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異世界配信中。幼馴染みに捨てられた俺に、神々(視聴者)がコメントしてくるんだが。  作者: 葉月


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第23話 歓楽街

「ちょっ、離せってば!」


 俺の抗議など風に散る塵ほどにも受け取らず、ルークは俺の腕を鷲づかみにしたまま、【豚の妖精亭】を荒々しく飛び出した。


 王都北に広がる歓楽街――ミストヴェイルへ向かって、ただ一直線。

 夜の灯りが石畳に揺れ、ルークの影がぐにゃりと伸びる。

 その背中は、もはや理性を失った一頭の“さかりのついた豚”のようで、哀れなくらいにがむしゃらだった。


「――うるせぇっ! なんで年下のお前が、俺より先に卒業してんだよ! なぁ!? てめぇは“年功序列”って言葉を知らねぇのかぁっ!」


 夜気を震わせる怒声。

 そんな理不尽が通るかよ、と喉元まで出かかった言葉を飲み込む。


「ルーク、お前、金ないんだろ! ミストヴェイル行ってどうすんだよ!」

「金ならてめぇが持ってるだろが!」

「は? なんで俺がお前の初体験のスポンサーみたいなことしなきゃならないんだ!」

「奢れなんて言ってねぇ! “貸せ”って言ってんだよ!」

「だから嫌だって言ってんだろ! ……それに、俺はもう――エマは、女を買わないって決めたんだよ!」


 :ちょっマ!?

 :こいつ女買ってたの!?

 :風俗配信はよやれ!

 :顔に似合わずやることやってんのかよ

 :ロイド……見損なったぞ

 :仲間だと信じてたのに……

 :初見増えたな

 :あの時は40人しかいなかったw

 :いまも少ないじゃん

 :シーズン始まったら脱落コースだな

 :童貞たくさんいて草


 チャット欄がチラチラ見えて鬱陶しい。

 いまはルークに専念するため、チャットを非表示にする。


 ――これで、よし。


「エマ!? 誰だよそれ! 誰だよって聞いてんだよ!」

「ミストヴェイルの娼婦だよ! 話の流れで察しろよ!」

「な……ッ! ブスだよな!? オークみたいなデカ尻女だろ!? そうなんだろ!? ……頼む! めっちゃブスだったって言ってくれ!!」


 ――エマは美人だ。

 ユリアナほどの気品こそないが、柔らかな笑みが似合う、きれいな女だ。

 ルークの言う“デカ尻オーク女”とは、似ても似つかない。


 正直に伝えた結果――


「ぐぞぉおおおおおがぁああああああああああああ!!」


 商業地区のど真ん中で、戦場に突撃する兵士の咆哮のごとき絶叫を上げやがった。

 往来の人々がぎょっと目を丸くし、遠巻きに避けて歩いていく。


 このままでは――憲兵を呼ばれる。


「しっ、静かにしろルーク!」

「んぐぅううううううう――!」


 俺は慌てて、両手でルークの口を塞いだ。

 ばたばたと暴れ、肩で息をする彼の呼気が、掌の内側を湿らせる。


 今ここで憲兵に連れて行かれるようなことになれば、事情聴取は避けられない。

 “友人が初体験を卒業したいあまり、娼婦を買うと興奮して絶叫しました”

 ――そんな説明、死んでもしたくない。


 もし王城にいるユリアナの耳に入ったらと思うと、背筋が凍る。


 ただでさえ、あの冷たく尖った視線に胸を刺されたばかりだ。

 これ以上、軽蔑される材料など与えたくない。


 彼女に堪えがたいほど突き放された記憶が、ふいに胸の奥で疼いた。

 あの瞳に、もう二度と見限られたくはなかった。


「わかった! わかったから……だから、おとなしくしてくれ!」


 俺はなおも腕の中で暴れ続けるルークに、


「金は貸す、だから騒ぐな。いいな?」


 固く約束させてから、ようやく口元から手を離した。


 酒に溺れた男の目は、ときに狼より危うい。

 ルークの瞳はまさにそれで、焦点の定まらない虚ろさの奥に、何かとんでもないものをしでかす寸前の影が潜んでいた。


 彼は千鳥足でよろめきながらも、なんとかその場に踏みとどまり、俺を睨むように見据える。

 赤らんだ頬、酒臭い息、荒い呼吸。

 それらすべてが、彼の心の均衡がとっくに崩れていることを示していた。


「いちばん……だがいじょうふを、ひいっ……がうからなぁッ!

 おでぇは……いちばんで、ひいっ……そづぎょうすんだぁ!!」


 商業地区のど真ん中。

 王都の夜風が運ぶざわめきの中で、ルークの宣言だけが異様なほど響き渡る。


 道ゆく人々が、一斉にこちらへ冷たい視線を投げた。

 その視線の鋭さたるや、まるで酒場の空気に混じったガラス片のようだった。

 俺は心底、他人のふりをしたかった。

 いまこの瞬間ほど、ルークと幼なじみであることを後悔したことはない。


 だが明日の朝には――

 ルーク自身が今日の愚行を、胸が潰れるほど悔いるだろう。

 彼は商業地区を歩くたび、ひそひそと後ろ指をさされるに違いない。


 せめて俺だけは酔わずにいよう。でないと、この馬鹿を止められる者が誰一人いなくなる。

 そんな決意が、胸の奥にひっそりと宿った。


「いぐぞ、ろいど!」


 ルークは再び俺の腕を掴み、ぐいと引きずった。

 足元はおぼつかないのに、進む勢いだけは猪のようにまっすぐだ。


 そのまま俺は、半ば引きずられる形で――王都北の歓楽街――ミストヴェイルへと再び足を踏み入れることになった。



 ◆



 夜の灯りは風に揺れ、赤や紫の光が石畳を濡らす。

 建物の影は、今宵も獲物を待つ獣の口のようにぽっかりと開き、男たちを静かに呑みこんでいく。


 街に漂う甘ったるい香りが、ふと、あの夜の残り香を鼻先に呼び覚ました。

 エマに抱かれた夜――女特有の柔らかい体温、甘やかな息、胸の重み。

 思い出した瞬間、鼓動が跳ね、熱が頬へと駆け上がる。


「ぎだぁあああああああああ!!」


 ルークは妖艶な空気に完全に呑まれてしまった。

 顔をブンブン振りながら、客引きの娼婦たちをまるで競りにかけられた家畜のように高速で見比べている。


 涎を撒き散らしながら。

 飛び散ったそれが通りすがりの客の袖を汚し、そのたびに俺まで睨まれるのだからたまったものではない。


「す、すみません……! 本当にすみません!」


 俺がなぜ「田舎者が」と罵られなければならないのか。

 理不尽にもほどがある。


 ――もういい。

 適当な娼館にルークを押し込み、俺はさっさと【猫のしっぽ亭】に帰ろう。


 そう思った矢先だった。


「みーつけたぁ!」


 鈴のように澄んだ声が、夜気を震わせて耳へ落ちる。

 男の理性を溶かす甘い響き。

 ほとんど反射的に振り返ると、夜の灯りを受けて白銀の髪が淡く輝いていた。


 ――エマだ。


 この欲望の街に咲く、月光をまとった白銀の花。

 俺のはじめてを奪った女。


 ユリアナが“女神の寵を受けし人”だとすれば、エマは“月に祝福された人”だ。

 闇に浮かぶ月光が、まるでスポットライトのように彼女だけを照らしている。


 少なくとも、俺にはそう見えた。


「エマ……!?」

「ふふ……そんなに驚かなくてもいいのに。あれから一度も来てくれないから――もう、あたしに飽きたのかと思って心配しちゃった。

 ……でも、よかった。また“あたしを買いに”来てくれたんだよね?」


 まるで旧友に声を掛けるような軽やかさで、エマは一切の逡巡なく俺の腕へと自らの身体を絡め、柔らかな果実を押し当ててくる。

 香水ではない、生の女の匂いがふわりと鼻腔に広がる。


 一月ぶりの感触――。

 忘れたはずの色香が、まるで蛇の舌先のように記憶の奥をそっと舐め回す。

 同時に胸の奥で何かが弾け、血が下へ下へと奔流のように集まりはじめた。


 その熱を押し込めようと、俺は必死で理性の蓋を押さえつけた。

 こじ開けられたら最後、正気を保てる自信がまるでない。


「……あれれぇ? ロイドくん、どうしたのかなぁ?」


 俺の変化を一瞬で察したのか、エマはわざと体を沈め、上目遣いで俺を覗き込む。

 魔導灯の灯に照らされた翠色の瞳が、潤んだようにきらめいていた。

 目が合った瞬間、小悪魔めいた笑みが彼女の唇にひっそり浮かぶ。


 ――愉しんでいる。


 俺の戸惑いも、昂ぶりも、すべて見透かし、味わい尽くそうとしている。

 エマの本性は、男の理性が崩れていく一瞬をつま弾くように楽しむ――S女。

 女王様タイプとは少し違う。

 例えるなら、近所のいたずら好きなお姉さんタイプ。


 ――いちばんエロいやつじゃないか!


 初めての夜も、そうだった――

 耳元で囁かれた声、指先の軌跡、触れられた瞬間に世界が溶け落ちた、あの感覚。


 思い出した途端、さらに熱が集まり、足元がふらつきそうになる。


 あかん……このままじゃ本当に“持っていかれる”。


「ロイド、顔が赤いよ? ねえ……このまま、連れて行っちゃおうか?」


 甘い気配がすぐそこに触れた。

 その息遣いひとつで、俺の意識はもう限界だ。


「ひー……ひー……ふー……」


 幼い頃、近所のおばちゃんに仕込まれた謎の呼吸法――ラマーズ法という古代の秘術で、どうにか理性を繋ぎ止めようとする。


 けれど、妖艶に笑うエマの前では、その呼吸さえも焼き切れそうだった。


 ……頼むから、エマ。

 少しだけ、ほんの少しだけ距離を取ってくれ。

 このままでは、どうにかなってしまう。


「お、お、お、おまえっ!」


 先程まで娼婦を物色していたルークが、鼻息を撒き散らしながら全速力で駆け戻ってきた。

 その勢いは、酔いどれが最後の理性を捨てて突っ込んでくるかのようだった。


「だ、だれだよその美人! な、なんでお前なんかと腕を組んでんだよ!」


 俺の腕に“押し当てられているもの”へ、ルークの視線が吸い寄せられる。

 たわわに実った果実を前に、彼の喉がごくりと鳴るのが聞こえた気がした。

 そして、羨望が嫉妬へ、嫉妬が怒りへ変わるまで、ほんの一瞬だった。


「え、と……かのじょ――」

「あたしはエマ。ち・な・み・に、ロイドの初体験の相手だったりしまーす♡」


 俺の言葉を遮って、一歩踏み出したエマがにこりと笑いながら爆弾を投下した。


「……は?」


 ルークの表情が固まる。

 次の瞬間、みるみる血の気が引いていった。


 ――あ、終わった。


 見えない衝撃がルークの腹をぶち抜いたみたいに、そいつは綺麗に効いていた。

 気がついた時には、ルークは海老のように身体を折り曲げ、そのまま地面を滑るように十メルトほど後方へ転がっていく。


「わぁ……すごい」


 エマはまるで大道芸人の妙技でも見たかのように手を叩き、子供のような純然たる喜びの笑顔を浮かべる。


「個性的な友達ね」と柔らかく微笑まれ、俺は羞恥に耐えきれず、思わず「友達じゃない」と反射的に否定した。


 その直後――


「ロイドォォオオオオオオオオッ!!」


 怒号というより、もはや怨霊の咆哮に近い声が、夜の歓楽街ミストヴェイルに響き渡る。

 見なくてもわかる。ルークが地獄の底から這い出たような面相で立ち上がったのだ。


「ち、近いよ、ルーク……」

「お、お前っ! ユリアナがいるってのに、こんな美人とセッ……ゆ、許せねぇっ!!」


 ユリアナはもう――いない。

 だが、それを知るのは俺の隣で儚げに微笑むエマだけだ。

 ルークは何も知らず、ただ幼馴染としての嫉妬と酒の熱だけで息巻いている。


「エマさん! ぜひとも、俺の初めても奪っちゃってください!」


 勢い余って深々と頭を下げるルークの姿は、求婚の図にすら見えた。

 通行人たちが「あれはもう告白だろ……」と呆れ交じりに肩をすくめる。


 俺の胸の内は、少し……いや、正直に言えば、とても複雑だった。


 エマに恋をしているか、と問われれば――たぶん、ちがう。

 けれど、この世界で唯一、俺を“男として”受け入れてくれた女性。

 彼女が他の男に微笑み、まして幼馴染のルークにその手を伸ばす。

 そんな光景を想像するだけで、胸の奥が鈍く軋むのを、俺は止められなかった。


 きっと、その感情が顔に浮かんでいたのだろう。

 エマはちらりと俺を見つめ、薄く微笑む。その笑みは、やさしくて、どこか痛い。


「ごめんね。あたし、今日は先約があって……君の初めては貰えないかな」


 ぽとり、と音がしそうなほど、ルークの肩が落ちた。

 さっきまで胸に溜め込んでいた虚勢の熱は、風に吹かれた灯火のように一瞬でしぼんでいく。


「ロイドは良くて、なんで俺はダメなんだよ……。てか娼婦に先約ってなんだよ……予約制なのか? ふざけんなよ……なんだよ……こいつもユリアナみてぇに中性的で女みたいなツラの男が好みなのか……俺の方が絶対イケメンなのに……馬鹿にしやがって……」


 ルークは俯いたまま、呪詛とも嘆きともつかぬ言葉をぶつぶつ吐き続ける。

 コルネ村の住民なら誰もが知っている――“こうなってしまったルークは非常に面倒くさい”。


 コルネ村出身ではないエマは、そのことを当然知らない。


 俺が控えめに「刺激しない方がいい」と伝えると、エマは小さくウインクして、「任せて」と唇を弧にした。


「君にはね、特別に――あたしなんかより、ずっと上手な子を――テクニシャンを紹介してあげよっかな」

「――て、テクニシャン!?」


 さっきまで泥に沈んでいた瞳が、底に星を落とした水面のように静かに光を揺らしはじめた。


「うんうん。とっても評判の子でね。彼女と一度でも閨を共にした男は、他の女じゃ満足できなくなるって言われてるの」

「ぜ、ぜひ紹介してください!!」

「ふふ、了解」


 勝ち誇ったように鼻を鳴らすルークのドヤ顔が、正直ちょっと鬱陶しい。


 ……にしても、テクニシャンか。

 そんな噂があるほどの女が本当にいるのか?


 思考を巡らせていると、不意に、エマが俺の袖をつまむ。


「……ロイドも、紹介してほしい?」


 その声音は、甘えるようで、どこか寂しげでもあった。

 反射的に、口が動く。


「俺には……エマがいるから」


 その一言を吐き出した瞬間、胸の奥で何かが弾けた。

 心臓が、自分の意志など関係なく跳ねまわる。


 隣で、かすかな息の震え。


「っ……///」


 視線を向けると――

 エマは頬を真っ赤に染め、熱を帯びた瞳で俺を見つめていた。


 その眼差しは、触れれば砕けてしまいそうなほど繊細で、しかしどこか決意を秘めていた。

 胸の奥が熱く、息が苦しいほどだった。


 その瞬間、自分がどれほど踏み込んだ言葉を口にしたのかを悟る。

 悟った瞬間、胸の中心から熱がせり上がり、息がうまく吸えなかった。



 ◆



 どれほどの時間、俺たちは互いを見つめていたのだろう。

 呼吸の音すら、相手の胸に吸い込まれてしまいそうなほど近く、静かだった。


「……紹介、まだ?」


 ルークの、少し拗ねた声が空気を裂く。

 俺たちは慌てて視線をそらし、火照った顔を隠すように肩をすくめた。


 胸の高鳴りは収まらない。

 まるで、自分の体だけ別の鼓動を持ち始めたようだった。


 ちらとエマを見ると、彼女も胸に手を当て、乱れた呼吸を整えようとしていた。

 その仕草が、また俺の胸を締めつける。


「――ゴホン!」


 ルークのわざとらしい咳払いに、エマは肩を跳ねさせ——

 ちょうど通りかかった、大柄な娼婦に声をかけた。


「――サクリナ!」


 振り返った女は、娼婦にしてはあまりにも逞しかった。

 ふくよか、というより、戦場で盾でも構えていそうな筋肉の重みを備えている。

 目元だけ妙に色っぽいのが、逆に迫力を際立たせていた。


「あなたにお客さんよ」

「は?」

「え?」


 エマの言葉に、俺とルークは同時に声を漏らす。


「あら、可愛い子ねぇ。あちき好みだわ」

「残念。そっちはあたしのよ。あなたのお客さんは——そっちの栗毛の子」


 サクリナと目が合った瞬間、ルークの顔から血の気がスッと引いた。

 ぎこちなく振り向くその様は、壊れかけの機械仕掛けの人形みたいだった。


「話がちが――!?」


 ――さっ。


 抗議の言葉も最後まで言わせてもらえぬまま、ルークはその場で俵担ぎにされる。


「忘れられない夜にしてあげるわ♡」


 まるで人攫いの一幕を見るような勢いで、彼は闇に消えていった――

 ミストヴェイルの喧騒へと、悲鳴を残しながら。


「だずげでぇぇええええええええ!!」


 その叫びだけが、しばらくの間、夜の石畳を震わせていた。


 そして俺は――


「行こっか」

「……うん」


 何のためらいもなく差し出されたエマの手に導かれ、娼館の門をくぐる。


 二度と女は買わない。

 そう固く誓ったはずなのに。


 人生で二度目の娼婦は——

 またしても、エマだった。

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