第13話 カップラーメン
【カップラーメン(みそ味)】と記された項目にそっと指を触れると、目の前に淡い光が立ち上がり――
【カップラーメン(みそ味)を取り出しますか?
はい / いいえ】
また、この不思議な選択肢だ。
俺は、迷う理由もなく【はい】を押した。
その瞬間、配信画面が白炎のように輝いた。反射的に目を閉じた直後――
――ばしっ。
「ッてぇええぇ!」
額に鋭い衝撃。反射的にしゃがみ込み、赤くなっているであろう場所を押さえる。
床には、さきほどのスパチャのときと同じく、“何もない空間”から投げ出された物体が、無造作に転がっていた。
「……なんだ、これ」
本日、何度目の疑問だろう。声は自然と漏れていた。
拾い上げて軽く振ると、ガサガサと乾いた音がする。どうやら、何かが中に詰まっているらしい。
だが――
「開く場所、どこだ?」
見渡しても開口部らしきものはない。むしろ精巧な紙でぴたりと封じられ、その紙には細密画のような絵が描かれていた。
いや、紙だけじゃない。筒そのものにも、驚くほど緻密で美しい絵画が施されている。
……わかる。絵心のない俺にだって、これが高名な絵師の手によるものだとわかる。
そんな品を、神はまるでガラクタでも渡すかのように俺へ投げつけてきたのだ。
俺の知るクソ女神とは格が違う。
だけど、これは……一体何に使うんだ?
:上の紙は蓋だ。半分剥がして中のかやくを麺の上にぶち撒けろ
蓋……?
神は、こんな芸術品を蓋扱いするのか……?
気圧されつつも、俺は震える指で紙をめくった。絵を傷つけないよう、宝物でも扱うように。
すると――中に“奇妙な乾物の小袋”が入っているのが見えた。
「かやく……これか」
言われた通り、それを麺らしきものの上へ振り撒く。
だが、正しいのかどうかは皆目わからない。
「次は、どうすれば……?」
:まるで原始人で草
:慎重すぎて逆に好感あるわ
:カップラーメン開けるのをここまで神妙な顔でするやつ初めて見たwww
:骨董品じゃねぇぞそれwww
:腹痛ぇww
:まあ異世界人じゃ仕方ない
:ヴェル嬢はそのまま齧ってたしな
:あれはクソワロタ
:彼女は脳筋姫だから
:誰か早く作り方教えてやれ
:ちなみにカップラーメンは食いもんだぞ
:まずはお湯持ってこい
「お湯……!」
雷に打たれたみたいに理解した俺は、カップと呼ばれる謎の容れ物を抱えたまま、部屋を飛び出した。
階段を駆け下りる足音が、空腹のせいか妙に軽い。
最初に腹が鳴った時は情けなかったが、いまは違う――
これは、神々が与えた“試練”なのかもしれない。
この不可思議な食べ物を完成させるための、崇高なる儀式……かもしれない。
一階の受付カウンターへ、息を切らしながら全速力で向かった。
「す、すみません! お湯! お湯ってありますか!」
俺の勢いに圧されたのか、宿の娘は目を瞬かせながらも、湯気の立つ鍋を差し出してくれた。礼もそこそこに受け取り、受付台の片隅で慎重に湯をカップへと注ぎ込む。
湯が白い蒸気を上げて注がれるあいだ、娘は唇をすぼめ、まるで珍妙な儀式でも見たかのように俺を観察していた。
だが、気にしている余裕などない。
これは、天より授かった神饌の調理――一種の神事なのだ。
湯が溢れぬよう両手でしっかり抱え、俺はそろそろと階段を昇る。
神々の話では、お湯を淹れて百八十秒――その短い時を待つだけで、カップラーメンなる天上の料理が完成するらしい。
胡散臭いにもほどがあるが……すでに二度、神の奇跡を見せつけられた後では、疑う方が愚かというものだ。
問題は時間だった。
あいにく砂時計を持ち歩いてはいない。数を数えておけばよかったのに、興奮しすぎてそんな知恵は吹き飛んでいた。己の浅慮が恨めしい。
だが、俺には神々がいる。
チャットという、天の声を聞く手段が。
フォークを握りしめ、ちらちらとコメントを窺う。
:ウチの犬のポチ太みたいで草
:ちゃんと“待て”してて可愛い
:初見だけど何この光景ww
:ポチ太への餌やり配信やん
:ひどすぎて泣いた
:めっちゃチラチラしてるの草
:なんで正座待機なんだよ
:誰か三分測れ
:三分経った。さあ食え!
「よし……!」
蓋をそっと剥がすと、ふわりと湯気が立ち昇り、鼻先を優しく撫でた。
その瞬間、俺は息を呑んだ。
なんだ、この香りは。
土の匂いでも、獣脂の匂いでもない。
もっと深く、もっと穏やかで、胸の奥をあたためる匂い――まるで母の腕に抱かれた幼い日の記憶のような。
絵の蓋を傷つけぬよう慎重に外し、中を覗けば、細い糸の束が湯に沈んでいる。
「これを……食べるのか?」
誰に向けた問いかけでもなく口から漏れ、俺は恐る恐る麺をすくい上げる。
そして口に運んだ。
刹那、熱さが舌を刺し――
その直後、世界が変わった。
「……っ、う、うまい……!」
込み上げる驚愕に声が震えた。
味噌というものらしいその汁の味は、深く濃い。だが重くはなく、喉から胸へ染み入り、身体の中心へ向かって静かに沁み込んでいく。
七日間の座り込み。昨日の彷徨。胸に巣食った痛みと疲労。
そのすべてが、あたたかな光に溶けていくようだった。
「こんな料理……聞いたことがない。これって……やはり天上の食べ物なのか……?」
麺をすするたびに香りは広がり、旨味は波のように押し寄せる。
気づけば俺は、器に引き寄せられるように身を屈め、夢中でフォークを進めていた。
最後の一滴まで琥珀色のスープを飲み干し、長い息をついた。
「……恐ろしい食べものだ。湯を注ぎ、ほんの数分待つだけで、これほどの……」
器を名残惜しげに撫でながら、小さく漏らす。
「……もう一杯、欲しい」
その呟きは、誰に聞かせるでもなく、しかし深い渇望に満ちていた。
ちらりとチャットへ目を向けると、そこにはひときわ鋭い神の叱責が表示されていた。
――“簡単に神の施しを乞うな”。
胸の奥に冷水を垂らされたような感覚が走る。
もっともな意見だ、と素直に頷いてしまった自分が少し情けない。
:もっと旨い食いもん山ほどあるぞ
「本当か!?」
思わず声が裏返っていた。
カップラーメンより旨いものが“山ほど”あるという。
にわかには信じがたい。だが、神々の言葉ならば疑う余地もない。
一体どれほどの味に到達できるのか――胸がざわついた。
未知の料理が、俺の寂れた世界に色を塗り直していくような気がした。
:お前配信者だろ
:食いたいなら配信者らしく俺たちを楽しませろ
:つまらん奴に食わせる飯はない
:不人気配信者は即デリートw
「……配信者、か」
たしかに、そんなことを言っていた。
俺の人生を“配信”として神々に晒すのだと。
つまらなければ、評価は下がり――
基準値を割った瞬間、死神めいた存在が俺を狩りに来る、と。
冷静に考えれば、洒落にならない話だ。
チャット欄の神々が、一瞬、邪悪な化け物のようにも思えてくる。
だが――
金もくれた。
食べ物も降ってきた。
祈っても知らん顔の、どこぞの女神よりよほど慈悲深い。
問題は唯一。
俺なんかが、神々を“楽しませられる”のか。
「……自信、ないかもな」
ぽつりと漏れた独白に、すぐさまチャットが反応する。
:少なくとも配信者に選ばれたってことは、お前の人生が面白そうだということだ。自信持て
:公爵子息に恋人をNTRされたやつなんてそうそういねぇよ
:そのあらすじだけでチャンネル登録したわw
:有望株で草
:振られたその日に娼婦買って童貞捨てるサイコパス。うん、おもろい
:エロ配信あるなら見る
:欲望丸出しで草
:お前、戦闘経験は?
:エロもいいが、まずは冒険者になれ!
――冒険者。
その言葉に、胸の奥がかすかに震えた。
幼い頃、憧れた職業。
だが、現実を知るほどに諦めた夢でもある。
しがない村の農夫の息子が冒険者?
そんなもの、死にに行くようなものだ。
:とりあえずスキル習得しろ!
「あっ、そっか!」




