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藤巴の野心家  作者: 北星
6章 死神共の理想郷
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44話 天下両輪

 京 黒田隆鳳


 「酔っぱらう前に本題を切り出しておこう」


 ストレートだとやはり厳しかったのか、顕如に薦められた蜜柑割りを口に持っていきながら公方が切り出した。

 当然の如く俺と上杉輝虎は黙ってストレート。元々日本酒党じゃなくて、ワインとスピリッツ系は好きだったんだよね、俺。フェイバリットはジン、特にボンベイだったなぁ。ウォッカはロシア、ポーランド系じゃなくて、北欧系のプレミアムウォッカが好きだったんだ。プレミアムつっても安いしね。

 

 「酒飲み話で済む本題かい、公方さん」

 「今から取り上げようとした所で誰も応じんだろう」


 無理だね。酒宴が始まってから酒飲むなと言うのはまず無理だ。変な所でこじれるよりはマシ、と思ったんだろう。


 「今回、上杉弾正と黒田左少将にお願いしたいのは、次の時代の話だ」

 「次の時代、とは?」


 杯を口に含みながら、上杉輝虎の眉が微かに上がる。怪訝、というよりは不審と言った方がしっくりくるかもしれない。

 公方は一つ頷くと自らの杯を置き、あろう事か俺たちに向けて深々と頭を下げた。


 「余だけでは――幕府だけでは、もうこの時代は止められん。だが、この戦乱の時代を止めねばならん。故に……故に、二方の力を借りたい。主従ではなく、利害でもなく、幕府の保身の為ではなく、ただただこの情勢を憂う足利の棟梁としてその力を見込んでお願いしたい。余と共にこの戦乱の世を収めてくれ」

 「………………………………………」

 「何を――……ひとまず、頭を上げられよ」


 焚き付けた張本人として、なんとなく予想は出来ていた。申し出自体は、だが。

 頭を下げてまでお願いされるとは思いもしなかったが。


 「……お願いされたとして、具体的には何をすりゃいい」

 「そなたは余に『花道を用意してやる』と言ったな、左少将」

 「言ったな」

 「余の眼の黒い内に幕府は畳む」


 上杉輝虎と顕如が息を呑んだのがわかった。後列に並ぶ幕臣たちは既に聞かされているのか、何とも表現し難い張りつめた気配を漂わせている。悲観、という段階は既に通り過ぎ、腹を固めているようにも感じられた。


 「だが、ただ畳むわけにもいかん。新たな秩序を作る為、ある程度の天下静謐を目指さなければならん。次代へと続く道のりを拓いて、立ち消える――それがこの時代を生み出した幕府の最後の責任……そう言ったのもそなただよな、左少将」

 「……そうだな」


 それが実現できればどれだけ簡単な事だろうか。責任というが、幕府にはもうそんな力など残っていない。


 多分だが、公方が望んでいる形は、古代中国の周王朝のそれに似ている。権威が落ち、好き勝手を始めた諸侯に対して、力を持った王に『覇者』となる事を求めた。斉の桓公、晋の文公、秦の穆公、宋の襄公、楚の荘王。いわゆる春秋五覇だ。

 実力を以って諸侯を睥睨し、天下経営を代理した。


 だが、この日本の場合、皇とは皇室であり、覇は古より平氏、源氏、北条氏、そして足利氏だったはずだ。その足利の棟梁から変則的にさらにその代理をしろという事は……。


 ……花道に修羅道を歩むか、足利義輝。


 「余の名代として――その力を以って、世の中の騒乱に介入し、平らげてくれ」


 公方が再び頭を下げると、奥から二振りの太刀を持った神妙な顔をした男が俺たちの前にやってきた。その男は黙って俺と上杉輝虎の前にそれぞれの太刀を置く。


 「これは?」

 「余の名代としての証だ。上杉殿には大典太光世。黒田左少将には童子切安綱」

 「おいおい……秘宝中の秘宝だろうが。それに、まだ引き受けるとは言ってねぇが?」


 ああ、でも上杉輝虎は意外と乗り気かもしれん。突拍子も無さ過ぎて少々追いついていないといった感じだが、眼は曇ってはいない。


 「引き受けてくれぬのか?」

 「引き受ける以前に判断につきかねるっつー所だ。まあ、引き受けるかは、どのように動くか、詳細しだいだな。なあ?上杉殿」

 「うむ……そうだな。公方様の御心。志、確かなれど、我らは所詮、戦人。勝算の無い戦に臨むことも無ければ、何より戦場での介入を最も厭う。某らが軍を率い、某らもその『騒乱』の一員である以上、やれ、これを平らげよ、ここを攻めよでは戦にも勝てん」


 意外と言うんだな……幕府への忠義は篤い方だと思っていたが。


 俺達は軍人だ。軍人であるが、それと同時に自ら軍閥を率いる元帥でもある。ただ命令に従って戦えばいいという立場では無い。

 それは当然他の大名にも言える事だが、だからこそ俺達だけが特別に動けると言う訳でも無い。ましてや、命令に従って自らの利益を損なった場合、次に的になるのは俺達自身だ。慎重になるのは当然と言える。そしてそれはどの大名も同じだからこそ、今の室町幕府の零落があるのだ。こうして俺達が集っただけでも例外とも言える。


 「某の一生はそれこそ下手すると武田と北条相手との利害関係の調整で終わりそうだ」

 「あー……やっぱ厄介なんだな」

 「うむ。好き敵よ。奴らの戦略に巻き込まれた上で、引っくり返そうとするしか手が無い」

 「つくづく、うちには官兵衛がいて良かったと思うよ……」

 「上杉はんに官の字がおったらえらい事になってたろうな……逆にトッキーの所に官の字がおらんかったら……うん、やめよ」


 敵の戦略にまんまと乗って、その中で暴れまわるとか鬼か。実際、北信濃を廻る武田との争いも、北条に対抗しての関東入りもそうだろうしな……相手方が整えた空気に流され、戦略上の主導権を奪われている上で、肝心な所で負けないとか師匠マジパネェっす。

 でも、実際のところ、関東入りって「担ぎ上げられちゃったからしゃーない」という惰性ですよね?関東の反北条の諸君。師匠にエサを上げちゃダメ。


 「余からはやれ、ああしろ、こうしろ、と上から言うつもりは無い。戦略も都合もそちらに任せる。これは幕府の為、余の保身の為、ではないのだ。求む事は二つ――勝って平らげる事と、治めきる事だ」

 「ふむ……黒田殿?」

 「一つ訊く――公方、アンタはどうする?」

 「当然、余も自ら軍を起こすぞ。さしあたってはそなたと連動出来る所まで立て直す。その上で、たとえ至らぬとしても、余の公方としての価値はいくらでもある。少なくとも、何人かの大名の眼は覚めるだろう」

 「自らの死も織り込み済みか」


 覚悟は見事だ。それは想像以上に見事だ。だが、あまりにも見事過ぎて、あまりにも自らの身を顧みていない申し出であると思う。公方の申し出は自らの役目を全うする事に全てを賭け、利益を全部捨てている。

 先日、三好長慶とあった俺からすれば、その覚悟は余計に悲壮すぎる。そんな覚悟が出来る人物だからこそ、最悪、自らが捨石となって幕を引くことも織り込み済みだとしたら、あまりにも……。


 「死ぬ事は……嫌だが、戦って死ぬのであらば、それもまた運命であろう。だが後悔したまま死にとうは無い」


 口だけの男だったら――たとえば、史実での足利義昭が相手だったとしたら、俺は鼻で笑うだろう。死ねよ、クソ公方と俺が殺しにいくだろう。

 だが、恥も外聞も捨てて己が運命と抗う事を決めた男が命を懸けてまで頼んできたとしたら――義侠心を揮っても惜しくは無い。このご時世に公方のお墨付き、なんて何の価値も無いが、「天下を取りに行け」と言われているに等しい大義名分をタダで貰っては、少々貰い過ぎだろう。


 「……あーあ、上杉殿はともかく、お前らとなんざ、関わるつもりなんてこれっぽっちも無かったというのによ」

 「なんとも素直すぎる言い草だ」

 「それを自分で言っちゃ世話ねぇよ、公方」


 自虐ネタで苦笑する公方に向けて、俺は一つ頷く。


 「俺が引き受ける条件は一つだ――時代を憂い、次代を想うならば生きて抗え。薄汚く、みっともなくとも生きた上で堂々と幕を引け、公方。この条件を呑むならば、我ら黒田武士、いくらでも戦おう」

 「うむ。そうだな。そこまで覚悟があるならば、その言葉が嘘ではないと通しきって貰わんと、死んだ者に顔向けも出来ん。某も、同じ条件であらば、身命をとして戦おう」


 目の前に置かれた刀を手に取り、僅かに抜き、そして鍔を鳴らす。誓いの金打だ。足利義輝と上杉輝虎には不思議な顔をされたが、即座に俺の行動に誓いの意味が込められていた事を察したのか、同じく各々が刀で鍔を鳴らした。それを皮切りに、その場に居た者たちが同じく鍔を鳴らし、キンキンッと甲高い鉄の音が心地良い和音となって響く。


 「刀を使う誓いの方法は好いな。姫路の習慣か」

 「余に最も似合った誓い方よな」

 「あ、ああ……うん、まあ」


 ……うん。格好つけたけど、金打ってこの時代の習慣じゃないのね。少し恥ずかしいぜ……。

 ああそうか。この二人、刀バカだったな。剣豪将軍は言わずもがな、上杉輝虎の愛刀なんてカタログが出来る程あるんだ。


 「ウチも刀持って来れば良かった……」

 「物騒な事言ってねぇで、お前はおりんでも鳴らしておけ」

 「持ってきてへんわ」


 1人だけハブにされてブーたれてるのがいるが、まあそこはご愛嬌という事で。顕如なりの意思表示という事なのだろう。


 「誓ったという事で、話を戻そう」

 「ええで」


 上杉輝虎の言葉に顕如が頷く。うん、まあ、冷静に考えてみればすごい組み合わせだ。


 「誓った以上、ある意味、某らは同盟以上の関係性を築かなければならん」

 「誓ったは誓ったけど、どう動くかなんて全く決まって無いしな……合流するか、真反対の方向に進むか」

 「現状、某らの距離が遠すぎる。合流とはいかずとも、ある程度は近づくべきか。現状、交易も怪しい」

 「コイツの取引が出来ないとお互い困るものな……」

 「うむ」


 元々、上杉は直江津を中心とした日本海交易で軍費を賄っていた節がある。交易路の確保は必須だろう。俺たちからしても、品物が届けられないんじゃ儲けもないし。


 「関東から離れられるのか?上杉弾正」

 「情勢次第かと。最近、武田が駿河を窺っている節がある。うまくいけば関東の件は片が付こう」

 「三国同盟の崩壊からの北条との和睦、か」

 「うむ。目はある」


 まあ、史実通りの動きだな。武田信玄と義兄弟の顕如が上杉と武田の間を取り持つという手も考えられるが、関東にかかりきりの現状を鑑みるに、手を結ぶならば武田より北条だ。北条もいい加減、上杉を相手したくないだろうし。


 「いざとなったら、幕府からも仲を取り持つように働こう」

 「その時はどうぞよしなに」


 とりあえず、上杉輝虎との連動の方向か。ならば、一つだけ方針は固まっているが。

 それがわかっているのか、満を持して、といった感じに顕如が腕まくりをした。


 「それならウチの出番やな」

 「ああ、とりあえずあの公方を丁重に弔っとこか」

 「あいよー」

 「こやつら……相変わらず性質が悪い!ところ構わず余をいじくり倒すその度胸は余所で使わんか!」

 

 南無南無と2人揃って公方の生前葬が済んだところで、もう一度仕切り直し。上杉殿にも笑っていただいて、雰囲気も幾ばくか柔らかくなった所で顕如が飄々と口を開き始める。


 「上杉はんとの連携をとるには北陸の道を拓く事が必要や。せやけど、加賀とかあの辺りにはウチらの庭や。実際、上杉はんとは何度もぶつかった事がある」

 「一向宗が黒田殿の下についてから、そういった話も少なくなったが」

 「少なくなった、やろ。無くなったわけやない」


 上杉輝虎は黙ってうなずく。

 俺が一向宗を民として迎えた時、顕如には各地の一揆を抑えて民に戻せ、と伝えてある。将来の火種になりかねないため、宗教が武力と権力を持っているのは好ましくない。日常の中にある信仰、という同じ未来図を描いている顕如もそれに同意して、一揆を推奨するのではなく、圧政で苦しいならば石山本願寺か姫路の民になれと推奨を進めているのだ。

 その甲斐もあって、たとえばだが、一揆が収束した三河などからお礼の手紙が届いた事もある。

 今では、徳川家康が文通仲間です。無論、俺から見れば対織田を見越した外交工作。家康からすれば領内安定のためや、本願寺ラインを通じた武田との折衝等の外交戦略の一環ではあるんだけど、たまに嫁との関係についてのお悩み相談まで書かれるから返事に困る。

 いいかぁー馬鹿野郎。側室を入れたら嫁からの風当たりが強くなったって、原因思いっきり見えとるやないか。お前それ、現代で言うたら「不倫したけど別れたくない。どうしたらいいですか?」ってのたまう駄目旦那やぞ。

 俺ん中での徳川家康像はとっくに崩壊したわ……。


 まあ、そんな与太話はともかく、事、北陸に限ってはそう上手くいっていないのが現状だ。


 元々、北陸は一向宗にとって本拠であり、長きにわたって支配してきた土地である。その土地を外敵から護ってきた『一揆』から離れる事はそう簡単ではない。それに加え、一向宗の首根っこを押さえている俺の支配地域から離れている事や、まだ若い顕如に対して侮りを見せる、一向宗内部の権力争い等が複雑に絡んできている。

 特に後者については、『縋ってくる者に手を差し伸べる』という信条から顕如自身は決して認めはしていないが、もはや内部分裂といってもおかしくない程に酷い。看板が同じだけで、中身は別物だ。

 顕如はそれでもあきらめずに人を送って、根気よく説いている。切り捨てられたらどれだけ楽なのだろうと思うが、決して切り捨てをしようとしていない。


 「ホンマの事言うたら、トッキーと直接乗り込んで抑えるが一番なんやろけど、それもまだ先の話や……」

 「現状、北陸に構ってられる状況じゃねぇな」


 朝倉とはいずれ若狭を巡ってぶつかる可能性もある。

 だが、順番が違う。

 毛利とは停戦中だがいつまで続くかわからん。それに加えて、この畿内には放し飼いにすると何するかわかったもんじゃねぇ奴がいるし、そしてなにより、畿内でドンパチするならばともかく、北陸まで遠征する程の体力が残っていない。

 畿内でのドンパチは間違いなく、鉄砲の撃ち合いだ。被害は田舎のそれとは比べ物にならないだろう。


 「ウチがギリギリまでなんとかする。殺生やさかい、時間をくれ。それでも間に合わんかったら……煽動しとる阿呆はどうでもええ。せめて民は出来る限り見逃したってくれ」

 「……時間が必要なのは某も同じ事。幾度となく対峙してきたが、黒田殿との縁もある。直接こうして語り合った事は心に留めておこう」

 「ありがとう」


 関西独特の訛り方で感謝しながら、顕如は少しは肩の荷が下りたような佇まいで頭を下げた。


 「しかし、現状、どうしても時間が必要になってくるな。俺もまともに動ける気がしない」

 「話を纏めるにも一苦労しそうだな――誰か、ひとまず紙と筆を以て記録せよ」

 

 本当に何やってんだろうと思わないでも無い。俺と上杉、まったく別の勢力の頭が雁首そろえて何やってんだろうと。

 けど、後悔は今の所無い。天下獲りの大義名分が立っただけでも収穫だ。上杉輝虎はどう思っているか知らないけれど……。


 でも多分、案外上杉師匠が考えている思惑なんて単純な物なのかもしれない。抗い、努力する者に手を差し伸べたくなる――結局の所、俺と上杉輝虎は義将などではなく、ただ単にお人よしなだけなのだ。


 

「そう言えば閣下は?」

「折しも悪く、余所に使いに……」


立った!アイアンクローのフラグが立った!

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