81話 刃を掲げよ
難産だった……三好家を活かすルートと対決するルートと何回書き直したか。
1565年7月
京 黒田隆鳳
夏の京は人の住む場所じゃ無い。心成しか現代よりも涼しい気候の戦国時代だが、それでも夏になればジリジリムレムレと湿度が襲い掛かってくる。軍が洛中に滞在する事について配慮をし、洛中では無く、伏見に城を構え駐留しているのだが、俺自身は洛中に滞在して執務を行っている。大体が、新政府発足に向けた朝廷との意見のすり合わせだ。どいつもこいつも、暑いのに白粉とかバカじゃねーのと言いたい。
そんな中、洛中に籠っているのも嫌なので、鴨川に川床を造らせ、協議はもっぱら水のせせらぎを聴きながらの開催をしている。川床は夏の京の風物詩だが、まだこの時代には無いようでこれがもっぱら評判が良い。併せて、馬廻り謹製の料理の評判も上々だ。特に姫路、龍野で量産が始まった素麺を使った冷やし素麺が中々ウケがいい。この時代の素麺はどちらかというと蒸したり、温めてにゅうめんとして食べるのが主流だったのだ。
若干の緩さを残しつつも、協議する内容は真剣そのものだ。
理想を語る事は簡単だ。だが、理想過ぎても事は上手くいかない。
俺が知る中で人類の最大の失策はキリスト教とマルクスの資本論だろうと思う。
キリスト教の教義、そしてマルクスの資本論は理想としてはこれ以上無い程美しい。だが、人間の薄汚さを配慮に入れないから成り立つ理想論だった。
キリスト教を取り入れた事で、欧州はパクスロマーナから2000年近い衰退を招いた。
マルクス経済学に則った結果、どんな国が生まれたか――結果は言うまでも無いだろう。
政治で理想を語るな、とは言わない。だが、理想過ぎる政治は単なる毒だ。
俺はなんとかして近代に似た体制を作りたい。だが、現状、完全に再現するのは不可能だ。まず、移動速度が現代と違い過ぎる。地方の動きを注視しても、まず間違いなく不備が起こるだろう。そう考えると、封建制を若干残して大名連中を残して彼らに代理統治をお願いするのは賢い方法なのかもしれない。
だが、同時にそれは諸刃の剣であるとも理解している。先日、(非公式ながら)陛下の前では民衆のレベルアップに伴い、いずれ市民革命が起きるであろうと説いた。だが、おそらくそこまで行くのに順調でも100年はかかるであろうと思っている。今から2世代ぐらいの教育が必要だ。その中で、大名による統治を残したらどうなるか――真の民主主義まですんなり移行するかと言えば、まず間違いなく失敗するだろうと思っている。上に立つ者からすれば、ある程度下の者がバカな方がやりやすいからだ。
それに、民衆がバカなまま権利を渡したらどうなるか――自由の国という名の修羅の国の実情を見ればわかるだろう。故に最も成功した自由主義国家であり、唯一成功した社会主義国家と謳われた現代日本をモデルにしたいのだ。
体制の事もそうだが、現在公家の者たちとの間で俎上に上がっているのは、「今現在の統治者たちをどう扱うか」に尽きる。爵位制度を俺は提案して、公家連中からはある程度の賛同は得ているのだが、実力で今の地位を勝ち取ってきた、または守りぬいてきた武家連中が賛同するとは到底思えないのだ。
それに、さあ、爵位制度を施行しましょうとなった時、その財源はどうなるかも不明だ。現在の日本各地の統治者を任じたら、数が多過ぎて財政への負担が莫大な物になる。その割には、生産性や収入と言った見返りが少なすぎる。そこに加えて更に人数が増す官僚制度をぶち込めばもう大赤字だ。
結論から言えば、現在の武家連中を間引かなければならない。仮に爵位制度を作るとして、少なくとも爵位を与えられるような武家は数十万石を抱える大名クラスのみになるだろう。10数人でも多いぐらいだ。
つまり、俺がやるべき事はまず間引きだ。戦乱期故に人材は多い。取捨選択が求められる。
「さて、戦を始めようか、官兵衛」
「そうだな」
自らの地位のある程度の保証がされているからか、思いのほか朝廷側は協力的に思える。裏ではどう思っているかは知らんが。
そんなこんなで、今回も公家との会合も無事終わり、彼らが帰った後が俺たちの本題だ。ズルズルと素麺をすすりながら官兵衛が答えた。
「どこから行くかすら纏まらない程に敵を作りやがって……」
「より取り見取りでいいじゃねーか」
逆境を笑え。コンチクショウと撥ね退けろと部下に説いて俺がやらない訳にはいかない。まだ新体制の事については発表していないが、もう既に公家ルートで漏れているだろう。ここから先は全てが敵だ。
「――いい加減、三好とケリを付けようじゃねぇか」
「ああ」
畿内の怪物、三好長慶を葬った後、かつての重臣らが見事に立て直した三好家。彼らの悲願は仇である俺を討つよりも、三好長慶に報いる為、その嫡孫を何としてでも遺す事だと聞いている。もう既に大黒柱がへし折れている上に落とし所はハッキリしている。そして、宿敵として弱った所を他の連中に持っていかれるなんてふざけた結末は迎えたくない。
「淡路、畿内の2方面作戦で良いな?隆鳳」
「ああ。海軍は淡路。俺たち本隊は畿内。余所に守備兵を置きたい上に、その二つが落ちれば後はどうとでもなる」
そして、三好家の主力がその二つだ。淡路には三好長慶の実弟、そして三好水軍の総帥、安宅冬康。畿内には三好長慶の後継である三好義継。三好長逸、三好政康、岩成友通の三好三人衆。そして、松永久秀、内藤(松永)長頼の兄弟。武兵衛の特攻で芥川山を失ったが、不退転の覚悟で大坂を中心に軍を纏めている。
「すぐ編成に執りかかれ、官兵衛」
「仮組みならば既に終わってる。総勢3万。淡路は海軍と第8(別所)、第11軍(細川)。大阪に第1軍(隆鳳)、第5軍(官兵衛)、第10軍(武兵衛)」
「別所を淡路にやるのか?防衛の要だぞ?」
「攻めにも通じる所を見せてやると言ってたからやらせてやる」
「そうか……別所勢は三好と因縁があったな、そういえば」
「それと、間違いなく淡路の方が早く落ちる。そして補給線の取り合いで激戦区になるはずだ――奴らを投入する意義がある」
淡路を落とせば畿内は孤立する。主力を畿内に送ったとしても、この戦の本当の要は淡路の争奪戦だ。意義はわかる。だが、その前に制海権を取らないと陸上部隊が重しになってしまう。果たして二つも軍を派遣していいものか――官兵衛の賭けに乗るか。
「……いいだろう。陣触れを出せ」
将来の事を考えると三好長逸、松永久秀は是非とも欲しい人材だった。だが、彼らは三好長慶に殉じるだろう。自らの命と引き換えに、最後の忠勤に励もうとしている。敵対していてもその鋼の意志は痛い程伝わって来ていた。
だからこそ、本当に欲しい人材だったのだ。
サムライはかくあるべし。
だから俺が行こう。黒田家の――新政府の勃興は彼らの魂と向き合ってようやく始まる。決着を付けて初めて始まる。
三好長慶と戦う事を選んだ俺の判断が正しかったとは言わない。ただ、戦は誰が正しいかを決めるのではない。誰が生き残るかを決めるんだ。そして俺は三好長慶を討った。正しかったかはやはりわからない。
そして、三好長慶本人は死んでも、その意志を継いだ亡霊が俺の目の前に立ちはだかっている。
さあ――ラストラウンドだ。生き様を見せつけ合おうじゃないか、宿敵よ。
うーん、書いていてふと気が付いたんだが、この世界線で後世の三好長慶は間違いなくスーパーヴィラン(今更)。