第22話 幼馴染み
「なんでルークがこんな所にいるんだよ」
思わず声が大きくなる。
夕暮れの石畳に反響したその響きを受けて、ルークは肩をすくめ、相変わらずの気取った仕草で首を横に振った。
「そりゃあ、こっちの台詞だろ。村を飛び出したと思ったら……お前、王都で何してんだよ。おじさんもおばさんも――みんな心配してたぞ」
「……ああ、まあ」
言葉に詰まった。
一月前、俺は両親に“ユリアナを迎えに行ってくる”とだけ告げ、村を出た。
それきり、一度も連絡をしていない。
冒険者になったとき、一度くらい顔を見せに帰ろうかと考えたことはある。
だが――いざ帰ろうとすると、足が止まった。
どんな顔をして戻ればいい?
ユリアナを連れ帰るつもりで村を飛び出したのに、結果は突き放されて振られた。
そんな有様で戻れば、村の連中が向けてくる視線は、きっと優しさと同情が混じった、虚しく湿った色になる。
それが一番、胸に刺さる。
そして何より。
ユリアナの両親には会えない。
『ユリアナを頼んだよ、ロイド』
あの二人は、俺を本当の家族のように扱い、常日頃から笑ってそう言ってくれた。
俺とユリアナの仲を誰より喜んで、未来まで祝福してくれていた。
――その未来は、俺の手からこぼれ落ちたのに。
娘が貴族に見初められたと知れば、二人はどんな顔をするのだろう。
喜ぶのかな。
良くやったと娘を褒め称えるのかな。
それとも、ロイドのことはどうするつもりなんだと……怒ってくれるだろうか。
どれであっても、受け止める自信がなかった。
だから俺は村に帰れなかった。
帰らなかったんじゃない。
――帰る資格がなくなったのだ。
「その腰の剣……お前、いま何やってるんだよ」
夕陽を背負ったルークが、半ば呆れたように目を細めた。
「見りゃわかるだろ? 冒険者だよ」
「は? お前が――冒険者!?」
一発の砲声にも似た叫びが、夕暮れの石畳を震わせた。
瞬間、道ゆく人々が同じ方向へ顔を向ける。商人が籠を抱えたまま目を丸くし、露店の少年が串肉を落としそうになった。
大仰で田舎者丸出しの驚き方に、こっちが恥ずかしくなるほどだ。
「というか、ユリアナはどうしたんだよ」
「……ああ、まあ、な」
「まあって……お前、ユリアナを迎えに行ったんだろ? 今どこにいるんだ?」
「……」
――迎えに行ったら、こっぴどく振られた。
そんな情けない事実を、こんな路上で軽く吐けるはずがない。
ルークは昔からユリアナに気があったし、俺たちの仲を面白く思っていなかった。
思い返せば、子どもの頃から事あるごとに、俺とユリアナの間に割って入ろうとしてきた。
村の小さな祭りでも、川遊びでも、収穫祭でも……。
気づけばいつも、俺の隣にいるはずのユリアナを、さりげなく別の方へ連れて行こうとしていた。
――ルークは、俺とユリアナの関係を心底快く思っていなかった。
だからこそ、今この事実を告げれば、どうなるかは火を見るより明らかだ。
きっと、こいつは笑う。
いや、笑いはしなくても、心のどこかで喜ぶだろう。
その想像だけで、胃の底がじくじく痛んだ。
ひどく孤独な夕風が、俺の袖を掠めていく。
……正直に言う気なんて、欠片も起きるはずがなかった。
「あいつは……愛子としての責務があるから……」
「あるから、なんだ?」
「なんだっていいだろ! こっちは一日働いて疲れてるんだ!」
声が荒くなる。
――もうこれ以上、ユリアナの話を続けたくなかった。
胸の奥に沈殿している泥のような感情を、これ以上かき混ぜられたくない。
俺は逃げるように踵を返した。
「ロイド!」
夕闇に沈みかけた街路に、ひどく真剣な響きが落ちる。
その気迫に足を止めざるを得なかった。
仕方なく振り返ると――
そこには深々と頭を下げるルークの姿があった。
あまりの光景に、口を開けたまま思考が止まる。
「……な、なにしてんだ?」
ルークは村長の孫で、昔からプライドばかり一人前だった。
他人に弱みを見せることはなく、ましてや俺に頭を下げるなど、一度たりともなかった。
「見て分からねぇのか。頭下げてんだよ」
「そりゃ……見れば分かるけど」
「そうか。……なら、伝わったか?」
「え?」
ルークは勢いよく顔を上げた。
その表情は、つい先ほどまで頭を垂れていた人間のものではない。
いつもの、不遜で、妙に自信に満ちた面構えにあっという間に戻っていた。
「伝わったんだよな?」
「なにが?」
「俺の気持ちに決まってるだろ!」
「……お前の、気持ち?」
「見りゃ分かるだろ。困ってんだよ」
「だから?」
「金、貸してくれ」
「……は?」
暮れゆく空気の中で、その一言だけが妙に澄んで聞こえた。
俺は思わず、大きなため息をついてしまった。
◆
「――だから俺は言ってやったんだ! ふざけんじゃねぇってよ!」
赤らんだ顔でルークが勢いよく立ち上がり、杯を机に叩きつけた。
濁ったエールが飛沫となって宙を散り、灯火に照らされて鈍く光る。
そのまま彼は、脂の滴る手羽先を鷲掴みにし、骨が軋むほど噛み千切った。
「どいつもこいつも、俺を馬鹿にしやがって……!」
普段のルークは、田舎者とは思えない気障で高飛車な態度を“売り”のようにまとっている。
だがいまの彼は、その虚飾を剥がされた裸の若造に過ぎなかった。
知性の影もなく、品位の欠片もなく、ただ鬱屈と酒気を撒き散らす――
まるで行き場をなくした山賊の下っ端を見るようだった。
どうしてこうなったのか。
問いは自然と、あの瞬間へと遡る。
『金、貸してくれ』
あのときは断るつもりだった。
だが、どこか捨てられた犬のように見えたルークの表情を思い返すと、同郷の情を振り切ることができなかった。
聞けば、ここ二日ろくに食事も摂っていないという。
その腹の虫が盛大に鳴いたとき、俺は観念して言った。
『……とりあえず、飯でも食いに行くか』
それが悪かったのか良かったのか、判断はいまもつかない。
そして今――
俺は一文無しのルークを連れ、王都東の商業地区にある酒場【豚の妖精亭】で向き合っている。
厚い木の梁と燻んだランタンが照らす店内は、獣脂と酒と香草が混じり合った重い匂いに満ちていた。
夕食時を過ぎた酒場は、笑い声と怒号と、どこか諦念めいたざわつきを一つの大鍋に放り込んだような空気を醸している。
その喧騒の真ん中で、ルークはひたすら虚勢を張り、酒を胃に流し込み、みっともなく吠えていた。
情けなさと、ほんの一滴の哀れさが胸に沈む。
――頼むから、これ以上騒ぎを起こさないでくれ。
俺はそう祈るような気持ちで、手の中の杯を静かに傾けた。
「村に帰らなくていいのか? 村長、心配してるだろ」
「あぁ?」
心配して声をかけたというのに、返ってきたのは鋭い睨みつけだった。
その視線は、胸の奥のどこか柔らかい場所を容赦なく踏みにじる。
――聞かなきゃよかった。
ほんの一拍で後悔が押し寄せた。
「女追っかけて村を飛び出した挙句、わけわかんねぇ理由で冒険者になってるお前に言われたくねぇんだよ!
つーか、ユリアナはどこだよ! 呼べ! 今すぐ呼び出せ!」
「ちょっ、お前、飲みすぎ……!」
「いいから呼べっつってんだろ!
どこにいんだぁ、ユリアナぁ! 出てこいよぉっ! お前が俺を選ばなかったせいで……おれは……おれは、隣村のオーク女とっ……」
そこまで吐き捨てるように叫ぶと、ルークは一息に杯をあおった。
そして、空になったそれを机へ乱暴に叩きつけ、なぜか誇らしげに宣言する。
「――俺はなぁ! 死んでも村には帰らねぇ!
飲まねぇってんなら、その杯、よこしやがれ!」
「あっ、おい……返せ!」
これ以上飲ませては碌なことにならないと、俺はルークの杯へ手を伸ばした。
だが、奴は酒臭い息を吐きつつ、身をひらりとかわす。
ちなみに、俺たちの酒はまだ一杯目。
にもかかわらず、ルークの顔は熟れた林檎みたいに真っ赤だった。
昔から、エールを一口でも飲めばすぐ酔いが回る体質だったのを思い出し、ため息がこぼれそうになる。
「で、よ……ほんとのところ……ひいっ……ユリアナはどうなったんだぁ?」
さっきまで机を叩いて叫んでいた男とは思えないほどの真顔。
ただし、しゃっくりが混じるのが実にルークらしい。
「どうって?」
俺は視線を逸らし、曖昧に答えた。
するとルークは、酔いの膜の奥から、やけに澄んだ目で俺を見つめ返してきた。
その目が“すべてを察している”ようにも思えて、胸の内がざわつく。
「国も、貴族も……【愛子】を簡単に手放すわけねぇだろ。
お前、本当はまだ――ユリアナに会えてないんじゃないのか?」
「……」
半分は正解。
半分は不正解。
それだけのことだ。
だが、俺の顔から何かを読み取ったのだろう。
ルークがそれ以上ユリアナについて聞いてくることはなかった。
ただ、空になった杯を両手で弄びながら、喉の奥で小さくため息を洩らした。
「……おれたち、ひぃっ……いつから、こんなことになっちまったんだろうな」
ぽつりと漏らしたルークの声は、安酒の匂いが染みついた薄暗い酒場の天井へと吸い込まれていく。
彼は両親を早くに失い、祖父――今の村長に育てられた。
その村長も今年で六十。冬の寒さが骨に沁みる年齢に差しかかり、村人たちは誰しも、ルークにそろそろ身を固めてほしいと願っていた。
だが、当の本人はまだ十八。
心ひとつ寄せぬ相手との婚姻を強いられ、耐えきれずに村を飛び出した。
それゆえ今、目の前の幼馴染みは、行き場のない焦燥と反抗心を混ぜたような、どこか荒んだ光を宿している。
「なあ、お前、いくら持ってんだ?」
テーブル越しにぐっと身を乗り出し、鼻孔をふくらませながら問う。
この顔を見れば分かる。ルークがこういう表情をするときは、決まって碌でもない話を企んでいる。
「まあ……それなりに」
本当は、あのクソ貴族から受け取った金がまだかなり残っている。
だが、それを正直に話すほど、俺は人が良くない。
「ちなみにさ……おまえ、ユリアナとはもう、やったのか?」
「な、な、な、なに言ってんだよ!」
突拍子もない問いに、顔が一気に灼けついた。
噴火直前の火山みたいに、頭のてっぺんから蒸気が吹き上がる感覚さえした。
「ふぅ……その反応。どうやら、まだってわけか」
ルークはほっとしたように息を吐いた。
そして妙に勝ち誇った顔で、腕を組み、顎をしゃくる。
「俺は胸を三回揉んだことがある」
「……ああ、うん」
誇示するような声音。
“すげぇだろ、羨ましいだろ?”と全身で言っている。
にもかかわらず、俺の素っ気ない返しが気に入らなかったらしく、ルークは眉を逆立ててむくれた。
:突然の乳揉み宣言ワロタ
:ドヤ顔キモすぎw
:二人とも童貞で草
:こいつは女買ってますw
:アーカイブ見ろw
:ユリアナは貴族にNTRされた言えw
:ちょっ、おま↑鬼畜すぎて草
「んだよ。もっと聞きたいことねぇのか? 今夜は特別に、なんでも答えてやるっての」
「……聞きたいこと?」
突然そう言われても困る。
「あるだろ、こう……大きさとか柔らかさとか、女についての疑問とかよ」
俺は肩をすくめた。
胸なら、俺だって触ったことくらいある。
初体験だって――まあ、済ませている。
「あ! なあ、下の毛って、やっぱ剃ったほうがいいのか?」
「は?」
「いや、ちょっと鬱陶しそうにしてたからさ」
「……な、なんの話だよ」
「だから、その……口でやってもらう時の?」
「……………………」
ルークの口が、ぽかんと開いたまま固まった。
世界から音がひとつ消えたような、そんな静寂が落ちる。
チャット欄の文字もピタリと止まっていた。
視線は宙の一点に釘づけ。
さっきまでの自信満々な顔は、どこにもなかった。




