ミステリアスな彼女の出番は未定です
同じ階の端っこにある、我が一年八組の教室には、すでに二十人以上の生徒が登校を終え、各自思い思いの時間を過ごしていた。
やはり多いのは歓談をしている生徒だ。特に、女生徒のグループは大きい場合が多いし、変わり映えもしない。どうして女子と言うのは強い結束を求めるのだろう?
「……じゃあね、浅葱っち。ボクは一人寂しく本でも読んでいるよ」
「そうか? 面白い本を見付けたら教えてくれよな」
「りょーかい。……ドンカン」
……後半はあまり聞こえなかったが、何故か罵倒されなかったか?
ともかく、加賀野はそう言った固定化された集団に所属することもなく、気が向いた時以外は自分の時間を過ごすことが多かった。たまに女子とも話をするから、完全にあぶれている訳ではないのだろうけど。
教室の教卓側に歩いていく加賀野をさっと見送ると、俺は良く話す奴がどれくらいいるだろうとさっと見渡した。
案の定、一人の生徒が窓辺で黄昏しているのを見つけ、俺はそちらへと歩いていく。本人としては、黄昏している訳ではないのだろうけどな。
加賀野以外にも集団に所属できなかった生徒は少なからず存在する。俺が今から訪れる生徒も、そんな生徒の一人だった。
取っ付きづらい性格の為、周囲と馴染むことが出来なかっただけ――だと俺は思っている――の女生徒、茅場晶乃だ。
「おぅ、茅場。おはよう」
教室の隅で窓の外に視線を向けている生徒に話しかけると、そいつは興味もなさそうな気だるさで視線を俺の顔へと移動させた。同時に切ることにも興味がないかのように好き放題に伸びた髪がさらさらと流れる。
そして、挨拶もなしにぽつりと呟く。
「……女難の相が出てる」
「いや、テキトーだろ?」
何を根拠に……と呆れる俺に向かい、茅場は飛んでいる蚊を指し示すようにゆっくりと動かした手で、俺の頬をじっと指差した。
「……頬が赤い。……女難の相」
俺は疲れたような溜息をついて、加賀野にやられた左頬をぽりぽりと掻いた。
「これはそんなもんじゃねえよ」
これはジョーダンの産物であって、俺が軟派なわけではない。女難の相などでてたまるか。
「加賀野とじゃれ合ってただけだ」
「…………」
茅場は黒水晶のような透明な目で、俺の目の奥を無言で覗きこんだ。
……こうして見つめられると、何もやましいことなど無いのに居心地が悪くなってしまう。
「……そう」
そういうと、茅場は無言で視線を空へと戻した。その目に何を捕えているのかは知らないが、俺は俺の感じた違和感の正体には気付くことが出来た。
……ふむ、変だな。
――言葉を発してから視線を逸らすまでのタイムラグが短すぎる。
「おーい……?」
「…………」
――返事がない。返事があれば、声の感じで何となくは解ると思うが。
だが、返事がないと言うのも立派なヒントだ。良く考えてみよう。
人間の感情で細かいものを置いて『喜怒哀楽』で考えると、返事をしない理由は負の感情だ。そして、先ほどのやり取りに悲しむ要素は見受けられない。……ということは?
「良く分からんが、俺はお前を怒らせたのか?」
「……別に」
一瞬だけ驚いたように肩を震わせると、そっぽを向いたままに背中越しの会話を成り立たせる。
「ふぅん……ならいいか。それじゃ、俺は別のとこに行くから」
「…………」
空気が静止しそうな無言のお見送りを受けて、他の男子の集まりに合流すべく、俺は教室の隅から移動した。同じく教室の一角では、数人の男子生徒が話をしている。
その中に一人、俺がひいきにしている男子生徒が居たのでそこに訪れた。
「おぅ、浅葱。見てたぜー? 今日もお姫様はご機嫌斜めだったか?」
「うん? 今日は確かにご機嫌斜めだったかもね」
俺の言葉に高野耕哉と言う、俺がこのクラスで一番話をする男子が満足そうに笑った。身長は他の男子よりも頭一つ分くらい大きい。割と身長が高めの俺も、高野より十センチは低いのだ。こいつが居るのと居ないのとでは、圧迫感が段違いである。
その巨体から発せられる低い声は、軽く太鼓を叩くように大きくて教室中に響いている。
「そうかそうか。……とゆーか、よく根気もつなぁ。やっぱりあれか? 狙ってんのか?」
お調子者の高野の言葉に、周囲に居るクラスメイトも意地が悪そうに笑っている。弄っている自覚はあるのだろう。イジメと言うほどのものではないが、やはり意地が良いとは言えない。
対して俺は、まるで豆鉄砲を食らった鳩のように素っ頓狂な声を上げていた。
「……はぁ?」
狙うって……俺が、茅場を?
呆けたような俺の顔を見てなお機嫌良さそうに高野が言った。
「まぁ、確かにあいつはレベルたけーからな。漫画でしか見ないような、整ったロングの黒髪。何を考えているのか読み取れない、ミステリアスな視線。しかも滅多に開かない無口系のキャラだ。オタクのお前にゃ結構ピンポイントだろう」
「そんなもんかね?」
……言われてみると、確かにそうかもしれない。だが、だからと言ってそれを持ち出すほど俺は野暮じゃねえぞ。
現実と架空の区別位ついているし、架空に現実を侵食されるような真似はしない。――ノリ以外で!
だが、そこまで熱心に語るような事柄でもないので俺は単に「別にそんなんじゃねえよ」と否定しておいた。
ちらと背後を確認すると、遠くで茅場が俺の視線に気付いてそっと視線を逸らす。照れるようなそぶりなど皆無と言っていいだろう。
むしろ、正面左方向に見える、教室の前方向の窓際に位置する加賀野の方が、興味があるように見えた。こちらは、チラと視線を送るとふいっと逸らして、どこか照れがある。
……どちらかというと、加賀野の方が脈ありっぽいよな。
そんな俺と加賀野の様子を見ていたらしく、高野が急に据えた目になって一層低い声で呟いた。
「……リア充ハゼロ」
「お前、彼女いなかったっけ? バスケ部のホープくんよぉ?」
いきなり死の呪文を唱え始めた高野に、俺は胡乱げな眼差しを送った。俺がリア充ならばこいつはなんだと言うのだ。
マックス・リア充か? 愛より恋が大切なんです、とか?
俺の言わんとしている事に気づいたらしく、けれど全く動じる様子を見せずに俺を妬ましげに眺めると、「お前のとは根本的に違うんだよ」と前置きをして口を開く。
「あんなのただ付き合ってるだけだ。お前みたいに、純情ラブストーリーみたいな現実は生きてねえ。……あと、ホープっつっても身長が高いのと、中学でちょっと活躍しただけで、俺自身は先行き不安の五里霧中だっての」
「付き合ってるだけと言える時点でリア充だっての……。誰かと付き合いたくても付き合えない奴が、この世界に……いや、この教室に何人いると思ってんだ? リア充ハゼロ」
現在話をしている周囲の男子どもも、何人かがばつが悪そうな反応を隠そうとしていた。
……な? 結構いるだろ。
「……ふむ」
それに、俺自身純情ラブストーリーの最中に居るのかと問われれば首を傾げるしかない。他人にどう見えようが、実際自分がそう感じられないのであれば意味無いのではないだろうか。
因みに高野の交際相手は同じバスケ部のマネジらしい。お互いの生活が合わずに破局とかいう結果はあんまり期待できそうにない。
俺の「リア充ハゼロ」に面を打たれている高野に向けて、小さく微笑む。
「……相手、大切にしてやれよ?」
「お前……オタクの癖に良い奴だな」
「オタク差別反対ー」
俺は力なく項垂れた。別に人の不幸を祈りはしないし、俺がオタクなのは周知の事実だが、やっぱり人間として近しい位置に居る相手を尊重するのは当然だと思うのだ。
心のどこかで恋愛を遠くに感じている俺の背後では、相変わらず茅場が空を眺めていた。
――あぁ、女難の相か。
そういうのも、いっそのこと悪くねえかもなぁ。