82話 誇り
1565年7月 大阪
松永弾正
黒田家、動く――その報がもたらされた時に胸に抱いたのは「ついに来たか」という覚悟に似た感想だった。殿が討たれ、仮初の和睦が行われてからも摂津北部を巡っての小競り合いは続いていたのだ。母里武兵衛だけを矢面に出し、その間にも着実に奴らは力を蓄えていた。それをさせまいと手を出していたのだが、恐ろしい事に、それぞれの役割を分け、同時進行する事で対応されてしまった。大々的な軍事演習を行ったと聞いた時、我々の行動は足止めにすらならなかったとハッキリと悟らせられたのだ。
我々の事は既に片手間で対応できる程、力の差が生まれてしまったのだ、と。
即座に三好日向様(三好長逸)と相談し、兵の損耗を最低限に抑える為に芥川山城の放棄を決定し、戦線を大坂、飯盛山城を中心とした淀川南岸へと定めた。元々芥川山城は黒田家との和議の際に割譲するかどうか争点になっていた地点だ。それに黒田家の狙いが京への道を開く事だったという事も影響している。
黒田家の侵攻は芥川山近隣だけで収まるかという淡い希望は半々だったが――。
「奴ら、間違いなく来るな。弾正」
「左様かと、日向様」
5月の黒田家主力を率いた黒田左少将の上洛。そこまでは予想通りだったが、一部を除き、左少将の本隊が京南部に滞在してもう既に2カ月も経とうとしている。そして運び込まれる物資の量と各地の動きをみる限り、単なる滞在では無い。
そして、三好家の現当主、三好左京大夫義重様は公家の九条家と深い繋がりがあり、そこから流れてきた京からの報せがこの後、我々に牙を剥くであろうと容易に想像ができた。
「文字通り、黒田左少将はこの世の全てを壊し尽くすつもりのようだな」
「殿」
誰が敵とかでは無い。誰もが敵だと見做した新政権構想。これは黒田家が上洛した事ですり寄ろうかと考えていた他の大名家も背筋が凍る事だろう。
これも時代の流れと肯じるか。
時流に抗い散るか。
これが左少将なのだ。大殿の――改革者としての三好長慶の後継者。
立場上、我らは歩み寄れたのかもしれない。だが、もう退けぬのだ。
「何卒……殿は阿波へとお戻りください。御一族の中で最も年齢が高かった為、選ばれたのです。我々時流に乗れぬ老骨と心中する事はありませぬ」
「いいのだ、日向守。仮初であろうと当主を名乗った以上は退けぬよ」
「しかし……」
「日向守。我に生き恥を晒せと言うか」
「あえて言いましょう。はい、と」
「弾正!」
言い淀んだ日向守様の代わりに口を挟むと、ダンッと音を立てて殿が立ちあがった。険しい表情をしたその容貌はまだ幼さが残る。齢はまだ16。だが、大殿の弟御の遺児の中では最も年齢が高かったのが殿だ。このような厳しい時に幼少の者を頂く余裕はない。
実の父上である殿の弟御、十河讃岐守の面影が良く残っている。十河様は儂とは仲が良くなかったが、剛直な武者振りは誰もが認める所だった。
故に、儂が憎まれ役をやるのだ。
「死ぬつもりはない……が、我とて死ぬ覚悟はとうに出来ている。畿内は玉砕覚悟で残り、四国は温存してしかるべき所で降る。皆――おそらく黒田左少将ですら、そう描いているのはわかる。だがな、仮初とは言え我は三好の当主。我が決戦前に退けば汝らの死線も全て無駄よ」
驚きはない、が、思いのほか静かに語られるとは思わなかった。若輩なれどしかと覚悟は出来ているようだった。
長慶様の唯一の御孫様、仙熊様は既に阿波に送って保護をしてもらっている。そして、阿波には家中随一の能吏、篠原岫雲斎殿、長老の三好笑厳様が居る。お二方も四国勢を率いてこちらに来るとおっしゃっていたが、まさに我々が引きとどめた。たとえ我々が負けても三好が三好として生き延びてもらう為だ。黒田家の新政府案が流れてくるまではまさにそのつもりでいたが……。
「お気配り頂き、誠にありがたく思います。ですが、黒田は人を家で見ず、個で見る家。既に片鱗を見せ始めております、三好の名を継ぐ殿の個――我々老人からするとここで詰ませるのは惜しゅう御座います」
「……年寄りになると悲観が過ぎるようになるのか?弾正。我は負けるつもりで戦をするつもりはないぞ――汝らもそうであろう?負けるつもりで戦をするならば、いっそ戦などするでないわ」
「……む」
逆に若さとはこんなにも向う見ずな物か、と言い返そうと思ったが口が止まった。思えば、黒田左少将も黒田官兵衛も殿と同じ年代の若者。そしてその若者に我々はここまで追い詰められて来たのだ。隣を見れば同じく返す言葉も無いのか日向様が静かに首を横に振った。
「……お見事な覚悟に」
「うむ」
鷹揚に殿が頷き我々の答えが出た。
「だが、正直な所、勝ち方がわからんな」
「弾正」
「は、説明の前に、主要な方々をお呼びし、軍議と参りましょう」
日向守様が手を叩くと襖が開かれて、殿の説得の間に待っていてもらった方々が入ってきた。三好下野守政康、その弟御の三好因幡守政勝、我が弟、内藤宗勝、岩成主税助友通、堺の名物男こと松山新太郎重治、池田丹後守教正、多羅尾右近、野間左橘兵衛の若江三人衆。彼らは一様に殿に平伏したが、それぞれ微かな視線を寄越し、失敗したな、と眼で言ってきた。
「では、簡潔に始めるとしましょう。まず大和、和泉は放棄。主力は全てこの摂津南部に結集。本営はここ大坂。主要拠点は最前線から淀、茨木、飯盛山、若江」
「籠城を主に考えるのか?弾正」
「はい。大軍での正面衝突は考えない方が宜しいかと。何故ならば、これより嵐の季節となります。故にこの辺りの湿地帯は野戦に向かぬ地勢となります」
奇しくも、こういった地勢を活かす戦法を最も得手としているのが他ならぬ敵の黒田家。兵を小分けにし、神出鬼没の用兵で翻弄する――弱者の戦い方。味あわせてみるのも悪くない。
「淀、茨木はさほど固執する必要はありませぬ――泥沼に引き込み沈めるのです」
「……恐ろしい事を考えるな、弾正」
「残念ながら、元々は黒田家の戦法です」
実際にやろうと思ってみると、入念な下調べが必要な事だと身にしみてわかる。雨が降ったらどうなるか。どれだけ雨が降ればこうなるのか。水の流れはどうだ。風の流れはどうだ。陽の傾きはどうだ。まさにこの土地を「自らの庭」にしなければやっていけない。
だが、奴らはそれを人の庭でやるから余計に異様さが際立つ。どれだけの諜報を放っているというのだろう。そしておそらく今回も――。
「この戦は土地を完全に掌握せねば出来ませぬ。故に、この軍議は誰が先陣を、という話には成りませぬ。それぞれに地勢を叩きこむ事こそ連携の肝かと」
「成程……無論調べは」
「ある程度は纏めてあります。ただ、完璧と過信するのは拙いかと」
「それと、捕捉を一つ。物資を集めはしたが数には限りがある。出し惜しみはせぬが、それぞれが残量には気を配る必要がある」
日向守様の言葉に皆が一様に頷く。物資は出し惜しみしなくとも二年は戦える。ただ、それ以降になったらわからん。冬になったら奴らが退くか――あるいは、この時を待っていたと総攻撃を仕掛けてくるか。
そして、その頃に、我々の死活を左右する淡路は持ってくれているだろうか。淡路が落ちれば阿波や讃岐から新たに補給する事も難しくなる。商人を伝に買いあさるしかない――が、今度はその金銀がどこまでもつか、という問題が出る。
長慶様の唯一生存している弟御、三好水軍の主である安宅神太郎様は既に玉砕を覚悟して臨んでいる。
「ああ、それともう一つだけ。配置は語らぬと言いましたが一人だけ例外がいます。我が弟、内藤を大坂で殿の横に置きます」
「ほう?その心は?」
「当家で一番黒田の軍勢と対峙し、その度に何度も打ち破られ、身内として何度も討ち死を覚悟し、それでも不思議とシレッと生きて帰ってきている男だからです」
視線を我が弟に向ければヤツも何でだろうな、と苦笑をしながら頭を掻いていた。何度死別の覚悟をしたかわからない。奴の敗走を聞いた度に何度死んだと覚悟したかわからない。生き意地汚い者では無く、むしろ淡白で気が付いたら何でもこなしてしまう挙句、敗走してもひょっこりと帰ってくる不死身の弟だ。お陰でいつの間にかお互いがジジイになってしまった。弟の苦笑顔がよほど面白かったのか、つられるようにみんなが声を上げて笑った。
「成程、お守りならぬ御守り代わりか。いざという時は内藤に付いて行けばなんとかなるな」
「左様。それでも差し迫ったら盾にでもしていただければ」
無論、本音は半分だ。もう半分の本音は殿の若さから来る勢いは好むべき事だが、その若さが辛抱の邪魔になる事を危惧したといった所だ。老練な男を脇に付けた方が落ち付くが、往々にして年寄りは煙たがられる物。丁度いい口実であると思う。
それに若者の相手は儂よりも何事も如才の無い弟の方が向いている。
「では――殿」
「ああ、受けて立つぞ。我らが三好だ!」
「「「「「応っ!!」」」」
時代は変わる。だが、時代が変わっても男の誇りは忘れ得ぬ物。そして我らが誇りは三好であるという事。三好長慶の輩であるという事。この誇りを奪うというならば受けて立つ。身は朽ち、躯を晒そうとも踏みにじらせぬ。
我らが三好。
我らが――。
三好家の人物一覧
三好長慶(故人) → 言わずと知れた藤巴屈指の敵役。
三好物外軒実休(故人) → 三好長慶の弟(次男)。物語が始まる前に戦死しているが、三好の本拠地を統治していた実質ナンバー2。
安宅神太郎冬康 → 三好長慶の弟(三男)。淡路を統治する三好水軍の頭領だが、風流人として細川閣下が感嘆した事もある人。
十河讃岐守一存(故人) → 三好長慶の弟(四男)。物語が始まる前に病死。鬼十河と呼ばれた三好兄弟の中では一番の猛将。
三好筑前守義興(故人) → 三好長慶の実子。三好との緒戦の後病死。実際に彼の死が三好家の衰退を招いた。
三好左京大夫義重 → 三好家現当主。十河一存の息子。気の強さと性格は実父譲り。作中現在で16歳、かな?黒田家の三馬鹿よりは年下。
三好日向守長逸 → 長慶の腹心。割と初期から出ていて人気もある人。尚、史実は……うん。三好三人衆の一人。
三好下野守政康 → 三好三人衆の一人。真田十勇士の三好青海入道のモデルとして有名。
三好因幡守政勝 → 三好政康の弟。真田十勇士の三好伊三入道のモデル。
岩成主税助友通 → 三好三人衆の一人。影が薄いがどちらかと言うと内政寄りの人。講談だと猛将扱いなんだけど……。
松永弾正少弼久秀 → 御存じ義理1どころか義理マックス爆弾正。
内藤備前守宗勝(松永長頼) → 松永弾正の弟。行間で一番修羅場くぐってんじゃねぇかな……尚、息子はキリスタン大名で有名な内藤如安。
三好笑厳 → 三好家一門の長老。現在は早死にした十河一存の代わりに讃岐を統治中。
篠原岫雲斎長房 → 三好家の宿老。阿波の統治に掛かりきりだが、席次は三好長逸と同じく松永弾正より上。
松山新太郎重治 → 弁説、芸能に長け「堺の名物男」と言われた男。かつ数々の武功を立てた猛将でもある……前田慶次のプロトタイプかな?お前は。
若江三人衆 → 三好家の若手。池田教正は史実では足利義輝襲撃の実行犯。野間、多羅尾は松永弾正の甥っ子。
作者から一言。
後書きの方が時間かかったんじゃ―。