第17話 ギルドマスター
「ギルドマスター!?」
額から左目にかけて走る深い剣傷――それがまず視界に入った。
男は周囲のざわめきを押し沈めるように、ゆっくりと、確信めいた足取りでこちらへ歩み寄ってくる。
一歩、また一歩。
近づくにつれ、その存在感が空気を押し潰すように重たくなる。
年の頃は四十前後か。刻み込まれた皺ひとつひとつが戦場の名残りであり、磨き上げられた刃物のような沈黙の殺気が、男の背中に影となってこびりついていた。
ギルドマスターと呼ばれたその男は、鋼鉄の冷たさを宿した灰色の眼を俺に向け、ふっと口端だけを持ち上げる。
温かさの欠片もない笑み――なのに不思議と「背中を預けてもいい」と思わせる、そんな風格があった。
「驚かせたか。……だがな、ギルドマスターなんてものは、大体こういう面構えをしてるもんだろう?」
低く掠れた声が、空気を震わせるように響く。
その一言で、場の緊張がまるで鋼線のようにぴんと張り詰めた。
「本当に登録させて大丈夫なんですか?」
受付のお姉さんが不安げな声を漏らす。
それに対し、ギルドマスターはちらと彼女を見るだけで、すぐに俺へ視線を戻した。腰の剣――購入したばかりの、俺の決意の象徴でもある刃へ。
「それは……飾りじゃないんだろ?」
問われ、俺は無言で頷く。
その刹那、ギルドマスターは獲物を興味深く観察する獣のように口角を吊り上げた。
「なら、まずは“実力”を示してもらおうか」
「実力……?」
「ああ。ギルドには、薬草採取から魔物討伐、護衛依頼に至るまで、実に様々な依頼が寄せられる。冒険者のランクによって受けられる依頼が変わるのは、お前も知ってるだろう」
彼はゆっくりと歩きながら続けた。
その言葉は淡々としているのに、ひとつひとつが重く胸に落ちてくる。
「――だがな、薬草採取ひとつ取っても、採取中にモンスターに襲われることだってある。そこで手に入れた薬草が“誰かの命綱”になることもある。……もし実力のない冒険者に依頼を斡旋し、そのせいで間に合わず死んだ者が出たら――ギルドの信用は地の底に落ちる」
言葉の一つひとつが現実の重みを帯びていた。
まったく、その通りだ。
もし俺が依頼人だったら、同じランクなら、達成率の高い冒険者を選ぶに決まっている。
依頼達成率ゼロ%の冒険者なんて、真っ先に除外するだろう。
だからこそ、実力が必要――その当たり前を、今まさに突きつけられていた。
「そこでだ。お前が冒険者に相応しいかどうか――その力を測るための“テスト”を受けてもらう」
「テスト……ね。理由はわかったけど、そんなの受ける決まりでもあるのか? 昔、村に来てた行商人のおっちゃんは“冒険者登録なんて誰でもできる”って言ってたけど」
率直に疑問をぶつけると、ギルドマスターは太い腕を組み、鷹が羽ばたくような仕草でゆっくりと頷いた。
「その行商人の言うことは間違っちゃいない。ギルドは基本、誰にでも門戸を開いている」
だが――と続け、
「テストを受ける者がいるのも事実だ。もっとも、それは元傭兵や元王国兵といった、すでに一通り実戦を踏んできた連中だがな。 ……実力があるのに、わざわざ最下位ランクから始める必要はないだろう?」
なるほど、一応理屈は通っていると胸の内で頷く。
「じゃあ……その制度、俺にも適用されるってわけか?」
「ん……ああ」
ギルドマスターは、ごつい指で顎を軽く撫でてから言った。
「テストに合格すれば、お前の実力に見合ったランクからスタートさせてやる。だが――俺が“無理”と判断した場合、その場で登録は断らせてもらう」
「……そうか」
短く返したものの、胸の奥に冷たいものがじわりと広がる。
――さて、どうしたものか。
威勢よく啖呵を切ったものの、俺は剣を握った経験すらろくにないド素人だ。
テストとやらを突破できる未来が……まるで見えない。
けれど、この状況で「やっぱりやめます」なんて言えば、この場にいる全員から失笑をかうことになる。
最悪王都中に俺の噂が広がってしまう。
そうなれば、遅かれ早かれユリアナの耳に入ることになる。
ただでさえ馬鹿にされているのに、これ以上馬鹿にされたくはない。
俺の中にも“最低限の矜持”くらいはある。
――引くわけにはいかない。
:いい展開やん!
:コイツ絶対断る理由探してるw
:今やっべぇって顔してたもんなw
:チラチラこっち見んなw
:助け求めんなw
:言っちまった手前、もう引けねぇんだろ
:まあ、何とかなるだろ。剣士スキルあるんだし
空中に浮かぶチャット欄が、薄い嘲笑と軽口で、俺を馬鹿にしていた。
……どいつもこいつも好き勝手言いやがって。
こうなると――もうやるしかないじゃないか。
「で、どうする?」
静まり返った空気を裂くように、ギルドマスターが問いを投げてきた。
「――やる!」
逃げ腰に見られるのが癪だった。
胸の奥では不安が蠢いているくせに、それを押し潰すように、俺はわざと自信たっぷりに返事をした。
「そっか」
ギルドマスターは、俺が“どうせ尻込みして断る”と思っていたらしい。
だからこそ、俺が即答した瞬間、露骨に面倒そうに頭を掻いた。
続いて、冒険者たちのざらついた視線を、一度にかき集めるように見渡した。
「悪いが……誰か、コイツの相手をしてやってくれねぇか?」
「あたしがやってやるよ!」
低く、挑発的な声がホールを震わせた。
名乗りを上げたのは――つい先ほど、冒険者の胸元に剣先を突きつけていたあの女だった。
冒険者というより、むしろ山賊か盗賊の頭領のほうがしっくりくるような、ねじれた笑みを浮かべた女。
「ミネルバか。……言っとくが、殺しはなしだからな」
「――ちっ」
金属片が弾けたような小さな舌打ちが、確かに聞こえた。
え、今……舌打ちしたよな?
そっと視線を向けると、ミネルバと呼ばれた女は、こちらを獲物と見定めた肉食獣の目で舐めるように見つめていた。
――いや、こんな相手と戦わせるつもりか!?
「綺麗な顔のガキがさ……あたしの手で、苦悶に歪んでいくのを見るのも、悪くねぇよな」
背筋に、氷を流し込まれたような感覚が走る。
ダメだ。
こいつは絶対にダメなやつだ。
“本当にこの人は大丈夫なんですか!?” と冒険者たちに目で訴えかけるも、
「あ……」
冒険者たちは、揃いも揃って一斉に別の方向を向いてしまった。
――おい、あからさま過ぎるだろ。
この反応、絶対にアウトのやつじゃないか!
「テストは地下の演習場を使う。ついてこい」
「さあ、行こうぜ――坊や」
ミネルバは唇の端をわずかに吊り上げ、甘やかな挑発を含んだ笑みを零した。
「……っ」
喉がひきつるのを抑えきれなかった。
――絶体絶命の大ピンチ。
いや、ピンチなんて言葉じゃ足りない。
このままじゃ、俺の冒険者人生は開始前に“終わる”可能性すらある。
それでも、足を止めるわけには行かない。
逃げられない。
行くしかない。




