初めての異世界
……見知らぬ世界に放り出された俺は、そのまま名も知れぬ美少女と共に、アダムとイヴとして余生を過ごしたのだった。
「……ふ、あの頃が懐かしいぜ」
父さんは今、何をしているのかなぁ。
俺は変わることのない周囲を見回しながら、郷愁に心を染めていた。
「…………」
「……うぅ」
無言で見つめる少女の視線が痛いです。すみません、現実逃避してました。と言うかここは現実ですか?
空から降ってきた少女は、初めから同じ状態で土塀に背中を預け続けている。赤を基調とした服装は乱れていたが、少女は慌てた様子もなく俺を見つめ返していた。
――この状況を受け入れているのか? そう思い、俺は問いかける。
「……なぁ、あんた、ここがどこだか分かるか?」
「さぁ……? 噂では、世界と世界の境界とかいうらしいですが」
「おーけー……中二病入ってるな」
……この世界が、と心の中で付け加える。常軌を逸したこの世界は、もはや常識では測れない中二病と何ら変わりはない。
俺の言葉に、中二病の意味が解らなかったのか首を傾げていた少女だったが、一瞬後にその表情は張り詰めたワイヤーのように鋭くなる。その変化について行けずに、俺はついきょとんとしてしまう。
「……来ました」
「……何が?」
動詞と助動詞だけの、指示語も何もない言葉。少女の視線を追いながら、
「……敵です」
敵? と訊き返す時間もなく、その敵とやらは空を飛び、俺たちの頭上へと影が――いや、光がさす。
「……観客ね。迷い人さん? 顕現化しているのは、あなたが原因ね。……まぁ、全てが終われば忘れているでしょうけど。あなたも、私も。……だから、この場で余計な真似はしないでください。ケガをしたくはないでしょう?」
少女の鈴のような声とは違う、金属質とも言えるどこか冷えた、けれどよく響く声が、心にくぎを刺すように、文字通り降ってくる。
言葉の意味までは理解できなかったが、現状の異常性くらいは能無しの俺でも理解できた。
「……っ。浮いてやがる」
そこには、数十人の男女が空中から俺たちを見下ろしていた。その周囲には青い光が展開しており、青い光に彩られた舞台に浮かぶように、彼女らは立っている。その服装もまた、青を基調とした法衣のように見えた。
――因みにパンチラはなかった。絶対領域までも緩やかに、だがきつくガードされた衣装だ。
整然と、美術画のように並ぶ彼女らの内、最前にいた成人と思しき女性が、金属質ながらも気高く声を上げる。
まるで、赤い少女しか見えていないように、俺にはもう一瞥もくれることもなく。
「赤の部隊三番隊隊長のイクミ。私たちの間でも耳にする豪傑のあなたが、今日に限ってやけに冷静さに欠く責め方をしていたけれど、それがあだになったわね。……悪いけど、青の七番隊の私たちで、あなたを討たせてもらうわ」
「ご高説痛み入りますが、わたしは冷静です。……冷静に、死にに来たのです」
まるで俺がいないかのように話を進める彼女らに驚きはしたが、それでも彼女の言葉はそれ以上に俺の心を揺さぶった。
「っ」
――死にに来た。
その言葉が聞こえた瞬間にイクミと言う少女を振り向いたが、その時にはすでに俺が声を掛ける隙間など存在しなかった。
圧倒的な威圧感が、周囲の空間を炙り出すように赤い少女から発生していたのだ。
青色の女性が背後の部隊員に合図を送りながら、皮肉気に唇を歪めていた。だが、その表情から余裕は感じられない。
むしろ、たった一人の少女に、徒党を組んだ大人が押されているような感想さえ抱かせる。
「……死にに来たと言いつつ、大人しくやられるつもりはなさそうだけど?」
台詞の緩やかさに似合わず、冷や汗が見えると感じるほどに表情からは余裕が感じられない。対する少女は僅かに激昂した空気を纏う。
「当たり前でしょうっ! わたしは、あなたたちを一人でも多く倒して、消えていくのですっ!」
――少女の体から赤い閃光が迸る。それはただの余波だ。巨大な炎が火の粉を散らすように、本命以外に偶発的に生まれただけの光。
――魔法のようだ、とその光に心を呑まれながら、俺は感じていた。
手に余りそうなほどの魔法の光が、一人の少女の手の中に、弾けんばかりにと収まっている。
「一班から三班までは防御の準備! 大技を防いだら接敵! 五班は攻撃、牽制の意味もあるから連射で。防御は仲間に任せなさい! 四班は後方で全体の支援!」
「おう!」
いくつもの声が、女性の響き渡る高い声に応じた。力強さでは敵わないものの、幾つもの光点を持っている。太古より、英雄が国を救ったとしても、ただ一人の英雄だけで世界が変わったためしはない。
「……てぇーっ!」
青い光を空から放つその合図を聴いて、赤い少女――イクミに動きが起こる。
多方面から高速で飛来する光の塊に、怖気づくこともなくただ受け入れるように両腕を前に添えたままじっとする。
――当たる! そう俺が思うのと同時に、イクミの手の中の光の塊が、かつてアスファルトだったはずの周囲の草木を揺らしながら、弾かれたように天へと上った。それらの光を、正面から、あるいは弾道を逸らすように、青い光の盾が妨げる。
「っ! 流石は上位格の隊長……伊達じゃないわね」
「まだまだ感心するには早いですよ!」
続けて二回、弾けたようにいくつもの赤い玉に分かれて、光が飛んでいく。防御に力を使い切ったのか、この波状攻撃を前に何人もの青い人たちが光を失い、空から落ちていく。
「はぁ……はぁ……」
「総員、攻撃! 敵に魔力をためる余裕を与えるな!」
イクミが荒く息を吐き、疲れた様子を見せたのを好機と見て、青の女性が発破をかける。対する少女は『まだまだこれから!』と言わんばかりにその方角を睨み返そうとしたが、それより早くに俺は既に行動を移していた。
放ちかけていた赤い光は制御を失った爆弾のように、一瞬の白く感じるほどの明かりを周囲にもたらすと、風に吹かれた蝋燭のように消えてしまう――それが逆に、周辺一帯の人間の気勢を削いだようだった。
「えっ……? ちょっ……!」
「逃げるぞ、大バカ!」
強引に引きずるように、俺はイクミの腕を取って走り出していた。初めは抵抗していたイクミも、無理に抵抗する気はないらしく、弱々しくも付いて来た。くー、かわいいねー。
気勢を取り戻した青服が、空中から迫りくるのがありありと目に浮かぶようだっ。
呑気なことを考えでもしなけりゃ、やってられねえよコンチクショウ!
だってさ、俺自身なんでこんな行動に出たか、分からねえんだぜ?
――あぁ、何やってるんだろうな、俺。