加賀野
憤慨しながら玄関をくぐると、朝日に浄化された新鮮な空気を胸に吸い込みながら徒歩で高校までの道のりを進む。
道中には犬の散歩をする人や、違う高校やかつての中学に通う生徒たちを見送りながら、朝の通学時間は過ぎていく。
たまに知り合いと顔を合わせるのだが、今日はまだ誰とも顔を合わせていない。
……まぁ、そういう日もあるさ。と中身が抜けたように軽くなった足取りで、在住する住宅街を出た。誰とも会わないのなら、早く学校へ行きたかった。
「……あー。もうすぐ夏だなぁ」
春ごろに感じられた薄い霞を取り払ったように、濃い色合いになった五月の青空をそっと見上げる。四季折々とはいうが、本質的にこの空は、日々少しずつグラデーションを変化させるので飽きが来ない。
使い古された王道ラブコメ展開でも、作者さんによって微妙に異なるだろう? その微妙な変化を楽しむのが、オタクである浅葱遼太流の楽しみ方だ。
それと同じことが現実世界にも当てはまる。世界のごくわずかな変化を眺め、受け入れ、楽しむのだ。
ただまぁ……高校生になってから一か月とちょっとが過ぎたが、その間に関しては実に忙しない日常だった気がするけど。
――この一か月で、クラスでは大まかな立ち位置や所属する集団などがまとまりかけていた。
……俺か? 当然、付かず離れずの距離で公正な第三の立ち位置だ。人は俺を――『審判』と呼んでないです。
何故か無性に寂しくなったので、深みのある空を見上げる。あぁ……心が洗われるようだ。
「……空が青いなぁ」
「なぁにタソガレてんのさ?」
無警戒の背後から声が聞こえる。男性にしては高く、女性にしては低い声。
俺の第一印象としてアルトリコーダーを思わせた、変声期途中にも思われるこの声の主に、あるクラスメイトの顔が思い当たる。
「んぁ? この声……加賀野?」
……振り返ると加賀野響がいた!
振り返ると、俺よりも頭一つ分くらい背の低い生徒が立っていた。肩の辺りで切りそろえられている短い髪が、より幼さを際立たせている。キャラ的にも、俺の友人の絶対数的にも、数少ない友人だ。
選択肢は『普通に声を掛ける(防御)』『ボケる(魔法)』『無視する(攻撃)』『逃げる(逃げる)』があるぞ。因みに上から習慣的な確率順だ。
「……なぜ、お前がここに居る?」
「何故って、ここは校門じゃん」
易々と背後を取られた俺の愚鈍さに、加賀野は呆れた顔で薄く笑う。
「あ? ……確かに」
クラスメイトの加賀野の言う通り、俺はこの一か月を思い返しながら歩いている内に、三十分近くある通学路を踏破していたらしい。
何たるかなこの空白感。疲れだけが足を苛むので、歩いたのだろうと言うことは分かるのだが、何に対して疲れたのか良く分からないから言い知れぬ不安を感じる。
そんな不安感を覆い隠すように、俺は中二病的なノリで愕然とした表情で即興の芝居を打った。
「俺はついに、時を超越したのか……」
「……浅葱っち、寝惚けてる?」
「ふ……そう見えるなら、俺の顔をぜひ叩いてく――あいたぁっ!」
ボケをかますと遠慮なく叩かれる! もうちょっと優しさを持ちましょう!
「ちょっ……加賀野さん? ジョーダンデスヨ? ジョーダ――っ」
「あれ? なんだろう……この湧きあがる想いは? 浅葱っち、ごめん……ボクはもう、この衝動を抑えられなんだっ!」
「一男子としてそう言った情熱的な想いは嫌いではないのだがっ……いて! 出来れば暴力でなく色恋に使って欲しかったよ! うぎゃ!」
まるで何かに目覚めたかのようにきらきらとした笑顔で右手を振り上げられるとは思いもしませんでしたー!
衆人環視の目の中――まるでそこはコロッセウムだ。学校と言う場所は、一瞬でその姿を変化させるのだ。
生徒の目が数十から数百まで、僕らの姿を映し出す。その映像では、今まさにぶたれようとしている情けない俺の姿が映ることだろう。
「せやぁあああ!」
「うにゃあああ!」
――俺は覚悟を決めて(嘘です。反射でつい閉じてしまっただけです)、そっと(ぎゅっと)目を閉じた。
直後、パァアンと、快音が直接体に響いた事は言うまでもない。