うさぎ混じりと猫もどき※ネコまた
※外見と名前と多少の設定を説明したのみで、ネコまたさんに書いていただきました。
※自由に解釈していただいたため、性格、関係性、口調、過去、世界観などからして灰色の設定とは異なる部分があります。
この世界は獣人と人間で成り立っている。
「ふふふふー、ふむむむ、にゃー」
根島心は鼻歌混じりに人通りの多い街を歩いていた。
「にににー、にゃにゃっ」
ひょこひょことお尻についたピンクのしっぽが揺れる。跳ねるように歩くのに合わせて、頭にかぶった尾と同じ色の帽子の猫耳が弾んだ。黒い肩紐の白い涼しげなキャミソールに、もこもこの白いファーのついたデニム生地のショートパンツ。黒のガーターベルトが細い足を包む。露出の高い服装だが、彼女の華奢で幼い外見のおかげで可愛らしい印象が先にたつ。ショートヘアの黒髪から覗く左目は鮮やかな桃色だ。心は、通り過ぎる周りの人間が彼女を見て顔を歪めていくのに全く構わず、新宿の通りを歩いていた。
獣人と人間との争いが表立って終了したのが十年前。人間による獣人への差別が一応はなくなっていることになっている。だが長年の確執がすぐに消える訳もなく、住処は厳重な関所と地区という名によって分けられることになった。いま心が歩いている地区が新宿での人間の住処、S‐H地区である。人間は単に新宿と呼ぶ。政府が人間の社会に獣人の権利を認めることを発表したことにより、お互いの地区にお互いの存在が全くいないというわけではなかったが、やはりいい顔はしない。猫耳のついたデザインの帽子をかぶった少女も当然、道行く人々にいい印象は与えなかった。だが少女はそんな周りを全く気にすることなく、楽しげに街を歩く。ショッピングだろうか、若者が集まる新宿でたとえ人々の怪訝な目を集めようと、彼女の姿はよく街に溶け込んでいた。
「にゃにゃ?」
大きな交差点、赤信号で立ち止まった彼女は大きな瞳を細め、じっと前方を見つめた。
音楽が鳴り、信号が青へと変わる。どっと人々が歩き出す中、心はキラキラと瞳を輝かせた。
「こんな街中で猫とか、無理だろ」
宇佐美恵一はそう言ってため息をつくと、大きなデパートの入口の脇の壁に背をつけ、もたれ掛かった。ひんやりとした石の感触が籠っていた熱を冷やし、気持ちがいい。
「久しぶりのいい仕事だからって、安請け合いしすぎたかな」
恵一は少し休もうと、色濃いクマで縁どられた瞳を閉じ、ヘッドホンから流れる音楽に耳を傾けた。さわさわと静かに流れる音楽が心地よい。
白に、ピンクのアクセントのついたマイク付きのヘッドセットを帽子の上から付けているため、俯いているその顔は影になっていた。それでも、黒いアンダーリムの眼鏡越しの赤い瞳はよく目立つ。年頃の男性にしては珍しく長髪で、金色のそれは左側に高く一つに結われていた。夏に長袖のパーカーにジーンズと、見るものに少し暑そうな印象を与える。デパートの入口のそばにじっと立つ彼を不思議そうに通行人が見るたび、びくりと肩を小さく揺らしていた恵一は、ついに耐え切れなくなったのかその場を離れた。小さな紙を手に再び人ごみの中を歩き出す。
「カゴに入れて愛猫と散歩中、この辺りで猫がカゴから飛び出て逃走。行方不明、と」
大きな交差点を左に、立ち並ぶビルの前をゆっくりと歩く。この辺りは有名な服屋も数多く並ぶデパートもあり、若者が特に集まる。あまり人目につきたくない恵一には辛い場所だ。できるだけ早く終わらせて、一刻も早く帰りたい。恵一は目元を歪め、またため息をついた。
獣人と人間との争いが表立って終了したのが十年前。人間による獣人への差別が一応はなくなっていることになっているが、そんなものはとりあえずのまやかしに過ぎない。獣人とは、いわば知性を持った獣。二本足で歩く獣達のことだ。人間から見れば、さぞ奇異に、そして恐ろしく映ったことだろう。だが獣人たちには知識がある。学がある。道徳がある。知性という面で、人間に何ら引けを取らなかった。それがさらに、人間の獣人に対する畏怖に拍車を掛けたのかもしれない。
どのみち、両者が同じ街で同じように暮らすには無理があった。政府が公式に獣人に権利を与えた今ですら、彼らは地区という名で住処を分けている。なら、半獣人と呼ばれる、奇特な者達によって生まれた人間と獣人の混ざりものはどうなるか。答えは簡単。どちらの世界にも居場所などありはしない。
恵一は手に持った紙を、パーカーのポケットに乱暴に腕ごと突っ込んだ。歩くスピードを早める。
「そもそも、カゴに入れて散歩っていうのがおかしいんだ。それ、猫にとってみればどうやって散歩してるんだよ。ただゆらゆら揺れているだけじゃないか」
顔をしかめて、恵一はぶつぶつと呟く。
「金持ちは嫌いだ。猫のために豪華ディナーに行く予定だったとか言って。そんなに暇なのか、あのおばさん」
文句は依頼人にまで及ぶ。金持ちだと判断したから受けた仕事であったのに、だんだんそれすら腹立たしくなる。足音が自然と大きくなった。人並みがざわつくなか、ガンガンとコンクリートが蹴られる。
「これだから、ノーマルは傲慢で、騒がしくて、」
ガンッと地面を振り鳴らす。
「大っ嫌いなん、」
だ、と言おうとしたところで、ぐいっと左腕を引かれる。恵一は驚きで目を見開いた。何事、と急いで振り返る。
「にゃー! あのあの、もしかしておにーさん、獣人さんっスか? とっても珍しいっス。こんな街中でおにーさんみたいな人見かけるの」
ねぇねえ、おにーさん、と話しかける突然現れた少女を前に、恵一は固まった。
小柄な少女の背は、恵一の胸のあたりまでしかない。白のキャミソールに黒のガーターベルトとかなり露出の高い服装だが、まだかなり幼いように見える。
「ねぇ、おにーさん」
にこにこと声高に呼ばれ、恵一ははっと我に返った。
「おにーさんは半獣人さんっスよ、……もがっ」
全て言われる前に、慌てて掴まれていない方の手で彼女の口を塞ぐ。
「ちょっと君、こっちにきて!」
人の目線が集まる前に、彼女を傍の喫茶店に押し込んだ。
カランカランとベルが鳴る。いらっしゃいませーと店員の声が聞こえたのと同時に、少女の口を放した。騒がれるかと思ったが意外にも少女は静かに、キラキラとした瞳で彼を見上げる。恵一は深く息を吐き、とりあえず席に座ろうと彼女に背を向けた。
少女は当然のようについてくる。恵一の向かいに座り、当たり前のようにミルクティーを注文する。
「おにーさんは何にするっスか?」
恵一はムッと眉をしかめ、ぷいっと顔を逸らしながらコーラと答えた。
にこにこと微笑む少女にだんだん耐え切れなくなってくる。恵一はついに根負けして、彼女と顔を合わせた。
「で? なに」
不躾に聞く恵一に、それでもにこにこと少女は応える。
「私の名前は根島心って言うっス。おにーさんの名前は?」
にっこり、と微笑む笑顔を真正面から見てしまい、うっと恵一は怯む。明るく若い少女のキラキラとした桃色の瞳が眩しい。右目を隠す帽子についた花の飾りが、そのキラキラ度を増しているのでは、と恵一は呑気に考えた。
「宇佐美恵一」
名前を教えることに抵抗はあったが、どうもあの笑顔に勝てる気はしない、と恵一は早々に音を上げた。それに、気になることもある。
「君は人間だろ。なんでわざわざそんな帽子かぶるの」
恵一の視線は彼女の猫耳のついた帽子に移る。ちょうどその時、二人の注文した飲み物がテーブルに届いた。ごゆっくりどうぞ、と店員が去っていく。
「可愛いっしょ。私のお手製っスよ」
えへへ、と心は頭の上の猫耳に触る。恵一は呆れて目を半目にし、届いたコーラを一口飲んだ。つられるように、心もミルクティーをゴクリゴクリと飲む。
「で、おにーさんはなんの半獣人さんなんスか?」
ぶはっと恵一はコーラを吐き出した。ワッと心が驚いて声を上げる。
「げほっ、ゲハ、ガハ。な、なななな何言ってんの? 半獣人じゃないし、僕」
恵一が激しくむせながらも慌てて震える唇で否定するなか、心はせっせとテーブルに飛び散ったコーラをお手拭きで拭いていた。
「だってメガネもヘッドホンも獣人がつけられるわけないじゃん」
目線はフラフラと怪しく彷徨い、さして暑くもないのに頬には冷や汗がつたう。
「人間だし、僕」
(やばいやばいやばい! バレてる? やばい!)
「そうっスよね。私も不思議に思ったんス」
上手くごまかせた?
テーブルを拭いていた心が手を止め、ぐいっと身を乗り出して恵一を覗き込んだ。
「どうやって付けてるんスか? それ」
にっーこり。
「近いよ!」
可愛い若い少女のドアップに耐え切れなかった恵一は、とうとう叫んだ。
「へー、うさぎさんなんスか」
喫茶店にも居づらくなった二人は、また街を歩いていた。周りの雑踏に紛れるほどの声で会話する。
「可愛いっスね」
ニコリと笑う心に、恵一は口を尖らせる。
「じゃあこれ、耳なんスね」
ぐい、と左側に垂れた金の髪の束を引っ張られ、恵一は痛い痛い、と涙を浮かべた。アハハと心は笑い、ごめんっスと手を離す。
「じゃあ右耳はどうしたんスか?」
心の問いに、恵一はトントンと人差し指で帽子を叩いた。
「へー、そうなんスね。よく入ったっスね」
まぁね、と恵一は疲れきった目で頷いた。
「ところで君、どうやって僕がそうだって気づいたわけ?」
じとりと恵一は心を見下ろす。半獣人という言葉は、例え雑音ひしめくなかであっても口にしない。
「せっかくこうやって、獣耳では付けることができないメガネやヘッドセットまでつけてカモフラージュしたのに」
恨めしげに言う恵一に、心はパチリと大きな目を瞬いた。
「そうっスよね。そのメガネ、どうしてるんスか? うさぎさんの耳じゃかけれないスよね」
(この子、全然人の話聞いてない!)
恵一は少しショックを受けた。最近の若い子、それも女の子との接し方が全くわからない。泣きそうになりながらも、恵一は説明する。
「ヘッドセットで眼鏡は抑えてあるんだよ。だから時々ずれそうになって困る」
「へー、大変っスねー」
心は感心したように頷いた。
「それで、次は僕の質問だけど」
「なんでおにーさんが半獣人さんかわかったかスよね」
聞いててくれてた! と恵一は感動する。けれど注意も忘れない。
「あのね、心ちゃん。あんまり外でその単語は出さないでくれる?」
「え、獣人さんっスか」
きょとりとする心に、慌てて恵一は彼女の口を塞いだ。周りに目を向け、誰も気にしていないことに一息つく。とんとん、と手の甲を叩かれてようやく、恵一は彼女の口を放した。
「ぷはーっ。死ぬかと思ったっス」
「ご、ごめん」
謝る恵一に、いいえーと心がへらりと笑う。
「なんでおにーさんがそれだって分かったかと言うっスとねー」
急に戻った話題に、恵一は目を白黒させた。
「イライラして歩いてるおにーさんの足取りが、なんだか友達が飼ってるうさぎのブーたんの機嫌が悪い時の態度にそっくりで」
ガーンと恵一はわかりやすくショックを受ける。
うさぎの機嫌の悪い時の特性の一つ、後ろ足で床や地面をダンダンと踏み鳴らす行為。
「あ、なんでブーたんっていう名前が付いたのかっていうと、それはその子がやたらブーブー鳴くからなんスけど」
心の声も今や恵一には遠い。恵一は真っ赤になった顔を両手で覆った。
「あ、それと、この暑い季節におにーさんみたいに厚着している人もなかなかいないんで、もしかして何か隠すためかなーと、つい目がいったっス」
にぱりと少女が両手を叩く。恵一は道の隅に寄って膝を抱えて座り込んだ。
(全部裏目に出ていたなんてっ)
うっうっと涙を堪える。慌てたのは心だ。
「おにーさんっ。どうしたっスか?」
バタバタと駆け寄り、恵一の背中を摩る。
「今まで二十年間、バレない完璧な変装を思いついたと思っていた自分が恥ずかしい」
ううう、と泣く。
「おにーさん、しっかりするっス。多分私だから分かったんスよ。おにーさんみたいな知り合いがいるんス」
え、と恵一は顔を上げた。にこりと微笑む心と目が合う。ぱっと恵一の頬が色づいた。
「獣人さんは私の憧れっス。よかったらおにーさん、私の友達になって欲しいっス」
「は、え?」
戸惑う恵一の手をとり、心は立たせる。
「恵一さん、これからよろしくっス」
「は、へ?」
あれよこれよと交わされた握手は、やたらと 暖かかった。