8.騎士の一日(2)
この世界の時間感覚は地球と同じ。時計もあり、一日二十四時間、一時間は六十分、一分は六十秒。きっかり六十進法だ。
食事も一日三食、ちゃんと食べる習慣になっている。とはいえ、近衛騎士団の昼食休みは部隊によりその日の仕事内容により変動する。つまり、ローテーションで休みをとる。
だから、早めの11時頃に昼食休みを取る騎士達もいれば、遅く14時頃にそうする騎士達もいるわけで。常に王城ならびに城下町を警護するのだから当たり前といえば当たり前だが。もちろん、夜勤もある。
そんな騎士団を支えてくれるのは―――やはり、食堂で毎日大量の美味しい食事を作ってくれる人達である。
この日、シンが率いる第1部隊と行動を共にしているアクアが丁度正午に食堂に入ると、入れ変わるようにしてウィングが既に食事を済ませた後だった。
「よう」
「お疲れ」
簡素に受け答えをして互いにすれ違う。
「あら、アクアちゃん。これから休憩?」
「ええ。今日も美味しそうな香りですね」
「うふふ、ありがと。なんせ、こっちはそれくらいが取り得だからねぇ」
「十分です」
アクアに気付いて厨房から顔を出してきたのは、騎士達の胃袋を支えている食堂の主、メラニー=コッシュ。彼女はここで結構な年数を働いているらしい。訊いたことはないが、見た目は齢45すぎくらい。
「おーい、焼き上がったぞぉ」
「はーいはい、今行くよ。丁度パンが焼けたみたい。焼き立て、楽しみにしててね?」
茶目っ気たっぷりにそう言ってメラニーは引っ込んでゆく。ふくよかで、まさしく「食堂のお母さん」的な存在だ。
そして、今しがた奥から聞こえた声の主は、彼女の夫のヨセフ=コッシュ。ここでの経歴は勿論メラニーと一緒だ。彼も性格は温厚。
つまり、この二人がいるお陰で近衛騎士団は日々精進出来ていると言って良い。
そうして早速食事を受け取ると、それを持って席に座ろうと歩きだしたアクア。良い香りを堪能しながら無意識のうちに足を動かしていると、今日もまた声がかかった。
先ほどまで一緒に鍛練していた第1部隊の騎士達である。
アクアは、自分のために開けておいてくれていたらしい席に、内心で面映ゆさを感じながら座った。
「アクア、お前ぇはなんでいっつも端っこに座ろうとするんだ?こんだけ広ぇんだから堂々真ん中座りゃいい」
「んー…なんとなく?」
ほどなくして向かい側にどっかり座ってきたシンの何気ない問いかけに、アクアは少し困ったように苦笑する。
確かに、自分の足が無意識に隅っこへ向かっていたのは自覚がある。だが、その理由は周りが男ばかりだからとか、隅の方が目立たなくて安心するからとか、そういう理由じゃないこともわかっていた。
とはいえ、じゃあ何故、と言われてもわからないのだが。
そんなアクアに、彼らだけでなく他の部隊の者達も同じように席を誘ってくれる。訊けば、ウィングもアレスも同じようだ。別に嫌な感情はないが、妙にムズムズするのも然り。
「アクアはマジで美味そうに食うな」
「凄く美味いのは事実だろ」
「そりゃそうだがな」
焼き立てのパンを頬張るアクアは、シンをはじめ皆が自分の表情を“癒し”にしていることを知らない。
表情が乏しいとか無表情とまでは言わないが、アクアは基本的にクールである。といっても、それも冷たさやツンケンさを感じさせるものではなくナチュラルなのでどうということでもないのだが、どちらかといえば「くるくる表情がよく変わる」という表現からは遠い。
まあ、だからこそ初対面でアクアを少年と間違え女と判った暁には大絶叫したわけだが。
そんなアクアがほわりと表情を崩す数少ない場面、それが食事の時間だったりする。といってもそこまで大げさに変化するわけではないが、しかしその美味しそうに食べる顔はとにかく癒される。
普段のアクアにも見惚れている者は数多くいるが、ギャップ萌えというのか、とにかくそんな感じで知らず知らず騎士達の癒しに一役買っているようなのだ。
昼食を食べた後は、基本的に一時間ほどの休憩が与えられている。その間は寝るもよし、散歩するもよしと自由な時間。アクアも、以前ステラ王子に案内してもらった庭園を散策したりと思い思いに過ごす。
だが、今日はそのまま食堂に残って、少し手の空いたメラリーと話をしていた。
「オーブンか…あの、今度パンの作り方教わっても?」
「あら、興味あるの?」
「そうですね、今までの生活にはなかったものだし、直火で焼いたパンは凄く美味しいし。美味しいものに出逢うと、どういうふうに作っているのか気になるというか」
「なら、今度の休日にでも教えてあげるわよ?」
「忙しかったり面倒だったら断って良いですよ?」
「なぁに遠慮してるのよ。そう言って貰えてこっちは嬉しいのよ?」
「なら、自分も嬉しいです」
今日の昼食のメニューは、焼き立てのブラウンパンに、雑穀と根菜のスープ、魚のハーブ焼き、葡萄に似た果物だった。
この国は比較的土地が豊かであり、また他国からも様々なものが頻繁に入ってくるので食物には事欠かないのだそうだ。香辛料も調味料も驚くほど豊富。メラニー達が作ってくれるのは家庭料理の類だが、ここ二週間で同じものが出たためしがない。
メラニー達自身の腕も勿論だが、なにより国として食文化が発達している。料理の作り方ももちろんだが、この国のことをもっとよく知りたいとアクアは自然思うようになっていた。
(本当に、ヨーロッパみたいなところだな…)
四季はあれど気候としては亜熱帯ではない。だから稲もしくはそれに似た作物は訊かないし、なにより土地柄が日本と全く異なることはすぐわかった。
どこまでもだだっ広い平野。山脈はあるが日本や東南アジアよりもやはりヨーロッパのものに通じる雰囲気がする。食文化をみれば一目瞭然だ。
だからといって、日本の味が恋しいということはないのだが。
「メラニーっ。焼けたよー」
厨房の奥から、ヨセフのものではない、今度は年若い声が聞こえてきた。
「あ、アクアじゃん」
「お疲れ様」
ひょっこり顔を出してきた青年に、軽く手を上げて挨拶をする。
彼もまた、メラニー達と同じくこの厨房で働いている者の一人だ。メラニー曰く、まだ見習いだというが。
名はカイン=パケット。齢18と、これまたチャスと同じくアクア達と同年代。彼とも早くに打ち解けている。
「アクア、これちょっと食べてみてくれない?」
「ん?いいのか」
「うん、味見用にちょっと余分に作ったから。アクアの感想が訊きたい」
食べて良いのか、食べるのは自分で良いのか、という二重の問いに答えたカイン。反論することもないので、アクアはパクリと差し出されたパンを頬張る。
「どう?」
「――ん。前よりずっと良くなってる」
「そっか。良かった」
アクアは世辞を言わない。打ち解けた当初もこうして味見を頼まれたことがあったが、アクアは素直に感想を言った。駄目、不味いと否定するのではなく、どこがどうイマイチなのか、改善すべきところは何かなど、自分もパン作りは素人だと傲慢になることなく少しのアドバイスを交えて。
そしてまた、言葉では手放しに褒めることを意識的に控える。それは、カインの修行を考えてのこと。
そんなアクアの性格を知っているカインにとって、アクアの言葉は励みになっていた。それに、言葉では言ってこなくてもアクアの柔らかな表情がなにより如実に味を語っているのだから、嬉しいことこの上なく。
アクアの反応に自身も控えめに反応を返したカインだが、本当は小躍りしたくてたまらない。
そんなこんなで休憩時間を過ごしていれば、時間はあっという間に過ぎ去ってゆく。
シンが呼びに来て、アクアは奥に引っ込んでいるヨセフ含め三人に会釈して立ち去って行った。
その後ろ姿を暫し眺めていたメラニーとカイン。
「カイン。あんた、アクアちゃんに脈でもあるの?」
「え…っ!?」
突然脇腹を小突かれて、カインは素っ頓狂な声を出してしまう。
「あら、違う?てっきり気に入ってるのかと思ったんだけど」
「気に入ってるって…そりゃ、メラニーもヨセフも一緒じゃん?」
「そりゃぁね。でも、あんたは異性のしかも同い年の子でしょう」
脈、というのは正直、カインにはわからない。とはいえ、まず人間として好きでなければ話しかけないし自分が作ったものの味見など頼まないのだから、嫌いではないことは事実。
それにまあ、確かにアクアの容姿には多分に漏れず見惚れているのも自覚はある。
「よくわからないけどさ…なんか、アクアって不思議な感じじゃん?目ぇ離せないっていうか」
女の子っぽくない、という次元を越えて、根本的になにか不思議な香りを漂わせている。
「わかるわ。この国の生まれではなく、ましてや世離れした場所にずっといたって言うんだから、当然なのかもしれないわね」
毎日付き合ってゆく人間の一人として、この二人もアクアをはじめ三人の事情は大方訊いていた。当然、件の伝承に関わる話も知っている。
「あの髪の毛も、瞳の色も、すっごい綺麗だよね。絶対、凶荒の兆しなんかじゃないって」
この食堂に居る時、部屋に居る時、専用の訓練場に居る時、アクアはバンダナと眼帯を外すようになった。ここに居る時、自分達しかいない場所では窮屈な事はするなと皆が口説き落とした結果だ。
それはつまり、他の場所、事情を知り尚且つあの噂に踊らされない自分達以外の人間がいるところでは、隠さざるを得ないということ。
不憫、と思うのはアクアに失礼だし実際そうは思わないが、けれどあの噂のことだけはどうにも気になってしまう。
あの顔が曇ることがないように―――
そう願いながら、また厨房でせっせと働くのであった。