」
陣内へと飛び込んできた善助の言葉に少しだけ目を瞑って一拍置く。
「聞こう」
「まだ未確定ですが、転進した三好本隊が比叡山を攻めている模様と」
「奴め、比叡山を抜いて京へ躍り出るつもりか。早急に続報を寄越せと伝えよ」
「はっ!」
予想よりやや斜め上を行かれた事に対して動揺した心を何とか落ち着かせる。鬼手を打たれた。だが、まだ大局には影響はない。三好長慶が京に躍り出る所までは予想できていたのだ。それが多少早まっただけ。後は、援軍が届くまで第六軍の明智が捌き切ってくれれば……。
「本多殿。松永は京に向けて動くか?」
「おそらく否かと。彼の性格を鑑みるに、これ以上の本命の策が無い限り、この地を守り通す腹積もりでいるかと。彼の御仁の中では『必勝の奇策を打ち破る不確定要素になりやすい黒田官兵衛、母里武兵衛、黒田家二枚看板の足止め』というのはかなり重き任ととらえているはず」
「買いかぶられたものよ」
だが同感だ。奇策、鬼手は敵の裏をかきやすい反面、失敗した時に受ける打撃が大きすぎる。打つとしたら、成功する率が10中9でも躊躇うほどだ。少しでも不確定要素は除きたいと思うはず。それに、その奇策を実行したのが他ならぬ総大将ならば以ての外だ。
松永弾正の人となりはあまり知らぬが、総大将の補佐役としては、その判断に幾分かの共感を覚える。
「動きますか?」
「動けぬよ、本多殿。動けたとしても間に合わぬ」
この天候、そして京とここの距離とその間に存在する敵領地の事などを考慮して逆算するに、もう既に京では戦が始まっているとみていい。黒田家の情報方は不確定でも重要性が高いとみればこのように早急に送ってくれる程度には優秀だが、優秀にも限度という物がある。
今後、戦域が広がる戦ではこういう事が幾度となくあろう。故に、俺達参謀の読みが更に重要になってくる。
そして今回は読んだ上で、あえて見送った――この意味がわかるだろうか。
「勝算、我にあり。変わらず我らの敵は松永弾正だ。武兵衛……ああいや、島殿の方がいいな。彼にも伝えてくれ――焦るな、と」
「あの様子だと島左近は大慌てだろうが……」
それは……本多殿。暴走しそうな武兵衛の取り押さえの為に、か?
腹の読みづらそうな御仁だが「そっちにいなくてよかった」という本音が少しだけ透けて見えた。
「ところで、参謀総長殿が京にいたとしたら、比叡山にどう対処しますか?」
「雨でなかったら焼く。山ごとだ」
「雨だった場合は」
「奥まで深入りさせて叩く」
そもそも、三好の狙いが京だと思った時点で手は一つ打ったのだが……その場にいない事を嘆いても仕方がない。あとは信じるしかないな。
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摂津
山名くん
「だぁぁあああああっ!堅ぇ!」
そうでしょうねーとしか言いようがない気がします。武兵衛さん。だって、芥川山って三好の三大拠点の一つですもの。時代遅れとも言ってもいい山城ですが、その複雑怪奇な防衛機構は力押しだと、逆にしんどいと思いますよ。
訓練で散々、籠城の指揮を執ったから、ボクわかります。ああいう城だったら、演習相手が殿だった時でもなんとかいい勝負できただろうなーと思いますもの。
半ば放置されていた置塩城に赴き、そこで「今から殺し合いをしてもらう」と言われ、演習とは言え、かの黒田左近衛少将隆鳳さまに攻められたときの絶望感ってわかります?その後、散々野戦演習の相手も務めさせられましたけど、あの方って力押しだけじゃなくて、真っ当な采配をさせても相当巧いんですよ……勝負所や弱点に対しての嗅覚がおかしいんです。
繰り返し、繰り返し、何度も負ける気分を味合わされるってどんなのかわかります?
潰れても、この目から涙って流れるんですよ……。
ああ、ああいう城っていいなぁ、って思います。
「武兵衛さんの限界が近いようですけど、左近さん、どうでしょう?」
「んー……あー……どうすっかな。俺も、この規模の城攻めは初めてだしなぁ」
「さこーん!この野郎!」
総参謀との会談ではキリッとしていましたけど、緩いなー、左近さん。
「いや。な。大将。この城に、それも手堅い事に定評のある三好日向守に構えられた時点で時間はかかるよ」
「それは俺もわかるけど」
「野戦に持ち込めませんかねぇ?」
「通り過ぎるフリでもしてみるか?山名君」
「……それはそれで被害が大きすぎる事になりそうな気がしますので他の手をお願いします」
特にその場合、エサになる役が必要ですよね?警戒されない程度にちょうど良さそうなエサが。
ボクたちがそのエサになる公算大です。
「いっそ本気で通りすぎちまうか?」
「んで、どこ行くつもりよ?そも、敵地ど真ん中で退路断たれて生き延びられっか?」
「んー…………無理!」
武兵衛さん、何で少し考えたんですか?今。
「むしろ、俺たちの本当の仕事は三好日向をここに釘付けにする事にあると思う」
「左近さん。それはどういう?」
「奴を自由にすると、おそらく決戦地の京へと動く。二軍派遣しているが、もし三好日向が京の戦に参戦すると、この城を得たとしても、京は落ちる公算が高い」
「本当にやりますかなぁ……」
こんないい城なのに……あっさり捨てるだなんてもったいない。
「三好の奴らは損切が巧い。それは戦の中でなくて、将軍家や管領家、寺社との暗闘の中で培った感覚なんだろうな。得る物がデカいなら、捨てる時はあっさり捨てるさ。だから大局的には現状が最善だ」
「成程な。言われてみれば確かにそうだ」
越水城もそうですが、三好はかつて丹波一国も捨てましたし、説得力はありますね。
しかし、左近さんもそうですが、こういう方々ってどういう視野をしているんでしょうかね……少し分けてほしいです。
「というわけでだ。敵さんが飽きない様にもう一丁宜しく頼んますよ」
「しゃーない……また無駄働きするとするか」
「はい」
こういう戦いも世の中あるんですね……。
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備中
宇喜多直家
毛利との状況は一進一退といった所だね。だけどそろそろ終幕も近いはずだ。
決定的な打撃は受けていないが、決定的な打撃を与える所まで至っていない。それはただ単に状況が膠着しているからではなく、謀略戦にも似た、拮抗した駆け引きが戦場で行われているからだ。一度でも敵に趨勢を傾けてしまえば一気に食われてしまう――刃の上を歩くような心地で采を揮っている。
流石は中国の雄、毛利陸奥守。冷や汗を流した事も、屈強な黒田家の武士に助けられたことも一度や二度ではない。
だからこそなのか。それが凄まじく嬉しく、凄まじく恐ろしい。対峙すれば対峙する程、一つ駆け引きを交わせば交わすほど、ふつふつと私の中の何かが湧き上がってくるかのようだ。
それは婿殿と会ってから久しく忘れていた激情。昏く、黒く、そして破裂しそうな程の狂気を纏った策謀家の業だ。それを最高の敵を相手に思う存分揮えるのだから、致し方ない。
「さぁ、次は――」
この激情を忘れさせてくれたのが婿殿ならば、思い起こさせてくれたのも婿殿だ。もたらされた情報と報告を元に、目の前の地図を睨みながら、その時の事を思い出す。
――ウチの中で毛利陸奥守に匹敵し、かつ超える可能性を持つのはアンタか官兵衛だけだ。
そう前置きして彼は言った。
思う存分喰い散らかせ、と。
側に居るだけで燃え尽きてしまいそうな程の闘志を漂わせ、私に全てを託していった。この激情に火がついたのは、その熱気に当てられたという事もあるだろう。
だが、悪くない。
久しぶりに私が何者なのかを思い起こさせてくれる。
私が更に何者になるかを指示してくれる。
単に留守を預かるだけならばお茶を濁すだけでも良かった。
だけど。
今、目の前にいる戦国屈指の怪物が、獲物に見えて仕方がない。
官兵衛さん。次回決戦の予定なので久しぶりに次回予告をお願いします。
「理想を抱いたのが幻想なのか。混沌が幻想を生むのか。混沌に理想を見るのが幻想にすぎない事は、とうの昔に知っている。だが、ある者は理想の為己が手を血潮に染める。またある者は終わりなき野心の為に全てを焼き尽くす。
次回、『決戦』。全てを得るか、地獄に堕ちるか」
隆(・o・)<むせる。