苦い珈琲
五百円あれば何ができるだろう。たかが五百円、されど五百円。できることはいくらでもある。
俺はその金額で珈琲を思い浮かべた。よく行く喫茶の珈琲がちょうど五百円だ。
俺の足元には一枚の硬貨が落ちている。鈍く、されど黄金の輝きを持つ五百円硬貨。
俺が落としたわけじゃない。誰かが落としたのだろう。
それを拾い、眺める。そして思案する。
これを交番に届けることはできる。さほど離れてもいない。もし届ければ、一日だけ善人の称号が得られるだろう。
でもそれだけだ。割に合わない。どうせ持ち主に還ることもないだろう。
俺は五百円玉をポケットに入れた。
いつもの喫茶店。注文した珈琲はすぐにやってくる。
芳醇な香りに思わず口角が上がるのを感じる。
一口飲む。
爽やかな酸味が口の中に広がる。苦みは少ない。いつもの味だ。
俺は鞄から本を取り出し開いた。
小説を読みながら、珈琲を味わう。心地よい時間だった。
世界が橙色で染まる時間。あと少し経てば辺りは暗くなるだろう。そんな帰り道に俺は子どもを見つけた。
小学校中学年ぐらいの子ども。半泣きになりながら辺りを探っている。何かを探すように。
どうしたもんか。声をかけることはできる。しかし不審者扱いされてはたまらん。無視するのが吉だ。
少し離れて子どもの横を通り過ぎる。
子どもとの距離はある程度ある。だというのに微かに呟きが聞こえた。
「五百円……」
……そういえば此処は俺が五百円玉を拾った場所辺りだ。そして子どもは何かを明らかに探していた。
証拠があるわけじゃない。だが可能性は高い。
思案する。だがそれはごく短い時間。
俺はその子どもに話しかけた。
「ねえ君、なにしてるの?」
子どもは話しかけられると思っていなかったのか、体を一度震わせる。
「え、あの……えっと……」
少し怯えるようにこちらを見上げる。
面倒くさいが俺は視線をできるだけ合わせた。
「もしかして落とし物? なにを落としたの?」
戸惑っているようだが、少し待てば返事が帰ってきた。
「……五百円玉を、落としました」
やっぱりか。嫌なことに予想は当たった。俺が拾った五百円玉は十中八九コイツが落としたものだろう。
最低の気分だ。
「よかったらさ、お兄さんも探すの手伝っていいかな?」
「え?」
「二人で探すほうが効率いいし、すぐ見つかるよ」
「でも、そんな……」
「いいからいいから。じゃあお兄さんはあっちを探すね。君はあっちを探してくれるかな?」
返事を待たずに俺は適当な場所で探すふりをした。
子どもは納得がいかなさそうだが、すぐに俺と同じように探し始めた。
俺と子どもは真反対。必然、子どもは背中をこちらに見せている。
それを確認した俺はバレないように、財布から五百円玉を取り出した。数分待って、適当なタイミングで声を出す。
「ん、あったよ五百円玉」
「えっ」
子どもに見せつけるように五百円玉を持つ。当たり前だがこれは俺が拾った五百円玉じゃない。だがそんなことわかりもしないだろう。
実際、目の前の子どもは何も疑う気配がない。
「はい、もう落とさないようにね」
子供の手に五百円玉を押し付ける。
「ありがとうございます!」
心底ほっとしたように子どもは笑顔を浮かべた。
これ以上関わりたくなかった俺はさっさとその場をあとにした。
後日、いつもの喫茶店に来た。
いつもの珈琲、今日は苦みが強かった。




