相手と自分の気持ちの距離感
どこまで踏み込んで(ストレートに)話すべきか
相手を傷つけない様、何処で線引きをするのか
意見の対立が起きた場合、どちら共に否定になってしまう。分かり合えなければ確執が生まれるなぁ
意見に対してどちらか一方の歩み寄りがあった場合、相手の気持ちを尊重する事が出来る。けれど、自分の意見は蔑ろなのか?
どちら共に共感(同意見)である場合、肯定感が増し、それが正しさになってしまう、画一してしまう
うーん、どれもが何処かにストレスが産まれている
本音は、自分の気持は、意見は大事
言えないと心中でモヤモヤが溜まってストレスになってしまう
でも本音(ストレートな言葉)は人を傷つけたり、アンチを増やしてしまう(アンチに関しては知ったこっちゃないが)
前者はどうにか対策を考えたいな
言い方を変えるのは一つ現実的な思案だよなぁ
遠回しになってしまうけれど本音
後は、言葉の要所要所に『あくまでも自分の意見としてね?とか、俺は思う』とかを加える
実際、一意見だしね。
相手に伝えながら、自分に言い聞かせるように発する『一意見として』と言う追記
自分の意見がある様に相手にも意見がある
それは、自分の中では正解の事も相手の前では正しさではなく、やはりただの一意見だという事
決めつけは良くないよねぇ、その人を否定しているみたいで
後は…感情と言葉を混同させて表現しない事、も重要かと考える
感情的な表現をしてしまう…この場合の感情って伝えたい熱。怒りとか否定とかの部類だから(絶対的)言葉に刺が出てきてしまうし、一方的な言い分になっちゃうんだよね
本当に言いたいことが感情によって別のものに置き換わったりだとか(論点がずれる)感情優先になってしまったりとする可能性がある
だから、感情的にならずあくまで冷静に
矛先は物事や事象であり、相手の意見ではない、筈
これは相手の気持を汲み取る時も同じなんだろうな
相手の気持、意見、申し訳ないけど何言っているか分からない時あります(俺の文章が理由分からないのと同じで)
ただ、『分からない』が素直な気持ちだから別にそう伝えればいいと思います(伝え方次第)
相手が意見に共感して欲しいと言っています
しかしそれは不可能に近いのです
自分には一意見があるから
でも、相手の言い分ではなく、辛かったや、悲しかったと言う気持ちに頷いて上げる事はできるかなと思います
相手がその気持ちになったのは事実で、それに否定も肯定もないと思うからです
意見に共感するのか、感情に共感するのか
やはり、混同させてはいけない二つ…なのか…!?
まあ、物事相手の一意見と捉えるだけで、否定って少なくなったんだよな自分
言う時、何が重要か、何が相手を傷つけるか
聞く時、何が重要か、何に目線を向けるか
多方向から色々考える事が出来るなぁ




