い閑話 前略、ラーメン屋にて
相変わらず(作者の)頭が悪い。
ひとつ、面白い話をしよう。
ある父親が居た。
彼は息子たちがしでかした事の後始末に追われていた。金勘定に、人の差配に通常業務。手が算盤をはじけば、頭の中では文言をこねくり回し、段取りをとってはぶち壊され、それでも「家」を護ろうとその仕事は連日連夜まで続いた。
そうこうしている内に、いつの間にかその場を凌ぐどころか文句のつけようが無い程の「お釣り」を弾きだし、そして息子たちの帰還によりその戦いは圧倒的な大勝利で終わった。
だが、そうして帰った家で、彼は崩れ落ちる事になる。
久方ぶりに会った、下の娘の「お父様、痩せて良かったね」という裏表のない率直過ぎる言葉によって。
彼はそれまでの激務による疲労と予想外の精神的衝撃でしばらく立ち直れなかったという。
……おやっさん。御勤め、ご苦労様っす。
虎ちゃん、それはないわ。聞いた時、官兵衛と二人で大笑いしちゃったけど。
「で、儂が寝込んでいるその間に、お前はまんまと商人にしてやられて、80貫も巻き上げられたのか」
「面目ねぇっす……」
ずるずると麺をすすりつつ、投げつけられる鋭い眼光に俺は心なしか小さく縮こまる。
はい、というわけで縮こまらずともちっちゃい黒田隆鳳さまだよー。
今、俺は姫路城下で営業を開始したラーメンを実食中です。所詮、戦国時代の……と思いきや、鶏、魚介、塩で仕立てられたあっさり系スープの完成度が思ったより高い。勿論、味の深みが足りないとか色々と言いたい事があるが、これはこれでアリじゃないかと思う。材料の問題である以上、俺が作ったとしても、おそらくこれぐらいの味に落ち着くだろうと思う。
問題はというと、少し値段が高いか、といった所だ。一杯が80文は庶民には結構厳しい。江戸時代の二八蕎麦の由来が2×8=16文と思えば破格と言えるだろう。
だが、この味は売れる。現にこの店内は仕事上がりの時間帯という事もあり、城詰めの家臣らで埋め尽くされている。
……彼ら、時折、俺達の存在に気が付いてビビった顔しているけど、まあ気にしたら駄目だぜ。
「これ、もう少し濃くてもいいな……」
「お前は本当に馬鹿舌だな、官兵衛。これ以上濃くするには四足でも使わねぇと無理だと思うぞ」
官兵衛は意外と豚骨とか好きそうだよな。流石は史実では福岡の主になった男か。
俺?ラーメンは醤油派。昔ながらのあっさり系がジャスティスの元ハマっ子です。
「お前ら儂の話を聞く気無いだろ?」
「あるよ?」
「食いながらか?」
「そりゃ、麺が伸びちまうし」
「それもそうか」
俺も料理を作るからか、やっぱ料理はおいしいうちに食べて欲しいし、おいしいうちに食べてあげたいと思うんだよなぁ。
そして、こんな謎理論で納得する辺り、おやっさんらもなんだかんだでメシにかける情熱は凄いと思う。官兵衛なんか、何だかんだ言いつつ一番食べるのが早いし。
「まー、なんだ。80貫の出費は単位の確認を怠った俺の失態だ。無駄遣いしてすまん、おやっさん」
「父上。この馬鹿を擁護する訳じゃないが、コレに言った所で無駄だと思う。コレは時折そういう致命的な事をやらかす」
「……確かにそうなんだがな。御着城の件とか室山城の件とか因幡の件とか」
うぐっ……今何か胸に刺さった!?
つーか、言われてみれば、俺ってほとんどやらかした上で版図を広げているじゃないか……。
「まあ、儂に言わせれば但馬の件と言い、お前も相当なんだがな、官兵衛」
「うぐ……」
親父は強い(確信)。あー……なんだ、急にラーメンがしょっぱくなってきたぞ。
「で、だ。次の事なんだが、年内は動かずか?それ次第で、儂らの動き方も変わってくるんだが」
「動かず、というか、動けずと言った所だなぁ」
「元々、丹波、丹後、攝津を視野に戦略を立てていたのだが、この馬鹿が因幡を獲った事で大分状況が変わってしまった。今の所は第一候補に攝津北部を考えているが、西がどう動くか……」
「毛利と尼子か」
「あと、浦上と宇喜多だな、父上」
ラーメン屋でする話でも無いが、急遽始まった会議に若干ではあるが店内の喧騒が静まった気がする。そりゃ勢力のトップ三人がいきなりこんな話を始めたら困るよな。
「ハッキリ言えば、浦上は今まで毛利と手を結んできた。だが、俺達が勢力を東にではなく、西に伸ばした事でかなり警戒をされてしまっている。更に言えば、赤松氏の勢力を牛耳っていた浦上からすればこの馬鹿が播州を完全に掌握した事を良くは思っていないだろう」
「反面、毛利の尖兵である三村氏が西から迫ってきている事で、毛利―浦上の繋がりも弱まっているんだよな。正直、浦上は手詰まりの状況にある。ありうるとしたら三好と結ぶか、尼子と結ぶか」
「……成程。そういう状況であれば、なおさら警戒は必要だな」
迂闊に姫路から外征に出ようとしたら、間違いなく浦上は兵を挙げて俺達に向かってくるだろう。宇喜多という緩衝材があったとしても、俺達と浦上の関係はそこまで焦げ付いてしまっている。
では、先手必勝―――と兵を挙げるにしても、宇喜多との約束があるので、迂闊には挙げられない。
前に俺は、宇喜多には備前、美作をやると言った。彼らが俺の傘下にあるならばまだしも、今は同盟関係でしかない。そんな中、勝手に俺達が兵を挙げて浦上を討ったとしたら―――今度は宇喜多との関係がこじれる可能性が高い。こじれずとも、信頼はガタ落ちするだろう。それだけは避けたい。
いずれにせよ、宇喜多が口火を切るまで俺は待つつもりでいる。俺達はあくまでも手助け。今後、宇喜多といい関係を築く上でも、今は馬鹿正直に約束を護るべき時だと思うのだ。
「今はとにかく裏から仕掛けつつ、待ちの状態だな」
「浦上の領域に対して、こちらから流れる物資を少なくするように仕掛けている。あからさまにならないよう、だが確実に響いてくるはずだ」
東に姫路。北に因幡。海は村上水軍。意図せず囲んだからこそできる一国兵糧攻め。この策を聞いた時には、流石は官兵衛と思った物だ。あ、もちろん、宇喜多には物資を流しているよ。
「それは……ふむ。で、東は?」
「次郎殿が別所氏に引き続き、有馬氏を口説いている。別所とは長く戦ってきた相手らしいが、元は赤松氏の支流だし、現当主は俺の従兄弟らしいし」
俺の母親の姉の子らしい。話はあまり聞かないが、俺と同じく赤松と細川両方の血を引くって事は相当アレな奴なんだろうと思っている。兵の損耗を避けるという意味合いでも、できれば味方に引き込みたい所だ。
「はたして有馬が身内と言うだけで動くか……?」
「ちゃうちゃう。おやっさん。これは仲裁だ。有馬と別所の、な。もし俺達に与するならば、新たに土地を用意するから、呑めと言ってある。呑まなかったら血祭りだともな」
「どこを用意した?」
「赤穂。塩田の支援付きだ」
「別所と離すのはわかるにしても多すぎじゃないか?石高で言えばほぼ同じだが、塩が付いたら別だぞ?」
確かに。塩は大事な収入源になるはずだ。それを丸々渡すという事は多過ぎととられても仕方が無いように思える。
「有馬の勢力圏の淡河、三田は交通の要所だ。塩の利権も惜しいが、今後の戦略と、新都市構想の事を考えると山陽道と湯山街道の確保を優先したい。だから、それ相応の対価を用意した」
「……ふむ。ついで、金は出るが、塩田の開発に有馬の人間を使う事で、儂らの負担も減らせるか。成程。して、代わりに誰を入れる予定だ?休夢でも入れるのか?」
「そりゃ、皆のこれからの働き次第って事で。無論、候補はいるが、な」
わざと声を大きくして言うと、辺りで聞き耳を立てていた他の客が動揺して、ガタガタと席を鳴らす音が聴こえた。最前線になるので流石に城主は期待していないだろうが、働き次第で、俺が重要視する地域の担当になれると思ったら、居ても経ってもいられないのだろう。
いいぜ。働け。奪え。必ず報いてやるから。
「しかし、また金がかかるな……頭が痛くなってきた」
「人材も育ってきたし、来年は税収の向上も見込めるから、今年ほどじゃ無いさ」
「そうだといいがな」
後は天候次第かな。やっぱ天気の神様ぶん殴ってくるか。
それとも、誰か生贄に捧げるべきか……十兵衛とかどうだろう?うっかりで神様にほえ面かかせる事が出来そうだし。
「問題は丹波だ。俺がずっと手を伸ばしているが、独立の気風が強いからか、思ったより芳しくない」
「でも、先ほど入った最新の情報によると、もしかしたらこの冬動きがあるかもよ?参謀さま」
「お、何だ五右衛門。居たのかお前」
「あら?この店を教えたのは誰だと思っているのかしら?」
話に割り込む声に振り返れば、俺に背を向ける形で五右衛門が座って麺を手繰っていた。
目立つクセに、こういう所は優秀だよな、無駄に。
「で、どういう事だ。五右衛門」
「どうも、ウチらの躍進に焦った三好の者が丹波の引き締めを開始したようね。もしかしたら、この冬、丹波の国人衆と三好との間でひと悶着あるかも」
「つけ入るとしたらそこか。また少し働いてもらうぞ」
「了解よ」
背中合わせでそんなやり取りする姿は格好いいんだけどさ。ラーメン屋でやるなよ。豪快に麺をすする音が台無しだぜ。あ、お前、熱い物食ってるから鼻垂れてるじゃねぇか、官兵衛。
……しまらねぇなぁ。この2,5枚目の男は。
「ふむ……では、こんな所か」
「いや、あと一つあるぜ」
言って俺は食べ終わったラーメンの器を置いて、辺りを見回す。店主は……いた。すごく見憶えのある奴だけど、お前ちょっとこっち来い。
「どうも……殿。それに皆様」
「おう、予想以上においしかった」
「あ、ありがとうございます」
「けど、どうも気になっている事があるんだが、一杯の原価っていくらよ?」
「……7割ぐらいです」
「「高ぇ!?」」
店主の回答に、おやっさんを含めた周りの人間から驚きの声が上がる。今この店に居る奴らの大体は内政方だ。日々数字と戦う彼らからすれば、そりゃ驚きの数字だろうと思う。現代ならば、飲食の原価は大体売値の3割ぐらいだが、この時代でそれは無理にしてももう少し低くしろよと言いたい。
「俺はそれが気になってよぉ。俺に頼らず、美味い飯を広めてやろうって気概はすげーありがたいんだけど、お前も料理人なら腕の安売りは辞めろよ」
「しかし、それでは、」
「一杯の値段が庶民には受け入れられない物になってしまう、か?」
「……はい」
理屈としては店主も間違っていない。城では無く、街で店を構える以上、ターゲットは間違いなく庶民だからだ。そしてそれに対して、俺も文句を言うつもりはない。宮廷料理が源流のフレンチなどと違い、この国の場合、食の担い手は常に庶民だったからだ。
「という訳で、この状況を何とかするのが俺達の仕事だと思うんだが?おやっさん」
「……言わんとしてる事はわかる。わかるぞ……隆鳳」
「要は安く食材を手に入れられるようにすればいいだけの話だろう?」
「じゃあ、お前ならどうやる?官兵衛」
「…………………………」
流石の官兵衛も手詰まり気味か。なにせ、一朝一夕でどうにかなる問題じゃない。食糧問題は戦国時代の永遠の命題だからだ。
「……ごちそうさま。店主。お金はここに置いておくわよ、釣りはいらないわ」
周りの人間も巻き込んで、それぞれ何とか名案を出そうと沈黙が続く中で、五右衛門が立ち上がって声を掛けた。
五右衛門……お前、粋な真似をするじゃねぇか。
「あ、ありがとうございます……80文丁度確かに」
「五右衛門てめぇええええええええええええっ!!」
俺の感動を返せ!!金額が丁度ならば釣りは出ねぇよ馬鹿野郎!
「目下、課題は安定した生産量の確保か」
「それと流通の問題だな、官兵衛」
「いっそ効率のいい生産法の研究を、我らが主導で行ったらいかがでしょう?」
「流通に関しては、関所の撤廃と道の整備で」
「公営の市場を設けて市場価格の安定化を―――」
「そうなると予算の確保から――――」
お前らもクソ真面目だな!?いつの間にか、俺達の席の周りに他の客も集まって来て、揃ってアレコレと提案を始めているし……。
このラーメン屋での会議が、後世では「日本経済の産声」と呼ばれる事を彼らは知らない。
その頃の直家さんと又七郎さん
「姫路にらーめんなる新たな名物があるそうですね……食べに行きましょうか。又七郎」
「……また、某が他の者から「頼むから姫路への使者を代わってくれ」と懇願されそうな姫路行きの理由ですな、八郎殿」