第4話 変わり果てた幼なじみ
門前で待つこと、わずか数十分――しかしその短い時間が、胸を締めつける永劫にも思えた。
やがて、重々しく軋む音を立てて門が開き、その向こうから一人の少女が現れる。
編み込みのハーフアップに整えられた、陽光を弾くようなプラチナブロンド。
美しく、冷たく、凛とした気配をまとった少女――ユリアナ。
ハヴィスと呼ばれていた青年が、まるで従者のようにその後ろを歩いていた。
だが、俺はその姿を目にして、すぐには息ができなかった。
見た目が変わったからではない。
纏う空気が、まるで別人だったのだ。
かつて村で笑っていた少女は、もうどこにもいない。
目の前に立つのは、磨かれた宝石のように光を放ちながらも、どこか遠い“貴族令嬢”のような姿だった。
「……ユリアナ、だよな? 本当に……あのユリアナなんだよな?」
俺の声は自分でも驚くほどかすれていた。
「ええ、そうよ。で? 何の用?」
彼女は冷ややかに視線を流し、薄く笑った。
「わたし、あなたみたいな平民に構ってる暇はないの。用件があるなら手短にして?」
胸の奥がぎゅっと痛む。
目の前の少女が、本当にあのユリアナなのか――どうしても信じられなかった。
「その……手紙を読んで、どうしても話したくて……」
「そう。で、それが何?」
ユリアナは肩に掛かった髪を乱暴に払う。
腕を組み、つま先で苛立ちを刻むように地面をタッタッタッと叩いた。
その仕草ひとつひとつが、まるで別世界の人間のものだった。
十六年を共に過ごした俺の知るユリアナは、こんな目をすることはなかった。
「ユリアナ……別れたいってのは、本当に自分の意志なのか……?」
「本当よ。何度でも言ってあげるわ――別れたいの。以上。」
その声音には、情も未練もひとかけらもなかった。
怒りよりも、ただ呆然とするしかなかった。
「理由を……教えてくれ。俺が【愛子】じゃなかったからか?」
「違うわよ。」
ユリアナは、ひとつ鼻で笑った。
「たとえロイドが“愛子”だったとしても、わたしが平民なんかと一緒になるなんてありえないの。
私は“選ばれた側”の人間なのよ。わかるでしょ? 選ばれなかったあなたとは、もう住む世界が違うの。」
「……住む世界? なんだよ、それ!」
「身の程を知りなさいって言ってるの。あなたとわたしじゃ釣り合わないの。理解して?」
耳の奥で血が沸騰したような音がした。
拳を握りしめれば、爪が掌に食い込み、じわりと血がにじむ。
「ユリアナ、そんなに突き放したら彼が可哀想だよ」
横からハヴィスが口を挟んだ。
彼は穏やかな声音を装っていたが、その腕はしっかりとユリアナの腰を抱き寄せていた。
「でも……」
「君の言い分は理解しているつもりだよ」
その言葉とともに、ユリアナはわずかに頬を染めた。
それを見てしまった俺は、奥歯がきしむほど噛み締めるしかなかった。
「……そこでどうだろう?」
ハヴィスは静かに微笑み、俺へ封筒を差し出した。
「これで手を打つ、というのは?」
封筒は半ば押し付けられるように俺の胸に当てられた。
開けてみると、中にはぎっしりと詰まった紙幣――クライシス紙幣。
ざっと見ても百万ギル……いや、それ以上かもしれない。
細かく折り畳まれた紙幣は、俺の手の中で妙に重かった。
金というより、“俺とユリアナの十六年を丸ごと押しつぶして封じた“重り”のように思えた。
「……これは、何のつもりだ?」
喉が焼けるように乾いていた。
言葉がうまく出ない。
「うん? 見てのとおり“手切れ金”だよ」
ハヴィスは実に晴れやかな声で言った。
「ユリアナはこれから大切な使命を背負って生きていく。
過去の“しがらみ”は、早めに清算しておいたほうがいいだろう?」
“しがらみ”――その言葉が、俺の胸を鋭く刺す。
ハヴィスは続ける。
「君もこれを受け取って村に帰れば、まあ……悪くない金額だろう? しばらく働かずとも暮らしていける。
村の家族にも恩を売れる。悪い話じゃないよね?」
なんて滑らかで、なんて残酷な声だろう。
俺は封筒を握りつぶす勢いで手に力を込めた。
「……ユリアナ。これは……お前の意思なのか?」
少女は、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
その一瞬が、俺には永遠に思えた。
「……そうよ」
ユリアナは静かに言った。
その声は、さっきまでの刺々しさが嘘のように、やけに冷たく落ち着いていた。
「わたしは愛子。国に必要とされる側の人間になったの。
あなたと過ごした日々も、もちろん……嫌いじゃなかったわ。
でもね――終わったの。もう戻らないのよ」
かすかな笑みを浮かべる。
その表情に違和感を覚えた。
俺にはどうしても、目の前の彼女がユリアナには思えなかった。
だが、それだって現実を受け入れたくない俺がそう思い込んでいるだけなのだ。
城壁を背に立つユリアナは、あまりに遠かった。
「……そうか」
気づけば、その一言が口からこぼれていた。
「わかってくれたみたいだね」
ハヴィスが満足そうに頷く。
「ロイド、あなたは優しい子だから……きっと幸せになれるわ」
ユリアナはそう言った。
その“優しい子”という言葉が、どうしようもなく俺を蔑む響きを帯びて聞こえた。
優しさなんか、もうどうでもよかった。
胸の奥が焼けただれ、何かが破裂しそうだった。
「これで本当に……終わりなんだな?」
「ええ。終わりよ。さようなら、ロイド」
その瞬間――
俺の中で、何かが静かに、そして確実に壊れた。
何の音もしなかった。
ただ、心臓の奥に埋まっていた“十六年の温もり”が、音もなく崩れ、砂のようにこぼれていく感覚だけがあった。
ユリアナは踵を返し、歩き出す。
ハヴィスが寄り添い、その肩に手を置いた。
二人の背中が、王城の影に吸い込まれるように遠ざかっていく。
俺はしばらく動けなかった。
握りしめた封筒の角が手のひらに食い込み、血がつっと流れ落ちる。
それでも、痛みは何も教えてくれなかった。
ただ、やけに空が澄み切って青かった。




