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肩書に囚われ、人を見失う
親の前に人、子供の前に人間である
肩書を保身に使うのは理解できるが、人を責める為の道具として扱うのは些かやり過ぎだ
親だから子供だから学生だからと言う固定概念に囚われれば、肩書毎の当たり前を押し付けるだけなのだろう
それは誰かが言う「人それぞれ」の否定。
大衆やカテゴリーに分類されて安心しきる。
でも自分が分からなくなる
自分でない存在を演じているのだからそりゃあわからなくなるのも当然だろうな
つまりカテゴリーは自らアイデンティティを奪い、他人から勝手に分類され評価される無駄物
世間としては安心、けれど人としては不安、と言う矛盾
自分を偽って結局何がしたいんだ
いい加減自分を見なければ、他人を人としなければ、同じ過ちや疑問を繰り替えずだけだろう
決まったルートは安心出来るけど、本来、魂は何を望んでるんだろう