朝食
朝の目覚めは正直面白くない。
また一日が始まるのかと憂鬱になるという訳ではないが、自由な睡眠と言うものが確保されていたわけではないからだ。正直眠り足りない。
まったく。毎朝毎朝、定刻通りに起きなければいけない学生と言うのは本当にしんどい。
とはいえ、社会人も同じようなものだろうし、俺の両親もそうだった。というか、いつも起きるのは俺が最後だったし、同じくいつも親に起こしてもらう毎日だったけど。
……そう考えたら、いつも面倒を見てくれた親の方がずいぶんとしんどい筈なのに、ずっと俺の面倒を見てくれた親には感謝すべきなんだろうけど、子供にだってプライドがあるのさ。
「ふぁ……。おはよ……」
「んぁ……おはよ、遼ちゃん」
俺がリビングに降りると、よれよれのシャツ姿の父さんがいろんなことに勤しんでいた。父さんはトーストを咥えて新聞紙を広げて、しかもシャツのボタンを留めようとまでしていた。リビングにある我が家でたった一つのテレビもちゃっかり活動している。
だが実際問題、それだけいっぺんに違うことが出来るわけはなく、そのあまりに非効率的な動作に俺は朝一番の溜息をついた。
「……父さん。何度も言うようだけど、いい加減一度にたくさんのことをするのは止めた方が良いよ?」
呆れた俺の言葉に、トーストを噛み切った父さんが、ごくりと喉奥にトーストを押しやってにやりと笑う。
「何を言う。これは効率的と言うんだ。一度に多くのことが出来る……あぁ、何と素晴らしい事か!」
「できてないから非効率なんだよ」
俺としてはごく当然の正論を、射抜くような鋭利さで貫いたつもりだったが、それでも父さんは余裕の笑みを崩さずに僕を見つめては楽しそうに笑った。
「ふふ……いつかできるさ。これはその為の練習なんだよ、遼ちゃんくん?」
――むぅ、と俺はむすっとした顔でそのままトースターに食パンを入れる。語呂の悪い呼び名に突っ込みを入れることもなく、いつも通りの朝を迎える。時計の針を確認すると、やはりいつもと同じような時間だった。
時刻は七時の十五分。まだ慌てるような時間ではないな。いざとなれば四十五分に起きてからでも間に合う距離に高校はあるし、三十分には父さんが起こしてくれるから問題ない。
俺は深く父さんに注意の言葉を投げかけるでもなく、トーストが焼けるまで父さんの用意した焦げたベーコンエッグとコールスローのサラダに噛り付いた。
ふとそこで、活動十分なのか不十分なのか分からないテレビのニュースの場転がチラと目に入り、何気なく向かいの父さんに声を掛ける。
「……そういえば、父さん。なんか面白いニュースあった?」
「いやぁ……ないなぁ。……あ、でも、今夜は半月だよ、遼ちゃん」
父さんは事も無げに世間のニュースよりも周期的な天体の話を持ち上げた。
俺は一層胡乱な目つきになり、父さんを見つめた。父さんはリビング脇の庭に通じる広い掃き出し窓から差し込む燦々とした朝日のような目で、俺のことを見ていた。
「……だから何?」
――だからと言って、俺の胡散臭さがぬぐえるわけじゃないけどね。
父さんは『分かってないなぁ』とでも言いたげな笑顔で口を開く。
「ほら、月の綺麗な形の夜ってなんか特別じゃないか? 藤原道長も、満月を歌に詠んでいるだろう。それだけお月様は人の心をつかむものなんだ!」
「ぇー」
そんな過去の偉人さんの話を持ち出されても、千年以上たった現代までその歓声が引き継がれている訳はないではないか。少なくとも、俺はそんな昔のことは知ったことではない。
「……んで、人の心をつかむそのお月様が、どうしたの?」
俺がやる気なしに返した言葉にニコニコと笑う父さんが、この後何を言うのか俺は何となく予想が出来てきていた。
――俺の予想通りなら、どうでも良いようなことを口走るに違いない。
「だからね、それだけの力を持つお月様がきれいな形でのぼる今夜、何か奇跡が起こるかも知れないって話だよ!」
「そんなお手軽感覚で奇跡は起こらないと思うけどなぁ」
俺は適当に話を流しながら、チンと音を立てたトースターの方へ行き、白と黒の縞々が香ばしさを演出するトーストにバターを塗ってもくっと食べた。
「……ところで、遼ちゃん。そろそろ彼女出来ないの?」
「話が唐突過ぎて泣けるぞ父さん!」
――彼女いない歴十七年で何が悪い!
……俺は僅かに緩みかけた気がした涙腺を放っておいて、さっさと朝食を片付けた。