7.騎士の一日(1)
* * *
生めよ 産めよ 地に満ちよ
紅き炎風は命の灯火
混沌の紫は宵闇の風
地に降り注ぎし黄金の陽風
緑の草風は大地の息吹
天地を潤すは水風
これ 森羅万象 万物の根源
これ 神風なり
(幻の詠唱 サンクチュリア)
* * *
アクア達三人がルーラン王国に留まるようになって、早くも二週間ほどが経とうとしていた。
国賓でありながら近衛騎士団所属、というのはよくよく考えてみると些かおかしい気もしないではないが、国王の決定である以上誰も文句は言ってこないし、なにより当人達や騎士団全員が納得し了承していること。
というか、当初は騎士団所属と言っても状況が状況なだけに急遽採用された例外的な措置、という意味合いでそういうことになっていたのだが
もうそんなものは、建前にしか過ぎなくなってきている。
「おぅ、アクア。今日はお前ぇ、俺様んとこな」
「ん、了解シン」
「アクア殿っ、おはようございます!」
「おはよう」
「あ、ちょっと寝ぐせついてますよアクアさん」
「え、ほんとか?」
「お前、アクア殿の髪に触ってみたいからってテキトーなこと言うなよ」
「な…っ、僕はそんなつもりでは!」
「おーおー、アクアは今日も人気者だなぁ。つーかお前ぇら、こいつに呆けて鍛練怠ったらどうなるかわかってるよな?」
「「も、もちろんですっ!!」」
「?なんの話だ」
「いーからいーから、こっちのお話」
「うあぁ…おはよー」
「眠そうだな、チャス。昨日の夜は真っ先に酔って寝てたって訊いたが?」
「だぁってさー、ウィングの奴が解放してくんねぇんだもん。寝てても途中で叩き起こされたっての。あいつ酒強すぎ」
「あー…なるほど。ちらちら疲れたような顔の奴は、あいつに潰されたり最後まで付き合わされた奴というわけだ」
「やっほーっ!おばちゃーん、今朝の飯はなんだーっ?」
「――の、くせして馬鹿騒ぎやった張本人は元気一杯だな」
「うえぇ…あいつどんな体力してんの……」
「諦めろ、ウィングはそういう奴だ。ここで音を上げてたらこれからもっと酷いぞ」
「うげぇ。勘弁しろよ…」
「とか言いながら、なんだかんだで最後まで付き合ってるチャス達も大概だぞ」
「あー、うー……まぁ、なんていうかさ。色々めんどうだけど、あいつの馬鹿騒ぎは嫌いじゃねーし」
それというのも、本職騎士顔負けの腕前の持ち主であると同時に有事においても肝が据わっている上に、なによりこの人柄だ。三者三様に性格も気質も違えど、良い意味で不思議と人を引き付ける魅力を持っている。
強大な力を鼻にかけず、高飛車でも傲慢でもない。腕だけでなく頭もキレるし、しかもそれが程良い加減でナチュラル。そのくせして当人達にその自覚はあまりなくて、馬鹿も普通にやるし騒ぐしちょっと餓鬼っぽくもある。
数え上げればキリがないが、とにかく、等身大且つ自然体で呼吸するように付き合える、そんなアクア達はあっという間に騎士達に気に入られたのだ。
一方の三人は三人で、「『一応』とか『応急措置』なんかじゃ生ぬるいから本気で騎士として扱って欲しい」と国王及びステラ王子に早々に進言。
きっかけは成り行きだし自分達はルーラン王国の国民ではないが、ここにいるからには中途半端な身分だと今後が困るし動き辛い。
なにより、騎士団の皆の人の良さに甘えるばかりは三人の性格上、良しとしない。例外だから、仕方のない状況だから…などという理由で皆の懐の大きさにつけこむような格好にだけはなりたくなくて。
だから…と、アクア達は入団試験をちゃんと受けた上で、近衛騎士の称号を正式に拝命するに至っている。
そんな三人の真摯な態度も、気に入られる要素になっていた。
「騎士姿もなかなかサマになってきたじゃねぇか」
「そうか?なんかまだ少し慣れないけどな……ほんとに似合ってるのか?」
「ははっ、アクアほどの容姿の持ち主で似合ってなかったら誰も似合わねえよ。堂々としてりゃ問題ねえ!騎士たるもの度胸だ度胸!!」
「今日もテンション高いなシン。ていうか、そんなに叩かれると背中が少し痛い」
「わははははっ」
当然、服も変わった。
近衛騎士団の服装は団長【紅】・副長【紫】・各隊長【黄】・平騎士【緑】で微妙に色合いが異なってくるが、当然仕様は統一されている。アクア達のそれは、国王が特別に誂えてくれた、他のどの騎士とも違う【水】色を基調としていた。
といっても、服の生地自体は皆一様に生成色で、ところどころに刻まれている文様などに色がついている感じだ。ごちゃごちゃした飾りはなく、けれど地味過ぎずセンスの良い装飾が施されていて、なにより機能性が重視されたもの。
そして、一見して騎士だと認知される要素がマント。右肩上から左腰へと斜めがけになっているところが、なかなか粋である。
「あ――なぁ、右足首は平気か?まぁ、その様子だと歩くのは支障ないみたいだけど」
「え…」
ふと、アクアがすれ違った平騎士の一人に話しかけた。
「なんだ?お前、足首怪我でもしたっけ?」
近くに居た別の騎士は、なんとも不思議そうな顔をしている。
「あ、いや……ア、アクア殿。なぜそれを」
「ん?いや、昨日なんとなく右足首庇ってるように見えたからな」
「気付いていたのか…」
そこまで大したことはなかったから医務室に行ったりもしなかったのだが…と、その騎士はアクアが気付いたことに心底驚いているようだ。
「無理するな?」
「あ、ああ…ありがとう」
アクアが心底案ずるようにそう言うと、不覚にも彼の顔はほんのり赤くなる。若干挙動不審だ。
そんなやり取りを、少し離れた場所でそれとなく見ていたのはチャス、アレス、ウィングの三人。
「うわぁ…なんだあれ、あいつめっちゃ照れてる。めずらしー」
「出たよ、アクアの天然タラシ」
「アクアだからな」
少し唖然としているのはチャスで、いつものことだと面白可笑しそうに苦笑しているのはアレスとウィング。
「へ??そうなのか?」
「ああ。下手な男よりよっぽどモテるぞ、あいつは」
「これ見よがしなんかじゃねえさりげない気遣い、誰も気づかねえ些細なことも本気で気にかける、その時のちょっとした仕草。王道っちゃぁ王道だが、アクアがやるとナチュラルで見ていて飽きねえな」
「加えてあの容姿だ。今迄も男女問わず言い寄られることは結構あった」
「んで、アクアは奴らの下心に気付かないで完璧スルー。そこがまだモテてる理由ってな」
「なんつーか…男の立つ瀬がなくね?」
「「アクアだから」」
その一言で納得できてしまう。
「チャス、隣良いか?」
そのうち、アクアが食事を持って三人のいるテーブルに寄ってきた。「おう!」と返事をしたチャスは、ふと周りを見てぎょっとする。
アクアに聞こえないように、慌ててアレスとウィングに話しかけた。
「な、なぁ、なんかめちゃくちゃ視線感じんだけど??」
「お前に嫉妬してるんだろう」
「自覚してんのかはしらねぇけどな」
「嫉妬?なんで」
「アクアがチャスの隣に座ったから」
「な、なるほどな…うん、なんかちょっとわかったかも」
「三人とも、なにしてるんだ?」
「「「なんでもない」」」
そうして、食べ始めること暫し。
「うぅ…この野菜、俺嫌いなんだよなぁ……」
ごく小さな声でそう呟いたチャス。だが、隣のアクアには丸聞こえだったよう。
「チャス?それ、嫌いなのか?」
「あー…好き嫌いは駄目だとは思うんだけどさー。これだけは、ちょっとトラウマ?でよー」
情けないよなー、とチャスは少し自嘲の笑みを浮かべて頭を掻く。
それを訊きながらゴクンと自分の食事を嚥下したアクア。
すっと箸を隣へ伸ばしたかと思うと次にはパクリと口に入れて、そのまま何事も無かったかのように食事を進めた。
「―――――…へ?」
「ん?どうかしたか、チャス?」
「…え、あ……い、いや……どうかって…へ…?」
ぽかーんとしてアクアを見つめていたチャスは、そう尋ねられて今度はあたふたとし始めて。ついでに、なぜか周りの騎士達からの視線が一層強くなる。
アクアと自分の皿を交互に見つめ、チャスはようやく何が起こったか理解し一気に顔を真っ赤にした。
「反応遅いぞ、チャス」
「てめえもウブだなぁ、おい。そんなんじゃ心臓もたねえぞ」
「や…いや、だって…っ」
アレスとウィングに突かれて大慌て。
「チャス?なんか自分が変なことしたか、もしかして」
「やっ、別にアクアのせいじゃねーし、変じゃねーし!いや、なんか変っていうより、その…ごにょごにょ」
嫌いだと言ったものを余計な事ひとつ言わずに食べてくれたのは有り難いのだが……なんというか、何でもないことのように見えて結構恥ずかしい。
アクアは天然タラシだと言ったアレスとウィングの言葉を、不覚にも身を持って知ってしまったチャスである。
* * *
「今日は午前の訓練の後、アクアは何か特別な用でもあるか?なけりゃ今日も町行くぞ。この間とは別の場所だ」
「わかった」
アクアの今日の鍛練先はシンの第一部隊。ザック達と話し合った結果、三人はローテーションで各部隊の訓練に参加するという措置を取っている。
当初は団長の補佐役のつもりだったのだが、正式に騎士扱いとなればそうはいかない。だが、そこでどこかの部隊に入るかという話になった時、シンをはじめとした隊長以下平騎士全員が、それに異論を唱えた。
十もの部隊がいる中で、バラバラにするとしても一人一人の力が強大な三人がどこかへ属してしまえば、全体の力のバランスが崩れる―――…などと真っ当な意見を申し立ててきたわけであるが
まあつまり、その本音は「どこかの部隊に属してしまうと一緒に鍛練できなくなるかもしれないから嫌だ」に帰結する。
訓練場へ向かうためにシンの隣を歩いていたアクア。ふいに声がかかる。
「これはこれは、“幻蒼の姫”様」
「ごきげんうるわしゅう」
その瞬間、アクアもシンも同時に「出た、古ダヌキ…」としかめっ面をする。とはいえ勿論、それは内心のみで表はポーカーフェイスだが。
「本日もこの者達と一緒ですか。いやはや、“幻蒼の姫”様とあろう方がなにもわざわざ」
「騎士などにならずとも、こちらでごゆるりと過ごしながら、我らと話をご一緒していただく方が有意義ではないですか?」
瞬間、アクアの隣及び周囲から殺気が膨れ上がる。相手はそれに気付いておらず、不気味なほどにこやかな笑みをアクアに向けて饒舌に喋り続けていた。
「―――お言葉ですが」
アクアは内心を巧みに覆い隠して、目の前の相手に淡々と、はっきりと告げた。
「自分は自分の意思で騎士となり、支えてくれるこの人達と一緒にいる。お気持ちは有り難く。失礼します」
そうして相手から視線を外し歩きだしながら、傍らのシンと周りにいる平騎士に、淡々としていた表情を僅かに和らげた顔を向けた。
それを合図にピリピリしていた殺気は静まり、皆何事も無かったように歩きだす。
だが、相手は尚も寄ってくる。
「そう仰らずに。一度我らのところへ来て頂ければおわかりいただけるかと」
「おお、そうだ。今日の午前は午後に向けて“幻蒼の姫”様と何かと話し合っておくと良いではないか?」
「それは名案だ。早速皆を集めねば」
「そういうことですから、“幻蒼の姫”様。どうぞこちらへ。退屈はさせませんぞ?」
まさに胡麻を擦るという表現が似つかわしい様子で、相手の一人が更に踏み込んできてアクアの手を取ろうとした。
だが、反射的に身を引いたアクアの前に大きな背が立ちはだかる。目の前に広がるマントには、黄色の文様。
「な、なんだ貴様はっ」
「そいつは、こっちの台詞ですぜ。こいつは近衛騎士団に属するれっきとした騎士。少なくとも、あんた達がこの場でこいつを連れていく道理はないでしょう」
一応、丁寧な口調に変えているが、あくまで「一応」に過ぎないことは雰囲気から察せられた。
静かな声音だが、怒気が滲み出ている。
「シン=サミア=ハルカ……ふん、貴族でありながら貴族の風上にもおけぬ風雲児が」
「今は私の話ではないはずです。引いて頂きましょう」
「なにを……貴様こそ、出る幕ではないわ!」
「そもそも、“幻蒼の姫”様が騎士となることを我らは認めてはいない!!」
「ほう…?国王陛下の決定に異論があるとでも?ならば、直接陛下に訴えてみてはどうでしょうか」
「ぐ……」
「なにより、こいつは行かないと言っているんです。そして、あんた達について行く義理も責任も何もないはず」
近衛騎士団の中でも前衛を任される選りすぐりの精鋭が集まる第一部隊。それを束ね率いている隊長であるシンが纏う気配に、相手はいくら鈍感でも流石に尻貧になった。
そうして、恨めしそうにしながらようやく立ち去って行った。
「―――しつこい…」
ようやく訓練場まで来て、アクアは開口一番、ぼそりとそう呟いた。
朝っぱらから邪魔してきたのは、「肯定派」の者達。なにも昨日今日の話ではなく、騎士団入りしてからずぅっっっっと続いている。もはや恒例行事だ。
その度に、アクアはああして淡々と手短に答えて対応している。一緒に居る騎士達から殺気が発せられるのもいつものことだ。
今日はまた、一段としつこかった。“幻蒼の姫”を崇める彼らは何をしてでもアクアを引っ張り込みたいらしい。
「シン、ありがとう。助かった。ほんと、毎度毎度手間かけさせてばかりだな」
「お前ぇのせいじゃねぇだろうが」
心底参ったと疲れた表情のアクアの背を、シンはあっけらかんとそう言って強く叩く。
「いや…もっと上手く立ち回れれば――」
「いや、無駄だ。アクアがどうしたところで解決にはなんねえよ」
相手は口を開けば“幻蒼の姫”を賛美する言葉を吐き、逆に騎士達を見下してくる。
これでも、アクアも結構…というか全面的に内心では我慢の限界に近かった。
「けど…情けない。自分に一番腹立つ」
「は?なんで」
「自分がいるせいで、あんな言葉を皆に聞かせてしまう。それを阻止できない。何もできない」
“幻蒼の姫”――そう呼ばれているが、だが実のところ、アクア自身も国王もアクアが“幻蒼の姫”であると断定してはいない。現段階では少なくとも、あくまで可能性としての認識であるだけだ。
そもそも異世界で生きてきたアクアに、その自覚など全くもって皆無。
だから、国王との間では、何かはっきりと判るまでは“幻蒼の姫”ではなく、そういう意味では普通の人間として振る舞い、また扱うということで落ち着いている。外見がどんなに目立っていて、伝承のそれに近いとしてもだ。
伝承はあくまで伝承。確固たる証拠はない。
だが、肯定派も否定派も、アクアを“幻蒼の姫”と決めつけて止まない。そこは国王がそう言ったところで気持ちの問題であるから、強制もできないのでほとほと困っている。
だから、こっちがああいう風に対応するしかないのが現状で。
とはいえ、アクアにとって自分のことはどうでも良い。それより、自分が一緒に居るせいで罵詈雑言を騎士達に聞かせることになってしまっているのが悔しい。
「――…なぁ、シン。前も言ったけど、やっぱ目立つ場所では少なくとも、皆は自分と一緒に居ない方が」
「却下!」
「…即答?」
「おうとも!」
いいか?と、シンは少し芝居がかった風情で指を立てながら続ける。
「ひとつ。あのフルダヌキ達が俺様達を見下してきてんのは今更だ。ふたつ。俺様達も奴らのことは気に食わない。みっつ。よって何を言われようがどうでも良い。よっつ。俺様達はお前ぇと一緒に居たいから傍に居るだけ。いつつ。つまり離れる気は毛頭ない。以上!」
アクアがぽかんとしていると、別の声が割り込んできた。
「おいおい、シン。ここは一応王城の敷地内だ。大いに同感だが、そういうことはもう少し声を潜めて言えや」
ザックだ。愛用の大槍を担ぎながら苦笑している。
「おら、さっさと持ち場につけ」
「りょーかいりょーかい」
からからと笑いながら促してくるシンに、アクアは僅かに困惑した、けれど心からの感謝を込めて微笑んだ。