第2話 あの日
「あら……せっかく“上”に乗ってあげているのに、またそんな悲しげな目をするのね?」
薄明かりに浮かび上がるエマの肌は、淡い金粉を散らしたかのように輝いていた。
乱れた吐息をこぼしながら、彼女はわずかに腰を揺らし、熱に染まった頬のまま俺を見下ろしている。
その唇は熟れた果実さながらに赤く、妖艶な微笑を含んだまま、そっと俺の唇に触れた。
「俺……そんな目してたか?」
「ふふ……ええ。例の“幼馴染み”のことでも思い出していたんじゃない?」
エマの指先が、頬をなぞるように降りてきた。
どこか見透かした声音。だが責めるような色はなく、むしろ、夜の女なりの優しささえあった。
その問いに胸がわずかに疼き、俺は天井を見つめた。
◆
――数ヶ月前。
まだ故郷・コルネ村の土の匂いを胸いっぱいに吸い込んでいた頃。
俺には、一つ年上の幼馴染みがいた。
名はユリアナ。
俺が生まれて初めて「好きだ」と思った女の子で――
そして、彼女もまた、同じ想いを俺に向けてくれていた。
俺たちは、まるで影と本体のようにいつも一緒だった。
森で木の実を拾うときも、川で遊ぶときも、時には手をつないで大人に叱られるときでさえ、必ず隣にはユリアナがいた。
彼女が笑えば、世界も釣られて明るくなるように思えた。
彼女が泣けば、胸の奥がどうしようもなく痛んだ。
あの日――
ユリアナに、│権能が現れる、その日までは。
その日も、俺たちはいつものように村外れの小さな教会へと足を運んでいた。
風に揺れる古い鐘楼。ひんやりとした石床。
幼いころから変わらず、俺とユリアナはそこで女神に祈りを捧げてきた。
――だが、その静寂を裂いたのは、祈りではなかった。
ユリアナの身体が、突如としてまばゆい光を放ちはじめたのだ。
「あっ……あつい……!」
胸を押さえ、苦悶に耐えるように膝をつくユリアナ。
その表情は、俺がこれまで見たこともないほど歪んでいた。
光は一瞬ごとに強さを増し、教会の古びた壁までも白金に染め上げる。
「だ、誰かぁ──! 来てくれぇっ! ユリアナが……ユリアナが!」
声が裏返るほど叫んだ。祈りの静けさなど吹き飛び、俺の叫びは教会中に響き渡った。
「これは……│権能……!?」
「いや……ただの│権能ではない。この輝き……まさか、愛子……?」
駆けつけた神父とシスターは、目も開けられぬほどの光の中で、息を呑んだ。
長年数多の祈りを見守ってきた彼らでさえ、言葉を失うほどの光景だった。
「神父様! シスター! ぼーっとしてないで、ユリアナを助けてよ!」
俺は神父の衣を掴み、縋るように揺さぶった。
神父もシスターも動揺を隠しきれていなかったが、それでも必死に俺へ頷いてみせる。
「ロイド……すぐに村長を呼んできなさい。これは、村一つで抱えきれる事象ではない」
「ユリアナは今……女神様からの寵愛を受けているのよ」
“女神の寵愛”――。
人は百人に一人の割合で│権能を発現する。
火の精霊と心を通わせ、焔を操る者。
触れた草木を瞬く間に蘇らせる者。
それらは、いわば“個性”と呼ばれる小さな奇跡だ。
だが、ユリアナの光は違った。
それは、人が一生に一度目にするかどうかの奇跡――いや、“選別”だった。
《愛子》と呼ばれる存在がいる。
一般の│権能など遠く及ばぬ、女神が直接その魂に触れた者。
かつて勇者と称えられた者。
世界を癒やし、人々を導いた聖女。
剣聖や賢者と呼ばれた名だたる人物たち。
その全てが、例外なく“愛子”だった。
そして今、ユリアナがその光をまとっている。
俺はただ、立ち尽くすことしかできなかった。




