31話 鬼の国―参 黒田包囲網と陰の価値
御盆が終わりましたね。
ご先祖様達と一緒に帰りたい……
1563年4月 備前石山城
黒田官兵衛
腑に落ちない事がある。
松田方の後詰を蹴散らすと、あっさりと石山城が降伏した事はむしろこちらの思惑通りだ。同時に宇喜多殿の仕掛けている調略も、黒田諜報部隊の一部を貸し出したことで隠密裏に上手く進んでいる。重要拠点を陥落せしめ、野戦で駆逐し、諜報も進めば松田方との決着もそう遠くはない。
そして、松田方を陥落せしめた後は、浦上の離反を誘引し、出てきた所を姫路の隆鳳の率いる軍が急襲する―――あるいは、誘いに乗らなかった場合は俺が楔となり、徐々に奴らを削り取るだけの話だ。どちらに転んでも対策は考えてある。
だが、それでも引っかかる事がいくつかあるのだ。
一つは浦上の動向。
事前に、隆鳳の素性を流言した事もあり、俺たちが奴に対して含むところがある事は周知のはず。つまり、現時点では表向きは同盟関係にあるが、信頼に値しない同盟関係である事は疑いの余地もない。
にもかかわらず、浦上は、俺の後詰に留めるのではなく、自らが戦線に赴いて、備中とも近い辺りで松田方の城を攻めているという。確かに、今回の表向きの総大将は浦上の家老である宇喜多直家だ。傍目から見ればおかしいところなどはない。
だが、宇喜多直家は独断で俺たちと手を組んだり、俺たちと連動するように上月城を奪ったりと、独自先行が目に余る。つまり、俺たち同様、宇喜多直家は積極的に支援するに値しない存在だ。では、何故奴は自ら赴いたのか―――まさか、今更ながらに俺たちや宇喜多直家との繋がりを強固なものにするというわけでもあるまい。
次に気になるのは、浦上以外の勢力の動きだ。
有体に言えば、三村が大人し過ぎる。備前、備中の勢力はほぼ二分されている。毛利方か、尼子方か、だ。今回の場合、浦上、三村は毛利方で、松田は尼子方。だが、内実、浦上(実質は宇喜多だが)と三村は所々で利権を争い合っている。今回、三村が大人しいのは新たに俺達が参戦した事で様子を窺っているとも受け取る事が出来るが、どうも違和感が残る。
それともう一つ。松田の背後に居る尼子の動向。一昨年当主の尼子晴久が死んでからというものの、西からは毛利、東からは俺達に削られ、余裕が無いにもかかわらず、援軍を出したという。まさに本拠地近くまで毛利に食い荒らされている今、これを放置して遠くこの備前まで兵を飛ばす事などするだろうか?
もし俺が尼子の人間だったならば、これ幸いだと、松田を捨て石に黒田家に停戦を持ちかけ、多少の損失を被ってでも交渉の席に相手を引きづり出すぐらいの事はする。この状況下で援軍を出すなど、もってのほかだ。
だから、俺としては尼子が講和を持ちかけてくる事を折り込んでいたのだ。
「ふむ……」
「浮かない顔をしているね、官兵衛くん」
「お互い様だ」
俺が言葉を返すと宇喜多直家は困ったように頭を掻いた。
違和感を覚えていたのは俺だけでは無い、という事か。
「……この尼子の動き、君はどう思う?」
「どうもこうも、毛利にしてやられているはずの尼子が動ける理由は一つ―――大物が釣れた予感だ」
「毛利と尼子の和睦……か」
「あるいは連合か」
「信じられない事をするね。それだけに、毛利―三村―尼子―浦上……この連合がもし本当だったとしたら、凄まじい鬼手だ」
「そうでもないな。あるとは思っていた……まさかここまで早く仕掛けてきた事は想定していなかったが」
浦上が徐々に心離れていたはずの毛利を頼みにする―――それは想定内だ。俺達と毛利を選べと言われたら毛利を選んだほうが少しはマシだ。
尼子が毛利と手を組む―――あるいはその傘下に堕ちる。それもまた想定内だ。一昔前ならば到底考えられない事だが、もはや勝敗が決してしまった今となっては、尼子方が家名存続の為、折れる可能性が高い。毛利としても本腰を入れて俺達と戦う前に、尼子を滅ぼしてその残党に頭を悩ませるような愚は避けたいと思うだろう。細かい権益や、事情等を考慮に入れなければ十分考えうる。
「君の所に報告は?」
「連合結成の確たる証拠は掴んでいない。まだ状況からの判断だ」
「……だが、尼子と毛利の密約なくしてこの援兵は成しえない。ほぼ確定かな?」
黒田包囲網―――ふとそんな言葉が頭に浮かんだ。毛利、尼子、そして三好―――それぞれが単独で動くのではなく、今度は轡を並べて挑んでくる。これほどの窮地が今までにあっただろうか?
囲まれたのは隆鳳の嫁取り以来かもしれない。しかも、規模はその時と比べてはるかに大きい。
さて、どうする?どう切り抜ける?この石山城を奪った時点でとりあえず足は止めた。これから浦上の本隊が向かっている松田の本拠、金川城へ向かったら松田の兵に加え、十中八九裏切る浦上、援軍の尼子の兵に囲まれる。だからこれは論外。
ならばこのまま獲ったばかりのこの城に籠るか?それもまた論外。堅城ではあるが、姫路とは比べ物にならない上に、城の把握を完全に終えていない今、籠城策はありえない。
それでも、足を止めて隆鳳を待つ?だが、そもそもここまで周到に囲まれた今、隆鳳はここまで届くのだろうか?俺が毛利ならば、尼子の援兵と同時に、海と陸を使い行軍を始め、また奪ったばかりで完全に把握しきれていない国人衆に手を伸ばす。もし、その手を打たれたら、かなり際どい。
つまり、「切り抜ける」という発想は論外。
では、どう、反撃に転じる?
着目すべきは、敵中に浮かぶこの城を、宇喜多を「孤立」と見るか「楔」と見るかだ。幸いにして、宇喜多直家は戦以外の搦め手が非常に巧い。黒田の兵站と、宇喜多の調略―――決して落ちる事のない城と、近寄る者を背後から絡め取る蜘蛛の糸。これを主眼とし、蝕むようにこの連合を崩壊に導けば後は非常にやりやすい。
ただ、この方針の問題は―――……。
「正念場だ、宇喜多殿」
「そうだね」
「だから、単刀直入に訊こう―――変わらず、あの馬鹿に、俺達に力を貸してくれるか?」
宇喜多直家が俺たちの敵に回らないかという事。隆鳳の舅ではあるが、彼とて一家を担う者。隆鳳との縁組もそこに利益を見出したからこそ申し出た物だ。状況が不利となれば、離れても致し方ないという想いが俺の中にはある。
宇喜多直家は俺の目をまっすぐに見返し、少しの沈黙の後静かに口を開いた。
「……勝算は?」
「ある。貴公には?」
「勿論」
「杞憂だったか?」
「そうだね。むしろ、予想外過ぎて少し驚いた」
苦笑いを浮かべていた宇喜多直家の視線に力が増した。
「官兵衛君、一ついいかい?人を光か陰か―――陰陽で分けた場合、私は間違いなく陰側の人間だが、陰はね?光があって創めてその容が顕になるものだ。そしてその光が強ければ強いほど、陰も強みを増す。最も強き光と出会い、そして容を得た陰が再び陰の中に戻ろうと思うかい?君ならばわかるだろう?」
「……ああ。わかる」
自らの容すらわからない暗闇の中で、自分の為に策謀を奮おうとする者は、いずれもっと深い闇に溶け込み、それがわからぬまま消えていく。
だから、策謀家は君主には似合わない。だから、俺もあの馬鹿の下につくことを肯んじた。
蛇蝎の如く嫌われようが、この身を必要とし、その価値を認めてくれる者がいれば、その者の為になんでもやろう―――損得ではない。そうやって、策謀家の本能は光を求めていくのだ。
だから、宇喜多直家の気持ちは理解できる。彼は俺と同じく隆鳳に光を見出したのだ。
「確かに官兵衛君の危惧も当然だとは思うけど―――あまり私を舐めないでほしいな」
「……すまん。愚問だった」
「まあ、お互い様だよって事で余談はこれぐらいにしておこうか。それで?官兵衛君。策は?」
気を取り直して一息。さて、勇み足を踏んだが精々働くとしよう。
「あまり方針は変わらない。あの馬鹿がやってきた時に戦いやすくするだけの話だ」
「じゃあ、私は変わらず少し動いてみよう―――で、官兵衛君は?」
「まず、連合を前提とした場合、分断を図りたい」
「具体的には決まっている?」
ああ、と俺は一つ頷いて声を落とす。
「帰趨は決まったわけではないが―――まず、浦上の天神山城を燃やす」
隆鳳と顕如と休夢
「一点だけの輝きで言えば、一番輝いているのは休夢だがな」
「ウチもおるで!」
「年季がちげーよ」
「年季はしゃーないわ。ぶっちゃけ、ウチは剃っとるだけやし、確かに天然物には負けるわー」
「……ほう、面白い事話しているな、クソガキ共」
「「!?」」