早乙女さんの依頼
目が覚めた僕を待っていたのは、花とアルコール、そこに少しの汗の混じった匂いだった。見慣れたようで微妙にアングルの異なる天井を見て、僕は姫柊さんの部屋で寝落ちしていたことを思い出した。
布団をどけて窓の外を見る。太陽は既に登っていた。時計を見ると短針はちょうど12時の文字の上にある。どうやら結構な時間寝てしまったらしい。
すぐに近くで音が鳴っていることに気づいた。カチカチ、カタカタ、と軽くて硬い音がリズム良く鳴っている。横を見ると、ヘッドホンをつけた姫柊さんが座椅子に座ってPCでゲームをしていた。
「あ、平坂くん起きたんですね~」
姫柊さんは相変わらず薄着だ。うす紫色のTシャツにグレーのドルフィンパンツで、一応下着ではないものの直視するのにも相応の覚悟が求められる。
そういえば、寝ている時に凄い光景をみたような気がする。思い出せないけど、とにかく大きくて薄かったような……。
「おはようございます。布団も貸してもらったみたいで、すみません」
「いえいえ~、私としてもンフッ、平坂くんなら全然気になんないですから」
「ありがとうございます……?」
よく分からないがとにかく許してもらえたらしい。姫柊さんはゲームを中断して、僕の方をじろじろ見た。ちょっと視線が怖い。
あ、と姫柊さんが小さく呟く。
「早乙女さんが起きたら来るように言ってましたよ」
「そうなんだ、ありがとう」
部屋から出ていこうと布団から立ち上がる。しかし僕のTシャツの裾を姫柊さんが軽く引っ張った。
「あ、早乙女さんの所に行く前にお風呂入って行ってください。昨日から入ってないですよね?」
「そういえばそうだけど、これ以上お世話になるのも申し訳ないし自分の所で入るよ」
「いえいえっ、私の家のお風呂結構広いので!それに使ってもらった感謝を祈りとしてもらえれば、ちょっとは信仰が溜まりますからっ」
強引に僕を洗面所に押し込んで、姫柊さんは洗面所のドアを素早く閉め切った。
確かに僕の部屋と比べて洗面台がかなり広く、まるでどこかの温泉旅館のようだ。風呂場へ通じるドアを見るとガラスの向こうに更に広い空間が見えた。
服を脱いで恐る恐る扉を開くと、湯気で湿った木の香りが飛び込んできた。檜だろうか。泳げるぐらいの広さの浴槽が僕を待ち受けて、僕は思わず心の中で叫んだ。
「神様ってずるい!!」
僕の部屋なんか足も伸ばせないただのユニットバスなのに。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
102号室のチャイムを鳴らすと、ほどなくしてドアから早乙女さんが顔を覗かせた。昨日と同じのセーラー服にエプロン姿だったが、今日のエプロンは紺色に白い兎のマークとともに「しろうさ商店」と印刷してある変なデザインだった。
「お、平坂くんおはよう。黒ちゃんから話は聞いてる?」
「えーと、とりあえずここに来いってぐらいしか」
「んもー黒ちゃんったら……今日はね、私のお願いを聞いてほしいの!」
耳をぴこんとたてて、早乙女さんがにっこり微笑んだ。前歯が口元からちらりと見える。
「お願い?」
「うん、ついてきて!」
彼女がそのままぴょこぴょことスキップしながら歩き、初春荘の裏に回った。砂利で舗装された小ぢんまりとした庭には一台の赤い軽トラが停まっていた。荷台には「しろうさ商店」のロゴが印刷された段ボールがいくつか積まれている。
早乙女さんがおいで、と手招きして助手席のドアを開ける。誘われるがまま軽トラに乗ると、運転席に早乙女さんが座った。
「今日はボクの信仰を増やすお手伝いをしてほしいの」
「信仰を増やすって、なんか宗教施設に連れてくみたいな……?」
「そんな疑わないでよー。それの黒ちゃんを助けるアイデアも浮かぶかもしれないと思ってさ」
早乙女さんが座ったまま、車のエンジンがかかる。早乙女さんの足の長さではアクセルに届くわけもなく……加えて座高も届かないのか運転席にさらにチャイルドシートをつけているのにも関わらず、トラックは少しずつ動き出した。
早乙女さんは手をシートにつけ、足をぷらぷらさせている。それでもハンドルは回るし、アクセルのペダルは何かに踏まれたかのように沈み込む。
「それが早乙女さんの権能?」
「そだよー。権能が効かない平坂くんなら頑張れば見えるんじゃないかな」
確かに目を凝らしてみると、ハンドルの周囲に陽炎のような靄が見える。靄は早乙女さんの両肩まで伸びて収束し、さらに下半身からも靄が出てフットペダルの方に伸びていた。
「おぉ、確かになんか見える」
「……えっち」
早乙女さんが自分の身を守るようにぎゅっと身体を竦める。流石にそれは理不尽だろ……。
車はそのまま商店街へと近づいた。大きなアーケードの下に広がる商店街は、地域の人の努力あってか他の街にはない程度には栄えていて、休日は人の波であふれかえっている。
今日は平日ではあるがそれでもある程度の賑わいを見せていて、学生や主婦などが行き交っている。
早乙女さんの赤い軽トラはアーケードのある通りの隣の駐車場に停車する。彼女はドアを開くと僕にも降りるよう促した。
「じゃ、平坂くんはこれ持ってね」
「は、はい」
早乙女さんが見えない手を使い荷台から段ボール箱を下ろして僕に渡す。しっかりと重量を感じる箱を両手でなんとか抱えながら、軽快に進む早乙女さんに続いた。
早乙女さんは「しろうさ商店」と書かれたシャッターを開けると、段ボールを近くに置いて中の品を取り出す。中には野菜や果物が敷き詰められていて、呆気に取られている僕にも動くように促した。
「ほら、平坂くんが寝坊した分時間がないから、急いだ急いだ!」
「は、はいっ」
えっほえっほと口にしながら早乙女さんは軽快なステップで野菜を次々に運び出していく。当然僕には便利な権能なんてなくて、汗だくになりながらなんとか野菜を運び出した。
しろうさ商店はあっという間に
肩で息をする僕の頭に早乙女さんの手が触れる。そのまま数秒の間僕の頭にくっついたまま、なでなでと何回か往復した。
「ありがとね。ここからはボクが頑張るから、平坂くんは休んでて」
「うす……。というか、ここって八百屋?」
「そうだよ、これがボクの信仰の稼ぎ方なんだ!」
どこからかプラスチック製のメガホンを取り出すと、早乙女さんはそれで客の呼び込みを始めた。
安いよ安いよー、採れたてだよー、新鮮な野菜だよー!と彼女がメガホンで声を張り上げる。道ゆく人に声をかけては呼び込んで、肉じゃがならこれ、野菜炒めならこれ、など商品の説明を楽しそうにしていた。
休憩も済んだ僕も早乙女さんを手伝うことにした。呼び込みは恥ずかしくて出来そうになかったので、主に客の指定した野菜を集めるのと金銭のやり取りを行なった。
「あ、みしろのお婆ちゃん!」
「あら白うさちゃん、今日はお店開いてるのね」
白髪の優しそうなお婆ちゃんが店頭に来る。常連客のようで、早乙女さんも屈託のない笑顔で彼女の対応をしている。
「じゃがいもとにんじんと、玉ねぎを2つちょうだいな」
「いいよー。カレー?」
「そうだよ。よく分かったねぇ」
「じゃあズッキーニもオマケしてあげる!出来上がり直前に焼いたズッキーニを入れると美味しくなるんだよ」
早乙女さんがみしろさんと呼ばれたお祖母ちゃんの買い物袋に青々としたズッキーニを放り込もうとする。しかしみしろさんはその手を制止した。
「ありがとねぇ、でもそんなに沢山食べきれないから大丈夫よ」
「そんなこと言ってたら大きくなれないヨ!」
「もうそんな歳じゃないってば」
困ったようにみしろさんが笑う。これ代金ね、とみしろさんが財布からお金を取り出すと、はーいと元気な声で早乙女さんが小さな箱を突き出した。はいはいと彼女がそこに小銭を入れると、何度かの挨拶の後にみしろさんは帰っていった。
早乙女さんが僕の方を見る。丸い眉毛が斜めに細まり、してやっとりというような顔だ。
「どうよ!これがボクの信仰の稼ぎ方さ!」
「早乙女さん……」
ふふんと鼻を鳴らし、彼女が一歩踏み出して頭を突き出す。撫でて欲しいのだろうか。
ねぇ、と急かすようにねだってくる。仕方なく彼女の頭に手を置きながら、僕は言い淀んでいたことを口にした。
「これは……宗教活動ではなくただの労働だと思う」
「ちっちっち、そうじゃないのさ」
僕の撫でる手をせがむようにふわふわの手で包ながら、彼女は再びドヤ顔で僕を見た。
仕方ないのでもう一度撫でると、うんうんと彼女は満足そうに鼻を鳴らす。
「民たちが供物を持ってきて、ボクが見返りに豊穣を与える。これは立派な儀式的行為と言えよう!」
「け、経済活動の範疇だと思うんだけど……」
「ふふん。これを見るんだ!」
先ほどみしろさんからお金を貰っていた箱を僕に見せるように掲げた。
焦茶色の木製の箱には、黒い文字で「賽銭」と記されていた。上部にも賽銭箱のように小さな隙間が開いていてお金を入れられるようになっている。
「お賽銭でも信仰が増えるって言ったでしょ?」
「そんなのでいいのかよ……」
「もちろん一気に稼げるわけじゃないから、地道な努力だけどネ」




