体と魂が別という妄想の上考えた一つの生きる理由
ただの妄想的な話かもしれないけれど、魂というものがあったとして、身体が器だったとすると
身体というものは自分を表現する為にあるだけで、自分とは別の生き物なのではないか
体の中の循環器は自分で動かしていない
勝手に心臓が動いているのを見ると自分だけど自分ではないと言うのは強ち間違っていない様にも思える
けれど現実、この身体というものがなければ自分たちは何も表現が出来ない
だからこそ身体が動いている事に何時も感謝したいと考える
身体という存在からすると生きる事が全てだ
自分を活かす為に生きている
つまりこれは生きる為に生きていると言えよう
この言葉は身体が望んでいることであり、自分達魂が望んでいるものではないのかもしれない
ただ身体がそう望んでいるのだから、自分は身体の為にも生きようと努力したい
自分の為に表現する為にここに歩く為に楽しむ為にあるのだから、身体を使って生きている
それは一つの立派な生きる意味
そしてそれには責任も伴う
身体という風に括りはしたが、臓器から細胞、もっと砕けばどれだけの素粒子が自分の為に存在しているのか
結成し、自分を作ってくれているのか
少し怖くも重くも感じるけれど生きると言うことはそれだけのものを背負う事でもある
身体一つあるだけで大変な事なのだろう
自分は簡単にこの身体を手放すことなんて出来ないよ




