49話 黒田武士の漢気
今月まだ休みが無いだと……?
まだ大丈夫だ、今月は始まったばかりだ(社畜感)。
1564年摂津
「往ねやぁ!」
刀を振るいながら駆け抜けると、左右の敵兵たちの首がバスバスと飛んでいく。そうして出来た僅かな隙間に武兵衛やカンキチが飛び込み人が宙を舞えば、更に次から次へと死神たちが人の命を刈っていき、その隙間はどんどんと大きくなっていく。乱戦に持ち込めば鉄砲で狙われる事もあまりない。たまに馬上の人間に照準を定めた弾が襲ってくるが常に動いているため、まず当たることは無い。
「隆鳳!敵が退くぞ!」
「わかってらぁ。追い首はいらん。後ろから撃たれんよう、砲手だけ殺して後は捨て置け」
ごく当たり前のように体が動き、おびただしい程の敵兵を屠ってきてはいるが、まだ冷静に戦況を見る余裕は残っているつもりだ。武兵衛に指摘されるよりも早く、それこそ敵方は俺たちを視認した時から既に撤退の体勢に移ろうとしていた。その混乱に乗じたからこそ巧く蹂躙できたが、そろそろ潮時だろう。この見切りの速さこそ、三好所属の諸将らのもっとも厄介な所だと言える。
気が付けば、突入後に別行動になった弥三郎おじさんや新参の一色らも自然と近くまで戻ってきていた。それぞれ無軌道に敵陣をかき乱していた2つの流れがスッとくっつき、元の一つの軍へと戻っていく。
「聡明――……殿!」
「おう。その様子じゃ松永長頼は逃がしたか」
「面目ない」
弥三郎おじさんと一色五郎義定は突入してから結構大回りで敵後方を狩っていたのだが、それでもとらえきれないという事は相当だな。いずれにせよ、この乱戦は終わりだ。
「追うのか?」
「バーカ。追わねぇって今言ったばかりだろうが」
「いや……しかし、殿。石山本願寺が」
「おっと、武兵衛ならばともかく、お前迄も言うか、五郎」
密集地帯を抜け、まばらに逃げ惑う者たちばかりになってきたので、刀を振るう事を止め、馬を走らせながら軽く息を吐く。明石与四郎が強襲を掛けて降伏させた一色義道の息子だが、実は元服を済ませたばかりでこの中で一番幼い。才気は上々でまっすぐな性格をしているが、意外と侮れないしたたかさがあると俺は評価して、英才教育の為に弥三郎おじさんに預けていた。
ウチの小一郎とあまり歳が変わらないのに、あの父親に見切りをつけて独自の路線を模索していた事からも、少なくとも武兵衛よりは頭いいとは思うんだけどな……少し熱気にあてられたか。
ところで、話は少しそれるが、今回も君主代行を行っている小一郎といい、一色五郎といい、官兵衛の片腕を担っている善助といい、実は今10代前半のこの世代こそが黒田家の黄金世代だと思うんだ。大切に育ててやろうと思う。
「教えてやってくれ。教育役」
「我か?まあいい……確かに石山本願寺は要地だ。それこそ急いで奪還する必要がある程度には重要だ。そしてこの戦勝に乗ずれば奪還も可能……かもしれない。だが、思い出してみよ。何故我らが摂津を横断する必要があったのかを」
「飛び地という不利に付けこまれて分断工作を仕掛けられたからでしょうか」
「宜しい。やはり武兵衛よりは賢いようだ」
……武兵衛ぇ。凄ぇ悔しそうな顔をするならば、せめて五郎より先に回答しようぜ。
「つまり今、本願寺を取り返しても同じ事を憂う事になる。我らとしては本願寺勢を保護した事で当初の目的を達成し、本願寺が落ちた時点で我らの戦略的な敗北が確定した。戻り、摂津を押さえる戦ならばともかく、これより先に進む戦は無益だ」
「おっと、そこまで踏み込んで教えるか」
「私見だが、その反応ならばどうやら間違っていなかったようでホッとしている」
弥三郎おじさんの言っている事は間違いではない。本願寺が落ちた時点で俺たちの戦略的敗北は確定している。この事で顕如を本格的に手元におけば今後こういった揺さ振りは無くなるのがせめてもの救いだ。
だが、本願寺が落ちた事で三好はまんまと俺と上杉師匠を分断した。それも致命的と言えるまでに、だ。
本願寺が落ちたらどうなるか。まず考えられる事は一向宗の分裂と俺と上杉師匠を隔てる北陸路の断絶だ。
一向宗は一枚岩ではない。顕如が必死に抑え込んでいたが、北陸に居座る一揆勢は一向宗内部の権力争いも相まって、その手を振り切って暴走気味になっていた。そんな中、本願寺そのものが三好に落とされたらどうなるか――考えるまでも無い。北陸の一向宗の上層部は力の落ちた顕如の言葉になど耳を貸さなくなるだろう。それは今から本願寺を奪還しても同じことが言える。
結果として、俺と上杉師匠は軍を共にするどころか、物流の流れすら分断されてしまった。今後、多大な苦労をするだろうと思うと、頭が痛くなってくる。あの上杉師匠の事だから、特にウォッカが手に入らない事に業を煮やして愛馬の放生月毛の名を『火酒』とでも替えかねない。師匠、それ同じ名前やけど毛色ちゃうやん、とツッコンだらいいのか?
そんな冗談みたいな心配はともあれ、何度でも言おう。本願寺が落ちた時点で戦略的敗北は免れないのだ、と。
「戦略的敗北……ですか」
「ああ。だが、幸いにして本願寺勢の主力は保護できた。完全なる敗北ではない。ならば、我らがこれよりとるべき行動は、本願寺を奪回する事に非ず。負けたのならば、今はあえて『最良の負け』を目指すべきである」
「最良の負けとは?」
俺と弥三郎おじさんは馬を走らせながら、苦々しい思いを掻き出すよう、ふんっ、と同時に息を吐いた。
「無事に帰る事よ」
ただ、それが中々難しいのが戦の妙って奴でな。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
三好勢が撤退した事で息をついていた本願寺陣に到着すると、殿軍をしていた1人の僧形の男が配下を引き連れ総出で頭を垂れて出迎えた。やはりというべきか、抱えている鉄砲の数が多い。おそらくだが、この殿軍の奴らこそが、一揆衆ともまた違う、本物の本願寺の主力なのだろう。礼儀正しく、卑屈でもなく、頭を垂れても威風堂々としている。
こちらも当然の礼儀として、揃って下馬してその謝辞の受け入れを態度で示した。
「殿軍、ご苦労だったな」
「痛み入ります」
「名は?」
「下間頼廉」
「……だと思った。流石だ、ライレーン」
「頼廉です」
頓珍漢なやり取りに、ウチの連中だけではなく、本願寺の連中からも『ぶっほ!!』と吹き出す奴が続出した。
いや……俺達別に笑いを取ってるわけじゃねぇの。真面目だったの。すごくマジメだったの。だけどちょっと噛んだの。それに頼廉がすごく生真面目に返答しちゃってね?わかる!?弥三郎おじさん!ツボに入ったのか知らんけど、アンタは我慢しろよ!
しかし、何故笑いが起きているのか理解できずにきょとんとしている辺り、頼廉は相当真面目だな。真面目すぎてちょっと天然入ってるかもしれない。あれだ、分類するならば明智十兵衛と同類だ。
「簡単に……経緯を説明してくれるか?」
「は。 真に不甲斐ない話ではありますが、興福寺瓦解の報を受けて浮足立った所を、恐らく忍びの類による放火を喰らい、その際に法主様までもが火傷を負い、大混乱に陥り――」
「人の多さが逆に仇になって戦わずして落ちたか」
頼廉は微かながらもしっかりと頷いた。
顕如と頼廉の統率力が無かったわけではない。他の坊官も人を纏める能力はあったに違いない。だが、元は食い詰め者、流れ者が多い本願寺が意志の統率の出来ていない段階でパニックに陥ったら、俺だって纏めきる事は出来なかっただろう。大人数のパニックは下手な災害よりも性質が悪い。
織田信長は本願寺の総意を明確に敵対へと認識させてから戦を行った事で10年以上の時を費やすことになった。
だが、三好長慶は敵対の意志へと移行している段階で奇襲を仕掛け、一夜にして本願寺を落とした。
この奇襲はおそらく本願寺を陥落させる最適解だと思う。敵のやった事だが、興福寺を焼いた布石と言い、それほどまでに見事な奇襲だ。
そんな中で、本願寺に固執することなく、状況を計算した上で主力を纏めて離脱した頼廉の判断力とその手並みには感心だ。まず並の人間ならば出来やしない判断だと思う。
――ただ、軍事的には、という但し書きが付くが。
勿論、他の者も撤退を促したのだろうが、主力だけを離脱させたことは、弱者を庇護する本願寺からすれば痛恨撃になりかねない。苦渋の決断だったのだろう。
「顕如は?」
「呼んだかー?」
声に視線を上げると、平伏する頼廉達の向こうから、ふらっふらとよろめきながら顕如がこちらに歩いてくる姿が見えた。その後ろからはおそらく顕如の嫁さんらしき女の人と、抱えられた息子。その更に後ろには官兵衛たちの姿も見えた。
「随分とやられたじゃねぇか」
「ホンマになぁ」
いや、しかし……声は明るいが、相当やられたらしい。遠目でも顔の半分と腕、おそらく火傷だと思うが結構な範囲に包帯替わりの布が巻かれている。さてはコイツ、少しでも混乱を鎮めようとギリギリまで粘りやがったな。
「炎の中で念仏を唱えるんはこれっきりでええわ。何か啓ける気もしたけど、ご覧のあり様や。割にあわん」
「なんで炎の中で念仏唱えてるんだよ」
「しゃーない。やらんと、皆混乱が収まらん思てな。その少し前に。落ちてきた梁に頭打ってちびっとばかし意識飛ばしとったけど、ビシバシ気合入ったで」
「「うわぁ……」」
俺だけでなく、俺の背後に控える全員が炎の中で南無阿弥陀仏と延々と唱える顕如たちの姿を想像して絶句した。燃える大寺院。逃げ惑う人。炎の中で一心不乱に念仏を唱える顕如。壮絶以外の何物でもない。
「混乱が収まったんなら、逃げずに迎撃も出来たろうに」
「ジリ貧やで?炎の中じゃ虎の児の鉄砲もロクに撃てへんかったんや。手元で暴発して、それどころやなかったわ。逃がすだけで手一杯や」
「成程なぁ」
そこまで三好長慶が考えていたとは思わないが、鉄砲封じに火攻というのは理に適っているのかもしれないな。そういう所がイヤラシイ。
「……負けたなぁ、顕如」
「せやなぁ……」
近寄ってきた顕如の姿に、思わず込み上げてきたその敗北の味に――虚しく空を仰ぐ。色んな意味で今回は完敗だ。
「せやけど、負けるんはまだええわ。いや、良くは無いんだけど……それ以上に、身体張って背中見せて、それでも守れんかった。その事の方がキツい……ホンマキツい」
怪我をしているからか、あるいは逃げ延びた直後だからか、『らしくなく』顕如が顔を伏せ、唇を噛みしめていた。釣られてか、頼廉が率いていた者たちの内一部も、顔を伏せ嗚咽を漏らしていた。
弱音を見せるとは、人を率いる者としては下策もいい所だろう。だが、気持ちは十分にわかる。自分が逃げ延びるためにどれだけの人間を犠牲にしてきたのだろう。護りたかった者たちを護りきれなかった無念は如何程だろう。
俺は言葉を発しないままその様子に背を向けた。あまり見るのも失礼だと思ったからだ。
けど、俺としては、平然とされるよりも余程好感が持てると思う。
だから敢て応えよう。
「顕如……おい、ダチ公よぉ。無念はわかる。気持ちもわかる。お前が背負ってきた者の為に、俺に頭下げたり、身体張ってきた事もわかってるつもりだ。だから、折れて俯きたくなる気持ちもわかる。だがよ、だからこそ、俯く前に顔を上げろ――お前の目の前に誰の背中がある?」
噛み殺したような嗚咽が止まる。俺の目の前には今すぐにでも爆発しそうな程、戦意に満ちた表情の配下たちが控えている。
「――官兵衛ッ!この先、戦はあるか?」
「予想通りならばあるな。追撃があるかはわからんが、越水城周辺には今頃淡路、阿波、讃岐からの兵が上陸している事だろう」
「勝てるな?」
「勝つさ」
含むような笑みを忍ばせた官兵衛の声。気負うことは無く、既に計算上は問題ないと俺に告げる。
撤退戦とは急いで逃げる物だが、あえて真逆を行こう。勝てるならば焦る必要も無い。
ゆっくりと、出来るだけ他の本願寺の人間を回収して帰ってやる。多少は三好に手傷を負わせて焦らせてやる。それまでにどれだけ敵と戦おうと、そのすべてに勝ってやろう。状況次第では手土産に越水城ぐらいは奪いに行くかもしれない。
いずれにせよ、この落とし前は付けさせてやる。
こういう所が上杉師匠に似ていると言われる所以なのかな、と思うと少し笑いたくなってくるが、まだ頭に冷静な所は残っているはずだ。
「先駆けるぞ、武兵衛」
「承知だ」
『オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』
短いやり取りの後、武兵衛が合図するよう手を挙げると、他の者たちが今まで内側に閉じ込めてきた気合を放つように、空気が痺れる程の雄叫びを挙げた。
皆の意志を確認し、そして異様な雰囲気の中もう一度顕如を振り返り見る。今度はもう顔は下がっていなかった。
万感の思いを込めて、傷ついた将兵たちに告げる。
「――後は任せろ」
将に黒田武士の漢気是に有り、だ。
盛り上がってるところ気が抜けるかもしれないけれど、オマケ。
師匠の馬ネタついでに三馬鹿の愛馬紹介
隆鳳
「名は八木雨。毛色は黒鹿毛。小柄だけど、鍛え抜いた馬体が美しい自慢の愛馬だ。特にどれだけ長く駆けてもへばらない所が気に入っている」
武兵衛
「名は鈴鹿。栗毛。時折、左回りにクルクル回る旋回癖があるけど、とにかく速い。一度速度に乗るとどこまでも駆ける」
官兵衛
「成武。黒鹿毛。自分の影に怯える臆病な所があったが矯正されている。馬鹿二人がとにかく突っ走るのを追う事が多いが、ひけをとらない」
ギャンブルはしないけど、5年ぐらい前に流れていた『JRAの本気』と言われたCMに衝撃を受けてから競馬を見るのは好きです。どうやったらあんな格好いいキャッチコピーが書けるんだろう……。