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異世界配信中。幼馴染みに捨てられた俺に、神々(視聴者)がコメントしてくるんだが。  作者: 葉月


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第5話 初体験

 それからのことは、朧げだ。

 怒りも絶望も、胸の中で渦を巻きすぎて、記憶の縁を削り落としてしまったのだろう。

 ただ、気づいた時には――王都の街路はすでに夜の闇に沈み、灯籠の光だけが石畳に淡い影を落としていた。


「ねえ、そこの君。暇なら、お姉さんと遊んでいかない?」


 気怠げに伸びてきた声に顔を向けると、そこにはプラチナブロンドの女が立っていた。

 ユリアナと同じ色だが、それだけだ。

 彼女の髪には貴族のような気品も、神殿の清らかさもない。

 夜を生きる者の、少し濁った輝き。それが妙に現実味を帯びて眩しかった。


「……」

「おーい、聞こえてる? あれ、無視? 嘘でしょ。こんな美人を無視とか……君、もしかしてホモだったり?」


 すれ違おうとした瞬間、女の手が俺の腕をつかんだ。逃がす気はない――そんな指の力だった。


「……」

「……」


 短い静寂。

 女はふっと微笑み、俺の頭を子供をあやすみたいに、しかし妙に乱暴にくしゃくしゃと撫でた。


「安くしてあげるからさ。お姉さんと遊んでいこうよ?」

「……ほっといてくれ」

「ほっとけるわけないでしょ? 今の君、もう死にかけみたいな顔してる。お姉さんがそんな薄情に見える?」

「別に……俺が死んでも、あんたには関係ないだろ」

「まあ、そうだね。でも、どうせ死ぬなら美人と一発やってから死んだら? ねぇ、君、まだ経験ないでしょ?」


 死ぬつもりなんて、端からない。

 だが――ユリアナの腰に手を回すハヴィスの姿が、脳裏にこびりついて離れなかった。


 あいつらは、どういう関係なんだ?

 俺が思っているような関係なんだろうか。

 三ヶ月で? 俺たちは十六年一緒にいて、何もなかったのに。


 俺もユリアナも、どこまでも奥手だった。

 ――ハヴィスは?

 年上で、余裕があって、きっと経験もあるだろう。


 ひょっとして今頃……。


 胸がぎゅっと縮み、気分が悪くなる。胃の底からこみ上げる酸っぱいものを、必死に押し戻す。


「大丈夫? やっぱり顔色、最悪なんだけど」

「……」

「で、どうする? あたしのこと、買ってくれる?」

「……なんで俺なんだよ」

「あたしさ、この街での“最初の客”は美少年って決めてるの」


 俺が、美少年?

 思わず、その理由を問い返していた。


「どうして?」

「最初に抱かれた男がカッコよかったらね――この街でどんな嫌なことがあっても、ちょっとはマシになるかなって思うの。

 “思い出の第一印象”って言うのかな。ほら、人ってそういうの大事じゃん?」

「……だとしたら、俺にとってこの街は最悪だ」

「うん、そう見える。だから――書き換えちゃおうよ。

 汚くて嫌な思い出を、甘露のように甘い“一夜”に上書きするの」


 そんなもので書き換えられるとは思えなかった。

 それでも、気がつけば――俺の手は封筒を女の胸元へ押し当てていた。


「わぁ……君、見た目によらず大金持ちじゃん。お姉さんびっくりだよ」


 女は封筒の中身をざっと確認し、その中から三万ギルだけを抜き取ると、残りを俺へ差し戻した。


 彼女の指先は冷たく、それでいて妙に優しかった。


「こんな金、全部あんたにくれてやるのに」


 吐き捨てるように言うと、女は片眉を上げ、悪戯っぽく口元を吊り上げた。その笑みは、静かな夜の灯に照らされ、どこか妖しげな艶を帯びていた。


「じゃあ――そのお金が尽きるまで、毎日あたしを買い続けるってのはどう?」


 軽い調子で投げられた言葉だったが、胸に刺さる何かは意外に鋭かった。

 だが、俺は返せなかった。明日には村へ戻る。こんな街の娼館に通う生活など、そもそも初めから叶いようもない。


 だから、ただ黙った。


「ふふ、答えないってことは……まぁ、いいわ。どうせすぐにあたしの虜にしてあげるから」


 そんなことは絶対にない――そう反論したかった。だが、喉は妙に乾き、声が出なかった。

 指先ひとつで導くようにして、エマと名乗る女は俺の腕を引き、赤い灯に彩られた娼館の奥へと連れていく。

 その足取りは軽く、俺の足取りは重かった。



 ◆



「で――初体験の感想は?」


 ベッドに腰を下ろした女は、夜明け前の焔のように艶やかに笑い、毛布を片肩から滑らせながらこちらを見る。


 このサキュバスめいた女の名は、エマ。

 先ほどまで俺の全てを弄び、そして優しく包み込んでいた女だ。


「き、気持ち……良かった、です」

「正直でよろしい!」


 子どもをあやすように頭をくしゃくしゃにされ、そのまま胸元に抱き寄せられる。

 柔らかい。温かい。甘い匂いが、喉の奥まで満ちてくるようだった。


 ――女の人って、みんなこんなに柔らかいのか。

 ――ユリアナも、こんな匂いがしたのだろうか。


「じぃ~~」


 熱を孕んだ視線に気づいて顔を上げると、エマが唇を尖らせていた。


「……なに?」

「今、別の女のこと考えてたでしょ?」

「え、いや、そんな――」

「君は嘘をつく才能が壊滅的に無いねぇ。で? 何があったのかな?

 さっき死にそうな顔してた理由、お姉さんに話してごらん?」


 手のひらが、優しく頭を撫でる。

 その仕草は、どこか懐かしい温度を宿していて、胸の奥の硬い部分がふっと緩むのを感じた。


 ゆっくりと顔を上げると、エマの柔らかな微笑が目と鼻の先にあった。


「……少し、長くなるかも」

「夜はね、そのために長いのよ」


 促されるままに、俺は語った。

 ユリアナのこと。

 彼女を追いかけこの街へ来たこと。

 今日の地獄のような再会のこと、そしてハヴィスの腕が彼女の腰に触れていたことさえも。


 言葉は、とめどなく溢れた。

 気づけば窓の外は薄青く染まり、朝日が静かに差し込み始めていた。


 長い夜は、ようやく終わろうとしていた。

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