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当たり前が出来ない人間は劣っているのか、常識がない人間は悪なのか

当たり前が出来ない、常識がない人間は、劣っているのか悪であるのか


常識的に考えて学校に行くのは当たり前である


これは、私の経験した話だ


中学の頃、一時期だが突如としてご飯の食べられない様な時期があった。


友達は多くいたし、毎日遊び、部活もしていた


心体共に至って健康状態


しかし、ご飯が食べられない事態が現れる


そんな期間、登校中、橋の上で急にゲロを吐く


それ以降、平然と生きている


高校の頃、登校中、不意に意識を失う


頭痛、吐き気、腹痛を抱え、学校へと向かう


健康診断、良好。悪い所、なし


大学の頃、電車通学


電車内で多々吐き気を催す


必ずと言って良い程同じ場所で線路を降り、下痢とゲロのオンパレード


家路に就く


大学中退(本当の理由はそれではない)


学校に行くが山道を登るより険しいと感じていた私


それでも学校へ行くのは当たり前と呼べるのか


「いや、それは話が違うじゃん」


どう違うのか


「普通の人が学校に行くのは当たり前だよと言う話で」


そっか。


じゃあ、私は通学中に障害を受けた障害者なんだね、学校に行けなかったのは仕方が無いって事か。


それで?


普通の人とは一体…?


健康体で学校に行ける人の事?


つまり、学校に行っている人が語る常識、であって


学校に行けない人が学校に行けないのはそれぞれ理由があるから当たり前。皆仕方ない事、なんだよね


一般的な当たり前、常識の基準に私は到達していません


それでも当たり前を遂行しないといけない理由や常識はあるのかな?


仕方が無い、そんな理由が我々にはあるけれど…


「将来の就職に役立つ、勉強で差をつけろ!」


行くべき理由と言うよりいったら為になるよって話?


正直、行って面白いな、行ってよかったな、と思ったのは、色々な人の話が聞ける、見れる(コミュニケーション)。小さい社会の縮図が知れる。スマホを触らないから授業中趣味に集中できる事


…今、変わってると思わなかった?


実際想像していた理由ではなさそうだ


けれどこれが私の気持ち


それで常識とか、当たり前ってなんだっけ?


エチケットとして、エチケットができない人、エチケットだと思っていない人もいる(私はエチケットわかる人…だと思ってる)


これが彼らの気持ち


それは悪ですか…?


当たり前や常識っていうのは皆の心や気持ちに厳しいねぇ…


私は設けられたルールという土台には立てないんだ…システムではなく人だから


常識と言う土台の上で踊るのか、個人という土台で遊ぶのか


確かに私は出来ないんだ


大学も行けなかった。会社という組織の一部に溶け込む事も出来ない。勉強という面において順位は下から数えた方が早いだろう


でも、自分の気持ちや、伝えたい事、やりたい事


全部出来ているよ


ずっとそんなことばっかり考えてきたから


当たり前が出来ない人間で、常識の無い人間だけど、人一倍別の何かが鍛えられました


ありがとう、自分

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