80話 上洛
すごく真面目な話になった。
カクヨム改稿版も宜しくお願いします(URLは活動報告に)。
1565年 5月
足利義輝
その日は心がざわついていた。早朝に門の前を自ら清めようが、政務を執ろうが、どうにも落ち着かない日だった。悪い予感では無い。だが、良くも悪くもこの国が変わる時が近くなると思っていた。それは周囲の者も感じ取っているのか、やけにざわめきが大きい日であった。
「公方様――」
「うむ。来たか」
報せを受けて、縁側に腰かけていた身を起こし、曳かれてきた馬に跨る。腰には三日月宗近。この身は華やかな鎧に身を包んでいる。だが、凶事では無い。
黒田左近衛少将隆鳳――山陰、山陽12カ国を領する覇者の上洛の日だ。
武衛陣から通りに出ると、辺りには見物の民衆。そして微かに見える藤巴の旗と十五文銭の旗。民衆は半信半疑、そして恐怖が見て取れる。
だが、恐怖と懐疑の目線の中を堂々と歩むその軍の姿は――惚れ惚れとする程に美しい。怒声どころかしわぶき一つすら声を出さない。それだけにやけに鎧の音が響く。天下に悪名高い〝悪党”赤松の播州兵と毛利、尼子を降して得た百戦錬磨の軍団。軍団長が声をかけずとも彼らが一人として軍規に背かずに従っていた。それは驚きであり、そして恐怖であり、そして憧れである。
「……問題はあったか?」
「いえ、まったく。喧嘩狼藉の類は一度としてございませんでした」
まったくもって恐れ入る。一色式部の報告に思わず感嘆のため息が零れ出た。4万の兵を動員して問題を起こさぬなど、まったくもって考えられぬ。偏に、普段から軍規を引き締めていないと起こりうる事では無い。
その信じがたい軍の先頭を行くのは黒い乱髪兜を被った男――黒田左少将。そしてその脇に赤い合子の兜を被った黒田官兵衛……見慣れぬ兜をしているが新調したのか?後頭部に艶やかな鳥の長い羽をあしらっているのは昨年芥川山を単独で落とし名を上げた母里武兵衛。
更に黒田美濃守、母里小兵衛、黒田休夢、小寺藤兵衛、赤松古右京、赤松蔵人、赤松下野守、石川五右衛門、櫛橋左京、神吉下野守、南條豊後守、明智十兵衛、明石与四郎、山名右衛門督、赤松右京、浦上小次郎、村上武吉、別所大蔵、淡河弾正、塩冶周防守、奈佐日本介、荻野悪右衛門、京極中務、江見下総守、波多野右衛門、有馬源次郎、一色五郎、顕如光佐、宇喜多和泉守、毛利陸奥守、吉川駿河守、尼子右衛門、山中鹿之助、三村修理……おい、なにシレッと混じってんだ、細川と沼田ァッ!
「井出殿や毛利殿(隆元)、小早川殿など、にここにおらぬ人がおりますね」
「西の備えだろう」
東は……京にこれだけの面々がいれば警戒するのも馬鹿らしいという物。それほどまでに人材をかき集めている。逆に奴らが京を制圧しようと思えばたやすく出来るだろう。残念ながらその事がわかるのは余ら幕府の人間だけだ。
しかし珍しい事に内政方の人間まで連れてきている。今だ無名の人材たちが育ってきたという事だろうか。
先頭を行く黒田左少将が軽く手を上げる。それだけで緩やかに、だけど乱れる事無く列の足が止まってゆく。
「遠路遥々、大義である」
「さあ、公方。回天の業を始めようか」
鮮やかな黒田左少将の言葉に目を瞑る。ここが終わりでは無い。
「ああ、終わりの始まりを始めようではないか」
まだ正式な申し出はしていないが政権返上の下交渉は本日から始まる。そして、形だけの幕府は終わる。幕府と共に終わる。だが、余の――私の戦いはここからなのだ。
本日を以て戦乱の時代に終末を――更なる戦乱を始めようではないか。
◆
京 黒田隆鳳
上洛の要請はずっと前からあった。
だが、それでも待たせたのは季節の所為では無い。俺が上洛するという事は、この国の全てに宣戦を布告するという事。その為にはまず集った者たちを教育する必要があった。
俺たちは何のために戦っているのか。どんな世界を目指すのか。
反発はもちろんあった。そもそも官兵衛すらしっかりと理解が及ぶまで時間がかかったのだ。
勿論、いきなり民主主義に移行するような愚は犯さない。だが間違いなくこの時代にとっては劇薬のような新政府案だ。味方の説得と説明に手を抜くわけにはいかなかった。
そしてその甲斐もあったという物。まだ完全という訳ではないが、日ノ本を敵に回す覚悟は出来ている。
「――幕府は我が代を以て政権を返上致す」
閲兵を済ませ、前世も含めて人生初の参内。目の前には三人の公卿がいる。近衛前久、二条晴良、山科言継。そして明言されていないが、御簾の向こうに陛下がおわす。
公方が頭を下げ、口上を切るとどよめきが広がった。政権奉還の件はあらかじめ書状にて伝えてはいるはずなのだが、まさかこの場で本人の口から表明されるとは思わなかったのだろう。
「つきましては、今後の国家の運営について協議したく」
「……黒田殿の『国家改造論』の事か」
「左様」
公方の伝達と共に、目の前の三人には俺が草案を書きあげた次代の国家についての事が、なぜそうするのかという理由から見込まれる結果まで克明に記し送ってある。流石にこの規模の事は根回しが必要だ。普段から振り撒いている悪戯っ子の顔は潜め、誠実に神妙に対応しているつもりだ。
新政府の要点はいくつかある。
家に寄らない「政府」の樹立と官僚制の配備。
これはまあ、黒田家で日常的にやっている事を全国でもやろうという話だ。専門分野を請け負う省庁を設立して、政務を専門化させる。そして議会を設け、政治の舵をとり、軍は政府の元国軍化させる。有能な者は身分問わず取り立て、役人として働かせる。
ただ、黒田家内部での話と決定的に違うのは、黒田家では俺を頂点としているが、俺の息子――つまり一郎と次郎に政権が移行する訳では無く、議会内から有能な者を選抜し期間を設けて行うという点。いわば世襲では無く、内閣制度を軸にしているという点だ。
「世襲では無く有能な者を集い政治を行う、という点は問題ないと考える。ただ、言わせてもらえれば理想論ではないかと懸念する」
「関白殿。その意は?」
「権力争いが起きると、烏合の衆になりかねん。機能しないのではないか?公方」
「姫路で黒田殿が試験的に行っている分を見ると、杞憂ではないかと」
「ふむ……どのようにしておるのだ?」
関白 近衛前久からの質問に一度軽く頭を下げて正面から見据える。今まで見た公家の中で一番公家らしくない。どちらかと言うと俺たちの様な武に生きる者たちに似ている。というのも、公方とは親戚で関白でありながら、昨年末まで上杉師匠の下で関東の前線にまでついて行ったという。フットワークの軽さと度胸は宮中に置いておくには惜しい人物だと思う。
「徹底的に教育を施しました」
「教育」
「知識はもちろん、『何のために働いているのか』『何故やらねばならぬのか』、政治、政策に携わる者としての倫理に至るまで。誇りを持ち、目的を明確にすればそれぞれが自覚して任務に携わります。逆に覚悟が無い者は所詮その程度の仕事しか与えておりません」
「……世襲では無い、という利点か」
「左様。本人がたとえどれだけ優秀でも、その子息がその座に付けるかは、その子息の才覚次第。故に国家運営に携われる程頭が切れる者は、常に潜在的な危機感を持って真摯に眼の前の仕事に取り掛かっています」
そして功には報い、気骨と能力がある者が上に行く仕組みを作る。不正には厳罰を。そして彼らが不正を働かないように独立した監視機関を作ると言うと関白はフゥと息を吐いた。
「その辺はそなたに任せよう。送って貰った書物を見る限り、他の誰にも担えまい。問題は我々公家や武家などの、そなたの言う既得権益の扱いよ」
「制度を変える必要があります。現在の律令制は機能しておりませぬ」
「何故機能しないのか、訊いて良いか」
次に形骸化して久しい律令制に変わる身分制度の設立。これは公家、そして武家と呼ばれる階級の人間に向けた話だ。折角、下から優秀な者を登用をしても、上が足を引っ張るような状況は困る。
「律令制が機能しない理由、それは時代に即していないという点が挙げられます」
「それは何故か」
「単に民衆の生活水準が上がってきたからでしょう。民衆が力を付け、知恵を付け――そして上の仕組みに疑問を持てるようになった。『知る』というのは力です。故に下剋上が起きているのですよ。そしてこれからもっと起きる事でしょう」
「……つまり、新制度を設けると言う事は、我々が淘汰される前に保護してしまえ、という側面も含まれているのだな?」
「はい」
逆に民は馬鹿で良いとする統治方法もある。「殺さず活かさず」と言った江戸時代がそれに近いかもしれない。だが、それではいずれ崩壊するのだ。明治維新は下級武士による革命だったが、俺が採る路線だと市民革命が起きる。戦乱期である今だからこそ土壌を作る事が出来る。
「そなたは何故、そこまでして下々の者たちに期待をかける」
「その方が国が発展するからですよ。上の人間だけの利益を見ると逆走しているように見えるでしょう。だが、この国に今どれぐらいの人間がいるか知らないですが、間違いなく上層の人間より数が多い。彼らはいわば未だ磨かれていない可能性の塊。それを今、下剋上のこの世で片鱗を示している。全員が磨かれたらどうなると思いますか?むしろ、これを活かさぬなど、施政者の怠惰と謗られましょう」
「……言わんとしてる事はわかる。だが、国を乱してもやるべき理由はあるのか?」
「既に乱れているからやるのですよ。それと――今後の為にも今やってしまった方がいいでしょう」
「今後」
「将来と言っていいでしょう。関白様はどのようになると思いか?」
「……………」
深く沈思しつつもこちらからは視線を切らない。背後の2人はやや動揺が強いのか、口すらも挟まないが、目の前の男は胆力が違う。公家にも気骨がある者がいたとは、嬉しい事だ。
「されば言いましょう。これより国家間の戦が増えると」
「外征すると言う事か」
「場合によっては。今ですら、南蛮の者たちが遥々この国まで来ている。順調に船の技術などの移動手段が発展すれば、国家間での戦になります――あえてこう言いましょう、世界は小さくなっていく、と」
「望まずともぶつかると?」
「既に足音が聞こえています。南蛮の者たちがルソンなどを占領している事をご存じか?そして奴らは占領した土地から搾取している――なぜ遥か西方に国がある奴らに出来ると思いますか?」
「現地の人間には抗う力が無い……成程。確かにこの国は力を付ける必要がある」
植民地の歴史は長い。もう既に世界軸で見れば大航海時代は始まっているのだ。そして、第二次世界大戦を経てようやく植民地の歴史に終止符が打たれた。
さて……アジアの独立の為に世界に喧嘩を売った国がどこか知っているだろうか?俺はその国の子孫だと言う事に誇りを持っている。
では、負けたとはいえ、世界に喧嘩を売れるようになった理由は何か?突き詰めれば明治維新まで遡る。足りんのだ、俺の力だけでは。だから富国強兵のシステムを残す事こそ未来への贈り物だと俺は思う。
だから俺は修羅の道と言われようが苦労する道を選ぶ。
「律令制の改正も布石となるでしょう」
「なぜ」
「改正と共に陛下にはこの国の象徴になって頂きます。ただし、権力は持たない形で」
「……不敬であろう。左少将」
「皇室存続の為にもあえて言わせていただきます。理想とする形は『君臨すれど統治せず』と。国家の中心であって、社稷の鑑であり、民衆の心の中心としてある為には、政治には携わらない方がいい。これより更に複雑化していく世界で、誰か一人が政治の頂点に立つのはもう無理なのです」
ごく当たり前のように皇室が存在していた。そしてごく当たり前のように敬意を払ってきた。
それでいいのだ。それがいいのだ。
日本人だと言えるのは、日本という国があってこそなのだ。右翼か左翼かも些細な事でしか無い。自分の国が好きだから、もっと良くしたくて意見を言うならば右か左かなんてどちらでもいいのだ。
「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで――遠い将来、どんな苦境に陥ろうとも、国に確たる軸を残す為にも、皇室はそう民に歌われる存在であるべきなのです」
尚、足利義輝の史実の命日開催。