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異世界配信中。幼馴染みに捨てられた俺に、神々(視聴者)がコメントしてくるんだが。  作者: 葉月


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第24話 新たな人生

 翌朝――

 白んだ空気が路地にたゆたう時刻、娼館の門を出たところで、俺はルークと鉢合わせた。


 当然、怒号のひとつでも浴びせられると思っていた。


「とんでもない女を紹介しやがって!」


 そんな罵倒が、開口一番飛んでくるはずだった。


 ところが。


 娼館から姿を現したルークは、魂を置き忘れてきたかのようにぼんやりしていた。

 目の焦点は宙を彷徨い、歩くたびに肩が小さく揺れる。

 まるで夜のあいだに年を十も重ねたかのように、頬がこけて見えた。


「……おい、大丈夫か?」


 声をかけても返事は曖昧で、濁った水をかき回したような目だけがこちらを向いた。


 行く宛がないと言うので、仕方なく俺の泊まっている宿へと連れて行く。



 ◆



 部屋に着いても、ルークはずっと同じ調子だった。


「はぁ……」


 ため息だけが、湿った風のように部屋の空気を撫でていく。

 彼は頬杖をつき、朝の光がきらめく窓の外を、ただ眺めていた。

 ときおりまばたきを忘れるほど、放心している。


 やがて、窓際に飾られていた小さな花を手に取ると——

 その白い花びらを一枚ずつ引き抜きながら、かすれた声でつぶやきはじめた。


「会える……会えない……会える……会えない……」


 その様子は、恋に落ちた乙女そのものだった。

 いや、それよりももっと切実で、もっとこわい。

 背筋に冷たいものが走り、思わずぶるりと身を震わせる。


 ——昨夜、ルークに何があった?


 聞きたい。

 けれど、問いかけた途端、取り返しのつかないものがこぼれ落ちてきそうで……。

 俺は唇を噛み、結局何も問えずにいた。


 心ここに在らずのルークのことは、とりあえず脇に置くしかなかった。

 昨夜の余韻が身体の芯にまだ残っているのを、どうにか振り払うようにして、俺は配信画面の設定を開く。


 非表示にしていたチャット欄のスイッチに、指先が触れる。

 まるで、封じ込めていたパンドラの箱をこじ開けるかのような、得体の知れぬ緊張が走る。


 瞬間、濁流のように文字が流れ出す。


 :ロイドくんの羽目撮り、ナイスですねぇ〜

 :名監督すぎて草

 :エマちゃんヤバすぎ(♡д♡)

 :エッチなお姉さんとか憧れすぎる

 :あんなん見たらもうAVじゃ満足できん

 :俺もエマちゃんとパンパンしたい

 :あの腰突きたまらんわ

 :あんなん俺なら秒でイクわwww

 :エマちゃんの言葉責めたまらん♡

 :それな!

 :自分、興奮しすぎて5回抜きましたw

 :↑ちゃんとお布施したか?

 :俺は上限五万払ったぞ

 :リッチすぎるww

 :それだけの価値はあっただろ

 :それ以上な!

 :チャンネル登録者数も爆伸び中w

 :あと少しでトータル視聴数10万!

 :ボーナスポイントGETやん

 :やっぱりエロは強えなww


「……」


 しばし、言葉を失った。


 画面の文字列が、夜明けの光に照らされた墓石のように、ひどく冷たく見えた。


 昨夜、あの薄闇の中で確かに触れた温もり。

 小さく震える肩。

 呼吸を整えようとするように俺の胸元に指をかけた仕草。

 触れれば壊れそうだったほどの、ひとりの女の生身。


 ――その全部を、神々は余すことなく見ていたというのか。


 胸の奥で、鈍い痛みがじわりと広がった。


 羞恥でも、怒りでも、単なる照れでもない。

 それらを遠いところに追いやってなお残る、もっと暗い感情――

 “申し訳なさ”と、“不可逆の後悔”。


 俺は、ひっそりと呟いた。


「……エマに、悪いよな」


 ただの言い訳にも似たつぶやきだった。

 けれど、吐き出さずには胸が潰れてしまいそうだった。


 昨夜、エマは俺に寄り添ってくれた。

 客と娼婦という形を越えた、かすかな情のようなものが確かにあった。

 それを俺は――“見られる行為”と知っていながら身体を重ねたのだ。


 どれほど彼女に失礼なことをしたのだろう。

 そう思えば思うほど、胸の奥が重く沈んでいく。


 いずれ、きちんと話をしなければならない。

 配信のことを。

 俺と神々の関係を。

 あの夜がどう扱われてしまったのかを。


 誤魔化してはいけない。

 逃げてもいけない。

 彼女が傷つかないように。


 そう思案したところで――ふと気がつく。


 自分がまた、エマに会いに行こうとしているという事実に……。


「……」


 胸の奥に、嫌な沈黙だけが滞っていた。


 ユリアナに振られて、まだ一月程しか経っていない。

 にもかかわらず、俺はもう別の女に心を傾けかけている――


 そんな自分を思うと、情けなさより先に、どこか薄暗い怖さすら覚えた。


 魔王を討つと誓ったのは、ユリアナを取り返したいなどという浅ましい未練からではない。


 あれは俺自身の矜持だったはずだ。


 だが……仮に魔王を倒したところで、ユリアナが再び俺に振り向くとは到底思えなかった。


 彼女の心が、もう俺へ戻ってくることはない。


 ――なら、いっそエマに乗り換えてしまえばいいのではないか。


 そんな浅はかな考えが脳裏をかすめた瞬間、自分自身に寒気がした。


 ――彼女は、俺を好いてくれている。


 いや、違う。それはただ、俺が勝手に作り上げた幻想だ。


 エマは娼婦。

 優しさも微笑みも、すべては客に向けられた商売の顔にすぎない。

 俺一人のために向けられたものではない――いや、向けられてすらいない。


 あれはすべて、客を取るための演技。


 そうわかっているのに、昨夜、あの小さな仕草や言葉の端々に、ほんの一瞬でも“自分だけを見てくれた気がした”――

 そう感じてしまった俺は、なんと愚かで浅ましいのだろう。


 勘違いする男ほど始末に負えない。

 近所のおばちゃんが、呆れたように何度もそう言っていたのを思い出す。


 いまの俺は、まさにその“勘違い野郎”の典型だ。

 痛々しいほどに都合よく現実をねじ曲げようとする、輝きかけては砕け散る妄想の塊。


 自嘲が、喉の奥でひりつくように笑った。


「はぁ……」


 深い吐息が、薄闇の部屋にゆっくりと溶けていった。

 窓辺で呆然と外を眺めるルークの隣に腰を下ろすと、俺もまた、つられるように遠い空を仰いだ。


「こんなこと……本当は言いたくないんだけどさ。金……返すあて、あるのか?」


 その問いに、ルークは口を閉ざしたまま動かない。日当たりの悪い部屋の片隅で、灯火が彼の横顔を揺らしている。沈黙は、返事よりも雄弁だった。


 昨夜の酒代はまだいい。あれは俺が勝手に奢ったようなものだ。だが――ミストヴェイルの娼館代まで肩代わりする気は、さすがに俺にもない。


 いや、正直に言えば、金そのものは惜しくなかった。どうせあのクソ貴族から押しつけられた金だ。湯水のように使ってやったって、少しも惜しくはない。

 だが、そこで一歩でも甘やかせば……ルークは本当に堕ちる気がした。俺と同じ穴にずるずると滑り込んでいくのを、手を引くように手伝うことになる。それだけは嫌だった。


 ルークは唇をきつく結んだまま、机の木目をじっと見つめている。


「……村に、帰ったらどうだ?」


 言った瞬間、彼は弾かれたように顔を上げた。


「断る! それだけは絶対に嫌だ!」


 火がついたような拒絶。

 よほど隣村の“オーク似の女”との縁談が嫌なのだろう。ウォーリアならよくてオークは駄目――正直、その線引きが俺にはよく分からない。


「そういうお前だって……帰らないんだろ?」

「それは……まあ」


 胸の奥に鈍い痛みが走った。ユリアナの名が頭に浮かぶ。

 彼女を連れ戻すと豪語して飛び出した以上、今さらどの面下げて村に戻れというのか。

 俺とルークでは、ここに至るまでの状況が違う。


「帰らないにしてもさ、金がなきゃ野垂れ死ぬぞ? 貸した金は、返せる時でいい。ただ、生活費はどうするつもりだよ。ここの宿代だって、そこそこ掛かるんだぞ」

「そのことなんだけど――」


 ルークはゆっくりと立ち上がり、壁に立て掛けてあった剣へと手を伸ばした。

 鞘がわずかに鳴り、銀の刃が灯火を吸い込む。意外なほど自然な動きだった。


「俺もさ、冒険者になろっかなって思ってる。村にいた頃、村長の孫って理由で、半ば強制的に自警団に参加させられてたろ? だからほら、こう見えてもそこそこ戦えるんだぜ」


 冗談めかした笑みを浮かべつつも、その構えには確かな重みがあった。

 剣士スキルもない俺では、そもそもあんな風に構えることすらできない。


 そういえば……畑仕事をしていた頃、ルークはいつも村を巡回していた。大人に混ざり、汗を拭いながら歩く背中が、不思議と頼もしかったのを覚えている。


 ──こいつは、あの頃からきっと何かを背負っていたんだろう。


 そう思うと、今、剣を握る彼の姿がほんのわずかに眩しく見えた。


「それにな……俺、いつまでも“村長の孫”のままでいたくないんだ」


 ぽつりと落とされたその一言には、思った以上の重さがあった。


 村の将来を背負う者としての期待――それがどれほどの重圧なのか、俺には想像すらできない。

 ルークの肩にのしかかっていたものを、ようやく垣間見た気がした。


「俺はお前と違って、もう十八だろ? いつまでもジジイの後ろに隠れてるのも違うなって思うんだ。自分の人生くらい、自分で選びたい。……おかしいか?」

「いや。全然、おかしくない」


 即座に首を振った。むしろ、胸の奥が少し痛むほどだった。

 自分の未来を見据え、覚悟を固めて動こうとするルーク。


 対して俺は……ユリアナに振られたショックからヤケになって冒険者になった。

 今だって理由をこじつけて彷徨っているだけだ。


 これでは、振られるのも当然なのかもしれない――そんな苦い考えが、喉の奥で鈍く渦を巻いた。


「そこでさ……ちょっと頼みがあるんだけど」


 ルークは気まずそうに目を逸らし、指先で鞘の柄頭をつつく。

 嫌な予感がしないはずがない。とはいえ、黙って待つしかなかった。


「金を貸してほしい。――言っとくけど、サクリナを買うためじゃないからな! 冒険者になるにしても、俺には剣がねえだろ?」


 要するに、冒険者としての第一歩を踏み出すための資金が欲しいというわけだ。


「……まあ、そのくらいなら」

「よし! 話が速ぇ! じゃあ、早速頼むわ!」


 勢いよく俺の肩に手を置いたルークは、晴れやかな顔をしていた。

 思えば、こいつがここまで前向きな表情を見せるのは久しぶりだ。


 “善は急げ”と言わんばかりに、俺たちはそのまま商業地区へと向かった。

 鍛冶屋で剣を選び、革防具を合わせ、必要最低限の道具を揃える。

 ルークはまるで新しい人生へ踏み出す実感を噛みしめるように、一つひとつの装備を確かめていた。


 俺より高価な剣を買っていたのは、かなり納得いかなかったけど……。


 そして――準備を整えた俺たちは、冒険者登録のため、王都南東区の冒険者ギルドへと足を向けた。

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