なぜ評価されるために必死になるのか
我々は、評価されるために必死になることが人生においてたくさんの場面で見られる。
会社や学校のテストなどである。特に、顕著に見られるのは、受験であると思う。受かるために必死になる。その思いが強い人は、10浪など続く人がいるのはそのせいであると思う。
話が変わるが、私は上下関係が苦手である。
一年早く生まれただけで敬語やなぜあんなにも偉そうなのかと思った。私は、そのせいもあるが高校のサッカー部を一ヶ月くらいで退部してしまった。原因は、自分のプレーが上手く行かなく負けたからだと思う。後半に出たのだが、その先輩から「なぜ出るのですか?」的なことを言って来た気がする。自分も出たくないよと思ったが、言えるわけもなく仕方なく弱弱しいプレーをして、叱られた。その後自分は、この采配は自分のせいではなく、監督にある。そう思い、自分は泣くことなく笑ってバスに乗ったことを思い出した。試合が終わった時、すぐこの部活辞めようと決心した。
このように、評価されないところでは潔く諦めることも必要であると思う。そこでは、自分のしたくないことをして、自分を安売りしてしまうかもしれないからだ。
しかし、有名な画家などは生きている時は評価されずに生涯を終えた。その後評価された人も数多くいる。このように、評価されなくてもいいのではないかとも思う。
最後に自分の好きなことをすればいいのではと思う。なぜなら、人生は短いのだから、自分の進みたい方向を選択し、いらないものを削除する勇気が重要になるのではないか。




