6話 秘計 寝釣りの計
効果 味方の混乱
人を殺すのは簡単だ。
刃も弾も必要ない。殺すという意志と、行動が伴えば相手は死んで逝く。
……その一線を踏み越えられたのならば。
人は思ったよりも簡単に死んでしまう。
それこそ「殺す」という他者の意志も必要ないぐらいに。
一度死んだ事があるから間違いない。
「……なんちって」
ちょっと詩人ぶった感傷におどけて一撃必殺。刀から伝わる確かな手応えから数拍、視界の端で血煙が吹き上がる。
これで何人だ?
人を殺すのにためらうという段階はとうの昔に過ぎているが、それでも殺した数を律儀にカウントして自慢する悪趣味はない。
……かといって、殺した相手を憶えて心に刻むほど殊勝な性格でもないけど。
飛んでくる矢を無造作に左手で払いのけ、目の前の者の首へと野太刀が自然と吸い込まれていく。首だけでは止まらない勢いのまま、身体を沈め、巻き上げる様に斬り上げ一閃。背後から狙おうとして、足を断ち切られ、のた打ち回る兵には目もくれず、一息つきながら刀身についた脂を一振りで振り落すと、真っ赤な直線が地面に描かれた。
たった二人の若武者に何人も斬り伏せられ、それぞれの表情から若干の恐怖の色が見て取れる。だが、それでも周囲を見渡せば、遠巻きながらの囲いが崩れる様子はない。その囲いのうち、少し離れた所で、風が唸るほど武兵衛が槍を振り回すたびに、囲いがいびつな形へと歪んでゆく。
人気者はつらいね。それでも挑もうとする者は後を絶たない。
「度胸と意地と忍耐の強さだけならば、日本一だな、播州ソルジャー。いや、まてよ……噂の薩人マッスィーンには負けるか?」
そういえば、前世でやったゲームのイベントで島津のNPC一人に大手PC軍団が壊滅したと聞いて、鼻水を吹きだした事もあった。それから仇討ち掲げて吶喊してタイマン張ったけど、おそらくアイツとやりあった時が、前世の中で最も輝いていたかもしれない。だが、この世界ではもっとまともであってほしいと心から願う。
一息ついでにふと確認すると、全身のあちこちが返り血で赤黒くなっている。小さな傷はあるが、特に問題は無さそうだ。
体力はまだ十二分に残っている。見る限りでは武兵衛も問題なさそうだ……つーか、あいつすげぇな。人が宙を舞うとか、三国志の武将かよ。
刀は無銘だが、戦死した親父が遺した業物。一振り―――といっても、剣客みたいにかっこよくは決まらないフルスイングだけど―――で血や脂が落ちる事を考えると、百姓が持つには分不相応なくらいの逸品の様な気がするのだが、これでなければ、とっくに脂で斬れなくなっていただろう。ゲームのそれと比べると性能に不満はたくさんあるけど、継戦能力だけを見ると、これ以上ない働きをしている。
気分は……うん、やっぱ実戦という事もあって少し硬くなってるかな。
そう考えると、そろそろお開きにしたい。相手方の様子を見る限り、勇敢で蛮勇な彼らはしっぽ巻いて逃げてはくれなさそうだし、出番は今か今かと伏せてる兵たちが暇で寝ちゃう……そうなったら、釣り野伏じゃなくて寝釣りだ。
寝ー釣りー……。
「はっ!今、新しい戦術が……」
「余裕だな、大将―――」
視界外からの気配に無意識に反応してしまった刃が、ぴたり、と武兵衛の喉元で止まった。
そのまま咄嗟に滑り込むように、武兵衛の背後から迫ってきた少し身なりの良さそうな武者の首をはね飛ばす。振り返ると、そのまま入れ違うように、武兵衛の槍が反対側の敵の右腕を肩ごと吹き飛ばしている所だった。
「すまん!武兵衛。危うくマジで斬る所だった」
「あー……こっちこそ、すまん。俺が迂闊だった」
そのまま二人、再び背中合わせで謝りあうと、二人揃った事に警戒心が増したのか、包囲が厚く、そして遠巻きに変わっていった。
そりゃ……そうだろうな。気が付けば足の踏み場もほとんど無い程死体で転がっている。たった二人にここまでやられたら、警戒も増す。
俺がこの城勤務だったら、しばらくは悪夢で寝付けないだろうな。
「少し深入りし過ぎたな。門が遠い。官兵衛はどこにいるやら」
「……正直言うと、俺はお前についてきた事を凄く後悔している。それに、今思い出したんだが、」
「どうした?」
「いやー、よくよく考えたら初陣だわ、俺」
それはまた御愁傷様、と呟きながら笑うと、背中越しにうるせぇ、と情けない声が聴こえる。
誇れよ、武兵衛。筆頭手柄だ。
「武兵衛。初陣ついでにこの城落としちまうか?」
「へぇ……どうやって?」
「策なら今さっき思いついた」
「その時点で駄目な気がするんだが……言ってみろ」
相手も警戒してかかってこないからか、武兵衛も軽口に乗って次を促してくる。おそらく、俺と同じで少しでもおどけていないとやっていられない心境なのだろう。俺も少しだけ肩の力を抜いて、囲む兵に見せつけるようにおどけて見せる。
「まず、俺たちがこのまま戦い抜きます」
「第一前提からきついぞ」
「そして、その間、伏……城の味方が寝て待ちます」
「………………………………」
……正直すまんかった。伏兵言いかけた。
「で?」
「彼らが起きた時には―――何という事でしょう!」
「何という事でしょう、じゃねぇよ!?」
この『寝釣りの計』は戦術の斜め下最先端だと思うんだが……やっぱ却下か。ま、官兵衛がいなきゃ俺の戦術なんてこの程度だ。
わざと声を張り上げて『二人で落とす』と宣言して、動揺を誘う程度だ。
笑う者はいない。いきり立つ者が2割。戸惑う者2割。引き攣った顔をしたり、泣きそうな顔になった者が6割と考えると上々だな。少なくとも今まで顧みることなく斬り続けた甲斐がある。
ところで、俺から見て正面右手で『逃げちゃだめだ』と壊れたように繰り返し呟く君は○シ○○君?四文字中三文字伏せても誰の事か特定余裕ですわ。この時代では俺しかわかんねぇだろうけど。
「……でも、ま、確かに『ただ』逃げちゃなんにもなんねぇしな」
「あん?」
小さく―――もちろん、逃げちゃだめだと暗示を掛ける彼には聞こえないように俺は呟く。それは多分、俺が俺に投げかけた問い掛け。
一歩。
踏み込むと、微かに引きつった声が混じったざわめきが生まれる。
空気のひりつき方が酷い。あぁ、髪が汗でべたついて鬱陶しい。
一歩。
どよめく人垣の正面奥―――城の奥手から人がかき分けて進む様子が見て取れる。
「官兵衛!黒田官兵衛ッ!」
「隆鳳……貴様っ」
そして息を微かに荒げて現れた親友に向け、野太刀の切っ先を真っ直ぐ向けながら声を張り上げる。
その後ろにいる一際華美な鎧を纏った気の弱そうなおっさんは御着城主、小寺政職か?
よくもまあ、こんな所まで顔を出したもんだと思うが、今となってはもうどうでもいいか。現場の惨状に何もしなくても死にそうな表情してるけど、大丈夫か?
ここからは完全にアドリブだ。
俺と武兵衛を責めるように苛烈で、それでいてどのような事態になるか好奇心を隠せない官兵衛の真っ直ぐな視線に、喉から出る声に知らず知らず気迫が宿る。
「選べ!抗うや否や!」
声を張り上げると、どよめきが大きくなる。返事は正直どっちでもいい。
官兵衛と御着城が抗うなら俺達は血路を拓いて撤退。その後、抗争を泥沼化させる既定路線をとればいい。
そうでないのならば―――まあ、常識的に考えてそれはありえないだろう。
官兵衛が黙って刀を抜き払う姿が見える。成程、官兵衛がそう来るとなると、今回は撤退でいいか。2、3合でも合わせて鍔迫り合いに持ち込みながら、こっそりと言葉を交わして簡単な段取りをすればいい。
だが、中途半端な言いっ放しはおかしい。
「抗うのならばこの城、この場で皆殺しにしてやる!それがいやならば―――この場で降れ。身の保証は約束しよう。選べ!」
言いつつも、俺は刀を握る手に力を入れる。こちらは二人。相手は最低でも1000、その内援軍でも来れば優にその倍はいくだろう。それになにより、敵に潜り込み誘導する役の官兵衛が事態の長期化を望んでいる。この場での降伏勧告など聞き入れられるはずもない。
「ふざけるn――――」
「―――わかった。降ろう」
「「……えっ?」」
今、何か変な声が割り込んできた様な……気がするんだが。
官兵衛が代理で声を張り上げようとした瞬間、気が弱そうな外見からとは思えないほどの声で、小寺政職が思いもよらない返事を投げ返した気がするんだが……。
あ、背後で武兵衛が驚き過ぎてむせてる。
「御着城城主、小寺政職以下、将兵。黒田家に投降を申し込む。同時に我が首と引き換えに、御着城の将兵の助命を願う。頼りない主ではあるが、これ以上将兵がこうも見事に惨殺される事態は看過できぬ」
「「…………………………………………」」
血だまりとなった地面の上に膝をつき、頭を下げ始める殿さまの姿を見て、動揺し過ぎた俺と官兵衛は視線でどうしたらいいか牽制しあうが、二進も三進も行かない。
……いや、マジでか。
「……大将、黒田隆鳳だ。小寺政職殿の英断に感謝する」
どうしよう?二人……否、三人で。寝釣りの計を本当にやっちまったんだが。
あれか。
とりあえず言わせてくれ。
小寺さん。アンタ……。
何という事をしてくれたのでしょう?
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全国に衝撃と共に情報は伝わる。
播州姫路の黒田隆鳳。
播州小寺氏が居城―――御着城を攻略する。
1000名以上の兵が籠る大名の居城を攻略したその人数は、2名とも、3名ともいう。
とある森にて
「来ないですな……」
「ですねー」