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第一話 ママはヒーロー(3)昇る日

 幸子の訃報が届いたのは、その翌日のことだった。

 はじめは何を言っているのかと状況が飲み込めず、その電話をしてきたのが一体誰だったのか、どんな会話をしたのかも覚えていない。ただ、いわゆる葬儀は行わず、二日後に火葬するということだけがどうにか頭の片隅に引っ掛かってくれただけだった。

 弔問して良いのかどうかもわからなかったが、行かないという選択肢はなかった。最後に着たのがいつだかもわからない黒いフォーマルスーツに袖を通し、真理子は火葬場に行った。生憎、外はシトシトとはっきりしない雨が降っていて、幸子を見送るにはあんまりな天気だと思った。

 道すがら、もしかしてこれもSNSの炎上からくる嫌がらせの一つで、本当は誰かが盛大に企てた何かの悪い冗談なのではないかと考えていた。実際に火葬場を訪れて『桜庭幸子』の名前をこの目で見てもピンと来ず、幸子なんてありきたりな名前だからこれは別人のものかもしれないとさえ思った。でも、違った。

 頭の中が疑問で溢れかえる。そして同時に湧き上がったのは悔恨だった。三日前、病院であんな大人気ない言い争いをして、まさかそれが今生の別れになるなんて。

 あの時幸子は自分が死ぬことを知っていたのだろうか? 知っていて真理子にあんなことを言ったのだろうか?

 自分はどうすれば良かったのだろう?

 あの時振り返ってもう少し話をしていたら何か違っていたのだろうか?

 考えても、考えても、答えは出てこない。

「鈴木真理子さん」

 ぼんやりと外廊を歩いていると、突然後ろから名前を呼ばれた。その耳触りはかなり懐かしく感じた。

 ふと足を止める。その声の主がこんな場所にいるというのが腑に落ちず、振り返るまでに時間を要した。真理子の視線の先に、ひょろりと背の高い黒いコートの女性が立っている。姿を拝むのも久方ぶりだが、相変わらずそのオーラは健全でかなり目を惹く。ここが火葬場であることを忘れ、思わず見惚れてしまうほどに。

「チーフ……、どうしてここに?」

「アナタ、ポケベルを返却していないでしょう」

「へ?」素っ頓狂な声が出てしまう。ここは人の死を悼む場所であって、そのような機械的な業務連絡の空気は少しも流れていない。

 にもかかわらず、彼女はさらに重ねて淡々と要求してくる。

「返却してください。今すぐ」

「……こんな時にその話します?」呆れるより腹が立つ。自分は今、自分の中の悲嘆や後悔とどう折り合いをつけたら良いのか必死に考えているというのに、この人は仕事のほうを優先するのか。それもくだらない、生きてさえいればいつでもできるようなどうでも良いことを。

「大事なことだもの。アタシにとっては、とても」

 信じられない。何の価値がある? 悼む気がないのなら一体何をしにここへ来たと言うのだろう?

「どうしてチーフがここに? あ……」

 質問してすぐに、会社の代表者かと思い直した。昔のこととはいえ、幸子はこの会社の一員として相当な活躍をしていた人物だ。誰かが弔問に訪れたとしても不思議ではないし、そういうことならばその態度にも納得がいく。もう三十年も前の、自身にとっては顔も名前も知らず、興味もない誰かさんの葬儀に体裁のために駆り出され、不機嫌だというのなら同情の余地はある。

 だが、彼女はそれを「違う」とはっきり否定した。

 そして次に彼女の口から出てきた言葉によって、真理子は混乱の境地に立たされることとなる。


「桜庭幸子がアタシの母だからよ」


 あまりに何の抵抗もなく発せられたその一言は、一度耳に入った後するりと抜けていってしまいそうになった。だが、頭の中で復唱されたそれは真理子の中で急激に膨れ上がり、出口を失う。

 ——今、何て?

 幸子ママが、母親——?

 たしかに幸子には子どもがいる。疎遠になっているという話は何度も聞いた。それこそ最後に病院で会った時も話した。真理子と歳が近くて、同業者で、今は内側にいるのだと。

 頭の中はパニックになりながらも何とか平静を取り繕う。恐ろしいほど高速で思考が巡っている。たしかにチーフは同業者であり、内側の人間だ。しかし、その他のことはまるで当て嵌まらない。年だって真理子と近いどころかずっと若いだろうし、そもそもの話、幸子の子どもは男の子であるはずだ。

「……娘さんもいらしたんですか?」

 他の可能性がないわけではなかったが、少しでも現実的なほうを選んだ。考えてみれば、ヒーローだったことすらこの十数年黙っていた人だ。他にも何か埋もれていたとしてもまったく不思議ではない。

 しかし、それに対するチーフの回答は、真理子の想像の遥か斜め上を行っていた。

「アタシが()()桜庭(さくらば)英斗(えいと)よ」

 卒倒しなかった自分を褒めてほしいくらいだ。真面目に自分は目が悪くなったのかとか、認知能力が低下したのかとか、そういうことを考えた。

「母が日頃から子育てに失敗したと嘆いていたでしょう。あれ、アタシのことなのよ」

 やめてくれ、情報過多で意識が飛びそうだ。ただでさえ精神的にかなりのショックを受けているところに追い討ちをかけるようなことをしないでほしい。

 だが、冗談も大概にして、とやっとのことで戻した視線の先にいる人形のような女の子はとても冗談を言っている雰囲気ではないし、そもそもそんなことを言えるような人ではない。

「言っておくけど男の子よ? 昔も、今もね」

 誤って飴玉を飲み込んでしまった時って、たぶんこんな感じだ。後味の悪さが腹の奥のほうに残っている。山のような疑問が違和感として横たわってはいるものの、今は事実として受け止めるしかないのだと言い聞かせる。それに労力を使い果たしてしまい、パクパクと口は動くが言葉を継げない。

 チーフはそんな真理子を待っていてはくれない。まるで、そんなことはどうでも良い些細なことなのだと言わんばかりに、簡単に話は飛んでいってしまう。

「三日前、話をしたわよね? 母と」

「え?」

「知ってるわ。アナタにヒーローを辞めさせることが、母の最後の希望だった。だから、アタシがそれを叶えてあげることにしたの」

 話がまったく見えてこない。母というのは幸子のことであろうし、たしかに真理子が会ったのは三日前であるが、そのあとが問題だ。

 真理子がヒーローを辞めることを幸子が望んでいた?

 チーフがそれを叶えてあげるって、何?

「……どういうこと、ですか?」

 これ以上自分の中に疑問が溜まってパンクしてしまう前に一つでも良いから解決してほしいと、何とか声を絞り出した。それなのに、チーフは肝心なことには何も答えてはくれない。壊れたロボットみたいにただポケベルの返却を要求してくるだけだ。

「ちゃんと説明してください。それって……——」必死に頭の中を整理する。「あたしをクビにしたのは、チーフの私情ってこと?」

「そうよ」

「体型がどうとか世間の評価がどうとか言ってたけどそんなのどうでも良くて、ただ……、個人的に辞めさせたかったから、そうしたってことなの?」

「そうよ」悪びれる様子はまったくない。「何? 何か問題? ま、世論的な理由はゼロではなかったけど、アタシにしてみればオマケみたいなものね」

「そんなの……それって、——」

「何とでも言って頂戴。アタシはアタシがそうしたかったからそうした、それだけよ」

 その顔は先ほどまでの無表情が嘘のように不機嫌さをありありと呈している。そしてそれは真理子に向かって突き出された手にも現れていた。男だと言われたからか、開いた(てのひら)がやたら大きく見える。「ねェ、早くポケベル返して? 受け取ったわよねェ、母から」

 素直に渡せるわけがない。この人の言うことがすべて事実なら、訴えれば確実に倫理委員会行きの懲罰ものである。上司だろうが何だろうが、そんなものに易々と屈するなんてごめんだ。

 絶対に渡したくないという意思が伝わったのか、チーフはひどく苦々しい顔で舌打ちをした。

「このまま続けて死にたいの?」口調だけが不自然なほどに大人しくて気味が悪い。「アンタも死ぬわよ? 母のようにね」

「……え?」

 話が飛躍しすぎてついていけない。死ぬって何?

 ——あたしが?

 意味がわからない。人間ならばいつかは死ぬだろう。しかしそんな遠い未来の出来事を今話して何になるというのだ?

 体を強張らせて警戒心を解かない真理子に、チーフは畳み掛ける。

「アナタ、母の死因知らないでしょうから、教えてあげるわ。老衰よ。まだ六十で、老衰よ?」チーフは沸々と笑っている。「冗談みたいでしょう。でもね、本当の話なの、どうしてかわかる? 母が昔、ヒーローだったからよ」

 チーフは早口で喋りながらゆっくりとこちらへ寄ってきたが、真理子の両足は地面に根付いたように動かない。(おごそ)かな石造りの床に、ヒールの音が響く。

 真理子のすぐ目の前までやってきて、チーフは少し体を屈めると、煙たそうに顔を覗き込んできた。「元・ヒーローのアナタに質問するわね。ただの人間が、ヒーローに変身した途端、おかしな力を使えるようになるのはなんでだと思う?」

「え……なんで、って……」思わず口籠もる。改めて訊かれると明確に答えられないことに気付く。

 ヒーローは元から魔法のような特殊能力を持っているわけではない。ただの人間が、ヒーロースーツと言われる特殊な服を着ることで超人的な能力を発揮しているだけだ。真理子の場合、あの色褪せた穴だらけのピンク色の服がそれに当たり、そのヒーロースーツを纏う——『変身』することによって、通常の状態では考えられないほどの力を一時的に使うことができるようになる。

 とは言っても人間であることに変わりはなく、幸子も言っていたようにビームを打ったり巨大化することはない。ただ鈍臭いと言われる真理子であっても、変身状態で本気を出したら快速電車なんて簡単に追い抜ける。貨物コンテナくらいは持ち上げられるし、ジャンプしたらアパートの屋上くらいまでは跳べるだろう。それだけでも『おかしな力』であることはたしかだ。

 尋常じゃない。でも、そういうものなのだと思っていた。それが、ヒーローなのだと。

 真理子が答えられずにいると、チーフは体を起こして天を仰いだ。雨の降る音が聞こえる。

「人間っていうのはねェ……——」低い溜め息のような声に、静かに言葉が乗ってくる。「本来、百の力を持っているのに、実際生きているうちに使っているのはほんの数%と言われてる。あの力はその残りの、本来使わずに一生を終えるはずの分を解放して、使っているだけよ。アナタ、これまでやってて異常に疲れる時なかった?」

 言われてみると、思い当たる節はあった。いつもどおり依頼をこなしただけなのに、なぜかひどく疲れてしまって、家に帰るのだけで精一杯。ベッドに倒れ込んでそのまま朝になっていることは若い頃は茶飯事だったし、幸子の店で知らない間に寝てしまったなんてこともよくあった。

「ヒーローは人間なのよ。手がなくなったら生えてはこないし、ギックリ腰にもなるし、死ねば二度と生き返らない、ただの、人間」その視線がどこを見ているのかはよくわからない。ポケットに両手を突っ込んで、気怠そうに大きな石柱に凭れかかっている。「神様は、ちゃんと平等に作ってる。あんなおかしな力、何の代償もなく使えるはずがない。ヒーローがあの力の代わりに差し出しているのはね、自分自身の、寿命なの」

「……まさか……」

 そんな突拍子もない話、信じられない——そう言いたかった。

「信じられなくても無理ないわ。アナタには、ヒーローとしての素質があるもの」チーフの憐れみのこもった視線が真理子を舐める。「どこから見ても平凡。何も知らない、純粋で、単純で、素直で……そういう人間が一番、騙しやすいからねェ」

「あたしは騙されてなんかない!」

 ムキになる真理子を見て、チーフはふっと笑みを溢した。「……アンタって本当、おめでたい人ね」

 刹那、どこかで見たことがある顔だと思った。幸子に似ているのかとも思ったが、違う。考えて、思い浮かんだのはなぜかひなたの顔だった。「しょうがないなぁ、ママは」と自分を許してくれる時の、あの笑い方。同時に、なぜそんな顔をするのだろうと思った。

 息苦しい。なぜなのだろう? 腹が立つから?

 この人の話の行き着く先が何なのかが見えない。なぜこの人は今になって、自分にこんな現実離れした話を聞かせてくれているのだろう?

 仮にチーフの話が本当だとしても、ヒーローの力が寿命の前借りなどという話は現状公にはなっておらず、ヒーローたち自身にも知らされていない。十八年もヒーローをやっていた真理子でさえ、小耳に挟んだことすらないのだ。ヒーローであることにそんな重要な副作用があるのなら、真っ先に本人たちに知らされるべきではないのか。

「信じられないのなら、良いわよ、それで」チーフは淡々と言う。「証明は、できないしね」

「……どうして?」

「大問題になるでしょうね、そんなことしちゃったら。そうしたらもう、ヒーローの存在そのものを維持できなくなる。それで困るのは誰なのか、みんな頭が悪いからわからないみたいなんだけど……アナタはどうかしらね?」

 最上級の皮肉と共に、彼女は冷めた嘲笑を真理子に送ってきた。幸いにも自分には彼女の言葉の意味が理解できた。証明できないのではない。証明()()()()()()()のだ、と。

 この世界が再び脅かされる時、世界の盾となり戦う者がいなくなってしまうから。

「……どうしてそんな重要な話をあたしにしたの?」

 チーフはその質問に答えなかった。やがて石柱に預けていた体を起こすと、またコンパスのように直立して真理子のほうに向き直る。

「もう良いでしょう? ポケベルを返却して」

 アナタはもう、ヒーローではないの——そこにはまた何の感情もない。声にも、表情にも。本当に人形が喋っているかのように、見える。

 ちゃんと、()()()()()

 不意に、息苦しいのがなぜなのか、わかったような気がした。


* * *


 驚きはしなかった。ずっと覚悟はしていたし、その知らせはいつ来てもおかしくないと思っていた。逆に、それを知らせる電話に一発で出られたことのほうが自分としては奇跡に近い。

「お世話になりました」

 電話を切った時に感じたのは、想像していたより早かったということ。だが、一瞬の後に改めた。仕方がない。あの人は意外と、せっかちだったから。

 子どもながらに常にヒヤヒヤさせられるほど抜けているのに、気が短い。何事ももう少しゆっくりやれば良いのにといつも思っていたが、とうとう、それは最期まで変わることはなかった。

 面倒だと思っていたわけではなかったが、蓋を開けてみたら何もかもすべて自分で準備をして旅立ってくれたようで、自分のすることなんてほとんど何もなかった。一人で墓には入れないからと言っていたくせに、おそらく一人でも大丈夫だったのではないかと思う。そういう専門の会社の人がやってきて代わりに全部こなしてくれたから、自分は本当にただそこに座って、儀礼的に進んでいくすべてを見ているだけで済んだ。

 四十年も生きていれば他人の葬式なんていくらでも出たことがある。そのどれにおいても、感情的になることなんてなかった。憐れんだり号泣したり、とにかくそこに溜まる人の情性は画一的で退屈。時に恥ずかしげもなく怒りを露わにして大声で喧嘩している場もあったが、自分は煩いとすら思わなかった。周囲とお揃いのそれらしい台詞を並べても、どこかで何かがズレていて気持ちが悪いから、その場から一刻も早くいなくなりたい。体に染みついたこの陰気臭い焼香の煙を洗い流して、仕事に戻りたいとすら考えていた。

 もしかして、灰になるのが身内だと何か違うのだろうかと興味はあったが、期待外れだった。むしろ、もっと居心地が悪い。なぜなのだろう? あの人は、そういうものを見せつけたかったから自分に後始末を頼んだのだろうか。せっかく人が、最後くらい何かそれらしいことをしても良いかと思ったのに。

 本当に、最後の最後までひどい人である。

「8号が来ているよ」

 どこからともなく声が聞こえてくる。だからどうした、と返そうとしてはたと思い出した。自分にはまだやることが残っているのだ。

「『元』ね」

 苦し紛れの抵抗に、含んだような笑いが聞こえてきて癪に障る。別に間違ってはいないだろう。本当のことなのだから。

 あの日、解雇通告をした彼女からその場でポケベルを取り上げなかったのは痛恨のミスだと自覚している。あの時の自分はそれほどまでに冷静さを欠いていたということだろう。その証拠に、自分があの瞬間何を喋ったのか、どんな風に彼女にそれを言い渡したのか、ほとんど覚えていないのだから。()()姿()でいるにもかかわらず、あんな簡単なことくらいで自分を保っていられないなんて、本当に己の(もろ)さにはつくづく嫌気が差す。

 自分への落とし前は自分でつける。だってそう決めたから。

 あの人にとって自分がどれだけ価値のない存在だったとしても、これは自分自身の望みでもある。だから、そのためと思えばどうとでもできる。

 三日前、彼女が母と話をしたのは報告を受けて知っていた。だからポケベルを返してもらうのは比較的容易だと目論んでいた。こんなくだらない世界に、自分の命と引き換えにするほどの価値があるなんて誰も思わない。

 それなのに、どうして?

 彼女はヒーローでなくなることを渋った。なぜ? 絶対に明かされてはならない大いなる秘密を知ってもなお、首を縦に振らない。

 ——なぜ?

 苛々する。

 そういうところがあの人に——母によく似ているから。

「母はね……、——」

 大きく息をする。なぜだかそうしないと苦しくて、声が出せないのだ。

「アタシの母は、ハッピー・シャイニーだった。十二年……十二年よ?」

 本物の敵と対峙する、本物のヒーローとしての、十二年。

 目の前のコイツがそれよりも遥かに長い十八年もの間、五体満足でヒーローをこなし、今もなお平然と、何事もなかったかのようにピンピンしていられるのはひとえにただのマスコットだったからに過ぎない。

 ああ、本当に、苛々して吐き気がする。

 何が『ヒーロー』だ、笑わせるな。

 そんなに世界が大事なら教えてくれよ。こんなくだらない世界に、一体どんな価値があるって言うんだ?

 他人の善意に感謝もしない。いつだって自分が一番楽で、優れていて、人より幸せならばそれで良い——そんなことしか考えていない奴らのどこに守る価値があると言うのか。他人を妬んで、蹴落として、貶めて、息をしなくなるまで叩き潰して、その亡骸を指差して、晒して、嘲笑うことでしか幸福を実感できないような奴らを人間なんて呼びたくない。

 そんなの、立派な『モンスター』じゃないか。

 教えてくれよ。

 そんな奴らが蔓延(はびこ)る世界にどんな価値があるのか教えてくれよ。

 そんな救いようのないクズどものために、なぜヒーローが命を張らなければならない? なぜその家族が幸せを我慢しなければならない?

「だからアタシはずっと、母のことが嫌いだった」

 母は教えてくれなかった。

 どうして世界を守るのか。

 どうして世界を捨てたのか。


 ——いや。


 違う。

 本当に知りたかったのはその果てにあるもので、本当は世界なんかどうだって良かったんだ。

 自分はただ知りたかった。自分には、(アナタ)に愛される価値があるのかを。

「僕はずっと、僕だけの母さん(ヒーロー)であってほしかった」

 待っていたんだ。ずっと。

 あの時教えてくれなかったその答えを、いつかきっと教えてくれるんじゃないかと。

 でももうわからないままだ。その口から答えを聞くことはもう二度とできない。待っていたって永遠に、いつかは訪れない。

 だからもう良い。

 自分は、もう良い。

「ポケベルを返却しろ、8号。アンタ、自分の娘に同じこと味わわせるつもりか?」

 その質問に答えることができないのならばヒーローなどやる資格はない。

 自分にはもうその答えは必要ない。ただ、せめて——これから先の遠い未来でも良い。もしも同じ問いを投げかけられたら、その時そこにいて、自分の口で、自分の言葉で答えてやってほしい。それができないのなら、ヒーローなんか辞めてしまえ。

 そう、ヒーローは辞められるのだ。でも母親は辞められない。

 アンタの娘に同じ道を歩いてきてほしくない。

 ポケットの中でポケベルが鳴っている。

 自分は現状、ヒーローではない。だからこれが鳴るということは、その時が来たということだ。

 Cが、Fになった。

 ——さあ、今度こそお別れの時間だな。

「アンタは来ちゃダメよ」

 真理子が徐ろに取り出したポケベルを取り上げ、チーフは短くそう言った。

 緊急招集は全員のポケベルに自動的に同時発信される。当然、まだ正式に退職していない真理子の元にもそれは届く。しかしここから先、彼女を来させるわけには絶対にいかない。それこそが最後に自分の成すべきことであり、彼女への最後の餞別(おくりもの)だ。

「アンタはもう一般人よ。絶対に来たらダメ。良いわね?」

 さよなら、8号。

 ここからは、本物のヒーローの仕事。

 母はきっとわかっている。CがFになった時、息子が何をどうするのか。きっとあの時だってわかっていたんだ。だってあの人は、母親なんだから。

 ——この期に及んでわかっていてほしいだなんて、どうして性懲りもなく期待してしまうんだろう?

 わかっていたならあの時、本当は何と言ってほしかったのだろう?


 自分は。


 残りをすべて任せて火葬場を出た。悔しさを振り切りたくて全力で走った。どのみちここにいたって自分のやることなんて何もない。

 会社への道すがら、()()に連絡を入れる。

「状況を報告して」

 連絡が来ることを予測していたのだろう。彼女はすぐに応答した。「——、コード09F、緊急です。例のシールドの件で」

 だからあれほど言ったのに。今頃国のお偉いさんは揃いも揃って真っ白な顔で狼狽えているに違いない。

「——、どうするおつもりですか?」

 わかっているくせに、ふざけた質問をしてくる奴だ。人手が足りないことくらい知っているだろう。

 足りないだけではない。誰も、本物と戦ったことなんてない。この三十年、モンスターなんて歴史の授業に出てくるだけの架空の存在だったのだ。自分も、見ていたのはいつもテレビの向こう側で、どこかの街を破壊している得体の知れない怪物の画だけだ。

 誰も、知らない。——彼女以外は。

 わかっているくせに——!

 どうするって、もう、こうするしかないじゃないか。

 会社のエレベーターは緊急時には全停止してしまう。地面を蹴り飛ばし、会社の階段を駆け上がった。素の状態で全力疾走すると心臓が痛い。こんなに走ったことなんてたぶん小学生の時以来だ。折れないヒールを作ってくれた優秀なシューズメーカーの技術者には感謝状を送りたい。

 腑抜けてしまいそうな膝をなんとか立たせて廊下を抜け、五階のとある部屋に駆け込む。

「爺、——ッ‼︎」

 アレを頂戴、と言うよりも早く飛んできたそれに視界を遮られ、咄嗟に両手で受け止める。続けてずいと鼻の先に差し出されたのは靴だ。

 受け止めたそれに視線を落としてハッとする。暗闇の中、年季の入った鋭い眼光がこちらを見つめていた。

「着方は、わかるな?」

 (しわが)れた短い言葉からは怯みそうになるほどの圧を感じる。

 体の奥が震えた。実物を見るのは初めてだし、当然身につけたことは一度もない。それなのに、全部わかる。腕に抱いただけでしっくりくる。まるでずっと昔から、自分のものだったみたいに。

「……ありがとう」

「死ぬなよ」

 踵を返した背中に声が降りかかる。反射的に振り返ると爺はカウンターに両手を突いて、向こう側から半身を乗り出していた。先ほどまでの鋭さは消え失せ、どこか哀愁を帯びた、ただの一人の老人の目だ。

 どうしてそんな、泣き出しそうな目をしているのだろうと思った。その瞬間、それが誰かの姿と重なりそうになって、咄嗟に背中を向ける。

「アタシを誰だと思っているのよ」

 いらない。今は、それが誰かなんて知りたくない。

 部屋を出て、廊下を抜ける。

 止まったら、追いつかれる。だから必死に走った。

 駆け込んだ更衣室には誰もいなかった。

 乱れた呼吸が震えてちっとも整わない。上手く着られない。教わらなくとも勝手はわかっているのに焦ってしまう。髪を結うのも、靴を履くのも、まごつくのは手が震えるからだ。

 ——何を今さら……。

 武者震いだってことにしておこう。

 イヤホンから交信が入ってくる。「——、1号と4号を偵察に出しています」

「交戦させないで」

「——、わかっています」至って淡々としている。音質が悪いからそう聞こえるんじゃない。

 上手く着られているのか自信がないが、鏡は見たくなかった。

 更衣室を出て、廊下の端の非常口のドアを開ける。錆びついた鉄の階段は先ほどまで降っていた雨のせいで濡れている。露出した脚に冷たい風が吹きつけてきて寒い。

 ——行かなくては。

 上がらなくては。上に、上に。

 いつも一人で、何度も上がり続けてきた階段。足を上げる度に鳴る鉄の音がやに大きく聞こえる。手袋の中で、手が氷みたいに冷たいのがわかる。

 なんでだろう?

 足が重い。

「……ねェ、黒衣」交信は切断されていないはずだが、呼びかけてもイヤホンからは何も聞こえない。事務連絡でも何でも良いから喋っていてほしいのに、というくだらない意図があったことを見抜かれているのだろう。「ねェ、聞いてる?」

 少しの間の後、ガサガサと耳障りな音が入ってくる。「——、はい」

「1号と4号はどうしたの?」

 答えなどわかりきった、無理矢理に作った質問だった。が、黒衣は生真面目に回答してくれる。

「——、下げました。今は自衛隊本部に向かわせています」

 思ったとおりだ、それで良い。あの二人はまだ若くて、本物のヒーローがモンスターと戦っていたことも歴史の教科書にある昔話と思っている世代だ。いきなり戦闘なんて、死にに行くようなことをさせられない。

「——、本物と戦ったことがないのは、皆同じです」

 だから、そんな気遣いは馬鹿げていると言いたいのだろう。でも彼女はそう言われると踏んで、引けという指令を出した。

「——、あなたも」

 そう、自分も、本物を知らない。

 足が上がらない。まだこの上に、行かなくてはならないのに。

 屋上の隅にある、錆びた鎖の掛けられた階段の前で、完全に足が止まってしまった。もう随分と長いこと使われることのなかった見張りの塔。ここから先は自分も行ったことがない。

 ゆっくりと鎖を外す。鉄の螺旋階段は錆びつきが一層ひどく、途中で踏み抜いてしまわないか不安になる——いや、そんなことで不安なのでは、ない。

 行かなくては、早く、でも、全然足が動かない。

 ここに上って、それから?

 モンスターを確認して、その後は? どうする? 前線へ行って、どう戦えば良い?

 頭に浮かんでくる不安の数々が、自分にかけた変身を一つずつ、容赦なく剥ぎ取ってしまう。消しても消しても追いつかない。どんな奴なんだろう? 自分はまだ力の使い方を覚えているのだろうか? 武器は? 使いこなせる? 攻撃しても効かなかったら? 攻撃されたら、全部避けられる?

 もし自分がそれを倒せずに死んだら、その後世界はどうなるんだろう?

 ヒーローたちが、母が、命を賭して守ってきた、世界は?

「……アナタはあるでしょう。黒衣」

 彼女はその答えを全部知っている。

 彼女が昔空けた『3号』の席は、今も空いている。

「——、片羽の老兵に出ろと仰るのですか?」

 腹が立つほど涼しげな回答だ。

 わかってる。わかっているよ。彼女に左腕がないことも、彼女が三十年前のヒーローだってことも、ここで一緒に出るということが何を意味するのかも、全部わかっているんだよ。でも、もし許されるのならば、自分が背中を預けても良いと思える存在は彼女しか思い浮かばないのだ。

 悔しいが、認めざるを得ない。今の自分には、一人で世界を救えない。

 耳元で盛大な溜め息が聞こえた。わざと聞こえるようにしているのが見え見えだ。

「——、そういうとこほんと鬼畜だよなァ……ま、次のボーナス、期待してるから」

 気色の悪い生真面目さを失ったその声を最後に、交信は途絶えた。彼女なりの『イエス』という回答だ。

 螺旋階段を上る。風はますます強く吹きつけてくる。眼下に広がる街のずっと先、地平線の近くに黒い影が見えた。人類が何年もかけて作り上げてきた文明の証を一瞬で薙ぎ倒し、瓦礫の山にしてしまう。

 ——ああ、これだったのかもしれない。

 遠い日、この場所から、『ハッピー・シャイニー』がどこかをじっと見つめているのをテレビで見た。風が強くて、マントが揺れていた。あの頃まだ長かった母の茶色の髪が靡いていて、それでもその視線は決してぶれない。それは母でありながら、母ではない、自分の知らない()()()()の誰かだった。

 あの瞳に一体何が映っていたのか、ずっと知りたかった。探して、探して、何度もここへ通ったのに、ずっとわからないままだった。

 やっと、見つけられたような気がする。

 そこに誰かがいたことを一瞬で消し去り、そこで誰かが築きたかった幸せを破壊していく。何をしていたわけでもない。ただそこでひっそりと、生きていただけなのに。

 怒りとか、悲しみとか、そういう感情とは違う。悲嘆、憂虞、悔恨——どれも全部、何となく違う。それどころか、もしかして、自分は——。

 その時、鉄の階段を鳴らす別の足音が聞こえた。

 我に返り振り返ると、そこにいたのは真冬にもかかわらず汗だくで息を切らし、地べたに這いつくばっている真理子だった。


* * *


 きっと、行かなければならない、と本能は言ったのだ。いつも怖くて遠目にしか見られないと思っていたその人の背中は、本当はすぐ近くにあって、とても小さかったのだと気付いた。

 自分はどうすべきなのだろうか。

 精一杯のさよならを告げられたのだと感じた。そしてそれが永遠となるかもしれないことは、真理子も理解している。

 なぜなのだろう。たかが職場の上司が——それも自分が一番苦手で、しかももうまもなく上司でも何でもなくなってしまうただの他人が、自分の職務を執行しに行った。ただそれだけのことなのに、なぜこんなにも心がざわつく?

 行かなければ、自分も、ヒーローならば。

 先ほどポケベルに表示されていたコードは緊急召集を示すものだった。覚えなくてはならない重要な共通コードのうちの一つではあるが、実際にそれがあの小さな画面に表示されているのを見るのはこの十八年で初めてだ。

 良くないことが起きているのは考えるまでもない。

 足が動かない。今、あの背中を追わなければ後悔すると、自分の中の何かが言う。それがはっきりと聞こえるのに、体はこの場で固まったまま、動かすことができない。

 と、突然ポケットの中で電子音が鳴り響いて飛び上がった。真理子のスマートフォンが、自宅からの着信をけたたましく知らせている。

「も……もしもし?」

「あー、でたぁ!」電話の向こうから聞こえてきたのは場違いに明るい娘の声だった。

「ひ、ひなた?」一気に体から力が抜け、声が裏返ってしまう。「ど、どうしたの、何かあった?」

「あのね、パパがママげんきかなってうるさいの」

「うん……ママはげんきよ。なんで?」

「なんかね、シールドがね、こわれちゃって、ひな、これからパパのことひなんじょにつれていかなきゃいけないの」

 緊急召集の理由はこれだと瞬間的に察知した。たしかにここのところ、ニュースでシールドに亀裂が生じているのが見つかったと盛んに報じられていたのは知っている。修繕がどうのこうのと騒いではいたが、それが決壊したのだ。そして一般人に対して避難命令が出ているということは、遂にやって来たのだ。あの、モンスターと言われる生命体が、三十年ぶりに。

「……、待って、ひな! ママ、すぐ戻るからさ、一緒に——」

「なんで?」一緒に避難所へ行こう——言い掛けたその言葉は、幼い娘によって遮られた。「ママは、わるいやつとたたかうんでしょ?」

「……」

 何と返せば良いのかわからない。電話を耳に当てたまま、半開きになった口からは何の言葉も出てこない。

 自分は、どうすべきなのだろう?

 駆けて行ったチーフの背中はもうとっくに見えない。心はそちらを向いている。でも、そちらを向いていて良いのかと訊ねてくるのも、自分だ。

 涙が出そうになって、代わりに長く息を吐いた。自分で自分に呆れて、笑いが溢れてしまう。


 ——あたしって、全然、ヒーローじゃないなァ……。


 家族のことも、マリーのことも、両方欲しい。

 そんな大口を叩いておきながら、いざ局面に立たされたらどちらも選べない。決められない。最も必要とされる今、行かなくてどうするのだ?

 本物のヒーローならば、きっと迷わない。

 ——「だからアタシはずっと、母のことが嫌いだった」

 幸子はいつだって迷わなかったのだろう。でもあの決戦の時、初めて迷い、初めて家族を取った。取ってしまった、と感じた。きっとそれが、彼女がヒーローを辞めた理由だ。

 ヒーローでいるというのは、そういうことなのだ。

 その覚悟が、自分にある?

「……ねェ、ひな」

 たしかに幸せだった。ヒーローではない『真理子』の人生は、それなりに楽しかったし充実していた。急に呼び出されて走り回ることもないし、決まった時間にご飯も食べられるし、娘はいつだって近くで笑っている。日常に散らばる些細な出来事がすべて小さな宝石のように煌めく大切なものだったと気付いたら、それを集めながら生きていくのも良いかもしれないと、間違いなく自分は思った。

 でも、そうじゃないと、真理子は言う。


 ——あたしが、本当に欲しいものは、何?


「ママ、悪い奴と戦ったほうが良いかなァ?」

 娘にこんなことを訊くなんて、最低な母親だとわかっている。いくらしっかりしているとはいえ、まだ生まれて六年——この世界の片隅すらも見ていない小さな子に、こんな選択をさせるなんて間違っている。

 準備はもう、できているのだ。ポケベルはもうない。会社も辞めろと言われている。ご近所さんとだって最近漸く上手くやっていけるようになってきたのだ。世界よりも家族が大切で、何があっても真っ先に思い浮かぶのはきっとこれから先も娘の顔に違いない。ごく普通の『真理子(ママ)』に戻る準備は、完璧と言って良いほど整っている。

 それなのに、なぜ、自分はその選択肢を否定できない?

 ——「アタシには覚悟が足りなかったんだよ」

 どっちに進もうと、覚悟がいる。最後は自分で決めなければならない。

「悪い奴と戦いに行ったら、もうひなのお誕生日、一緒にお祝いできないかもしれないよ? ひなとお買い物行ったり、ご飯食べたり、できないかもしれない。ママは、ひなに会えないの、寂しいと思う」

「でも、ひなのママは、ヒーローだから」

 電話の向こうから聞こえてくる娘の声には、迷いはなかった。「ひなもママにあえないの、さみしいけど、ひなのママは、せかいをまもる、せいぎのヒーローだから。がっこうでね、おともだちにじまんするの。ごほんにものってるし、テレビにもでるし、わるいやつをやっつけるんだよって」

 そんなこと、自慢しなくて良いんだよ。

 ヒーローじゃないママだって、きっとすごいと思う。朝早く起きて、お弁当作って、掃除して洗濯して、ヒーロー顔負けの重量級買い物袋を引っ提げて街を練り歩いて、先着順の特売競争や夫婦喧嘩には勝たなきゃいけないし、どうしたらピーマンの存在感を消せるかな、とか、どうしたらこの小さな棚に荷物を全部詰め込めるのかしらって、いつも考えてる。

 そういう世界に生きている真理子だって、きっと悪くないと思う。そういう真理子だって、きっと自慢できると思う。

 でも、ひなのママは、そうじゃないんだね。

「ひなのママは、ピンキー・マリーなの」

 ひなたがどんな顔をしているのか、見えなくてもわかる。

 ——ママはひなたの笑った顔が、世界で一番好き。

「もしもし、ママ? 大丈夫なの?」

 電話の声が急に太くなる。ずっと傍らにいたのであろう、健一の声だ。

 毎日毎日海の向こうから掛かってくる迷惑電話にあれほどうんざりしていたはずなのに、今日はなぜか鼓膜を揺らすこの声がとても愛おしく感じる。

「……うん。平気よ」

「話、聞いてたよ。全部」

「え、ああ……その……ごめんね、健ちゃん、あたし、——」

「真理子の好きにして良いんだよ」

「え?」なるべくいつもどおりに明るく話そうと思っていたのに、突然の言葉に出かかった声が詰まる。「あ、あたしの好きに、って……」

「あ、いや、悪い意味じゃなくて、その……真理子が嫌なら、やめれば良いし、行きたいなら応援するよ。ひなたのことなら気にしなくて良いし、俺も、覚悟はできてるから」

 ぽつぽつと、しかしはっきりとした口調で、健一は言った。本気で話しているのだとわかるくらいに。年甲斐もなくいつの電話もふざけてばかりの健一から突然真面目にそんな話をされたら、普段ならきっと恥ずかしくて、はぐらかしてしまうだろう。

「……実は昔、幸子ママに言われたんだよ」

「え?」

「結婚前にさ、真理子と結婚するってことは、そういうことなんだぞって、散々。あのママ、ホントうるさくってさぁ、でも……俺、やっぱり真理子が良くて。だから決めたんだ。あの時。俺はマリーの旦那になるんだぞって」

 ママが説教してくれてて良かった、と健一はしみじみと言った。知らなかった。幸子がまさか、そんなことを話していたなんて。

「……」

「……いや、ゴメン、やっぱ嘘!」

「は?」

「いつかこういう日が来るかもって思ってたし、覚悟できてるとかカッコつけたけど、やっぱ無理! 本当はすげぇ怖い! 怖いけど、けどさ……俺なんかより、真理子のほうが、ずっと怖いと思うんだ」

「……」

「けど、それでも真理子はきっと行く。だって、俺が好きな真理子は、そういう人だからさ」

 ——悔しいなァ、本当に。

 この人は本当に、真理子のことが好きなのね。ずっと近くにいなかったくせに、なんであたしより全部わかっちゃうの?

 本当に、悔しい。 

「行ってらっしゃい。元気で帰ってきてよ。ママ」

 電話の向こうから、ひなたの声が聞こえる。頑張って、と叫んでいる。

「……ありがとう」

 帰ってきたらたくさんお喋りをしよう。一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒のお布団で寝よう。

 ママの隣でまた一緒に、宝石を拾って。

 そうしていつか大きくなったら、今度は自分の大切な人と一緒に、宝石を拾って。

 そんな世界があたしの、一番欲しいものよ。

 ——さようなら、真理子。行ってきます。


 電話を切り、見えなくなった背中を追いかけて駆け出した。

 大通りに出るとそこは既に非日常だった。信号機が消え、車のクラクションがあちこちに響き渡る。変電所が落ちたのかもしれない。車道に混乱する歩行者が溢れ、道路は渋滞、電車もたぶん駄目だろう。

 人混みを掻き分け、会社への道のりをひた走る途中で顔馴染みのお巡りさんに遭遇し、訳を話したら乗っていた自転車を貸してくれた。神様かと思った。規則では駄目らしいが、ヒーローの緊急出動ならばと迷わず差し出して自分が代わりに走っていってしまった。どうか誰も彼を怒らないでほしいと願うばかりだ。あとで彼のいる派出所にも行こうと思う。

 会社の表玄関の自動ドアをこじ開け、エレベーターホールに駆け込むと、なんと全停止中。緊急用電源は作動しないのかと憤りつつ、階段を駆け上がる。チーフの執務室を覗いたが、案の定不在だ。

 どこだ? どこへ行った? 必死に酸素を吸いながら、頭の中で考える。おそらく緊急会議は開かれているだろうが、あの人が大人しくそんなものに出席しているというのは何となく腑に落ちない。

 忙しなく廊下を走っていく社員に訊いても、皆知らないと言う。時間がないのに焦りだけが募って正常に考えられない。

 どうしよう? 指示を出すなら司令室? でも、何かが違うような気がする。

 ふと、思い出す。

 ——あの人、なんでポケベル持ってたんだろう……?

 ポケベルはヒーローに支給されるもので、内側にいる人は通常持たない。

 チーフは内側の人間だ。ヒーロー部門の統括で、だからいつも真理子に給与袋を渡しにやって来る。

 幸子の息子。

 ヒーローの子。

 ——もしかして、——


「屋上にいるよ」


 反射的に振り返る。

 そこには誰もいない。

 辺りを見回しても、怖いくらいに廊下はしんとしている。

 誰の声だったのだろう? それよりも、屋上にいるって、誰が? 屋上に何があるのだっけ?

 迷っている時間はない。

 真理子は廊下の突き当たりにある非常口の扉を開けた。無機質な鉄の階段が天に向かって延びている。

 手摺から身を乗り出して上を覗く。屋上はまだ見えない。

 ぐっと腹の底に力を入れ、階段を駆け上がる。今自分が通り過ぎたのが何階なのかもわからないが、止まらずに上がり続ける。足が攣りそう。息も絶え絶え、確定の筋肉痛。一瞬でも足を止めたらもう上れない気がする。チーフにもう一度会ったら、絶対に、絶対に文句を言ってやるんだ。今度こそ。

 最後の踊り場で頂上を見た。

 風が強い。体は重いし、両脚はガタガタで上手く力が入らない。膝が抜けてしまわぬよう懸命に持ち上げ、最上段へ上がる。

 屋上には初めて来た。だが、この景色を自分は見たことがある。

 いつかの昔、まだ幼かった頃、ブラウン管テレビの向こうでその人は、塔のような背の高い見晴らし台の上に立ち、強い風の吹く中、長い髪とオレンジ色のマントを翻していた。

 何を見ていたのか知れない。きっと、目の前に広がる街並みだろう。その真っ直ぐな眼差しに、幼い真理子は釘付けになった。強くて、どこか哀しみを纏い、何かを決意するような。

 今、目の前にあるのと、同じ景色。

「ストーカーなの? アンタは」

 オレンジ色の大きなリボンに、ふりふりのスカート、風に踊る大きなマントと、長いツインテール——その姿は間違いなく、あの伝説の8号、ハッピー・シャイニーそのものだ。

 頭が混乱する。地べたにへたり込んで喘ぐ自分を見下ろす軽蔑の目は、チーフのものなのに。

「上司の命令は聞きなさい。アンタは来るなと言ったはずよ」

 言うはずだった文句の言葉も、みんな強い風に吹かれてどこかへ飛んでいってしまった。呆然と言葉を失い、目を丸くしたまま固まっている真理子に、シャイニーの姿をしたチーフは呆れたように冷たくそう言い放つと、じゃあね、とどこかへ発とうとする。

「待って‼︎」

 渾身の力で叫んだ。自分のものかと疑ってしまうほど、太くて大きな声が出た。チーフの肩がほんの微かに震えたような気がする。

「あたしも、行かせて」

 その言葉に勢いよく振り返ったチーフは明らかに不機嫌で、思いどおりにならない苛立ちに泣き出してしまいそうな、まるで子どもみたいな顔をしていた。「だから、アンタは——」

「あたしもうクビだもの! アンタももう上司じゃないわ、好きにやる!」

「なんでよ⁉︎」

 風切り音の中に悲鳴みたいな声が聞こえる。真理子は構わず立ち上がり、チーフがいる見晴し台の階段を上がる。まだ脚が痺れて、油断すると脱力してしまいそうになる。

「何がそんなに良いの? 何をしたって感謝されることなんてない。ただ叩かれるだけ叩かれて、死んだって誰も悲しんじゃくれない! アンタがいなくたって、代わりに世界を守るやつはいるのよ? アンタの娘の母親は、アンタしかいないのに!」

「そんなのわかってる!」

「何にもわかってないじゃない‼︎ 母親なら、自分の家族だけ守ってれば良いのよ!」

「あたしはねェ!」

 見張り台の上は、とても風が強かった。一面によく知る街並みが広がって、雨上がりの白い空が大きい。所々厚い雲の隙間から細く日が射して、光っている。

 目の前に立っているチーフは、いつもよりずっと小さく見えた。見間違いなんかじゃなく、やっぱり肩が震えている。

 見れば見るほど、思う。

 ——あんたって、本当に、ママのことが嫌いだったの?

「……あたしは、母親だから、自分の子どもの幸せを世界で一番願ってる。娘が幸せに生きてくれるのなら、あたしは何にもいらないわ」

 娘がこれから歩いていく未来、生きていく世界。何よりも美しくて幸せであってほしい。

 母親として、それを作りたい。それが自分の一番欲しいものであり、夢なのだ。

 たとえそこに自分がいられなかったとしても。

「全部、あたしの我儘よね。もしかしたら娘は将来あたしのことを恨むかもしれないわ。……でもね、——」

 後退りしてしまうチーフの腕を掴んで引き留める。なんて冷たい手をしているのかと驚いて顔を見上げると、口をきゅっと噤んだまま一瞬で視線を逸らされた。

 掴まれた腕を振り解こうとしてくるが、絶対に離してなるものかと思った。たぶんこの人はずっと心のどこかでわかっていたんだ。わかっていたのに、そうやって、これまで目を背け、逃げ続けてきたのだろう。自分の母親からも、自分自身からも。

 でも、それはもう、おしまいにしなさい。

「少なくともアンタは、自分の母親が最強のヒーローだったこと、ずっと誇りだったはずよ。どんなに、大嫌いでもね」

 あんたのママは、あんたにとって、世界で一番のヒーローなんだ。今でも。目の前にいるあんた自身が、その証拠でしょう?

 ずっとそれが自分の片思いだと思ってた?

「幸子ママはアンタのことを愛していたよ。世界中の誰よりも」

 ヒーローはただの人間だ。

 ただの人間が最強でいるためには、どうしたって理由がいる。幸子にとってのそれは、きっとただ一つしかない。ヒーローとして前線にいる時、彼女はいつだって息子のことを考えていたはずだ。

 ——「うちの息子なんかあんなに可愛かったのに」

 嘘をつけ。本当は今だって、可愛くて仕方がなかったくせに。

 理解なんてできないかもしれない。オバサンは図々しい生き物なのだ。欲しいものは、全部手に入れなかったら気が済まない。

 今すぐ信じられなくても良い。でも、自分がちゃんと愛されていたことは知っていて。自分自身のことは粗末に扱っても良いなんて思わないで。

「あたしも一緒に行かせて。人手が足りないのはわかってるの。迷ってる時間もないでしょ?」

「……」

「あんたが「うん」って言うまで、どこまでも付き纏うわよ、あたしは!」

 それでもチーフは押し黙ったまま、首を縦には振らない。

 遠くで何かが爆発したその音が、風に乗って聞こえてくる。目をやると、街並みの果てに黒い影のようなものが(うごめ)いて、周りに砂煙が立ち込めている。建ち並ぶ背の高いビルがまるでオモチャのドミノ倒しのように崩れて、またその轟音が少し遅れてここまで届く。

「……アレよ?」チーフの小さな声に視線を戻す。目元が緩んで今にも崩れそうになっている。「あそこに行かなきゃならないのよ? ()()()()()

 それでも良いのか、と覚悟を訊いているのだ。

 チーフの腕は相変わらず冷たい。

「もちろんよ」

 真理子の明確な答えを聞いたチーフはしばらく黙りとして、やがて一言、わかったと頷いた。

「今回だけにして。それが条件よ」チーフはそう言って、ピンクのキラキラデコレーションの施されたポケベルを返してくれた。「アンタね、何考えてるの? 会社の備品なのに、勝手にデコって」

「可愛いでしょ?」

「そういう問題じゃないわ」

 今にも怒り出してしまいそうなチーフであるが、その姿だとまるで怖くない。内側にいるのが勿体無いと思っていた自分の目はやはり正しかったと、密かに満足している。

「さァさァ、お揃いですねェ、お二人さん」

 その声に振り返ると、いつの間にかそこには一人の女性が立っていた。秋空を彷彿とさせる美しい青色のヒーロースーツだが、真理子のものとはまるでデザインが異なる。後頭部の下で括った長い黒髪の先が青く染まっていて、尻尾のように風に揺れている。

 真理子は彼女を知らない。青色のヒーローは、現在のメンバーの中では欠番になっていて存在しないはずだ。なのに、どこか見覚えがある。

「初陣ですかァ、おめでとうございますゥ」その白い顔に貼り付けたような笑みを浮かべ、真理子を祝福してくれる。この喋り方も最近どこかで聞いたことがある。

 すると、目を丸くして困惑する真理子に足音もなく近寄ってきた彼女は、すっと右手を差し出した。「3号の、スカイ・ハークです」

 以後お見知り置きを、と白い歯を見せて笑う彼女に釣られて握手を交わしつつ、その名前もどこかで聞いた覚えがあるがどこだったろうかと考える。その間に、彼女のヒーロースーツの左腕部分が不自然に折れ曲がっていることに気付いた。

 何だろう? まるで、途中から中身が入っていないみたいだ。

「黒衣よ」

 チーフがポソリと後ろから入れてくれた短い補足のおかげで、漸くハッとした。この口調、この笑い方——あの時の!

「嘘でしょ⁉︎」思わず声を上げてしまった。「え、え、本当に黒衣さんなの? 本当に?」

「今回だけですよ。五十路の老人をこき使わないでくださァい」真理子の後ろに立っているチーフに向かい、お得意の笑顔で嫌味を垂れる。チーフに負けず劣らず、とても五十には見えないルックスだ。

「……その気持ち悪い喋り方やめてくれない?」

「えぇえ? ダメですよォ」チーフが向ける嫌悪に満ちた視線にもまったく動じず、彼女はチーフのその姿を舐め回すように見ながら周囲をぐるぐると歩き回り、あろうことかマントやスカートを捲って楽しんでいる。

「やめてよ!」

「昔、流行りませんでした? スカート捲り」

「いつの話してんのよ!」チーフは虫を追い払うかの如く両手をぶんぶん振りながら怒っているも、ものの見事にかわされてしまう。「だいたいアタシ男の子なのに捲ったってしょうがないじゃない……」

「あら、関係ないですよ。男でも女でも、大事なのはその外見に(そそ)られるかどうかです」

「3号‼︎」チーフは顔を真っ赤にしてタジタジである。どうやらこの二人にはそういう上下関係があるらしい。

「まァまァ、今日は、ね、『はじめまして』の方がいらっしゃるんですから」

 唖然と立ち尽くす真理子をオレンジ色のマントの陰から三日月のような目が見つめている。

 そこまで言われて初めて、真理子は漸くすべてを思い出した。3号のスカイ・ハークは幸子のハッピー・シャイニーが活躍していた三十年前、彼女の背中を預かる相棒としてコンビを組んでいたヒーローである。当時シャイニーのファンであった真理子も幾度となくテレビで見たことがあるし、よく知っている。

「本物、ってこと……?」

「まァ、そういうことですね。あ、サインいります?」

 ふざけるな、と不貞腐れた様子のチーフが言葉もなく腕を組んで睨んでいる。

「来てあげたんですから怒らないでくださァい」3号は楽しそうに笑いながら地平線に蠢く黒い影を見やる。「あらあら、また随分と派手にやってくれちゃってますねェ。ジブン、不謹慎ですが、懐かしいとさえ思ってしまいますゥ」

 何という感覚だろう。前線で鍛え抜かれた精神では、あれを見ても恐怖や不安を覚えないのだろうか。先ほどからここにいる誰よりも落ち着きがないのは、この状況を楽しみ、心が浮いているからなのだ。

「さァてと……では、そろそろ真面目な話をしましょうか」3号は漸く少し真剣な顔になってそう言うと、首を左右に揺らして音を鳴らす。「一度きりで覚えてくださいね。攻撃はするよりまず避けることを最優先に。受けたらまず死ぬと思ってください。大きさはアレですけど、一体だけですから」

 かなりエッジの効いた話だと思うが、淡々と流されてしまう。三十年前に比べればマシだと、相変わらず3号には薄らと余裕の笑みが浮かんでいる。「訓練と実戦は違いますからね。お二人とも初めてでしょう?」

 たしかにあの黒い影に見覚えはある。テレビの向こうにヒーローが映る時、必ず様々な姿をしたあの影が一緒にいた。だが、実際にこの目で見るのは、真理子にとっては初めてである。もちろん、戦うのも。

「そうですねェ……」3号は折れ曲がった左の袖口を(あご)に当て、僅かに頭を傾ける。「三分……長くて三分半でお片付けといきましょう」

 3号は平然とそう言ったが、真理子にとっては耳を疑う話だ。三分? あんな巨大なものをたった三分で消滅させるというのか?

「そうしないとこっちがもちませんから。ああ、あと、——」3号はゆっくりとこちらに視線を流す。「お二人に一つ、大事なことをお伝えしておきます」

 思わず生唾を飲み込んだ。あんなにおふざけモードだった彼女が静かにこちらに向き直り、真理子とチーフの顔を交互に眺める。

「自分も何せ三十年ぶりですし、片手一本です。確実に言えることは、昔のようには跳べません。だから、頼みますよ。二人とも」

 必ず生きて帰しますから、と3号は言った。そこには、たとえ自分があの場所で死んでも、という意味が含まれているような気がした。

 地平線に目をやる。黒い影は相変わらず街を破壊し続けている。歴戦を越えてきた彼女の言葉だ。本当に、あの場所はそういうところなのだろう。

「アンタもよ。3号」

 チーフが言った。同じことを感じたのかもしれないと思った。その顔には、3号のことを案じる気持ちがありありと出ている。

「もちろんです。でないと、ボーナスもらえないので」3号に明るくそう返されても、チーフの表情は不安に(まみ)れたままだ。「大丈夫です、ちゃんとアシストしますから信じてください。シャイニー」

「ねェその名前やめて、すごい嫌」

「そっくりですよォ? やはり親子ですねェ」彼女はまたおふざけモードに戻って、くすくすと笑いながらチーフを揶揄う。「では、健闘を祈ります」

 膨れ面のチーフをこの場に残し、3号はさっさと社屋から飛び降り、前線に向かって駆けて行ってしまった。ビルの屋上を跳び移りながら地平線に向かう彼女の姿は一瞬で景色の中に消え、見えなくなった。

 ——……なんと気まずい。

 恐る恐る、隣に視線をやる。視界の隅にほんの少しだけ入ってきたチーフは、やはり本当にあの伝説の8号によく似ている。

「あのー……本当にそっくりよ?」

 えらい怒り出すに決まっている、と幸子は言っていたが、言わないほうが失礼な気がした。一応身構えてはいたが、案の定、チーフは怒らなかった。頬を紅くして、恥ずかしそうに俯き、押し黙っている。

 親子なのだから元々似てはいたのかもしれないが、何の努力もなしにその姿を手に入れたとは思えない。細部まで、本当によく見ていたのだろう。三十年経っても鮮明に記憶を呼び起こすことができるほどに。

 幸子はここからいつも見ていたのだろうか。

 あの日テレビに映ったあの眼差しで、これから自分の行く世界の果てを。

「名前は絶対変えてやる」

 やがてチーフはぽつんと、至極悔しそうに声を絞り出した。その姿をどうにかする予定はないらしい。

「変えちゃうの? 良いじゃない、そのままで。可愛いわよ?」

「当然でしょ⁉︎」そこまでは言わなければ良かったと後悔してももう遅い。「アタシは、努力してんの! 少なくともアンタより頑張ってんの‼︎ なのになんでアンタにはできないのよ、怠けてるとしか思えないんだけど⁉︎」

「失礼ね! あたしだってこれでも努力してるのよ?」

「何を? 朝パン食べるのやめたのだって、一日しか続かなかったくせに!」

 なぜそのことをチーフが知っているのだろう……?

 真理子が怯んだその隙にチーフは畳みかけようとしたが、一瞬早く、二つのポケベルの音が鳴り響く。

 見ると発信者は先ほど駆けて行ってしまった3号で、早く来いという内容だ。何の変哲もない機械的な短いメッセージだが、その小さな画面からは何となく怒気が醸し出されているように感じ、背筋が寒い。

 それはおそらくチーフにもわかったのだろう。一瞬前まで怒っていたその顔からは血の気が引いている。

「……早く着替えてきて。アタシ、先に行くから」

 3号は怒るととても怖いのだとか。チーフが縮こまって蒼くなるくらいだからよほどだろう。ジャージとスニーカーはやめなさい、というお馴染みの台詞を残して社屋を飛び降りると、3号の後を追いかけて景色の中に消えていった。

 風が強い。

 でも、柔らかな、春の追い風だ。

「……よし、行こう!」


 恋とチェリーは春の色

 凍った心に光れ 追い風


 8号、ピンキー・マリー 華麗に見参!




To be Continued...


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